が、急に此様《こん》な片田舎へ来て、私《わし》のような者を頼みに思って、親一人子一人で僅かな畠を持って仕つけもしねえ内職をしたりして斯《こ》うやって入らっしゃるだから、あゝ詰らねえと昔を思って気を落すところから御病気になったものと考えますが、私だって貧乏だから金ずくではお力になれませんが、以前はあなたの処へ奉公した家来だアから、何うかして御病気の癒るように蔭ながら信心をぶって居りますが、お嬢さまの心配は一通りでないから、我慢してお薬を上んなせえまし」
母「有難う、お前の真実は忘れません、他にも以前|勧《つと》めた[#「勧《つと》めた」は「勤《つと》めた」の誤記か]ものは幾許《いくら》もあるが、お前のように末々《すえ/″\》まで力になってくれる人は少ない、私は死んでも厭《いと》いはないけれども、まだ十九《つゞ》や廿歳《はたち》の千代を後《あと》に残して死ぬのはのう……」
丹「あなた、然《そ》う死ぬ死ぬと云わねえが宜うごぜえます、幾ら死ぬたって死なれません、寿命が尽きねえば死ねるもんではねえから、どうも然う意地の悪い事ばかり考えちゃア困りますなア、死ぬまでも薬を」
千「何だよう、死ぬまでもなんて、そんな挨拶があるものか」
丹「はい御免なせえまし、それじゃア、死なねえまでもお上んなせえ」
千「お前もう心配しておくれでない」
丹「はい」
千「お母さま、あの先刻|桑田《くわだ》さまが仰しゃいました人参のことね」
母「はい聞いたよ」
千「あれをあなた召上れな、人参という物は、なに其様《そんな》に飲みにくいものでは有りませんと、少し甘味がありまして」
母「だってお前、私は飲みたくっても、一箱が大金という其様《そん》なお薬が何うして戴かれますものか」
千「その薬をあなた召上るお気なら、私《わたくし》が才覚して上げますが……」
母「才覚たってお前、家《うち》には売る物も何も有りゃアしないもの」
千「私《わたくし》をあのう隣村の東山作左衞門という郷士の処へ、道具係の奉公に遣《や》って下さいましな」
其の時母は皺枯れたる眉にいとゞ皺を寄せまして、
母「お前、飛んでもない事をいう、丹治お前も聞いて知ってるだろうが、作左衞門の家《うち》では道具係の奉公人を探していて、大層給金を呉れる、其の代りに何とかいう宝物《たからもの》の皿を毀すと指を切ると云う話を聞いたが、本当かの」
丹「えゝ、それは本当でごぜえます、旧《もと》の公方《くぼう》さまから戴いた物で、家《いえ》にも身にも換えられねえと云って大事にしている宝だから、毀した者は指を切れという先祖さまの遺言状《かきつけ》が伝わって居るので、指を切られた奴が四五人あります」
母「おゝ怖いこと、其様《そん》な怖い処へ此の娘《こ》を奉公に遣《や》られますかね、とても遣られませんよ、何うして怖《おっか》ない、皿を毀した者の指を切るという御遺言《ごゆいごん》だか何だか知らんけれども、其の皿を毀したものゝ指を切るなんぞとは聞いても慄《ぞっ》とするようだ、何うして/\、人の指を切ると云うような其様な非道の心では、平常《ふだん》も矢張《やっぱ》り酷《ひど》かろう、其様な処へ奉公がさせられますものか、痩せても枯れても遠山龜右衞門の娘《むすめ》じゃアないか、幾許|零落《おちぶれ》ても、私は死んでも生先《おいさき》の長いお前が大切で私は最《も》う定命《じょうみょう》より生延びている身体だから、私の病気が癒ったって、お前が不具《かたわ》になって何うしましょう、詰らぬ事を云い出しましたよ、苦し紛れに悪い思案、何うでも私は遣りませんよ」
千「然《そ》うではありましょうけれども、なに気を附けたら其様な事は有りますまい、私《わたくし》も宜く神信心《かみしん/″\》をして丁寧に取扱えば、毀れるような事はありますまいと存じますからねお母さま、私は一生懸命になりまして奉公を仕遂《しおお》せ[#「仕遂せ」は底本では「仕逐せ」]、其の中《うち》あなたの御病気が御全快になれば、私が帰って来て、御一緒に内職でもいたせば誠に好《よ》い都合じゃアございませんか、何卒《どうぞ》遣って下さいまし、ねえお母さま、あなた私の身をお厭《いと》いなすって、あなたに万一《もしも》の事でも有りますと、矢張《やっぱ》り私が仕様がないじゃア有りませんか」
母「はい、有難うだけれども遣れません、亡《なくな》ったお父《とっ》さんのお位牌に対して、私の病を癒そうためにお前を其様な恐ろしい処へ奉公に遣って済むものじゃアない、のう丹治」
丹「へえ、あんたの云う事も道理でごぜえます、これは遣れませんな」
千「だけども爺や、お母さんの御病気の癒らないのを見す/\知って、安閑として居られる訳のものではないから、私は奉公に往《ゆ》き仮令《たとえ》粗相で皿を一枚毀した処が、小指一本切られたって命にさわるわけではなし、お母さまの御病気が癒った方が宜《よ》いわけじゃアないか」
丹「うん、これは然《そ》うだ、然う仰しゃると無理じゃアない、棄置けば死ぬと云うものを、あなたが何う考えても打棄《うっちゃ》って置かれねえが、成程是れは奉公するも宜うごぜえましょう」
母「お前馬鹿な事ばかり云っている、私が此の娘《こ》を其様な処へ遣られるか遣られないか考えて見なよ、指を切られたら肝心な内職が出来ないじゃアないか、此の困る中で猶々《なお/\》困ります、遣られませんよ」
丹「成程是れはやれませんな、何う考えても」
千「あらまア、あんな事を云って、何方《どっち》へも同じような挨拶をしては困るよ」
丹「へえ、是れは何方とも云えない、困ったねえ…じゃア斯うしましょう、私《わし》がの媼《ばゞあ》を何卒《どうか》お頼ん申します、私がお嬢さまの代りに奉公に参《めえ》りまして、私が其の給金を取りますから、お薬を買って下せえまし」
千「女でなければいけない、男は暴々《あら/\》しくて度々《たび/\》毀すから女に限るという事は知れて居るじゃアないか」
丹「然《そ》うだね、男じゃア毀すかも知れねえ、私等《わしら》は何うも荒っぽくって、丼鉢を打毀《うちこわ》したり、厚ぼってえ摺鉢《すりばち》を落して破《わ》った事もあるから、困ったものだアね」
千「お母さん、何卒《どうぞ》やって下さいまし」
と幾度《いくたび》も繰返しての頼み、段々母を説附《ときつ》けまして丹治も道理《もっとも》に思ったから、
丹「そんならばお遣んなすった方が宜かろう」
と云われて、一旦母も拒みましたが、娘は肯《き》かず、殊《こと》に丹治も倶々《とも/″\》勧めますので、仕方がないと往生をしました。幸い他《た》に手蔓《てづる》が有ったから、縁を求めて彼《か》の東山作左衞門方へ奉公の約束をいたし、下男の丹治が受人《うけにん》になりまして、お千代は先方へ三ヶ年三十両の給金で住込む事になりましたのは五月の事で、母は心配でございますが、致し方がないので、泣く/\別れて、さて奉公に参って見ると、器量は佳《よ》し、起居動作《たちいふるまい》物の云いよう、一点も非の打ち処《どこ》がないから、至極作左衞門の気に入られました。
三
作左衞門はお千代の様子を見まして、是れならば手篤《てあつ》く道具を取扱ってくれるだろう、誠に落着いてゝ宜《よ》い、大切な物を扱うに真実で粗相がないから宜いと、大層作左衞門は目をかけて使いました。此の作左衞門の忰《せがれ》は長助《ちょうすけ》と申して三十一歳になり、一旦女房を貰いましたが、三年|前《ぜん》に少し仔細有って離別いたし、独身《ひとりみ》で居ります所が、お千代は何うも器量が好《よ》いので心底《しんそこ》から惚れぬきまして真実にやれこれ優しく取做《とりな》して、
長「あれを買ってお遣《や》んなさい、見苦しいから彼《あ》の着物を取換えて、帯を買ってやったら宜かろう」
などと勧めますと、作左衞門も一人子《ひとりっこ》の申すことですから、其の通りにして、お千代/\と親子共に可愛がられお千代は誠に仕合せで丁度七月のことで、暑い盛りに本山寺《ほんざんじ》という寺に説法が有りまして、親父《おやじ》が聴きに参りました後《あと》で、奥の離れた八畳の座敷へ酒肴《さけさかな》を取り寄せ、親父の留守を幸い、鬼の居ないうちに洗濯で、長助が、
長「千代や/\、千代」
と呼びますから、
千「はい若殿様、お呼び遊ばしましたか」
長「一寸《ちょっと》来い、/\、今|一盃《いっぱい》やろうと云うんだ、お父《とっ》さんのお帰りのない中《うち》に、今日はちとお帰りが遅くなるだろう、事に寄ると年寄の喜八郎《きはちろう》の処へ廻ると仰しゃったが村の年寄の処へ寄れば話が長くなって、お帰りも遅くなろう、ま酌をして呉れ」
千「はい、お酌を致します」
長「手襷《たすき》を脱《と》んなさい、忙がしかろうが、何もお前は台所《だいどこ》を働かんでも、一切道具ばかり取扱って居《お》れば宜《よ》いんだ」
千「あの大殿様がお留守でございますから宜いお道具は出しませんで、粗末と申しては済みませんが、皆此の様な物で宜しゅうございますか」
長「酌は美女《たぼ》、食物《くいもの》は器で、宜《い》い器でないと肴が旨く喰えんが、酌はお前のような美しい顔を見ながら飲むと酒が旨いなア」
千「御冗談ばかり御意遊ばします」
長「酔わんと極りが悪いから酔うよ」
千「お酔い遊ばせ、ですが余り召上ると毒でございますよ」
長「まだ飲みもせん内から毒などと云っちゃア困るが、実にお前は堅いねえ」
千「はい、武骨者でいけません」
長「いや、お父さんがお前を感心しているよ、親孝行で、何を見ても聞いても母の事ばかり云って居るって、併《しか》しお前のお母《ふくろ》の病気も追々全快になると云う事で宜《よ》いの」
千「はい、御当家《こなた》さまのお蔭で人参を飲みましたせいか、段々宜しくなりまして、此の程|病褥《とこ》を離れましたと丹治がまいっての話でございますが、母が申しますに、其方《そち》のような行届《ゆきとゞ》きません者を置いて下さるのみならず、お目を掛けて下さいまして、誠に有難いことで、種々《いろ/\》戴き物をしたから宜しく申上げてくれと申しました」
長「感心だな、お前は出が宜《い》いと云うが………千代/\千代」
千「はい」
長「どうも何《なん》だね、お前は十九かえ」
千「はい」
長「ま一盃|酌《つ》いで呉んな」
千「お酌《しゃく》を致しましょう」
長「半分残してはいかんな、何うだ一盃飲まんか」
千「いえ、私《わたくし》は些《ちっ》とも飲めません、少し我慢して戴きますと、顔が青くなって身体が震えます」
長「その震える処がちょいと宜しいて、私《わし》は酔いますよ、お前は色が白いばかりでなく、頬の辺《へん》眼の縁《ふち》がぼうと紅いのう」
千「はい、少し逆上《のぼ》せて居りますから」
長「いや逆上《のぼせ》ではない、平常《ふだん》から其の紅い処が何とも言われん」
千「御冗談ばっかり……」
長「冗談じゃアない、全くだ、私《わし》は三年|前《まえ》に家内を離別したて、どうも心掛けの善くない女で、面倒だから離縁をして見ると、独身《ひとりみ》で何かと不自由でならんが、お前は誠に気立が宜しいのう」
千「いゝえ、誠に届きませんでいけません」
長「此の間|私《わし》が……あの…お前笑っちゃア困るが、少しばかり私が斯う五行《いつくだり》ほどの手紙を、……認《したゝ》めて、そっとお前の袂《たもと》へ入れて置いたのを披《ひら》いて読んでくれたかね」
千「左様でございましたか、一向存じませんで」
長助は少し失望の体《てい》で、
長「左様でございますかなどゝ、落着き払っていては困る、親に知れては成らん、知っての通り親父は極《ごく》堅いので、あの手紙を書くにも隠れて漸《ようよ》う二行《にぎょう》ぐらい書くと、親父に呼ばれるから、筆を下に置いて又|一行《ひとくだり》書き、終《しま》いの一行は庭の植込《うえご》みの中で書きましたが、蚊に喰われて弱ったね」
四
千「それはまアお気の毒さま」
長「なに全くだよ、親父に知れち
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