来ずよ、旨く行《ゆ》けば此の上なしだ、出来損ねたところが元々じゃアないか」
有「成程……行《や》って見ましょうが、彼《あ》の野郎を殺《や》るのには何か刄物が無ければいけませんな」
大「待てよ、人の目に立たん証拠にならん手前の持ちそうな短刀がある、さ、これをやろう、見掛は悪くっても中々切れる、関《せき》の兼吉《かねよし》だ、やりそくなってはいかんぞ」
有「へえ宜しゅうごぜえます」
大「闇の晩が宜《よ》いの」
有「闇の晩、へえ/\」
大「小遣をやるから手前今晩の中《うち》屋敷を出てしまえ」
有「へえ」
と金と短刀を受取って、お馬場口から出て行《ゆ》きました。
三十
さて二の午《うま》も済みまして、二月の末になりまして、大きに暖気に相成りました。御舎弟紋之丞様は大した御病気ではないが、如何《いか》にも癇が昂《たか》ぶって居ります。夜詰《よづめ》の御家来も多勢《おおぜい》附いて居ります、其の中には悪い家来が、間《ま》が宜《よ》くば毒殺をしようか、或《あるい》は縁の下から忍び込んで、殺してしまう目論見《もくろみ》があると知って、忠義な御家来の注意で、お畳の中へ銅板《あかゞねいた》を入れて置く事があります。是は将軍様のお居間には能《よ》くあることで、これは間違いの無いようにというのと、今一つは湿《しっ》けて宜しくないから、二重に遊ばした方が宜しいと二重畳にして御寝《ぎょしん》なる事になる。屏風を建廻《たてまわ》して、武張ったお方ゆえ近臣に勇ましい話をさせ昔の太閤《たいこう》とか、又|眞田《さなだ》は斯う云う計略《はかりごと》を致しました、楠《くすのき》は斯うだというようなお話をすると、少しは紛《まぎ》れておいでゞございます。悪い奴が多いから、庭前《にわさき》の忍び廻りは遠山權六で、雨が降っても風が吹いても、嵐でも巡廻《みまわ》るのでございます。天気の好《よ》い時にも草鞋《わらじ》を穿《は》いて、お馬場口や藪の中を歩きます。袴《はかま》の裾《すそ》を端折《はしょ》って脊割羽織《せわりばおり》を着《ちゃく》し、短かいのを差して手頃の棒を持って無提灯《むぢょうちん》で、だん/\御花壇の方から廻りまして、畠岸《はたけぎし》の方へついて参りますと、森の一叢《ひとむら》ある一方《かた/\》は業平竹《なりひらだけ》が一杯生えて居ります処で、
男「ウーン、ウーン」
と呻《うな》る声がしますから、權六は怪しんで透《すか》して見て、
權「何《なん》だ……呻ってるのは誰だ」
男「へえ、御免下さい、どうかお助けなすって下さいまし」
權「誰だ……暗い藪の中で……」
男「へえ、疝癪《せんしゃく》が起りまして歩くことが出来ません者で…」
權「誰だ……誰だ」
男「へえ、あなたは遠山様でございますか」
權「何うして己を……汝《われ》は屋敷の者か」
男「へえ、お屋敷の者でごぜえます」
權「誰だ、判然《はっきり》分らん、待て/\」
と懐から手丸提灯《てまるぢょうちん》を取出し、懐中附木《かいちゅうつけぎ》へ火を移して、蝋燭へ火を点《とも》して前へ差出し、
權「誰だ」
男「誠に暫く、御機嫌宜しゅう……だん/″\御出世でお目出度うござえます」
權「誰だ」
有「えゝ、お下屋敷の松蔭大藏様の所に奉公して居りました、有助と申す中間《ちゅうげん》でござえます」
權「ウン然《そ》うか、碌に会った事もない、それとも一度か二度会った事があるかも知れんが、忘れた、それにしても何うしたんだ」
有「へえ、あなたは委《くわ》しい事を御存じありますめえが、去年の九月少し不首尾な事がありまして、家《うち》へは置かねえとって追出され、中々詫言をしても肯《き》かねえと存じまして、友達を頼って田舎へめえりましたところが、間の悪い時にはいけねえもんで、其の友達が災難で牢へ行くことになり、留守居をしながら家内を種々《いろ/\》世話をしてやりましたが、借金もある家《うち》ですから漸々《だん/\》行立《ゆきた》たなくなって、居候どころじゃアごぜえませんから、出てくれろと云われるのは道理《もっとも》と思って出ましたが、他《ほか》に親類身寄もありませんから、詫言をして帰りてえと思いましても、主人は彼《あ》の気象だから、詫びたところが置く気遣《きづか》いは有りません、種々考えましたが、あなたは確か美作のお国からのお馴染でいらっしゃいますな」
權「然《そ》うよ」
有「あなたに詫言をして戴こうと斯う思いやして、旅から考えて参りましたところが、中々入れませんで、此の田の中をずぶ/\入って此処《こゝ》へ這込《はいこ》みやしたが、久しく喰わずにいたんで腹が空《す》いて堪《たま》りません、雪に当ったり雨に遭ったりしたのが打って出て、疝癪が起って、つい呻りました、何分にも恐入りますが何うか主人に詫言をお願い申します」
權「むう、余程悪い事をしたな、免《ゆる》すめえ、困ったなア、なに物を喰わねえ」
有「へえ、実は昨日《きのう》の正午《ひる》から喰いません」
權「じゃア、ま肯《き》くか肯かねえか分らんけれど、話しても見ようし、お飯《まんま》は喰わしてやろう」
有「有難うござえます」
權「屋敷へつか/\無沙汰《むさた》に入って呻ったりしないで、門から入れば宜《い》いに……何しろ然《そ》う泥だらけじゃア仕方がねえから小屋へ来い」
有「有難うごぜえます」
權「さ行け」
有「貴方ね、疝癪で腰が攣《つ》って歩けません」
權「困った奴だ、何うかして歩け、此の棒を杖《つ》け」
有「へえ、有難うごぜえます」
權「それ確《しっ》かりしろ」
有「へえ」
權「提灯を持て」
有「へえ」
と提灯の光ですかし見ると、去年見たよりも尚《な》お肥《ふと》りまして立派になり、肩幅が張ってゝ何うも凛々《りゝ》しい男で、怖いから、
有「へえ参ります」
權「さ行《ゆ》け」
有「旦那さま、誠に恐入りますが、片方《かた/\》に杖を突いても、此方《こっち》の腰が何分|起《た》ちませんから、左の手をお持ちなすって」
權「世話アやかす奴だな、それ捉《つら》まれ」
と右の手を出して、
有「へえ有難う」
とひょろ/\蹌《よろ》けながら肩へ捉《つら》まる。
權「確《しっ》かりしろい」
有「へえ」
と云いながら懐よりすらりと短刀を抜いて權六の肋《あばら》を目懸けてプツーり突掛けると、早くも身を躱《かわ》して、
權「此の野郎」
と其の手を押えました。手首を押えられて有助は身体が痺《しび》れて動けません力のある人はひどいもので。併《しか》し直《すぐ》に役所へ引いて行《ゆ》かずに、權六が自分の宅《たく》へ引いて来たは、何か深い了簡あってのことゝ見えます。此のお話は暫《しばら》く措《お》きまして、是から信濃国《しなのゝくに》の上田|在《ざい》中の条に居ります、渡邊祖五郎と姉の娘お竹で、お竹は大病《たいびょう》で、田舎へ来ては勝手が変り、何かにつけて心配勝ち、左《さ》なきだに病身のお竹、遂に癪の病を引出しました。大した病気ではないが、キヤキヤと始終痛みます。祖五郎も心配致しています所へ手紙が届きました。披《ひら》いて見ますと、神原四郎治からの書状でございます。渡邊祖五郎殿という表書《うわがき》、只今のように二日目に来るなどという訳にはまいりません。飛脚屋へ出しても十日《とおか》二十日《はつか》ぐらいずつかゝります。読下《よみくだ》して見ると、
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一簡《いっかん》奉啓上候《けいじょうそうろう》余寒《よかん》未難去候得共《いまださりがたくそうらえども》益々御壮健|恐悦至極《きょうえつしごく》に奉存候《ぞんじそうろう》然者《しかれば》当屋敷|御上《おかみ》始め重役の銘々少しも異状《かわり》無之《これなく》御安意可被下候《ごあんいくださるべくそうろう》就《つい》ては昨年九月只今思い出《だし》候ても誠に御気の毒に心得候御尊父を切害《せつがい》致し候者は春部梅三郎と若江とこれ/\にて目下鴻ノ巣の宿屋に潜《ひそ》み居《お》る由《よし》確かに聞込み候間早々|彼《か》の者を討果《うちはた》され候えば親の仇《あだ》を討たれ候|廉《かど》を以て御帰参|相叶《あいかな》い候様共に尽力可仕候《じんりょくつかまつるべくそうろう》右の者早々|御取押《おんとりおさ》え有って可然候《しかるべくそろ》云々《しか/\》
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と読了《よみおわ》り、飛立つ程の悦び、年若でありますから忠平や姉とも相談して出立する事になりましたが、姉は病気で立つことが出来ません。
祖「もし逃げられてはならん、あなたは後《あと》から続いて、私《わたくし》一人《ひとり》でまいります」
と忠平にも姉の事を呉々《くれ/″\》頼んで、鴻の巣を指して出立致しました。五日目に鴻の巣の岡本に着きましたが、一人旅ではございますが、お武家のことだから宿屋でも大切にして、床の間のある座敷へ通しました。段々様子を見たが、手掛りもありません、宿屋の下婢《おんな》に聞いたが頓と分りません、
祖「はてな……こゝに隠れていると云うが、まさか人出入《ひとではいり》の多い座敷に隠れている気遣いはあるまい、此処《こゝ》にいるに相違ない」
と便所へ行って様子を見廻したが、更に訳が分りません。
三十一
渡邊祖五郎は頻《しき》りに様子を探りますが、少しも分りません、夜半《よなか》に客が寝静《ねしずま》ってから廊下で小用《こよう》を達《た》しながら唯《と》見ますと、垣根の向うに小家《こや》が一軒ありました。
祖「はてな……一つ庭のようだが」
と折戸《おりど》を開けて、
祖「彼《あ》の家に隠れて居りはしないか」
と手水場《ちょうずば》の上草履《うわぞうり》を履《は》いて庭へ下《お》り、開戸《ひらき》を開け、折戸の許《もと》へ佇《たゝず》んで様子を見ますと、本を読んでいる声が聞える。何処《どこ》から手を出して掛金を外すのか、但《たゞ》し栓張《しんばり》を取って宜《い》いか訳が分りません、脊伸《せいの》びをして上から捜《さぐ》って見ると、閂《かんぬき》があるようだが、手が届きません。やがて庭石を他《わき》から持ってまいりまして、手を伸べて閂を右の方へ寄せて、ぐいと開けて中へ入り、まるで泥坊の始末でございます。縁側から密《そっ》と覗《のぞ》いて見ますると、障子に人の影が映って居ります。
祖「はてな、此方《こっち》にいるのは女のような声柄《こえがら》がいたす」
と密と障子の腰へ手をかけて細目に明けて、横手から覗いて見ますると、見違える気遣いはない春部梅三郎なれば、
祖「あゝ有難い、神仏《かみほとけ》のお引合せで、図《はか》らず親の仇《かたき》に廻《めぐ》り逢った」
と心得ましたから、飛上って障子を引開け、中へ踏込んで身構えに及び、声を暴《あら》らげ、
祖「実父の仇《かたき》覚悟をしろ」
と叫びましたが、梅三郎の方では祖五郎が来ようとは思いませんから驚きました。
梅「いやこれは/\思い掛ない……斯様《かよう》な処でお目にかゝり面目次第もない、まア何ういう事で此方《こっち》へ」
祖「汝《なんじ》も立派な武士《さむらい》だから逃隠《にげかく》れはいたすまい、何《なん》の遺恨あって父織江を殺害《せつがい》して屋敷を出た、殊《こと》に当家の娘と不義をいたせしは確かに証拠あって知る、汝の許《もと》へ若江から送った艶書が其の場に取落してあったが、よもや汝は人を殺すような人間でないと心得て居ったる処、屋敷から通知によって、確かに汝が父織江を討って立退《たちの》いたる事を承知致した、斯《か》くなる上は逃隠れはいたすまいから、届ける処へ届けて尋常に勝負を致せ」
と詰《つめ》かけました。
梅「御尤《ごもっと》もでござる、まア/\お心を静められよ、決して拙者逃隠れはいたしません、何も拙者が織江殿に意趣遺恨のある理由《わけ》もなし、何で殺害《せつがい》をいたしましょうか、其の辺の処をお考え下さい、何者が左様な事を申したか、実に貴方へお目にかゝるのは面目次第もない心得違い、此処《こゝ》へ逃げてまいりまして、当家の世
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