が明けると直《すぐ》に之を頭《かしら》へ届けました。又《ま》た有助と云う男に手紙を持たせて、本郷春木町三丁目の指物屋《さしものや》岩吉方へ遣《つか》わしましたが、中々|大騒《おおさわぎ》で、其の内に検使《けんし》が到来致しまして、段々死人を検《あらた》めますと、自ら死んだように、匕首《あいくち》を握り詰めたなりで死んで居ります。林藏も刀の柄元を握詰め喉を貫《つ》いて居《おり》ますから、如何《どう》いう事かと調べになると、大藏の申立《もうしたて》に、平素《つね》から訝《おか》しいように思って居りましたが、予《かね》て密通を致し居り、痴情のやる方なく情死を致したのかも知れん、何か証拠が有ろうと云うので、懐中《ふところ》から守袋《まもりぶくろ》を取出して見ると、起請文が有りましたから、大藏は小膝を礑《はた》と打《うち》まして、
大「訝しいと存じて、咎《とが》めた時に、露顕したと心得情死を致しましたと見ゆる、不憫《ふびん》な事を致した、なに死なんでも宜《よ》いものを、彼《あれ》までに目を懸けて使うてやったものを」
などゝ、真《まこと》しやかに陳《の》べて、検使の方は済みましたが、今年五十八になります、指物屋の岩吉が飛んでまいり、船上忠平という二十三になる若党も、織江方から飛んでまいりました。
大「これ/\此処《こゝ》へ通せ、老爺《じゞい》此処へ入れ」
岩「はい、急にお使《つかい》でございましたから飛んで参《めえ》りました、どうも飛んだことで」
大「誠に何ともはやお気の毒な事で、斯ういう始末じゃ」
岩「はい、どうも此の度《たび》の事ばかりは何ういう事だか私《わし》には一向訳が分りません、貴方様《あんたさま》へ御奉公に上げましてから、旦那様がお目をかけて下さり、斯ういう着物を、やれ斯ういう帯をと拵《こしら》えて戴き、其の上お小遣いまで下さり、それから櫛《くし》簪《かんざし》から足の爪先まで貴方が御心配下さるてえますから、彼様《あん》な結構な旦那さまをしくじっちゃアならんよ、己は職人の我雑者《がさつもの》で、人の前で碌に口もきかれない人間だが、行々《ゆく/\》お前を宜《い》い処へ嫁付《かたづ》けてやると仰しゃったというから、私はそれを楽《たのし》んで居りましたが、何ういうわけで林藏殿と悪い事をすると云うは……のう忠平、一つ屋敷にいるから手前は他の仲間衆《ちゅうげんしゅう》の噂でも聞いていそうなものだったのう」
忠「噂にも聞いた事がございません、そんなれば林藏という男が美男《びなん》という訳でもなし、彼《あ》の通りの醜男子《ぶおとこ》、それと斯ういう訳になろうとは合点がまいりません、お父《とっ》さん、ねえ少《ちい》さいうちから妹は其様《そん》な了簡の女ではないのです、何か是には深い訳があるだろうと思います」
と互に顔を見合せましたが、親父の岩吉には尚《な》お理由《わけ》が分りませんから、
岩「訳だって私《わし》にはどうも分らん、林藏さんと斯ういう事になろう筈がないと申すは、旦那さま、此の間菊へ一寸《ちょっと》お暇を下さいました時に、宅へまいりましたから、早く帰んなよ、然《そ》うしないと旦那様に済まねえよ、親元に何時《いつ》までもぐず/\して居てはならないと申したら、お父《とっ》さん、私はと何か云い難《にく》い事がある様子で、ぐず/\して居ましたが、何方《どなた》もいらっしゃいませんからお話を致しますが、お父さん、私は浮気じゃアないが、私のような者でも旦那様が別段お目をかけて下さいますよと云いますから、お前を奉公人の内で一番目をかけて下さるのか、然うじゃアないよ、別段に目をかけて下さるの、何ういう事でと聞きましたら、私ア旦那さまのお手が附いたけれども、此の事が知れては旦那様のお身の上に障《さわ》るから、お前一人得心で居てくれろと申しますから手前は冥加至極な奴だ、彼様《あん》な好《よ》い男の殿様のお手が附いて……道理でお屋敷へ上《あが》る時から、やれこれ目を掛けて下さると思った、併《しか》し他《ほか》の奉公人の妬《そね》みを受けやアしないかと申しましたが、結構な事だ有難いことだと実は悦んで安心していました、菊も悦んで親へ吹聴致すくらいで、何うして林藏さんと……」
大「こら/\大きな声をしては困りますな、併し岩や恋は思案の外《ほか》という諺もあって、是ばかりは解りませんよ、そんならば宅《うち》にいて気振《けぶり》でも有りそうなものだったが、少しも気振を見せない、尤《もっと》も主《しゅう》家来だから気を詰《つめ》るところもあり、同じ朋輩同志人目を忍んで密会《あいびき》をする方が又|楽《たのし》みと見えて、林藏という者が来た時から、菊が彼《かれ》に優しくいたす様子、林藏の方でもお菊さん/\と親《したし》む工合《ぐあい》だから、結構な事だと思って居たが、起請まで取交《とりかわ》して心中を仕ようとは思いません、実に憎い奴とは思いながら、誠に不憫な事をして、お前の心になって見れば、立腹する廉《かど》はない、お前には誠に気の毒で、忠平どんも未だ年若《としわか》ではあるし、他に兄弟もなく、嘸《さぞ》と察する、斯うして一つ屋敷内《やしきうち》に居るから、恥入ることだろうと思う、実に気の毒だが、斯《こ》の道ばかりは別だからのう」
忠「へえ、(泣声にて)お父《とっ》さん何《なん》たる事になりましたろう、私《わたくし》は旦那様の処へ奉公をして居りましても、他の足軽や仲間共に対して誠に顔向けが出来ません、一人の妹が此様《こん》な不始末を致し、御当家様へ申訳がありません」
大「いや、仕方がないから、屍体《したい》のところは直《すぐ》に引取ってくれるように」
岩「へえ畏《かしこま》りました」
と岩吉も忠平も本当らしいから、仕方がない、お菊の屍骸を引取って、木具屋の岩吉方から野辺の送りをいたしました。九月十三|夜《や》に、渡邊織江は小梅の御中屋敷《おなかやしき》にて、お客来がござりまして、お召によって出張いたし、お饗応《もてなし》をいたしましたので、余程|夜《よ》も更けましたが、お客の帰った跡の取片付けを下役に申付けまして、自分は御前を下《さが》り、小梅のお屋敷を出ますと、浅草寺《あさくさ》の亥刻《よつ》の鐘が聞えます。全体此の日は船上忠平も供をして参っておったところが、急に渡邊の宅《たく》から手紙で、嬢様が少しお癪気《しゃくけ》だと申してまいりました。嬢様の御病気を看病致すには、慣れたものが居《お》らんければ不都合ゆえ、織江が忠平に其の手紙を見せまして、先へ忠平を帰しましたから、米藏《よねぞう》という老僕《おやじ》に提灯を持たして小梅の御中屋敷を立出《たちい》で、吾妻橋《あずまばし》を渡って田原町《たわらまち》から東本願寺へ突当《つきあた》って右に曲り、それから裏手へまいり、反圃《たんぼ》の海禅寺《かいぜんじ》の前を通りまして山崎町《やまざきちょう》へ出まして、上野の山内《さんない》を抜け、谷中門へ出て、直ぐ左へ曲って是から只今角に石屋のあります処から又|後《あと》へ少し戻って、細い横町《よこちょう》を入ると、谷中の瑞林寺《ずいりんじ》という法華寺《ほっけでら》があります、今三浦の屋敷へ程近い処まで来ると、突然《だしぬけ》に飛出した怪しげなる奴が、米藏の持った提灯をばっさり切って落す。
米「あっ」
と驚く、
織「何者だ、うぬ、狼藉《ろうぜき》……」
と後《あと》へ退《さが》るところを藪蔭からプツーリ繰出した槍先にて、渡邊の肋《ひばら》を深く突く
織「ムヽーン」
と倒れて起上ろうとする所を、早く大刀の柄《つか》に手をかけると見えましたが抜打《ぬきうち》に織江の肩先深く切付けたから堪りません。
織「ウヽーム」
と残念ながら大刀の柄へ手を掛けたまゝ息は絶えました。
二十三
渡邊織江が殺されましたのは、夜《よ》の子刻《こゝのつ》少々前で、丁度同じ時刻に彼《か》の春部梅三郎が若江というお小姓の手を引《ひい》て屋敷を駈落致しました。昔は不義はお家の御法度《ごはっと》などと云ってお手打になるような事がございました。そんならと申して殿様がお堅いかと思いますと、殿様の方にはお召使が幾人《いくたり》もあって、何か月に六斎《ろくさい》ずつ交《かわ》る/″\お勤めがあるなどという権妻《ごんさい》を置散《おきちら》かして居ながら、家来が不義を致しますと手打にいたさんければならんとは、ちと無理なお話でございますが、其の時分の君臣の権識《けんしき》は大《たい》して違って居《おり》ましたもので、若江が懐妊したようだというから、何うしても事《こと》露顕を致します、殊《こと》には春部梅三郎の父が御舎弟様から拝領いたしました小柄《こづか》を紛失《ふんじつ》致しました。これも表向に届けては喧《やか》ましい事であります、此方《こなた》も心配致している処へ、若江が懐妊したから連れて逃げて下さいというと、そんなら……、と是から両人共身支度をして、小包を抱え、若気の至りとは云いながら、高《たか》も家も捨てゝ、春部梅三郎は二十三歳で、其の時分の二十三は当今のお方のように智慧分別も進んでは居りませんから、落着く先の目途《あて》もなく、お馬場口から曲って来ると崖の縁《ふち》に柵矢来《さくやらい》が有りまして、此方《こちら》は幡随院の崖になって居りまして、此方に細流《ながれ》があります。此処《こゝ》を川端《かわばた》と申します。お寺が幾らも並んで居ります。清元の浄瑠璃に、あの川端へ祖師《そし》さんへなどと申す文句のござりますのは、此の川端にある祖師堂で、此の境内には俳優岩井家代々の墓がございます。夜《よ》に入《い》っては別に往来《ゆきゝ》もない処で、人目にかゝる気遣いはないからというので、是から合図をして藪蔭へ潜《くゞ》り込み、
若「春部さま」
梅「あい、私《わし》は誠に心配で」
若「私《わたくし》も一生懸命に信心をいたしまして、貴方と御一緒に此の外へ出てしまえば、何様《どん》な事でも宜しゅうございますけれども、お屋敷にいる内に私が捕《つかま》りますと、貴方のお身に及ぶと存じて、本当に私は心配いたしましたが、宜《よ》く入らしって下さいました」
梅「まだ廻りの来る刻限には些《ちっ》と早い、さ、これを下りると川端である、柵が古くなっているから、直《じき》に折れるよ、裾《すそ》をもっと端折《はしょ》らにゃアいかん、危いよ」
若「はい、畏《かしこま》りました、貴方宜しゅうございますか」
梅「私《わし》は大丈夫だ、此方《こちら》へお出《い》でなさい」
と是から二人ともになだれの崖縁《がけべり》を下《お》りにかゝると、手拭ですっぽり顔を包み、紺の看板に真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差した仲間体《ちゅうげんてい》の男が、手に何か持って立って居《い》る様子、其所《そこ》へ又一人顔を包んだ侍が出て来る。若江春部の両人は忍ぶ身の上ゆえ、怖い恐ろしいも忘れて檜《ひのき》の植込《うえごみ》の一叢《ひとむら》茂る藪の中へ身を縮め、息をこらして匿《かく》れて居りますと、顔を包んだ侍が大小を落差《おとしざし》にいたして、尻からげに草履《ぞうり》を穿《は》いたなり、つか/\/\と参り、
大「これ有助」
有「へえ、これを彼《か》の人に上げてくれと仰しゃるので、へい/\首尾は十分でございましたな」
大「うん、手前は之を持って、予《かね》ての通り道灌山《どうかんやま》へ往《い》くのだ」
有「へい宜しゅうございます、文箱《ふばこ》で」
大「うん、取落さんように致せ、此の柵を脱《ぬ》けて川を渡るのだ、水の中へ落してはならんぞ」
有「へえ/\大丈夫で」
大「仕損ずるといけんよ」
有「宜しゅうございます」
と低声《こゞえ》でいうから判然《はっきり》は分りませんが、怪しい奴と思って居ります内に、彼《か》の侍はすっと何《いず》れへか往ってしまいました。チョンチョン/\/\。
廻「丑刻《やつ》でございます」
と云う廻りの声にて、先の仲間体の男は驚き慌てゝ柵を潜《くゞ》って出る。春部は浮気をして情婦《おんな》を連れ逃げる身
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