ろ》げて、向うから来る人の見えるようにして、飴屋の亭主を呼出しました。
源「えゝ今日《こんにち》お召によって取敢《とりあえ》ず罷《まか》り出ました、御殿へ出ます心得でありましたが、御当家さまへ出ました」
大「いや/\御殿では却《かえ》って話が出来ん、其の方|例《いつも》の係り役人に遇《あ》っても、必らず当家へ来たことを云わんように」
源「へえ畏《かしこ》まりました、此の度《たび》は悪い疫《やまい》が流行《はや》り、殿様には続いてお加減がお悪いとか申すことを承わりましたが、如何《いかゞ》で」
大「うん、どうもお咳が出てならん」
源「へえ、へい/\、それははや何とも御心配な儀で……今日召しましたのは何ういう事ですか、何うか飴の御用向でも仰付けられますのでございますか[#「ございますか」は底本では「こざいますか」]」
大「神原|氏《うじ》貴公から発言《はつごん》されたら宜しゅうござろう」
神「いや拙者は斯ういう事を云い出すは甚《はなは》だいかん、どうか貴公から願いたい、斯う云う事は松蔭氏に限るね」
大「拙者は誠に困る、えゝ源兵衞、其の方は御当家へ長らく出入《でいり》をするが、御当家さまを大切に心得ますかえ」
源「へえ決して粗略には心得ません、大切に心得て居ります」
大「ムヽウ、御当家のためを深く其の方が思うなら、江戸表の御家老さま、又此の神原五郎治さま、渡邊さま、此の四郎治さま、拙者は新役の事ではあるが此の事に就《つい》てはお家のためじゃからと云うので、種々《いろ/\》御相談があった、始めは拙者にも分りません所があったが、だん/\重役衆の意見を承わって成程と合点《がってん》がゆき、是はお家のためという事を承知いたしたのだ」
源「へえ、どうも然《そ》ういう事は町人などは何も弁《わきま》えのありません事でございまして、へえ何ういう事が御当家さまのお為になりますので」
大「他でもないが上《かみ》が長らく御不例でな、お医者も種々《いろ/\》手を尽されたが、遠からずと云う程の御重症である」
源「へえ何でげすか、余程お悪く在《いら》っしゃいますんで」
大「大きな声をしては云えんが、来月|中旬《なかば》までは保つまいと医者が申すのじゃ」
源「へえ、どうもそれはおいとしい事で、お目通りは致しませんが、誠に手前も長らく親の代からお出入りを致しまして居りますから、誠に残念な事で」
大「うむ、就《つい》ては上《かみ》がお逝去《かくれ》になれば、貴様も知っての通り奥方もお逝去で、御順《ごじゅん》にまいれば若様をというのだが、まだ御幼年、取ってお四歳《よっつ》である、余りお稚《ちい》さ過ぎる、併《しか》しお胤《たね》だから御家督御相続も仔細はないが、此の事に就て其の方に頼む事があるのだ、お家のため且《かつ》容易ならん事であるから、必ず他言をせん、何《ど》の様な事でもお家のためには御意《ぎょい》を背《そむ》きますまい、という決心を承知せん中《うち》は話も出来ん、此の事に就いては御家老を始め、こゝにござる神原氏我々に至るまで皆血判がしてある、其の方も何ういう事があっても他言はせん、御意に背くまいという確《しか》とした証拠に、是へ血判をいたせ」
源「へえ血判と申しますは何ういたしますので」
大「血で判をするから血判だ」
源「えゝ、それは御免を蒙《こうむ》ります、中々町人に腹などが切れるものではございません」
大「いや、腹を切ってくれろというのではない」
源「でも私《わたくし》は見た事がございます、早野勘平《はやのかんぺい》が血判をいたす時、臓腑を引出しましたが、あれは中々町人には」
大「いや/\腹を切る血判ではない、爪の間をちょいと切って、血が染《にじ》んだのを手前の姓名《なまえ》の下へ捺《お》すだけで、痛くも痒《かゆ》くもない」
源「へえ何うかしてさゝくれや何かを剥《む》くと血が染みますことが……ちょいと捺せば宜しいので、私《わたくし》は驚きました、勘平の血判かと思いまして、然《そ》ういう事がお家のおために成れば何《ど》の様な事でもいたします」
大「手前は小金屋と申すが、苗字は何と申す」
源「へえ、矢張小金と申します」
 と云うを神原四郎治が筆を執りて、料紙へ小金源兵衞と記し、
大「さア、これへ血判をするのだ、血判をした以上は御家老さま始め此の方《ほう》等《ら》と其の方とは親類の間柄じゃのう」
源「へえ恐入ります、誠に有難いことで」
大「のう、何事も打解けた話でなければならん、其の代り事成就なせば向後《こうご》御出入頭《おでいりがしら》に取立てお扶持も下さる、就《つい》てはあゝいう処へ置きたくないから、広小路あたりへ五間々口《ごけんまぐち》ぐらいの立派な店を出し、奉公人を多人数《たにんず》使って、立派な飴屋になるよう、御家老職に願って、金子《きんす》は多分に下《お》りよう、千両までは受合って宜しい」
源「へえ……有難いことで、夢のようでございますな、お家のためと申しても、私《わたくし》風情が何《なん》のお役にも立ちませんが、それでは恐入ります、いえ何様《どん》な事でも致します、へえ手や指ぐらいは幾許《いくら》切っても薬さえ附ければ直《じき》に癒《なお》りますから宜しゅうございます、なんの指ぐらいを切りますのは」
 とちょいと其の頃千両からの金子《かね》を貰って、立派な飴屋になるというので嬉しいから、指の先を切って血判をいたし、
源「何ういう御用で」
大「さ、こゝに薬がある」
源「へえ/\/\」
大「貴様は、水飴を煮るのは余程手間のかゝったものかのう」
源「いえ、それは商売ですから直《じき》に出来ますことで」
大「どうか職人の手に掛けず、貴様一人で上《かみ》の召上るものだから練《ね》れようか」
源「いえ何ういたしまして、年を老《と》った職人などは攪廻《かきまわ》しながら水涕《みずッぱな》を垂《たら》すこともありますから、決して左様なことは致させません、私《わたくし》が如何《いか》ようにも工夫をいたします」
大「それでは此の薬を練込むことは出来るか」
源「へえ是は何《なん》のお薬で」
大「最早血判致したから、何も遠慮をいたすには及ばんが、一大事で、お控えの前次様は御疳癖が強く、動《やゝ》もすれば御家来をお手討になさるような事が度々《たび/\》ある、斯様な方がお世取《よとり》に成れば、お家の大害《だいがい》を惹出《ひきいだ》すであろう、然《しか》る処幸い前次様は御病気、殊《こと》にお咳が出るから、水飴の中へ此の毒薬を入れて毒殺をするので」
源「え……それは御免を蒙《こうむ》ります」
大「何《なん》だ、御免を蒙るとは……」
源「何だって、お忍びで王子へ入らっしゃる時にお立寄がありまして、お十三の頃からお目通りを致しました前次様を、何かは存じませんが、私《わたくし》の手からお毒を差上げますことは迚《とて》も出来ません」
 というと、神原四郎治がキリヽと眦《まなじり》を吊《つる》し上げて膝を進めました。

        十九

神原「これ源兵衞、手前は何のために血判をいたした、容易ならんことだぞ、お家のためで、紋之丞[#「紋之丞」は底本では「紋之亟」]様が御家督に成れば必らずお家の害になることを存じているから、一家中の者が心配して、此の通り役柄をいたす侍が頼むのに、今となって否《いや》だなどと申しても、一大事を聞かせた上は手討にいたすから覚悟いたせ」
源「ど、何卒《どうぞ》御免を……お手討だけは御勘弁を……」
大「勘弁|罷《まか》りならん、神原殿がお頼みによって、其の方に申聞《もうしき》けた、だが今になって違背《いはい》されては此の儘に差置《さしお》けんから、只今手討に致す」
源「へえ大変な事で、私《わたくし》は斯様な事とは存じませんでしたが、大変な事になりましたな、一体水飴は私の処では致しませんへえ不得手なんで」
大「其様《そん》な事を申してもいかん」
源「へえ宜しゅうございます」
 と斬られるくらいならと思って、不承/\に承知致しました。
大「一時遁《いっときのが》れに請合《うけあ》って、若《も》し此の事を御舎弟附の方々《かた/\》へ内通でもいたすと、貴様の宅《たく》へ踏込んで必ず打斬《うちき》るぞ」
源「へえ/\御念の入《い》った事で、是がお薬でございますか、へえ宜しゅうございます」
 と宅《うち》へ帰って彼《か》の毒薬を水飴の中へ入れて煉《ね》って見たが、思うようにいけません、どうしても粉が浮きます、綺麗な処へ※[#「譽」の「言」に代えて「石」、第3水準1−89−15]石《よせき》の粉が浮いて居りますので、
源「幾ら煉《ねっ》てもいけません」
 と此の事を松蔭大藏に申しますから、大藏もどうしたら宜かろうと云うので、大藏の家《うち》へ山路という医者を呼び飴屋と三人打寄って相談をいたしますと、山路の申すには、是は斑猫《はんみょう》という毒を煮込んだら知れない、併《しか》し是は私《わし》のような町医の手には入《はい》りません、なにより効験《きゝめ》の強いのは和蘭陀《おらんだ》でカンタリスという脊中《せなか》に縞のある虫で、是は豆の葉に得て居るが、田舎でエゾ虫と申し、斑猫のことで、効験が強いのは煎じ詰めるのがよかろうと申しましたので、なる程それが宜かろうと相談が一決いたし、飴屋の源兵衞と医者の山路を玄関まで送り出そうとする時|衝立《ついたて》の蔭に立っていましたのは召使の菊という女中で、これは松蔭が平生《へいぜい》目を掛けて、行々《ゆく/\》は貴様の力になって遣《つか》わし、親父も年を老《と》っているから、何時《いつ》までも箱屋(芸妓《げいしゃ》の箱屋じゃアありません、木具屋と申して指物《さしもの》を致します)をさせて置きたくない、貴様にはこれ/\手当をして遣《や》ろうという真実に絆《ほだ》されて、表向ではないが、内々《ない/\》大藏に身を任して居ります。是は本当に惚れた訳でもなし、金ずくでもなし、変な義理になったので、大藏も好男子《いゝおとこ》でありますが、此の菊は至って堅い性質ゆえ、常々神原や山路が来ては何か大藏と話をしては帰るのを、案じられたものだと苦にしていたのが顔に出ます。今大藏が衝立の蔭に菊のいたのを認めて恟《びっく》り致したが、さあらぬ体《てい》にて、
大「源兵衞、少し待ちな」
 と連戻って、庭口から飴屋を送り出そうとすると、林藏という若党が同じく立って聞いていましたので、再び驚いたが、仕方がないと思い、飴屋を帰してしまったが、大藏は腹の中《うち》で菊は船上忠助の妹《いもと》だから、此の事を渡邊に内通をされてはならん、船上は古く渡邊に仕えた家来で、彼奴《あいつ》の妹だから、こりゃア油断がならん、なれども林藏は愚者《おろかもの》だから、林藏から先へ当って調べてみよう。と是から支度を仕替えて、羽織大小で彼《か》の林藏という若党を連れ、買物に出ると云って屋敷を立出《たちい》で、根津の或る料理茶屋へ昇《あが》りましたが、其の頃は主《しゅう》家来のけじめが正しく、中々若党が旦那さまの側などへはまいられませんのを、大藏は己《おれ》の側へ来いと呼び附けました。
大「林藏、大きに御苦労/\」
林「へえ、何か御用で」
大「いや独酌《ひとり》で飲んでもうまくないから、貴様と打解けて話をしようと思って」
林「恐入りましてございます、何ともはや御同席では……」
大「いや、席を隔《へだ》てゝは酒が旨くない」
林「こゝでは却《かえ》って気が詰りますから、階下《した》で戴きとう存じます」
大「いや、酒を飲んだり遊ぶ時には主《しゅう》も家来も共々にせんければいかん、己の苦労する時には手前にも共々に苦労して貰う、これを主従苦楽を倶《とも》にするというのだ」
林「へえ、恐入ります、手前などは誠に仕合せで、御当家さまへ上《あが》りまして、旦那さまは誠に何から何までお慈悲深く、何様《どん》な不調法が有りましても、お小言も仰《おっし》ゃらず、斯ういう旦那さまは又とは有りません、手前が仕合《しあわせ》で、此の間も吉村さまの仁介《ねすけ》もお羨《うらや》ましがっていましたが、私《わたく
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