」
梅「少し屋敷に心当りの者もある、此の書面は其の方の主人松蔭が書いたのか」
曲「いえ……誰が書いたか存じませんが、大切に持って行《い》けよ、落したり失《なく》したりする事があると斬っちまうと云われて恟《びっく》りしたんで、其の代り首尾好く持って行《ゆ》けば、金を二十両貰う約束で」
梅「むゝう……清藏どん、今に夜《よ》が明けてから一詮議《ひとせんぎ》しましょうから、冷飯《ひやめし》でも喰わして物置へ棒縛りにして入れて置いて下さい」
二十九
清藏は曲者を引立《ひった》てまして、
清「これ野郎立たねえか、今|冷飯《まんま》喰わしてやる、棒縛り程楽なものはねえぞ」
と是から到頭棒縛りにして物置へ入れて置きました。翌日梅三郎は曲者から取返した書面を出して見ると、再び今一つの裂端《きれはし》も一緒になっていたので、これ幸いと曲者の持っていた書面と継合《つぎあわ》せて見まして、
梅「中田千早《なかだちはや》様へ常磐《ときわ》よりと……常磐の二字は松蔭の匿名《かくしな》に相違ないが、千早と云うが分らん、彼《あ》の下男を縛ってお上屋敷へ連れて往《ゆ》こう、それにしても八州の手に掛け、縛って連れて行《ゆ》かなければならん」
と是から物置へまいり、曲者を曳出《ひきだ》そうと思いますと、何時《いつ》か縄脱《なわぬけ》をして、彼《か》の曲者は逐電致してしまいました。そこで八州の手を頼み、手分《てわけ》をいたして調べましたが、何うしても知れません、なか/\な奴でございます。さて明和の五年のお話で……此の年は余り良い年ではないと見えまして、三月十四|日《か》に大阪|曾根崎新地《そねざきしんち》の大火で、山城は洪水でございました。続いて鳥羽辺が五月|朔日《ついたち》からの大洪水であった、などという事で、其の年の六月十一日にはお竹橋《たけばし》へ雷《らい》が落ちて火事が出ました、などと云う余り良い事はございません。二月|五日《いつか》、粂野のお下屋敷では午祭《うまゝつり》の宵祭《よみや》で大層|賑《にぎや》かでございます。なれども御舎弟様御不例に就《つ》きまして、小梅のお中屋敷にいらしって、お下屋敷はひっそり致して居りますが、例年の事で、大して賑かな祭と申す方ではないが、ちら/\町人どもがお庭拝見にまいります。松蔭大藏の家来有助は姿を変え、谷中あたりの職人|体《てい》に扮《こしら》え、印半纏《しるしばんてん》を着まして、日の暮々《くれ/″\》に屋敷へ入込《いりこ》んで、灯火《あかり》の点《つ》かん前にお稲荷様の傍《そば》に設けた囃子屋台《はやしやたい》の下に隠れている内に、段々日が暮れましたから、町の者は亥刻《よつ》[#「亥刻」は底本では「戌刻」]になると屋敷内へ入れんように致します。灯火《あかり》も忽《たちま》ち消しまして静かになりました。是から人の引込《ひっこ》むまでと有助は身を潜《かゞ》めて居りますと、上野の丑刻《やつ》の鐘がボーン/\と聞える、そっと脱出《ぬけだ》して四辺《あたり》を見廻すと、仲間衆《ちゅうげんしゅう》の歩いている様子も無いから、
有「占《し》めた」
と呟《つぶや》きながらお馬場口へかゝって、裏手へ廻り、勝手は宜く存じている有助、主人松蔭大藏方へ忍び込んで、縁側の方へ廻って来ると、烟草盆を烟管《きせる》でぽん/\と叩く音。
有「占めた」
と云うので有助が雨戸の所を指先でとん/\とん/\と叩きますと、大藏が、
大「今開けるぞ、誰も居らんから心配せんでも宜《よ》い、有助今開けるぞ」
と云われて有助は驚きました。
有「去年の九月屋敷を出てしまい、それっきり帰らない此の有助が戸を叩いた計《ばか》りで、有助とは実に旦那は智慧者《ちえしゃ》だなア…これだから悪い事も善い事も出来るんだ」
松蔭大藏は寐衣姿《ねまきすがた》で縁側へまいり、音をさせんように雨戸を開け、雪洞《ぼんぼり》を差出して透《すか》し見まして、
大「此方《こっち》へ入れ」
有「へえ、旦那様其の中《うち》は、面も被《かぶ》らずのめ/\上《あが》られた義理じゃアごぜえませんが、何うにも斯うにも仕方なしに又お屋敷へ帰《けえ》ってまいりました、誠に面目次第もありません」
大「さ、誰も居らんから此方へ入れ/\」
有「へえ/\」
大「構わず入れ」
有「へえ、足が泥ぼっけえで」
大「手拭をやろう、さ、これで拭け」
有「此様《こん》な綺麗な手拭で足を拭いては勿体ねえようで……さて私《わたくし》も、ぬっと帰《けえ》られた義理じゃアごぜえませんが、帰《けえ》らずにも居《お》られませんから、一通りお話をして、貴方に斬られるとも追出されるとも、何うでも御了簡に任せようと、斯う思いやして帰ってまいりましたので」
大「彼限《あれき》りで音沙汰が無いから、何うしたかと実は心配致していた、手前は彼《あ》の手紙を何者かに奪《と》られたな」
有「へえ、春部に奪られたので、春部の彼奴《あいつ》が若江という小姓と不義《いたずら》をして逃げたんで、其の逃げる時にお馬場口から柵矢来《さくやらい》の隙間の巾の広い処から、身体を横にして私《わたくし》が出ようと思います途端に出会《でっくわ》して、実にどうも困りました」
大「手紙を何うした奪られたか」
有「それがお前さん、鼻を摘《つま》まれるのも知れねえ深更《よふけ》で、突然《いきなり》状箱へ手を掛けやアがッたから、奪られちゃアならねえと思いやして、引張ると紐が切れて、手紙が落《おっ》こちる、とうとう半分|引裂《ひっさ》かれたから、だん/\春部の跡を尾《つ》いて行《い》くと、鴻の巣の宿屋へ入りやしたから、感が悪い俄盲ッてんで、按摩に化けて宿屋に入込《いりこ》み一度は旨く春部の持っていた手紙の裂《きれ》を奪《と》ったが、まんまと遣《や》り損《そこ》なって、物置へ棒縛りにして投込まれた、所で漸《ようや》く縄脱《なわぬ》けえして逃出しましたが、近辺にも居《い》られやせんから、久しく下総《しもふさ》の方へ隠れていやしたが、春部にあれを奪られて何う致すことも出来やせんので、へえ」
大「いや、それは宜しい、心配致すな、手前は己の家来ということを知るまい」
有「ところが知ってます/\、済まねえけれどもお前さん、ギラ/\するやつを引《ひっ》こ抜いて私《わっし》の鼻っ先へ突付け云わねえけりゃア五分だめしにしちまう、松蔭の家来だろう、三崎の屋敷に居たろう、顔を知ってるぞ、さア何うだと責められて、つい左様でごぜえますと申しやした」
大「なにそれは云っても宜《い》い、彼《あ》の晩には実ア神原も酷《ひど》い目に遭った、何事も是程の事になったら幾らも失策《しくじり》はある、丸切《まるッき》りしくじって、此の屋敷を出てしまったところが、有助貴様も己と根岸に佗住居《わびずまい》をしていた時を思えば、元々じゃアないか」
有「それは然《そ》うでごぜえます」
大「彼処《あすこ》に浪人している時分一つ鍋で軍鶏《しゃも》を突《つッつ》き合っていたんだからのう」
有「旦那のように然う小言を云わずにおくんなさるだけ、一倍|面目無《めんぼくの》うござえます」
大「だによって行《や》る処までやれ、今までの失策《しくじり》も許し、何もかも許してやる、それに手前|此処《こゝ》に居ては都合が悪い、就《つい》ては金子《かね》が二十両有るからこれをやろう」
有「へえ、是は有難うごぜえます」
大「其の代り少し頼みがある、手前小梅のお中屋敷へ忍び込んで、お居間|近《ぢか》く踏込み……いや是は手前にア出来ん、夜詰《よづめ》の者も多いが、何かに付けて邪魔になる奴は、彼《あ》の遠山權六だ、彼《あれ》がどうも邪魔になるて」
有「へえー、あの国にいて米搗《こめつき》をしてえた、滅法界《めっぽうかい》に力のある……」
大「うん、彼奴《あいつ》が終夜《よどおし》廻るというので、何うも邪魔だ」
有「へえー」
大「彼《あれ》を手前殺して、ふいと家出をしてしまえ、何処《どこ》へでも宜《よ》いから身を隠してくれ」
有「彼《あれ》は殺せやせん、それはお前さん御無理で、からどうも彼《あ》のくれえ無法に力のある奴ア沢山《たんと》有りません、植木屋が十人もよって動かせねえ石を、ころ/\動かします、天狗見たような奴で、それじゃアお前さん私《わっし》を見殺しにするようなもので」
大「いや、通常《たゞ》じゃア敵《かな》わない、欺《だま》すに手なしだ、あゝいう剛力《ごうりき》な奴は智慧の足りないもので、それに一体|彼奴《あいつ》は侠客気《きょうかくぎ》が有ってのう、人を助けることが好きだ、手前何うかして田圃伝《たんぼづた》いに行って、田圃の中へ入らなければならんが、彼所《あすこ》にも柵があるから、其の柵矢来の裏手から入って、藪の中にうん/\呻《うな》っていろ」
有「私《わっし》がですかえ」
大「うん、藪の中に泥だらけになって呻っていろ」
有「へえ」
大「すると忍び廻りで權六がやって来て何だと咎《とが》めるから、構わずうん/\呻れ」
有「気味の悪い、そいつア御免を蒙《こうむ》りやす、お金は欲しいが、彼奴《あいつ》の側へ無闇に行くのは危険《けんのん》です、汝《おのれ》は何だと押え付けられ、えゝと打《ぶ》たれりゃア一打《ひとうち》で死にやすから」
大「そこが欺すに手なしだ、私は去年の九月松蔭を暇《いとま》になりまして、行《ゆ》き所《どこ》がございません、何うかして詫にまいりたいが中々主人は一旦言出すと肯《き》きません、あなたはお国からのお馴染だそうでございますが、貴方が詫言《わびごと》をして下すったら否《いや》とは云いますまいから、何分お頼み申しますと、斯う手前泣付け」
有「然《そ》うすりゃア殺しませんか」
大「うん、只手前が悪い事をしたと云って、うん/\呻っていろ、何うして此処《こゝ》へ来たと聞いたら、実はお下屋敷の方へ参られませんから、此方《こちら》へ参ったのでございます、旅で種々《いろ/\》難行苦行をして、川を渉《わた》り雪に遇《あ》い、霙《みぞれ》に遭い風に梳《くしけず》り、実に難儀を致しましたのが身体へ当って、疝癪《せんしゃく》が起り、少しも歩けませんからお助け下さいましと云え、すると彼奴《あいつ》は正直だから本当に思って自分の家《うち》へ連れて行って、粥ぐらいは喰わしてくれるから、大きに有難う、お蔭さまで助かりましたと云うと、彼奴が屹度《きっと》己の処へ詫に来る、もし詫に来たら、彼《あれ》は使わん、怪《け》しからん奴だ、これ/\の奴だと手前の悪作妄作《あくざもくざ》を云ってぴったり断る」
有「へえ、それは詰《つまら》ねえ話で、其様《そん》な奴なら打殺《ぶっころ》してしまうってんで…」
大「いや/\大丈夫だ、まア聞け、とてもいかん/\という中《うち》に、段々|味《あじわ》いを附けて手前の善い所を云うんだ」
有「成程」
大「正直の人間……とも云えないが、働くことは宜く働き、口も八丁手も八丁ぐらいな事は云う、手前を殺さないように、そんなら己の家《うち》へ置くと云ったら幸い、若《も》し世話が出来ん出て行けと云ったら仕方が有りませんと泣く/\出れば、小遣いの一分や二分はくれる、それを貰って出てしまった所が元々じゃアないか、もし又首尾好く權六の方へ手前を置いてくれたら、深更《よふけ》に權六の寝間へ踏込んで權六を殺してくれ、また其の前にも己の処へ詫びに来る時にも、隙《すき》が有ったら、藪に倒れてゝ歩けない、担《かつ》いでやろうとか手を引いてやろうとか云った時にも隙があったら、懐から合口《あいくち》を出して殺《やっ》ちまえ、首尾好く仕遂《しおお》せれば、神原に話をして手前を士分《さむらい》に取立てゝやろう、首尾好く殺して、ポンと逃げてしまえ、十分に事成った時には手前を呼戻して三百石のものは有るのう。手前が三百石の侍になれる事だが、どうか工夫をして行《や》って見ろ、もし己のいう事を胡乱《うろん》と思うなら、書附をやって置いても宜しい、お互に一つ鍋の飯を食い、燗徳利が一本限《いっぽんぎ》りで茶碗酒を半分ずつ飲んだ事もある仲だ、しくじらせる事も出
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