ゃア大変だから、窃《そっ》とお前の袂へ入れたが、見たろう/\」
千「いゝえ私《わたくし》は気が附きませんでございました、何だか私の袂に反古《ほご》のようなものが入って居ましたが、私は何だか分りませんで、丸めて何処《どこ》かへ棄てましたよ」
長「棄てちゃア困りますね、他人《ひと》が見るといけませんな」
千「そんな事とは存じませんもの、貴方《あなた》はお手紙で御用を仰付《おおせつ》けられましたのでございますか」
長「仰付けられるなんて馬鹿に堅いね、だがね、千代/\」
千「何でございます」
長「実はね私《わし》はお前に話をして、嫁に貰いたいと思うが何うだろう」
千「御冗談ばっかり御意遊ばします、私《わたくし》の母は他に子と申すがありませんから、他家《わき》へ嫁にまいる身の上ではございません、貴方は衆人《ひと》に殿様と云われる立派なお身の上でお在《いで》遊ばすのに、私のようなはしたない者を貴方|此様《こん》な不釣合で、釣合わぬは不縁の元ではございませんか、お家《うち》のお為めに成りません」
長「なに家の為めになってもならんでも不釣合だって、私《わし》は妻を定むるのに身分の隔てはない事で、唯お前の心掛けを看抜《みぬ》いて、此の人ならばと斯う思ったから、実はお前に心のたけを山々書いて贈ったのである、然《しか》も私は丹誠して千代尽しの文で書いて贈ったんだよ」
千「何でございますか私《わたくし》は存じませんもの」
長「存じませんて、私《わし》の丹誠したのを見て呉れなくっちゃア困りますなア、どうかお前の母に会って、母諸共引取っても宜しいや」
千「私《わたくし》の母は冥加至極有難いと申しましょうけれども、貴方のお父様《とっさま》が御得心の有る気遣《きづか》いはありますまい、私のようなはしたない者を御当家《こちら》さまの嫁に遊ばす気遣いはございませんもの」
長「いえ、お前が全く然《そ》う云う心ならば、私《わし》は親父に話をするよ、お前は大変親父の気に入ってるよ、どうも沈着《おちつき》があって、器量と云い、物の云いよう、何や角《か》や彼《あ》れは別だと云って居るよ」
千「なに、其様《そん》な事を仰しゃるものですか」
長「なに全く然う云ってるよ、宜《よ》いじゃアないか、ね千代/\千代」
 と雀が出たようで、無理無態にお千代の手を我《わが》膝へグッと引寄せ、脇の下へ手を掛けようとすると、振払い。
千「何をなさいます、其様な事を遊ばしますと、私《わたくし》は最《も》うお酌にまいりませんよ」
長「酔った紛れに、少しは酒の席では冗談を云いながら飲まんと面白うないから、一寸《ちょっと》やったんだが、どうもお前は堅いね、千代/\」
千「はい最うお酌を致しますまいと思います、最うお止し遊ばせ、お毒でございますよ」
長「千代/\」
千「また始まりました」
長「親さえ得心ならば何も仔細はあるまい、何うだ」
千「そうではありますが、まア若殿様、私《わたくし》の思いますには、夫婦の縁と云うものは仮令《たとえ》親が得心でも、当人同志が得心でない事は夫婦に成れまいかと思います」
長「それは然うさ、だがお前さえ得心なら宜《よ》いが、いやなら否《いや》と云えば、私《わし》も諦めが附こうじゃアないか」
千「私《わたくし》のような者を、私の口から何う斯うとは申されませんものを、余り恐入りまして」
 其の時お千代は身を背《そむ》けまして、
千「何とも申上げられませんものを、余り恐入りまして」
長「恐入らんでも宜しいさ、お母《ふくろ》さえ得心なら、母諸共|此方《こっち》へ引取って宜しい、もし窮屈で否《いや》ならば、聊《いさゝ》か田地《でんじ》でも買い、新家《しんや》を建って、お母に下婢《おんな》の一人も附けるくらいの手当をして遣ろうじゃアないか。此の家《うち》は皆|私《わし》のもので、相続人の私だから何うにもなるから、お前さえ応《おう》と云えば、お母に話をして安楽にして遣ろうじゃアないか、若《も》しお母は堅いから遠山の苗字を継ぐ者がないとでもいうなら、夫婦養子をしたって相続人は出来るから、お前が此方《こっち》へ来ても仔細ないじゃアないか」
千「それは誠に結構な事で」
長「結構なれば然《そ》うしてくれ」
千「お嬉しゅうは存じますが」
長「さ、早くお父さまの帰らん内に応《うん》と云いな、酔った紛れにいう訳じゃアない、真実の事だよ」
千「私《わたくし》は貴方に対して申上げられませんものを、御主人さまへ勿体なくって……」
長「何も勿体ない事は有りませんから早く云いなさいよ」
千「恐入ります」
長「其様《そん》なに羞《はず》かしがらんでも宜しいよ」
千「貴方|私《わたくし》のような卑しい者の側へお寄り遊ばしちゃアいけません、私が困ります、そうして酒臭くって」
長「ね千代/\千代」
千「それじゃア貴方、本当に私《わたくし》が思う心の丈《たけ》を云いましょうか」
長「聞きましょう」
千「それじゃア申しますが、屹度《きっと》、…身分も顧りみず大それた奴だと御立腹では困ります」
長「腹などは立たんからお云いよ、大それたとは思いません、小《しょう》それた位《ぐらい》に思います、云って下さい」
千「本当に貴方御立腹はございませんか」
長「立腹は致しません」
千「それなれば本当に申上げますが、私《わたくし》は貴方が忌《いや》なので……」
長「なに忌だ」
千「はい、私《わたくし》はどうも貴方が忌でございます、御主人さまを忌だなどと云っては済みませんけれども、真底私は貴方が忌でございます、只御主人さまでいらっしゃれば有難い若殿さまと思って居りますが、艶書《てがみ》をお贈り遊ばしたり、此の間から私にちょい/\御冗談を仰しゃることもあって、それから何うも私は貴方が忌になりました、どうも女房に成ろうという者の方で否《いや》では迚《とて》も添われるものじゃアございませんから、素《もと》より無い御縁とお諦め遊ばして、他《わき》から立派なお嫁をお迎えなすった方が宜しゅうございましょう、相当の御縁組でないと御相続の為になりませんから、確《しか》とお断り申しますよ」
長「誠にどうも……至極|道理《もっとも》……」
 と少しの間は額へ筋が出て、顔色《がんしょく》が変って、唇をブル/\震わしながら、暫く長助が考えまして、
長「千代、至極|道理《もっとも》だ、最う千代/\と続けては呼ばんよ、一言《ひとこと》だよ、成程何うもえらい、賢女だ、成程どうも親孝心、誠に正しいものだ、心掛けと云い器量と云い、余り気に入ったから、つい迷いを起して此様《こん》な事を云い掛けて、誠に羞入《はじい》った、再び合す顔はないけれども、真に思ったから云ったんだよ、併《しか》しお前に然《そ》う云われたから諦めますよ確《しか》と断念しましたが、おまえ此のことを世間へ云ってくれちゃア困りますよ、私《わし》は親父に何様《どん》な目に遇うか知れない、堅い気象の人だから」
千「私《わたくし》は世間へ申す処《どころ》じゃア有りませんが、あなたの方で」
長[#「長」は底本では「千」]「私《わし》は決して云わんよ、云やア自ら恥辱《はじ》を流布するんだから云いませんが、あゝ……誠に愧入《はじい》った、此の通り汗が出ます、面目次第もない、何卒《どうぞ》堪忍して下さい」
千[#「千」は底本では「長」]「恐入ります、是れから前々《もと/\》通り主《しゅう》家来、矢張千代/\と重ねてお呼び遊ばしまして、お目をお掛け遊ばしまして……」
長「そう云う事を云うだけに私《わし》は誠に困りますなア」
千「誠に恐入ります、大旦那さまのお帰り遊ばしません内に、お酒の道具を隠しましょうか」
長「あゝ仕舞っておくれ/\」
千「はい」
 とそれ/″\道具を片附けましたが、是れから長助が憤《おこ》ってお千代につれなく当るかと思いました処、情《つれ》なくも当りませんで、尚更宜く致しまして、彼《あ》の衣類は汚い、九月の節句も近いから、これを拵えて遣るが宜《い》いと、手当が宜いので、お千代もあゝーお諦めになったか、有難い事だ、あんな事さえないと結構な旦那様であると一生懸命に奉公を致しますから、作左衞門の気にも入られて居りました。月日流るゝが如くで、いよ/\九月の節句と成りました。粂野美作守の重役を七里先から呼ばんければなりません、九の字の付く客を二九十八人|招待《しょうだい》を致し、重陽《ちょうよう》を祝する吉例で、作左衞門は彼《か》の野菊白菊の皿を自慢で出して観《み》せます。美作守の御勘定奉行|九津見吉左衞門《くづみきちざえもん》を初め九里平馬《くりへいま》、戸村九右衞門《とむらくえもん》、秋元九兵衞《あきもとくへえ》其の他《ほか》御城下に加賀から九谷焼を開店した九谷正助《くたにしょうすけ》、菊橋九郎左衞門《きくはしくろうざえもん》、年寄役村方で九の字の附いた人を合せて十八人集めまして、結構な御馳走を致し、善い道具ばかり出して、頻《しき》りに自慢を致します事で、実に名器ばかりゆえ、客は頻りに誉めます。此の日道具係の千代は一生懸命に、何卒《どうぞ》無事に役を仕遂《しおお》せますようにと神仏に祈誓《きせい》を致して、皿の毀れんように気を附けましたから、麁相《そそう》もなく、彼《か》の皿だけは下《さが》ってまいります。自分は蔵前の六畳の座敷に居って、其処《そこ》に膳棚道具棚がありますから、口分《くちわけ》をして一生懸命に油汗を流して、心を用い働いて、無事に其の日のお客も済んで、翌日になりますと、作左衞門が、
作「千代」
千「はい」
作「昨日《きのう》は大きに御苦労であった、無事にお客も済んだから、今日は道具を検《あらた》めなければならん」
千「はい、お番附のございますだけは大概片付けました」
作「うむ、皿は一応検めて仕舞わにゃならん、何かと御苦労で、嘸《さぞ》骨が折れたろう」
千「私《わたくし》は一生懸命でございました」
作「然《そ》うであったろう、此の通り三重の箱になってるが、是は中々得難い物だよ、何処《どこ》へ往ったって見られん、女で何も分るまいが、見て置くが宜《よ》い」
千「はい、誠に結構なお道具を拝見して有難い事で」
作「一応検めて見よう」
 と眼鏡をかけて段々改めて、
作「あゝー先《ま》ず無事で安心を致した、是れは八年|前《ぜん》に是れだけ毀したのを金粉繕《ふんづくろ》いにして斯うやってある、併《しか》し残余《あと》は瑕物《きずもの》にしてはならんから、どうかちゃんと存《そん》して置きたい、是れだけ破《わ》った奴があって、不憫にはあったが、何うも許し難いから私《わし》は中指を切ろうと思ったが、それも不憫だから皆《みん》な無名指《くすりゆび》を切った」
千「怖い事でございます、私《わたくし》は此のお道具を扱いますとはら/\致します」
作「是れは無い皿だよ、野菊と云って野菊の色のように紫がゝってる処で此の名が有るのじゃ、種々《いろ/\》先祖からの書附もあるが、先ず無事で私《わし》も安心した」
 と正直な堅い人ゆえ、検めて道具棚へ載せて置きました。すると長助が座敷の掛物を片附けて、道具棚の方へ廻って参《ま》いりました。
長「お父《とっ》さま」
作「残らず仕舞ったか」
長「お軸物は皆仕舞いました」
作「客は皆道具を誉めたろう」
長「大層誉めました、此の位の名幅《めいふく》を所持している者は、此の国にゃア領主にも有るまいとの評判で、お客振りも甚《ひど》く宜しゅうございました」
作「皆良い道具が見たいから来るんだ、只呼んだって来るものか、権式振《けんしきぶ》ってゝ、併し土産も至極宜かったな」
長「はい、お父様《とっさま》、あの皿を今一応お検めを願います、野菊と白菊と両様共《りょうようとも》お検めを願います」
作「彼《あれ》は先刻《さっき》検めました」
長「お検めでございましょうが、少し訝《おか》しい事が有りますと云うは棚の脇に蒟蒻糊《こんにゃくのり》が板の上に溶いて有って、粘っていますから、何だか案じられます、他の品でありませんから、今一応検めましょうかね、秋《あき》、お前たちは其方《そちら》へ往《い》きな
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