し》のような不行届《ほよきとゞき》の者を目《み》え懸けて下さり何ともはや恐入りやす」
大「いや、然《そ》うでない、貴様ア感心な事には正直律義なり、誠に主《しゅう》思いだのう」
林「いえ、旦那様が目《み》え懸けて下せえますから、お互に思えば思わろゝで、そりゃア尊公《あんた》当然《あたりめえ》の事《こっ》て」
大「いや/\然うでない、一体貴様の気象を感服している、これ女中、下物《さかな》を此処《これ》へ、又|後《あと》で酌をして貰うが、早く家来共の膳を持って来んければならん」
 と林藏の前へも同じような御馳走が出ました。
大「のう林藏、是迄しみ/″\話も出来んであったが、今日《きょう》は差向いで緩《ゆっ》くり飲もう、まア一盃《いっぱい》酌《つ》いでやろう」
林「へえ恐入りました、誠ね有難い事で、旦那さまのお酌《さく》で恐入《おそれえ》ります」
大「今日は遠慮せずにやれよ」
林「へえ恐入《おそれえ》りました、ヒエ/\溢《こぼ》れます/\……有難い事で、お左様なれば頂戴いたします、折角《しっかく》の事だアから誠にはや有難い事で」
大「今日は宜《い》いよ、打解けて飲んでくれ、何かの事に遠慮はあっちゃアいかん、心の儘に飲めよ」
林「ヒエ/\有難い事で」
大「さ己が一盃《ひとつ》合《あい》をする」
 とグーと一盃《いっぱい》飲み、又向うへ差し、林藏を酔わせないと話が出来ません。尤《もっと》も愚《おろか》だから欺《だま》すには造作もない、お菊は船上忠助の妹ゆえ、渡邊織江へ内通を致しはせんかと、松蔭大藏も実に心配な事でございますから、林藏から先へ欺《あざむ》く趣向でござります。林藏は段々|宜《よ》い心持に酔って来ましたので仮名違いの言語《ことば》で喋ります。
大「遠慮なしに沢山|飲《や》れ」
林「ヒエ有難い事で、大層|酩酊《めんてい》致しやした」
大「いや/\まだ酩酊《めいてい》という程飲みやアせん、貴様は国にも余り親戚《みより》頼りのないという事を聞いたが、全く左様かえ」
林「ヒエ一人|従弟《えとこ》がありやすが、是は死んでしまエたか、生きているか分《わ》きやたゝんので、今迄何とも音ずれのない処を見ると、死んでしもうたかと思いやす、実《ぜつ》にはや樹《け》から落ちた何とか同様で、心細い身の上でがす」
大「左様か、何うだ別に国に帰りたくもないかえ、御府内へ住《すま》って生涯果てたいという志なら、また其の様に目を懸けてやるがのう」
林「ヒエ実《じつ》に国《こに》というたところで、今《えま》になって帰りましたところが、親戚《めより》もなし、別《びつ》に何う仕ようという目途《みあて》もないものですから願わくば此の繁盛《さか》る御府内でまア生涯|朽果《こちはて》れば、甘《おま》え物を喰《た》べ、面白《おもしろ》え物を見て暮しますだけ人間《ねんげん》の徳だと思えやす、実《ぜつ》に旦那さまア御当地《こちら》で朽果《こちは》てたい心は充分《えっぱい》あります」
大「それは宜しい、それじゃア何うだえ己は親戚《みより》頼り兄弟も何も無い、誠に心細い身の上だが、まア幸い重役の引立を以て、不相応な大禄を取るようになって、誠に辱《かたじ》けないが、人は出世をして歓楽の極《きわ》まる時は憂いの端緒《いとぐち》で、何か間違いのあった時には、それ/″\力になる者がなければならない、己が増長をして何か心得違いのあった時には異見を云ってくれる者が無ければならん、乃《そこ》で中々家来という者は主従の隔てがあって、どうも主人の意《こゝろ》に背いて意見をする勇気のないものだが、貴様は何でもずか/\云ってくれる所の気象を看抜《みぬ》いているから、己は貴様と親類になりたいと思うが、何うだ」
林「ヒエ/\恐入《おそれえ》ります、勿体至極も……」
大「いや、然《そ》うでない、只|主《しゅう》家来で居ちゃアいかん、己は百石頂戴致す身の上だから、己が生家《さと》になって貴様を一人前の侍に取立ってやろう、仮令《たとえ》当家の内でなくとも、他《た》の藩中でも或《あるい》は御家人|旗下《はたもと》のような処へでも養子に遣《や》って、一廉《ひとかど》の武士に成れば、貴様も己に向って前々《まえ/\》御高恩を得たから申上ぐるが、それはお宜しくない、斯うなすったら宜かろうと云えるような武士に取立って、多分の持参は附けられんが、相当の支度をしてやるが、何うだ侍になる気はないか」
林「いや、是はどうも勿体ない事でござえます、是はどうもはや、私《わし》の様な者は迚《とて》もはや武士《ぼし》には成れません」
大「そりゃア何ういう訳か」
林「第一《でいいち》剣術《きんじつ》を知りませんから武士《ぼし》にはなれましねえ」
大「剣術《けんじゅつ》を知らんでも、文字を心得んでも立派な身分に成れば、それだけの家来を使って、それだけの者に手紙を書かせなどしたら、何も仔細はなかろう」
林「でござえますが、武士《ぼし》は窮屈ではありませんか、実《ぜつ》は私《わし》は町人になって商いをして見たいので」
大「町人になりたい、それは造作もない、二三百両もかければ立派に店が出せるだろう」
林「なに、其様《そんな》には要《え》りませんよ、三拾両|一資本《ひともとで》で、三拾両も有れば立派に店が出せますからな」
大「それは造作ない事じゃ、手前が一軒の主人になって、己が時々往って、林藏|一盃《いっぱい》飲ませろよ、雨が降って来たから傘ア貸せよと我儘を云いたい訳ではないが、年来使った家来が出世をして、其の者から僅かな物でも馳走になるは嬉しいものだ、甘《うま》く喰《た》べられるものだ」
林「誠に有難い事で」
大「ま、もう一盃飲め/\」
林「ヒエ大層嬉しいお話で、大分《だいぶ》酔《え》いました、へえ頂戴いたします、これははや有難いことで……」
大「そこでな、どうも手前と己は主家来の間柄だから別に遠慮はないが、心懸けの悪い女房でも持たれて、忌《いや》な顔でもされると己も往《ゆ》きにくゝなる、然《そ》うすると遂《つい》には主従《しゅうじゅう》の隔てが出来、不和《ふなか》になるから、女房の良いのを貴様に持たせたいのう」
林「へえ、女房の良いのは少ねえものでござえます、あの通り立派なお方様でござえますが、森山様でも秋月様でも、お品格といい御器量といい、悪い事はねえが、私《わし》ら目下《めした》の者がめえりますとつんとして馬鹿にする訳もありやしねえが、届かねえ、お茶も下さらんで」
大「それだから云うのだ、此の間から打明けて云おうと思っていたが、家《うち》にいる菊な」
林「ヒエ」
大「彼《あれ》は手前も知っているだろうが、内々《ない/\》己が手を附けて、妾同様にして置く者だ」
林「えへゝゝゝ、それは旦那さまア、私《わし》も知らん振でいやすけれども、実《じつ》は心得てます」
大「そうだろう、彼《あれ》はそれ渡邊の家《うち》に勤めている船上の妹《いもと》で、己とは年も違っているから、とても己の御新造《ごしんぞ》にする訳にはいかん、不器量《ふきりょう》でも同役の娘を貰わなければならん、就《つい》ては彼《あ》の菊を手前の女房に遣《や》ろうと思うが、気に入りませんかえ、随分器量も好《よ》く、心立《こゝろだて》も至極宜しく、髪も結い、裁縫《しごと》も能《よ》くするよ」
林「ヒエ……冗談ばっかり仰しゃいますな、旦那さまアおからかいなすっちゃア困ります、お菊《けく》さんなら好《え》いの好《え》くないのって、から理窟は有りましねえ、彼様《あん》な優しげなこっぽり[#「こっぽり」に傍点]とした方は少ねえもんでごぜえますな」
大「あはゝゝ、何だえ、こっぽり[#「こっぽり」に傍点]と云うのは」
林「頬の処や手や何かの処がこっぽり[#「こっぽり」に傍点]として、尻なぞはちま/\[#「ちま/\」に傍点]としてなあ」
大「ちま/\というのは小さいのか」
林「ヒエ誠にいらいお方さまでごぜえますよ」
大「手前が嫌いなれば仕方がない、気に入ったら手前の女房に遣りたいのう」
林「ひへゝゝゝ御冗談ばかし」
大「冗談ではない、菊が手前を誉《ほ》めているよ」
林「尤《もっと》も旦那様のお声がゝりで、林藏に世帯《しょたい》を持たせるが、女房がなくって不自由だから往ってやれと仰しゃって下さればなア……」
大「己が云やア否《いや》というのに極っている何故ならば衾《ふすま》を倶《とも》にする妾だから、義理にも彼様《あん》な人は厭《いや》でございますと云わなければならん、是は当然だ、手前の処へ幾ら往《い》きたいと思っても然《そ》ういうに極って居《お》るわ」

        二十

 林藏はにこ/\いたしまして、
林「成程むゝう」
大「だから、手前さえ宜《よ》いと極《きま》れば、直接《じか》に掛合って見ろい、菊に」
林「是は云えません、間《ま》が悪うてとてもはや冗談は云えませんな然《そ》うして中々ちま/\[#「ちま/\」に傍点]としてえて、堅《かて》え気性でござえますから、冗談は云えましねえよ、旦那様がお留主《るす》の時などは、とっともう苦《ねが》え顔をして居なせえまして、うっかり冗談も云えませんよ」
大「云えない事があるものか、じゃア云える工夫をしてやろう、こゝで余った肴を折へ詰めて先へ帰れ、己は神原の小屋に用があるから、手前先へ帰って、旦那さまは神原さまのお小屋で御酒《ごしゅ》が始まって、私《わし》だけ先へ帰りました、これはお土産《みやげ》でございますと云って、折を出して、菊と二人で一盃《いっぱい》飲めと旦那さまが仰しゃったから、一盃頂戴と斯う云え」
林「成程どうも…併《しか》しお菊《けく》さんは私《わし》二人《ほたり》で差向《さしもか》いでは酒を飲まねえと思いやすよ」
大「それは飲むまい、私《わたし》は酒を飲まんからお部屋へ往って飲めというだろうから、もし然《そ》う云ったら、旦那様が此処《こゝ》で飲めと仰しゃったのを戴きませんでは、折角のお志を無にするようなものだから、私《わし》は頂戴いたしますと云って、茶の間の菊がいる側の戸棚の下の方を開けると、酒の道具が入っているから、出して小さな徳利《とくり》へ酒を入れて燗を附け、戸棚に種々《いろ/\》な食物《たべもの》がある、※[#「魚+獵のつくり」、第4水準2−93−92]《からすみ》又は雲丹《うに》のようなものもあるから、悉皆《みんな》出してずん/\と飲んで、菊が止めても肯《き》くな、然うして無理に菊に合《あい》をしてくれろと云えば、仮令《たとえ》否《いや》でも一盃ぐらいは合をするだろう、飲んだら手前酔った紛《まぎ》れに、私《わし》は身を固める事がある、私《わし》は近日の内|商人《あきんど》に成るが、独身《ひとりみ》では不自由だから、女房になってくれるかと手か何か押えて見ろ」
林「ひえへゝゝ是はどうも面白《おもしろ》え、やりたいようだが、何分間が悪うて側へ寄附《よりつ》かれません」
大「寄附けようが寄附けまいが、菊が何と云うとも構ったことはない、己は四つの廻りを合図に、庭口から窃《そっ》と忍び込んで、裏手に待っているから、四つの廻りの拍子木を聞いたら、構わず菊の首玉《くびッたま》へかじり附け、己が突然《だしぬけ》にがらりと障子を開けて、不義者《ぶぎもの》見附けた、不義《ふぎ》をいたした者は手討に致さねばならぬのが御家法だ、さ両人《ふたり》とも手討にいたす」
林「いや、それは御免を……」
大「いやさ本当に斬るのじゃアない、斬るべき奴だが、今迄真実に事《つか》えてくれたから、内聞《ないぶん》にして遣《つか》わし、表向にすれば面倒だによって、永《なが》の暇《いとま》を遣わす、また菊もそれ程までに思っているなら、町人になれ、侍になることはならんと三十両の他に二十両菊に手当をして、頭の飾《かざり》身の廻り残らず遣《や》る」
林「成程、有難い、どうも是ははや……併《しか》しそれでもいけませんよ、お菊《けく》さんが貴方飛んでもない事を仰しゃる、何うしても林藏と私《わたくし》と不義をした覚えはありません、神かけてありません、夫婦に成れと仰しゃっても私は否《えや》で
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