話になって居ります程の身上《みのうえ》の宜しくない拙者ゆえ、何と仰せられても、斯様な事もいたすであろうと、さ人をも殺すかと思召《おぼしめ》しましょうが、何者が……」
祖「エーイ黙れ、確かの証拠あって知る事だ、天命|※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1−92−56]《のが》れ難い、さ直《すぐ》にまいれ」
梅「と何ういう事の……」
祖「何ういう事も何もない、父の屍骸《しがい》の傍《かたわら》に汝の艶書《てがみ》を遺《おと》してあったのが、汝の天命である」
梅「左様なれば拙者打明けて恥を申上げなければ成りませんが、お笑い下さるな、小姓若江と若気の至りとは申しながら、二人ともに家出を致しましたは、昨年の九月十一日の夜《よ》で、あゝ済まん事、旧来御恩を受けながら其のお屋敷を出るとは、誠に不忠不義のことゝ存じたなれども、御拝領の品を失い、殊《こと》に若江も妊娠いたし奉公が出来んと申すので、心得違いの至りではあるが、拙者若江を連出し、当家へまいって隠れて居りましたなれども、不義|淫奔《いたずら》をして主家《しゅか》を立退《たちの》くくらいの不埓者《ふらちもの》では有りますけれども、お屋敷に対しては忠義を尽したい心得、拙者がお屋敷を逃去《にげさ》る時に……手に入《い》りました一封の密書、それを御覧に入れますから、少々お控えを願います、決して逃隠れは致しません、拙者も厄介人《やっかいびと》のこと、当家を騒がしては母が心配いたしますから、何卒《どうぞ》お静かに此の密書を……如何《いか》にも若江から拙者へ遣《つか》わしましたところの文《ふみ》を其の場所に落して置き、此の梅三郎に其の罪を負わする企《たく》みの密書、織江殿を殺害《せつがい》いたした者はお屋敷|内《うち》他にある考えであります」
祖「ムヽー証拠とあらば見せろ」
梅「御覧下さい」
 と例の手紙を出して祖五郎に渡しました。祖五郎はこれを受取り、披《ひら》いて見ましたところ、頓と文意が分りませんから、祖五郎は威丈高《いたけだか》になって、
祖「黙れ、何だ斯様《かよう》のものを以て何の云訳《いいわけ》になる、これは何たることだ、綾が取悪《とりにく》いとか絹を破るとか、或《あるい》は綿を何うとかすると些《ちっ》とも分らん」
梅「いえ、拙者にも匿名書《かくしぶみ》で其の意味が更に分りませんが、拙者の判断いたしまする所では、お屋敷の一大事と心得ます」
祖「それは何ういう訳」
梅「左様、絹木綿は綾操《あやどり》にくきものゆえ、今晩の中《うち》に引裂《ひきさ》くという事は、御尊父様のお名を匿《かく》したのかと心得ます、渡邊織江の織《おり》というところの縁によって、斯様《かよう》な事を認《か》いたのでも有りましょうか、此の花と申すは拙者を差した事で、今を春辺《はるべ》と咲くや此の花、という古歌に引掛《ひっか》けて、梅三郎の名を匿したので、拙者の文を其処《そこ》へ取落して置けば、春部に罪を負わして後《のち》は、若江に心を懸ける者がお屋敷|内《うち》にあると見えます、それを青茎《あおじく》の蕾《つぼみ》の儘《まゝ》貴殿の許《もと》へ送るというのは若江を取持《とりもち》いたす約束をいたした事か、好文木《こうぶんぼく》とは若殿様を指した言葉ではないかと存じますと申すは、お下屋敷を梅の御殿と申しますからの事で、梅の異名《いみょう》を好文木と申せば、若殿紋之丞様の事ではないかと存じます、お秋の方のお腹の菊之助様をお世嗣《よとり》に仕ようと申す計策《たくみ》ではないかと存ずる、其の際此の密書《ふみ》を中ば引裂《ひっさ》いて逃げましたところの松蔭大藏の下人《げにん》有助と申す者が、此の密書を奪《と》られてはと先頃按摩に姿を窶《やつ》し、当家へ入込《いりこ》み、一夜《あるよ》拙者の寝室《ねま》へ忍び込み、此の密書を盗まんと致しましたところを取押えて棒縛りになし翌朝《よくあさ》取調ぶる所存にて、物置へ打込んで置きましたら、いつか縄脱《なわぬ》けをして逃去りましたから、確《しか》と調べようもござらんが、常磐《ときわ》というのは全く松蔭の匿名《かくしな》で大藏の家来有助が頼まれて尾久在《おうござい》へ持ってまいるとまでは調べました、またそれに千早殿と認《したゝ》めてあるのは、頓と分りませんが、多分神原の事ではござらんかと拙者考えます、お屋敷の内に斯様な悪人があって御舎弟紋之丞様を亡《うしな》い、妾腹《めかけばら》の菊之助様を世に出そうという企《たく》みと知っては棄置《すてお》かれん事、是は拙者の考えで容易に他人《ひと》に話すべき事ではござらんが、御再考下さるよう……拙者は決して逃隠れはいたしませんが、お互に年来御高恩を蒙《こうむ》った主家《しゅか》の大事、証拠にもならんような事なれども、お国家老へ是からまいって相談をして見とう存じます、是は貴方一人でも拙者一人でもならんから、両人でまいり、御城代へお話をして御意ゥを伺おうと存じますが如何《いかゞ》でござる」
 と段々云われると、予《かね》て神原や松蔭はお妾腹附《めかけばらづき》で、どうも心懸《こゝろがけ》が善《よ》くない奴と、父も頻《しき》りに心配いたしていたが、成程|然《そ》うかも知れぬ、それでは棄置かれんと、それから二人が手紙を志す方《かた》へ送りました。祖五郎は又信州上田在中の条にいる姉の許《もと》へも手紙を送る。一度お国表《くにおもて》へ行って来るとのみ認《したゝ》め、別段細かい事は書きません。さて両人は美作の国を指して発足《ほっそく》いたしました。此方《こちら》は入違《いりちが》って祖五郎の跡を追掛《おいか》けて、姉のお竹が忠平を連れてまいるという、行違《ゆきちが》いに相成り、お竹が大難《だいなん》に出合いまするお話に移ります。

        三十二

 祖五郎は前席《ぜんせき》に述べました通り、春部梅三郎を親の敵《かたき》と思い詰めた疑いが晴れたのみならず、悪者《わるもの》の密書の意味で、略《ほ》ぼお家を押領《おうりょう》するものが有るに相違ないと分り、私《わたくし》の遺恨どころでない、実に主家《しゅうか》の大事だから、早くお国表へまいろうと云うので、急に二人《ふたり》梅三郎と共にお国へ出立いたしましたが、其の時姉のお竹の方へは、これ/\で梅三郎は全く父を殺害《せつがい》いたしたものではない、お屋敷の一大事があって、細かい事は申上げられんが、一度お国表へまいり、家老に面会して、どうかお家《うち》の安堵《あんど》になるようと、梅三郎も同道してお国表へ出立致しますが、事さえ極《きま》れば遠からず帰宅いたします、それまで落着いて中の条に待っていて下さい、必らずお案じ下さらぬようにとの手紙がまいりました。なれどもお竹は案じられる事で、
竹「何卒《どうぞ》して弟《おとゝ》に会いたい、年歯《としは》もいかない事であるから、また梅三郎に欺《あざむ》かれて、途中で不慮の事でも有ってはならん」
 と種々《いろ/\》心配いたしても、病中でございますから立つことも出来ず、忠平に介抱されまして、段々と月日が経《た》つばかり、其の内に病気も全快いたしましたが其の後《のち》国表から一度便りがござりまして、秋までには帰る事になるから、落着いて居てくれという文面ではありますが、其の内に六月も過ぎて七月になりました時に、身体も達者になり、こんな山の中に居たくもない、江戸へ帰って出入《でいり》町人の世話に成りたい、忠平の親父も案じているであろうから、岩吉の処へ行って厄介になりたいと、常々喜六という家来に云って居りました。然《しか》るに此の喜六が亡《な》くなった跡は、親戚《みより》ばかりで、別に恩を被《き》せた人ではないから、気詰りで中の条にも居《い》られませんので、忠平と相談して中の条を出立し、追分《おいわけ》沓掛《くつがけ》軽井沢《かるいざわ》碓氷《うすい》の峠も漸《ようや》く越して、松枝《まつえだ》の宿《しゅく》に泊りました、其の頃お大名のお着きがございますと、いゝ宿屋は充満《いっぱい》でございます。お大名がお一方《ひとかた》もお泊りが有りますと、小さい宿屋まで塞《ふさ》がるようなことで、お竹は甲州屋《こうしゅうや》という小さい宿屋へ泊りまして、翌朝《あくるあさ》立とうと思いますと、大雨で立つことも出来ず、其の内追々山水が出たので、道も悪し、板鼻《いたはな》の渡船《わたし》も止り、其の他《ほか》何処《どこ》の渡船も止ったろうと云われ、仕方がなしに足を止めて居ります内に、心配致すのはいかんもので、船上忠平が風を引いたと云って寝たのが始りで、終《つい》に病が重くなりまして、どっと寝るような事になりました。お医者と云っても良いのはございません、開《ひら》けん時分の事で、此の宿《しゅく》では第一等の医者だというのを宿《やど》の主人《あるじ》が頼んでくれましたが、まるで虚空蔵様《こくうぞうさま》の化物《ばけもの》見たようなお医者さまで、脉《みゃく》を診《と》って薬と云っても、漢家《かんか》の事だから、草をむしったような誠に効能《きゝめ》の薄いようなものを呑ませる中《うち》に、終《つい》に息も絶え/″\になり、八月|上旬《はじめ》には声も嗄《しゃが》れて思うように口も利けんようになりました。親の仇《あだ》でも討とうという志のお竹でありますから、家来にも甚《はなは》だ慈悲のあることで、
竹「あの忠平や」
忠「はい」
竹「お薬の二番が出来たから、お前我慢して嫌でもお服《た》べ、確《しっ》かりして居ておくれでないと困るよ」
忠「有難う存じますが、お嬢様|私《わたくし》の病気も此の度《たび》は死病と自分も諦めました、とても御丹誠の甲斐はございませんから、どうぞもお薬も服《の》まして下さいますな、もう二三|日《ち》の内にむずかしいかと思います」
竹「お前そんなことを云っておくれじゃア私が困るじゃアないか、祖五郎はお国へ行《ゆ》き、喜六は死に、お前より他に頼みに思う者はなし、一人《ひとり》ではお屋敷へ帰ることも出来ず、江戸へ行ってもお屋敷|近《ぢか》い処へ落着けない身の上になって、お前を私は家来とは思わない、伯父とも親とも力に思う其のお前に死なれ、私一人|此処《こゝ》に残ってはお前何うする事も出来ませんよ」
忠「有難う……勿体ないお言葉でございます、僅《わず》か御奉公致しまして、何程の勤めも致しませんのに、家来の私《わたくし》を親とも伯父とも思うという其のお言葉は、唯今目を眠りまして冥土へ参るにも好《よ》い土産でございます、併《しか》し以前《もと》とちがって御零落なすって、今斯う云うお身の上におなり遊ばしたかと存じますと、私は貴方のお身の上が案じられます、どうぞ私の亡《な》い後《のち》は、他に入《いら》っしゃる所《とこ》もございません故、昨夜《ゆうべ》貴方が御看病疲れで能《よ》く眠っていらっしゃる内に、私が認《か》いて置きました手紙が此処《こゝ》にございます、親父は無筆でございますから、仮名で細かに書いて置きましたから、あなたが江戸へ入らっしゃいまして、春木町の私の家《うち》へ行って、親父にお会いなさいましたら、親父が貴方だけの事はどうかまア年は老《と》っても達者な奴でございますから、お力になろうと存じます、此処から私が死ぬと云う手紙を出しますと、驚いて飛んで来ると云うような奴ゆえ、却《かえ》って親父に知らせない方が宜《よ》いと存じますから、何卒《どうぞ》お嬢さん、はッはッ、私が死にましたら此処の寺へ投込みになすって道中も物騒《ぶっそう》でございますから、お気をお付けなすって、あなたは江戸へ入《いら》っしゃいまして親父の岩吉にお頼みなすって下さいまし」
竹「あい、それやア承知をしましたが、もし其様《そん》なことでもあると私はまア何うしたら宜かろう、お前が死んでは何うする事も出来ませんよ、何うか癒《なお》るようにね、病は気だというから、忠平|確《しっ》かりしておくれよ」
忠「いえ何うも此度《こんど》はむずかしゅうございます」
 と是が主従《しゅうじゅう》の別れと思いましたからお竹の手を執《と》って、

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