いたいけれども、立つ時はこっそりと立ちたいと思うから、よく親父にそう云っておくれよ」
 と云われて、忠平は祖五郎とお竹の顔を視詰《みつ》めて居りました。忠平は思い込んだ容子《ようす》で、
忠「へえ……お嬢さま、私《わたくし》だけはどうかお供仰付け下さいますように願いたいもので、まア斯うやって私も五ヶ年御奉公をいたして居ります、成程親父は老《と》る年ですが、まだ中々達者でございます、旦那様には別段に私も御贔屓を戴きましたから、忠平だけはお供をいたし、御道中と申しても若旦那様もお年若、又お嬢様だって旅慣れんでいらっしゃいますから、私がお供をしてまいりませんと、誠にお案じ申します、宅《うち》で案じて居りますくらいなら、却《かえ》ってお供にまいった方が宜しいので、どうかお供を」
竹「それは私も手前に供をして貰えば安心だけれども、親父も得心しまいし、また跡でも困るだろう」
忠「いえ困ると申しても職人も居りますから、何うぞ斯うぞ致して居ります、なまじ親父に会いますと又|右《と》や左《かく》申しますから、立前《たちまえ》に手紙で委《くわ》しく云ってやります、どうか私《わたくし》だけはお邪魔でもお供を」
竹「誠に手前の心掛感心なことで……私も往《い》って貰いたいというは、祖五郎も此の通りまだ年は往《ゆ》かず……併《しか》しそれも気の毒で」
忠「何う致しまして、私《わたくし》の方から願っても、此の度《たび》は是非お供を致そうと存じて居《お》るので、どうか願います」
竹「そんなら岩吉を呼んで、宜《よ》く相談ずくの上にしましょう」
忠「いえ相談を致しますと、訳の分らんことを申してとても相談にはなりません、それより立つ前に書面を一本出して、ずっとお供をしてまいっても宜しゅうございます、心配ございません」
 そんならばと申すので、是から段々旅支度をして、いよ/\翌日《あした》立つという前晩《まえばん》に、忠平が親父の許《もと》へ手紙を遣《や》りました。親父の岩吉は碌に読めませんから、他人《ひと》に読んで貰いましたが、驚いて渡邊の小屋へ飛んでまいりました。
岩「お頼ん申します」
忠「どうれ……おやお出でかえ」
岩「うん……手紙が来たから直《すぐ》に来た」
忠「ま此方《こっち》へお出で」
岩「手前《てめえ》何かお嬢様方のお供をして信州とかへ行《ゆ》くてえが飛んだ話だ、え飛んだ話じゃアねえか、そんなら其の様にちゃんと己に斯ういう訳でお供を仕なければならぬがと、宜く己に得心させてから行《い》くが宜《い》い、ふいと黙って立っちまっては大変だと思ったから、遅くなりましてもと御門番へ断って来たんだ、えゝおい」
忠「お供してまいらなければならないんだよ、お嬢様は脾弱《ひよわ》いお体、若旦那さまは未だお年がいかないから、信州までお送り申さなければなりません、お屋敷へ帰る時節があれば結構だが、容易に御帰参は叶うまいと思うが、長々《なが/\》留守になりますから、お前さんも身をお厭《いと》いなすって御大切《ごたいせつ》に」
岩「其様《そん》なことを云ったって仕様がない、己は他に子供はない、お菊と手前《てめえ》ばかりだ、ところが菊は彼《あ》んな訳になっちまって、己《おら》アもう五十八だよ」
忠「それは知ってます」
岩「知ってるたって、己《おれ》を置いて何処《どこ》かへ行ってしまうと云うじゃアねえか、前の金太《きんた》の野郎でも達者でいれば宜《い》いが、己も此の頃じゃア眼が悪くなって、思うように難かしい物は指せなくなって居るから困る」
忠「困るって、是非お供をしなくっちゃアなりません」
岩「成らねえたって己を何うする」
忠「私が行《い》って来るうち、お前は年を老《と》ったって丈夫な身体だから死ぬ気遣いはありません」
岩「其様《そん》な事を云ったって人は老少不定《ろうしょうふじょう》だ、それも近《ちけ》え処ではなし、信州とか何とか五十里も百里もある処へ行くのだ、人間てえものは明日《あす》も知れねえ、其の己を置いて行くように宜《よ》く相談してから行け、手紙一本投込んで黙って行っちまっては親不孝じゃアねえか」
忠「それは重々私が悪うございましたが、相談をして又お前に止めたり何かされると困るから……これは武家奉公をすれば当然《あたりまえ》のことで」
岩「なに、武家奉公をすれば当然《あたりまえ》だと、旦那さまが教えたのか」
忠「お教えがなくっても当然《あたりまえ》だよ」
岩「然《そ》ういうことを手前《てめえ》は云うけれども、親父を棄てゝ田舎へ一緒に行けと若旦那やお嬢様は仰しゃる訳はあるめえ」
忠「それは送れとは仰しゃらんのさ、若旦那様や嬢様の仰しゃるには、老《と》る年の親父もあるから、跡に残った方が宜かろう、と云って下すったが、多分にお手当も戴き、形見分けも頂戴し、殊《こと》に五ヶ年も奉公した御主人様が零落《おちぶ》れて出るのを見棄てゝは居《い》られません、何処《どこ》までもお供をして、倶《とも》に苦労をするのが主従の間だから、悪く思って下さるな」
 と説付《ときつ》けました。

        二十七

 段々訳を聞いても岩吉はまだ腑に落ちんので、
岩「主従はそれで宜かろうが、己を何うする」
忠「屋敷奉公をすりゃア斯ういう場合にはお供をするが当然《あたりまえ》さ、お前さんには済まないが忠義と孝行と両方は出来ません、忠孝|全《まった》からずというは此の事さ」
 岩吉にはまだ言葉の意味が分りませんから、怪訝《けゞん》な顔をして、
岩「何《なん》だア、忌《いや》に理窟を云やアがって、手前《てめえ》近《ちけ》え処じゃアなし、えおう五十里も百里もある処へ行くものを、まったからずって待たずに居《い》られるか」
忠「然《そ》うじゃアありません、忠義をすれば孝行が出来ないという事です」
岩「それは親に孝行主人に忠義をしろてえ事は己も知っている、講釈や何かで聞いたよ」
忠「それですから孝行と忠義と両方は出来ませんよ」
岩「出来ねえって……骨を折ってやんなよ」
忠「うふゝゝ骨を折ってやれと云ったって出来ませんよ」
岩「手前《てめえ》は生意気に変なことを云って人を困らせるが、己は他に子供が無し、手前たった一人だ、年を老《と》った親父を置いて一緒に行けと旦那様が仰しゃりアしめえし、跡へ残れ、可愛相だからと仰しゃるのに、手前の了簡で己を棄てゝ行く気になったんだ、親不孝な野郎め」
忠「なに親不孝ではありませんがね、私は御当家様へ奉公に来て、一文不通《いちもんふつう》の木具屋の忰《せがれ》が、今では何うやら斯うやら手紙の一本も書け、十露盤《そろばん》も覚え、少しは剣術も覚えたのは、皆大旦那のお蔭、今日《こんにち》の場合にのぞんで年のいかない若旦那様やお嬢様のお供をして行かないと、忠義の道が立ちませんよ」
岩「それは分っているよ」
忠「分っているなら遣《や》って下さいな」
岩「分ってはいるが、己を何うするよ」
忠「其様《そん》な分らないことを云っては困りますな、何うするたって私が帰るまで待って下さい」
岩「待てねえ、己《おれ》ア待てねえ(さめ/″\と泣きながら)婆さんが死んでから己ア職人の事で、思うように育てることが出来ねえからってんで、御当家様へ願ったんだ、それは御恩にはなったけれども、旦那様が何も手前《てめえ》を連れてって下さる事アねえ、何う考《かんげ》えても」
忠「分らん事をいうね、自分の御恩になった御主人様が斯ういう訳になったからだよ」
岩「何ういう訳に」
忠「他人《ひと》に殺されてお暇《いとま》になったんだよ」
岩「お暇……てえのは……お屋敷を出るんだろう」
忠「然《そ》うさ」
岩「出て……」
忠「分らんね、零落《おちぶれ》てしまうんだよ、御浪人になるんだよ、それだから私が従《つ》いて行かなければならない、仮令《たとえ》私が御免を蒙《こうむ》ると云ってもお前が己が若ければお供をして行《ゆ》くとこだが、手前《てめえ》何処《どこ》までもお供申して御先途《ごせんど》を見届けなければならんと云《い》うのが[#「云《い》うのが」は底本では「云《い》のが」]当然《あたりまえ》な話だ、其のくらいな覚悟が無ければ、頭《あたま》で武家奉公をさせんければ宜《い》いや、然《そ》うじゃアありませんか、お前さんは屹度《きっと》野暮《やぼ》に止めるに違いないと思ったから、手紙を上げたんだ、分りませんかえ」
岩「むゝ……分った、むゝう成程|侍《さむらい》てえものは其様《そん》なものか……だから最初《てんで》武家奉公は止そうと思った」
祖「忠平、親父が来たのじゃアないか」
忠「へい、親父がまいりました」
祖「おや/\宜くおいでだ、岩吉|入《はい》んな」
岩「御免なせえまし、誠にお力落しさまで……今度急に忰を連れてお出でなさる事になったんで、まゝ是はどうも武家奉公をすれば当然《あたりまえ》のことで、へえ私《わたくし》も五十八で」
祖「貴様も老《と》る年で親父も困ろうから跡へ残っているが宜《よ》いにと云っても、彼《あれ》が真実に何処までも随《つ》いて行ってくれるという、その志を止められもせず、貴様には誠に気の毒でね」
岩「どうも是もまア武家奉公で、へゝゝゝ私《わたくし》は五十八でげす」
忠「お父《とっ》さん、一つ事ばかり云ってゝ困るね其様《そん》な事を云うものではない、明日《あした》お立だからお餞別《はなむけ》をしなければなりませんよ」
岩「え」
忠「お餞別《はなむけ》をしなさいよ」
岩「なんだ……お花……は供《あ》げて来たよ」
忠「分らないよ、お餞別《せんべつ》」
岩「え……煎餅《せんべい》を……なんだ」
忠「旅へ入らっしゃるお土産《みやげ》をよ」
岩「うん/\……何《なん》ぞ上げましょう、烟草盆の誂《あつら》えがありますから彼品《あれ》を」
忠「其様《そん》な大きなものはいけない」
岩「じゃア火鉢を一つ」
忠「いけないよ」
岩「それでは何か途中で喰《あが》る金米糖《こんぺいとう》でも上げましょう、じゃア明日《あした》私《わし》が板橋までお送り申しましょう」
祖「そんな事をしないでも宜しい、忙がしい身体だから構わずに」
岩「へえ、忰を何卒《どうぞ》何分お頼み申します、へゝゝ誠にもう私《わし》は五十八でごぜえます」
 と一つ事ばかり云って、人の善《よ》い、理由《わけ》の分りません人だから仕方がない。翌朝《よくあさ》板橋まで送る。下役の銘々《めい/\》も多勢《おおぜい》ぞろ/\と渡邊織江の世話になった者が、祖五郎お竹を送り立派な侍も愛別離苦《あいべつりく》で別れを惜《おし》んで、互に袖を絞り、縁切榎《えんきりえのき》の手前から別れて岩吉は帰りました。祖五郎お竹等は先ず信州上田の在で中の条村という処へ尋ねて行《ゆ》かんければなりません。こゝで話二つに分れまして、彼《か》の春部梅三郎は、奥の六畳の座敷に小匿《こがく》れをいたして居り、お屋敷の方へは若江病気に就《つい》て急にお暇《いとま》を戴きたいという願《ねがい》を出し、老女の計《はから》いで事なく若江はお暇の事になりましたは御慈悲《ごじひ》でござります。さて此の若江の家《うち》へ宗桂《そうけい》という極《ごく》感の悪い旅按摩《たびあんま》がまいりまして、私《わたくし》は中年で眼が潰《つぶ》れ、誠に難渋いたしますから、どうぞ、御当家様はお客さまが多いことゆえ、療治をさせて戴きたいと頼みますと、慈悲深《なさけぶか》い母だから、
母「療治は下手だが、家《うち》にいたら追々得意も殖《ふ》えるだろう、清藏丹誠をしてやれ」
清「へえ」
 と清藏も根が情深い男だから丹誠をしてやります所から、療治は下手だが、廉《やす》いのを売物《うりもの》に客へ頼んで療治をさせるような事になりました。其の歳の十一月二十二日の晩に、母が娘のお若を連れまして、少々用事があって本庄宿《ほんじょうじゅく》まで参りました。春部梅三郎は件《くだん》の隠家《かくれが》に一人で寝て居り、行灯《あんどう》を側へ引寄せて、いつぞや邸《やしき》を出る時に引裂《ひきさ》いた文《ふみ》は、何事が書いてあったか、事に取紛れて碌々読まなかっ
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