不孝なア娘《あま》の着物を見るのは忌《いや》だから、打棄《うっちゃっ》ちまえと云うだ」
清「打棄らずに取って置いたら宜《よ》かんべい」
母「雨も降りそうになって居るから、合羽に傘に下駄でも何でも、汝《われ》が心で附けて、此娘《これ》がに遣ることは出来ねえ、憎くって、併《しか》し家《うち》に置くことが出来ねえから打棄れというのだ、雨が降りそうになって居るから」
清「うーむ然《そ》うか、打棄るべえ、箪笥《たんす》ごと打棄っても宜《え》い、どっちり打棄るだから、誰でも拾って往《ゆ》くが宜い、はアーどうも義理という二字は仕様のねえものだ」
 と立ちにかゝるを引止めて、
梅「ま暫《しばら》く……清藏どんとやら暫くお待ち下さい、只今|親御《おやご》の仰せられるところ、重々|御尤《ごもっと》もの次第で、御尊父|御存生《ごぞんしょう》の時分からお約束の許嫁《いいなずけ》の亭主あることを存ぜず、無理に拙者が若江を連れてまいりましたは、あなたに対しては何とも相済みません、若江は亡《なくな》られた親御の恩命に背《そむ》き、不孝の上の不孝の上塗《うわぬり》をせんければならず、拙者は何処《どこ》へも往《ゆ》き所《どころ》はないが、男一人の身の上だから、何処《いずく》の山の中へまいりましても喰うだけの事は出来ます、お前は此処《こゝ》に止《とゞ》まって聟を取り、家名相続をせんければならんから、拙者一人で往《ゆ》きます」
清「ま、お待ちなせえ……そんな義理立《ぎりだて》えして無闇に往ったっていけねえ、二人で出て来たものが、一人置いてお前《めえ》さんが往ったら娘《あま》も快《よ》くねえ訳だア、宜《よ》く相談して往《い》くが宜《え》い、今草鞋銭をくれると云うから待てよ、えゝぐず/\云っちゃア分らねえ、判然《はっきり》云えよ、泣きながらでなく……彼《あ》の人ばかり追返《おっけえ》しちゃア義理が済むめえ、色事だって親の方にも義理があるから追返す位《くれえ》なら首でも縊《つ》るか、身い投げておっ死《ち》ぬというだ」
母「篦棒《べらぼう》……死ぬなんて威《おど》し言《ごと》を云ったら、母親《おふくろ》が魂消て置くべいかと思って、死ぬなんてえだ、死ぬと云った奴に是迄死んだ例《ためし》はねえ、さ只《たっ》た今死ね、己《おれ》は義理さえ立てば宜《え》い、汝《われ》より他に子はねえが、死ぬなんて逆らやアがって、死ぬなら死ね、さ此処《こゝ》に庖丁があるから」
清「止せよー、困ったなア……うむ何うした/\」
 若江は身の過《あやま》りでございますから、一言もないが、心底可愛い梅三郎と別れる気がない、女の狭い心から差込んでまいる癪気《しゃくき》に閉じられ、
若「ウヽーン」
 と仰向けさまに反返《そりかえ》る。清藏は驚いて抱き起しまして、
清「お前さま帰るなんて云わねえが宜《い》い、さゝ冷たくなって、歯を咬《くい》しばっておっ死《ち》んだ、お前様《めえさま》が余《あんま》り小言を云うからだ……ア痛《いた》え、己の頭へ石頭を打附《ぶッつ》けて」
 と若江を抱え起しながら、
清「お若やー……」
母「少しぐらい小言を云われて絶息《ひきつけ》るような根性で、何故|斯《こ》んな訳になったんだかなア、痛《いて》え……此方《こっち》へ顔を出すなよ」
清「お前《めえ》だって邪魔だよ、何か薬でもあるか、なに、お前《めえ》さま持ってる……むゝう是は巻いてあって仕様がねえ、何だ印籠《いんろう》か……可笑《おか》しなものだな、お前《めえ》さん此の薬を娘《あま》の口ん中《なけ》へ押《お》っぺし込んで……半分噛んで飲ませろよ、なに間が悪《わり》い……横着野郎め」
 梅三郎は間が悪そうに薬を含《くゝ》んで飲ませますと、若江は漸《ようや》くうゝんと気が付きました。
清「気が付いたか」
母「しっかりしろ」
清「大丈夫《でえじょうぶ》だ、あゝゝ魂消た余《あんま》り小言を云わねえが宜《え》えよ、義理立をして見す/\子を殺すようなことが出来る、もう其様《そんな》に心配しねえが宜えよ」
若「あの爺《じい》や、私は斯《こ》んなわるさをしたから、お母《っか》さまの御立腹は重々|御道理《ごもっとも》だが、春部さまを一人でお帰し申しては済まないから、私も一緒に此のお方と出して下さるように、またほとぼりが冷めて、石原の方の片が附いたら、お母さまの処へお詫をする時節もあろうから、一旦御勘当の身となって、一度は私も出して下さるように願っておくれよ」
清「困ったね、往処《ゆきどこ》のねえ人を、お若が家《うち》まで誘い出して来て置かないと云うなら、彼《あ》の人を何うかしてやらなければなんねえ、時節を待って詫言《わびごと》をするてえが、何うする」
母「汝《われ》と違ってお義理堅《ぎりがて》え殿さまで、往《ゆ》く処《とこ》のねえ者を一人で出て往《い》くと仰しゃるは、己がへの義理で仰しゃるだ、憎くて置かれねえ奴だが、此の旦那さまも斯《こん》なにお義理堅《ぎりがて》えから、此の旦那様に免じて当分|家《うち》へ置いてくれるから、此処《こゝ》に隠れて[#「隠れて」は底本では「隠ねて」]いるが宜《え》い」
清「そんなれば早く然《そ》う云えば宜《い》いに、後《あと》でそんな事を云うだから駄目だ、石原の子息《むすこ》がぐず/\して居て困る事ができたら、私《わし》が殴殺《ぶっころ》しても構わねえ」
 と是から二人は此の六畳の座敷へ足を止める事になりますと、お屋敷の方は打って変って、渡邊織江は非業に死し翌日になって其の旨を届けると、直《す》ぐさま検視も下《お》り、遂に屍骸《しがい》を引取って野辺の送りも内証《ないしょ》にて済ませ、是から悪人|穿鑿《せんさく》になり、渡邊織江の長男渡邊|祖五郎《そごろう》が伝記に移ります。

        二十六

 さて其の頃はお屋敷は堅いもので、当主が他人《ひと》に殺された時には、不憫《ふびん》だから高《たか》を増してやろうという訳にはまいりません、不束《ふつゝか》だとか不覚悟だとか申して、お暇《いとま》になります。彼《か》の渡邊織江が切害《せつがい》されましたのは、明和の四年|亥歳《いどし》九月十三|夜《や》に、谷中瑞林寺の門前で非業な死を遂げました、屍骸を引取って、浅草の田島山《たじまさん》誓願寺《せいがんじ》へ内葬を致しました。其の時検使に立ちました役人の評議にも、誰が殺したか、織江も手者《てしゃ》だから容易な者に討たれる訳はないが、企《たく》んでした事か、どうも様子が分らん。死屍《しがい》の傍《わき》に落ちてありましたのは、春部梅三郎がお小姓若江と密通をいたし、若江から梅三郎へ贈りました文と、小柄《こづか》が落ちてありましたが、春部梅三郎は人を殺すような性質の者ではない、是も変な訳、何ういう訳で斯様《かよう》な文が落ちてあったか頓と手掛りもなく、詰り分らず仕舞でござりました。織江には姉娘《あねむすめ》のお竹と祖五郎という今年十七になる忰《せがれ》があって、家督人《かとくにん》でございます。此者《これ》が愁傷《しゅうしょう》いたしまして、昼は流石《さすが》に人もまいりますが、夜分は訪《と》う者もござりませんから、位牌に向って泣いてばかり居りますと、同月《どうげつ》二十五日の日に、お上屋敷からお呼出しでありますから、祖五郎は早速|麻上下《あさがみしも》で役所へ出ますと、家老寺島兵庫|差添《さしそえ》の役人も控えて居り、祖五郎は恐入って平伏して居りますと、
寺島「祖五郎も少し進みますように」
祖「へえ」
寺島「此の度《たび》は織江儀不束の至りである」
祖「はっ」
寺島「仰せ渡されをそれ…」
 差添のお役人が懐から仰せ渡され書《がき》を取出《とりいだ》して読上げます。
[#ここから2字下げ]
一其の方父織江儀御用に付き小梅中屋敷へ罷《まか》り越し帰宅の途中何者とも不知《しれず》切害|被致候段《いたされそろだん》不覚悟の至りに被思召《おぼしめされ》無余儀《よぎなく》永《なが》の御暇《おいとま》差出候《さしだしそうろう》上は向後《こうご》江戸お屋敷は不及申《もうすにおよばず》御領分迄立廻り申さゞる旨|被仰出候事《おおせいでられそろこと》
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]家老名判
 祖五郎は
「はっ」
 と頭《かしら》を下げましたが、心の中《うち》では、父は殺され、其の上に又此のお屋敷をお暇《いとま》になることかと思いますと、年が往《い》きませんから、只畳へ額《ひたえ》を摺付けまして、残念の余り耐《こら》えかねて男泣きにはら/\/\と泪《なみだ》を落す。御家老は膝を進めて言葉を和らげ、
寺「マヽ役目は是だけじゃが、祖五郎|如何《いか》にもお気の毒なことで、お母《かゝ》さまには確か早く別れたから、大概織江殿の手一つで育てられた、其の父が何者かに討たれ剰《あまつさ》え急にお暇になって見れば、差向《さしむき》何処《どこ》と云って落着く先に困ろうとお察し申すが、まゝ又其の中《うち》に御帰参の叶《かな》う時節もあろうから、余りきな/\思っては宜しくない、心を大きく持って父の仇《あだ》を報い、本意《ほんい》を遂げれば、其の廉《かど》によって再び帰参を取計らう時節もあろう、急《せ》いては事を仕損ずるという語を守らんければいかん、年来御懇意にもいたした間、お屋敷近い処にもいまいが、遠く離れた処にいても御不自由な事があったら、内々《ない/\》で書面をおよこしなさい」
祖「千万《せんばん》有難う存じます……志摩《しま》殿、幸五郎《こうごろう》殿御苦労さまで」
志摩「誠にどうも此の度《たび》は何とも申そうようもない次第で、実にえゝ御尊父さまには一方《ひとかた》ならぬ御懇命《ごこんめい》を受けました、志摩などは誠にあゝいうお方様がと存じましたくらいで、へえどうか又何ぞ御用に立つ事がありましたら御遠慮なく……此処《こゝ》は役所の事ですから、小屋へ帰りまして仰せ聞けられますように」
祖「千万有難う」
 と仕方なく/\祖五郎は我《わが》小屋へ立帰って、急に諸道具を売払い、奉公人に暇《いとま》を出して、弥々《いよ/\》此処《こゝ》を立退《たちの》かんければなりません。何処《どこ》と云って便《たよ》って往《ゆ》く目途《あて》もございませんが、彼《か》の若江から春部の処へ送った文が残っていて、春部は家出をした廉《かど》はあるが、春部が父を殺す道理はない、はて分らん事で……確か梅三郎の乳母と云う者は信州の善光寺にいるという事を聞いたが、梅三郎に逢ったら少しは手掛りになる事もあろうと考えまして、前々《ぜん/\》勤めていた喜六という山出し男は、信州上田の在で、中《なか》の条村《じょうむら》にいるというから、それを訪ねてまいろうと心を決しまして、忠平という名の如く忠実な若党を呼びまして、
祖「忠平手前は些《ちっ》とも寝ないのう、ちょいと寝なよ」
忠「いえ眠くも何ともございません」
祖「姉様《あねさま》と昨夜《ゆうべ》のう種々《いろ/\》お話をしたが、屋敷に長くいる訳にもいかんから、此の通り諸道具を引払ってしまった、併《しか》し又再び帰る時節もあろうからと思い、大切な品は極《ごく》別懇にいたす出入町人の家へ預けて置いたが、姉様と倶《とも》に喜六を便《たよ》って信州へ立越《たちこえ》る積りだ、手前も長く奉公してくれたが、親父も彼《あ》の通り追々|老《と》る年だし、菊はあゝ云う訳になったし、手前だけは別の事だから、こりゃア何の足しにもなるまいが、お父《とっ》さまの御不断召《ごふだんめし》だ、聊《いさゝ》か心ばかりの品、受けて下さい、是まで段々手前にも宜く勤めて貰い、お父さまが亡《な》い後《のち》も種々骨を折ってくれ、私《わし》は年が往《ゆ》かんのに、姉様は何事もお心得がないから何うして宜《い》いかと誠に心配していたが、万事手前が取仕切ってしてくれ、誠に辱《かたじけ》ない、此品《これ》はほんの志ばかりだ……また時が来て屋敷へ帰ることもあったら、相変らず屋敷へ来て貰いたい、此品《これ》だけを納めて下さい」
忠「へえ誠に有難う……」
竹「手前どうぞ岩吉にも会
前へ 次へ
全47ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング