忠「長らく御恩になりました」
と見上げる眼に泪《なみだ》を溜《た》めて居りますから、耐《こら》えかねてお竹も、
竹「わア」
と枕元へ泣伏しました。此の家《うち》の息子が誠に親切に時々|諸方《ほう/″\》へ往《い》っちゃア、旨い物と云って田舎の事だから碌な物もありませんが、喰物《くいもの》を見附けて来ては病人に遣《や》ります。宿屋の親父は五平《ごへい》と云って、年五十九で、江戸を喰詰《くいつ》め、甲州あたりへ行って放蕩《ばか》をやった人間でございます。忰《せがれ》は此の地で生立《おいたっ》た者ゆえ質朴なところがあります。
忰「父《とっ》さま、今帰ったよ」
五「何処《どこ》へ行ってた」
忰「なに医者の処へ薬を取りに行って聞いたが、医者|殿《どん》が彼《あ》の病人はむずかしいと云っただ」
五「困ったのう、二人旅だから泊めたけれども、男の方は亭主だか何だか分らねえが、彼《あれ》がお前《めえ》死んでしまえば、跡へ残るのは彼《あ》の小娘だ、長《なげ》え間これ泊めて置いたから、病人の中へ宿賃の催促もされねえから、仕方なしに遠慮していたけんど、医者様の薬礼《やくれい》から宿賃や何かまで、彼《あ》の男が亡くなってしまった日にゃア、誠に困る、身ぐるみ脱《ぬい》だって、碌な荷物も無《ね》えようだから、宿賃の出所《でどこ》があるめえと思って、誠に心配《しんぷえ》だ、とんだ厄介者に泊られて、死なれちゃア困るなア」
忰「それに就《つい》て父《ちゃん》に相談|打《ぶ》とうと思っていたが、私《わし》だって今年二十五に成るで、何日《いつ》まで早四郎《はやしろう》独身《ひとり》で居ては宜くねえ何様《どんな》者でも破鍋《われなべ》に綴葢《とじぶた》というから、早く女房を持てと友達が云ってくれるだ、乃《そこ》で女房を貰おうと思うが、媒妁《なこうど》が入って他家《ほか》から娘子《あまっこ》を貰うというと、事が臆劫《おっくう》になっていかねえから、段々話い聞けば、あの男が死んでしまうと、私《わし》は年が行かないで頼る処もない身の上だ、浪人者で誠に心細いだと云っちゃア、彼《あ》の娘子が泣くだね」
五「浪人者だと…うん」
早「どうせ何処《どっ》から貰うのも同じ事だから、彼《あ》の男がおっ死《ち》んだら、彼の娘を私《わし》の女房に貰《もれ》えてえだ、裸じゃアあろうけれども、他人頼《ひとだの》みの世話がねえので、直《すぐ》にずる/\べったりに嫁っ子に来《き》ようかと思う、彼《あれ》を貰ってくんねえか父《ちゃん》」
五「馬鹿野郎、だから仕様がねえと云うのだ、これ、父《ちゃん》はな、江戸の深川で生れて、腹一杯《はらいっぺえ》悪い事をして喰詰《くいつ》めっちまい、甲州へ行って、何うやら斯うやら金が出来る様になったが、詰り悪い足が有ったんで、此処《こゝ》へ逃げて来た時に、縁があって手前《てめえ》の死んだ母親《おふくろ》と夫婦になって、手前と云う子も出来て、甲州屋という、ま看板を掛けて半旅籠《はんはたご》木賃宿《きちんやど》同様な事をして、何うやら斯うやら暮している事は皆《みん》なも知っている、手前は此方《こっち》で生立《おいた》って何も世間の事は知らねえが、家《うち》に財産《かね》は無くとも、旅籠という看板で是だけの構えをしているから、それ程貧乏だと思う人はねえ何処《どっ》から嫁を貰っても箪笥《たんす》の一個《ひとつ》や長持の一棹《ひとさお》ぐらい附属《くッつ》いて来る、器量の悪いのを貰えば田地《でんじ》ぐらい持って来るのは当然《あたりまえ》だ、面《つら》がのっぺりくっぺりして居るったって、あんな素性《わけ》も分らねえ者を無闇に引張込《ひっぱりこ》んでしまって何うするだ、医者様の薬礼まで己が負《しょ》わなければなんねえ」
早「それは然《そ》うよ、それは然うだけれど、他家《ほか》から嫁子《よめっこ》を貰やア田地が附いて来る、金が附いて来るたって、ま宅《うち》へ呼ばって、後《あと》で己が気に適《い》らねえば仕様がねえ訳だ、だから己が気に適《あ》ったのを貰やア家《うち》も治まって行くと、夫婦仲せえ宜《よ》くば宜《い》いじゃアねえか、貰ってくんろよ」
五「何を馬鹿アいう手前《てめえ》が近頃|種々《いろ/\》な物を買って詰らねえ無駄銭《むだぜに》を使うと思った、あんな者が貰えるか」
早「何もそんなに腹ア立てねえでも宜《い》い相談|打《ぶ》つだ」
五「相談だって手前《てめえ》は二十四五にも成りやアがって、ぶら/\遊《あす》んでて、親の脛《すね》ばかり咬《かじ》っていやアがる、親の脛を咬っている内は親の自由だ、手前の勝手に気に適《い》った女が貰えるか」
早「何ぞというと脛え咬る/\てえが、父《ちゃん》の脛ばかりは咬っていねえ、是でもお客がえら有れば種々《いろん》な手伝をして、洗足《すゝぎ》持ってこ、草鞋《わらじ》を脱がして、汚《きたね》え物を手に受けて、湯う沸《わか》して脊中を流してやったり、皆《みんな》家《うち》の為と思ってしているだ、脛咬りだ/\てえのは止《よ》してくんろえ」
五「えゝい喧《やかま》しいやい」
と流石《さすが》に鶴の一声《ひとこえ》で早四郎も黙ってしまいました。此の甲州屋には始終|極《きま》った奉公人と申す者は居りません、其の晩の都合によって、客が多ければ村の婆さんだの、宿外《しゅくはず》れの女などを雇います。七十ばかりになる腰の曲った婆さんが
婆「はい、御免なせえまし」
五「おい婆さん大きに御苦労よ、お前《まえ》又晩に来てくんろよ、客の泊りも無いが、又晩には遊《あす》んで居るだろうから、ま来なよ」
婆「はい、あの只今ね彼処《あすこ》のそれ二人連《ふたりづれ》の病人の処《とこ》へめえりました」
五「おゝ、お前《めえ》が行ってくれねえと、先方《むこう》でも困るんだ」
婆「それが年のいかない娘子《あまっこ》一人で看病するだから、病人は男だし、手水《ちょうず》に行くたって大騒ぎで、誠に可愛想でがんすが、只《たっ》た今おっ死《ち》にましたよ」
五「え、死んだと……困ったなアそれ見ろ、だから云わねえ事じゃアねえ、何様《どん》な様子だ」
婆「何様《どんな》にも何《なん》にも娘子《あまっこ》が声をあげて泣いてるだよ、あんた余《あんま》り泣きなすって身体へ障《さわ》るとなんねえから、泣かねえが宜《よ》うがんすよ、諦めねえば仕様がねえと云うと、私《わし》は彼《あれ》に死なれると、年もいかないで往《ゆ》く処も無《な》え、誠に心細うがんす、あゝ何うすべいと泣くだね、誠に気の毒な訳で」
五「はアー困ったもんだな」
早「私《わし》え、ちょっくら行って来よう」
五「なに手前《てめえ》は行かなくっても宜《え》い」
早「行かなくっても宜《え》いたって、悔《くや》みぐらいに行ったって宜《よ》かんべい」
五「えゝい、何ぞというと彼《あ》の娘の処《とこ》へ計《ばか》り行《ゆ》きたがりやアがる、勝手にしろ」
と大《おお》かすでございましたから早四郎は頬を膨《ふく》らせて起《た》って行《ゆ》く。五平は直《たゞち》にお竹の座敷へ参りまして。
五「はい、御免下せえ」
と破れ障子を開けて縁側から声を掛けます。
竹「此方《こっち》へお入《はい》んなさいまし、おや/\宿《やど》の御亭主さん」
五「はい、只今婆アから承わりまして、誠に恟《びっく》りいたしましたが、お連《つれ》さまは御丹誠甲斐もない事で、お死去《かくれ》になりましたと申す事で」
竹「有難う、長い間|種々《いろ/\》お世話になりました、殊《こと》に御子息が朝晩見舞っておくれで、親切にして下さるから何ぞお礼をしたいと思って居ります、病人も誠に真実なお方だと悦んで居りました、私《わたくし》も丹誠が届くならばと思いましたが、定まる命数《めいすう》でございまする、只今亡くなりまして、誠に不憫《ふびん》な事を致しました」
五「いやどうも、嘸《さぞ》お力落しでございましょう、誠にお気の毒な事でございます、時に、あゝそれでもって伺いますが、お死去《なくな》りなすった此の死骸は、江戸へおいでなさるにしても、信州へお送りになるにしても、死骸を脊負《しょ》って行く訳にもいかないから此の村へ葬るより他に仕方はございますまいが、火葬にでもなすって、骨を持って入らっしゃいますか、其の辺の処を伺って置きたいもので」
竹「はい、何処《どこ》と云って知己《しるべ》もございませんから、どうか火葬にして此の村へ葬り、骨《こつ》だけを持ってまいりとう存じますが、御覧の通り是からは私《わたくし》一人でございますから、何かと世話のないように髪の毛だけでも江戸の親元へ参れば宜しゅうございますから、殊《こと》に当人は火葬でも土葬でも宜《よ》いと遺言をして死去《なくな》りましたから、どうぞ御近処《ごきんじょ》のお寺へお葬り下さるように願いたいもので」
五「左様でございますか、お泊り掛《がけ》のお方で、何処《どこ》の何《なん》という確《しっ》かりとした何か証《しょう》がないと、お寺も中々|厳《やかま》しくって請取《うけと》りませんが、私《わたくし》どもの親類か縁類《えんるい》の人が此方《こっち》へ来て、死んだような話にして、どうか頼んで見ましょう」
と此の話の中《うち》にいつか忰の早四郎が後《うしろ》へまいりまして、
早「なに然《そ》うしねえでも宜《え》い、此の裏手の洪願寺《こうがんじ》さまの和尚様は心安くするから頼んで上げよう、まことに手軽な和尚様で、中々道楽坊主だよ、以前《もと》は叩鉦《ちゃんぎり》を叩いて飴を売ってた道楽者さ、銭が無ければ宜《え》い、たゞ埋めて遣《や》んべえなどゝいう捌《さば》けた坊様だ、其の代りお経なんどは読めねえ様子だが、銭金《ぜにかね》の少しぐれえ入《い》るような事があって困るなら、沢山はねえが些《ちっ》とべいなら己が出して遣るべえ」
五「何だ、これ、お客様に失礼な、お前《まえ》がお客さまに金を出して上げるとは何だ、そんな馬鹿な事をいうな」
早「父《ちゃん》は何ぞというと小言をいうが、無ければ出してくれべえと云うだから宜《よ》かっぺえじゃアねえか」
五「其様《そん》な事ア何うでも宜《い》いから、早く洪願寺へ行って願って来い」
是から息子がお寺へ行って和尚に頼みました。早速得心でございますから、急に人を頼んで、早四郎も手伝って穴を掘り、真実にくれ/\働いて居ります。丁度其の晩の事でございますが、宿屋の主人《あるじ》が、
五「へえ娘《ねえ》さん、えゝ今晩の内にお葬りになりますように」
竹「はい、少し早いようでございますが、何分宜しゅう……多分に手のかゝりませんように」
五「宜しゅうございます、其の積りに致しました、何も多勢《おおぜい》和尚様方を頼むじゃアなし、お手軽になすった方が、御道中ゆえ宜しゅうございましょう」
と親切らしく主人《あるじ》が其の晩の中《うち》に、自分も随《つ》いて行って野辺送りを致してしまいました。
三十三
其の晩に脱出《ぬけだ》して、彼《か》の早四郎という宿屋の忰が、馬子《まご》の久藏《きゅうぞう》という者の処へ訪ねて参り、
早「おい、トン/\/\久藏|眠《ねぶ》ったかな、トン/\/\眠ったかえ。トン/\/\」
余りひどく表を敲《たゝ》くから、側の馬小屋に繋《つな》いでありました馬が驚いて、ヒイーン、バタ/\/\と羽目を蹴《け》る。
早「あれまア、馬めえ暴れやアがる、久藏|眠《ねぶ》ったかえ……あれまア締りのねえ戸だ、叩いてるより開けて入《へい》る方が宜《え》い、酔《よっ》ぱれえになって仰向《あおむけ》にぶっくり反《けえ》って寝《そべ》っていやアがる、おゝ/\顔に虻《あぶ》が附着《くッつ》いて居るのに痛くねえか、起《おき》ろ/\」
久「あはー……眠《ねぶ》ったいに、まどうもアハー(あくび)むにゃ/\/\、や、こりゃア甲州屋の早四郎か、大層《ていそう》遅く来たなア」
早「うん、少し相談|打《ぶ》ちに来たアだから目え覚《さま》せや」
久「今日は沓掛《くつがけ》まで行って峠え越して、帰りに友達に逢って、坂本《さかもと》の宿
前へ
次へ
全47ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング