りは立派な大名の御家来で立派なお方が貧乏して困って苦労した人だから、物が届いている、感心な事だ、夜《よ》は寒いから止せ/\と御自分ばかりで見廻りをして勤めに怠りはない、それから見ると此方等《こちとら》は寝たがってばかりいて扨《さ》て仕様がないの」
甲「本当にどうも……おゝ噂をすれば影とやらで、おいでなすった」
と仲間共《ちゅうげんども》は大藏を見まして、
「えゝどうもお寒うございます」
大「あゝ大きに御苦労だが、又廻りの刻限が来たから往ってもらわなければならん、昼間お客来《きゃくらい》で又《ま》た遺失物《おとしもの》でもあるといかんから、仁助《にすけ》私《わし》が一人で見廻ろう、雪がちらちらと来たようだから」
仁「成程降って来ましたね」
大「よほど降って来たな、提灯《ちょうちん》も別に要《い》るまい、廻りさえすれば宜《よ》いのだ、私《わし》は新役だからこれが務《つと》めで、貴様達は私に連れられる身の上だ、殊《こと》に一人や二人狼藉者が出ても取って押えるだけの力はある、といって何も誇るわけではないが、此の雪の降るに、連れて往《い》かれるのも迷惑だろうから」
仁「面目次第もありませんが、此方等《こちとら》は狼藉者でも出ると、真先《まっさき》に逃出し、悪くすると石へ蹴つまずいて膝ア毀《こわ》すたちでありますよ、恐入りますな」
大「御家中《ごかちゅう》で万事に心附《こゝろづき》のある方は渡邊殿と秋月殿である、寒かろうから寒さ凌《しの》ぎに酒を用いたら宜かろうと云って、御酒《ごしゅ》を下すったが、斯様な結構な酒はお下屋敷にはないから、此の通り徳利《とくり》を提げて来た、一升ばかり分けてやろう別に下物《さかな》はないから、此銭《これ》で何ぞ嗜《すき》な物を買って、夜蕎麦売《よそばうり》が来たら窓から買え」
仁「恐れ入りましたな、何ともお礼の申そうようはございません、毎《いつ》もお噂ばかり申しております実に余り十分過ぎまして……」
大「雪が甚《ひど》く降るので手前達も難儀だろう、私《わし》一人で宜しい提灯と赤合羽を貸せ/\」
と竹の饅頭笠を被《かぶ》り、提灯を提げ、一人で窃《ひそ》かに廻りましたが却《かえ》ってどか/\多勢《おおぜい》で廻ると盗賊は逃げますが、窃かに廻ると盗賊も油断して居りますから、却って取押えることがあります。無提灯でのそ/\一人で歩くのは結句用心になります。或日お客来で御殿の方は混雑致しています時、大藏が長局《ながつぼね》の塀の外を一人で窃かに廻ってまいりますと、沢山ではありませんが、ちら/\と雪が顔へ当り、なか/\寒うござります、雪も降止みそうで、風がフッと吹込む途端、提灯の火が消えましたから、
大「あゝ困ったもの」
と後《あと》へ退《さが》ると、長局の板塀の外に立って居る人があります。無地の頭巾《ずきん》を目深《まぶか》に被りまして、塀に身を寄せて、小長い刀を一本差し、小刀《しょうとう》は付けているかいないか判然《はっきり》分りませんが、鞘の光りが見えます。
大「はてな」
と大藏は後《あと》へ退《さが》って様子を見ていました。すると三尺の開口《ひらきぐち》がギイーと開《あ》き、内から出て来ました女はお小姓姿、文金《ぶんきん》の高髷《たかまげ》、模様は確《しか》と分りませんが、華美《はで》な振袖で、大和錦《やまとにしき》の帯を締め、はこせこと云うものを帯へ挟んで居ります。器量も判然《はっきり》分りませんが、只色の真白《まっしろ》いだけは分ります。大藏は心の中《うち》で、ヤア女が出たな、お客来の時分に芸人を呼ぶと、毎《いつ》も下屋敷のお女中方が附いて来るが、是は上屋敷の女中かしらん、はてな何うして出たろう、此の掟の厳しいのに、今日《こんにち》のお客来で御蔵《おくら》から道具を出入《だしい》れするお掃除番が、粗忽《そこつ》で此の締りを開けて置いたかしらん、何にしろ怪《け》しからん事だと、段々側へ来て見ますと、塀外《へいそと》に今の男が立って居りますからハヽア、さてはお側近く勤むる侍と奥を勤めるお女中と密通をいたして居《お》るのではないかと存じましたから、後《あと》へ退《さが》って息を屏《ころ》して、密《そっ》と見て居りますと、彼《か》の女は四辺《あたり》をきょろ/\見廻しまして声を潜め、
女「春部《はるべ》さま、春部さま」
春「シッ/\、声を出してはなりません」
と制しました。
十六
お小姓姿の美しい者が眼に涙を浮《うか》めまして、
女「貴方まア私《わたくし》から幾許《いくら》お文《ふみ》を上げましても一度もお返辞のないのはあんまりだと存じます、貴方はもう亀井戸《かめいど》の事をお忘れ遊ばしたか、私はそればっかり存じて居りますけれども、掟が厳しいのでお目通りを致すことも出来ませんでしたが、今晩は宜《よ》い間《ま》にお目に懸れました」
春「他《ひと》に知れてはならんが、今夜は雪が降って来たので、廻りの者も自然役目を怠って、余りちょん/\叩いて廻らんようだが、先刻《さっき》ちょいと合図をしたから、ひょっと出て来ようと存じてまいったが、此の事が伯父に知れた日にア実に困るから、他《ひと》に知れんようにして私《わし》も会いたいと思うから、来年三月|宿下《やどさが》りの折に、又例の亀井戸の巴屋《ともえや》で緩《ゆっ》くり話を致しましょう」
女「宿下《やどさがり》の時と仰しゃっても、本当に七夕様のようでございますね、一年に一度しきゃアお目通りが出来ないのかと思いますと、此の頃では貴方の夢ばかり見て居りますよ、私《わたくし》は思いの儘なことを書いて置きましたから、これを篤《とっ》くり見て下されば分りましょう、私の身にかゝる事がございますからお持ち遊ばせ」
と渡す途端に後《うしろ》から突然《だしぬけ》に大声で、
大「火の廻り」
という。二人は恟《びっく》り致しまして、後《あと》へ退《の》き、女は慌《あわ》てゝ開き戸を締めて奥へ行《ゆ》く。彼《か》の春部という若侍も同じく慌てゝお馬場口の方へ遁《に》げて行く。大藏は密《そっ》と後《あと》へ廻って、三尺の開戸《ひらきど》を見ますと、慌てゝ締めずにまいったから、戸がばた/\煽《あお》るが、外から締りは附けられませんから石を支《か》って置きまして、独言《ひとりごと》に、
大「困ったな、女が手紙を出したようだが、男の方で取ろうという処を、己が大きな声で呶鳴《どな》ったから、驚いたものか文を落して行った、これは宜《よ》い物が手に入《い》った」
と懐へ入れて詰所へ帰り、是から同役と交代になります。
大「此の手紙をいつぞは用に立てよう」
と待ちに待って居りました。彼《か》の春部というものは、お小姓頭を勤め十五石三人扶持を領し、秋月の甥《おい》で、梅三郎《うめさぶろう》という者でございます。お目附の甥だけに羽振が宜しく、お父《とっ》さまは平馬《へいま》という。梅三郎は評判の美男《びなん》で、婀娜《あだ》な、ひんなりとした、芝居でいたせば家橘《かきつ》か上《のぼ》りの菊の助でも致しそうな好男《いゝおとこ》で、丁度其の月の二十八日、春部梅三郎は非番のことだから、用達《ようた》し旁々《かた/″\》というので、根津の下屋敷を出まして、上野の広小路で買物をいたし、今山下の袴腰《はかまごし》の方へ掛ろうとする後《うしろ》から、松蔭大藏が声をかけ
大「もし/\春部さま/\」
梅「あい、これは大藏殿かえ」
大「へえ、今日《こんにち》は好《よ》いお天気になりました、お非番でげすか」
梅「あゝ幸い非番ゆえ浅草へでもまいろうかと思う」
大「へえ私《わたくし》も今日《こんにち》は非番で、ま別に知己《しるべ》もありませんし、未《ま》だ当地の様子も不慣《ふなれ》でございますから、道を覚えて置かなければなりません、切《せ》めて小梅のお中屋敷へまいる道だけでも覚えようと存じて、浅草から小梅の方へまいろうと存じまして、実は頼合《たのみあわ》せてまいりました」
梅「然《そ》うかえ、三作《さんさく》はお前の相役《あいやく》だね」
大「へえ左様でござります、えゝ春部さま、貴方少々伺いたい儀がござりますが、決してお手間は取らせませんから、あの無極庵《むきょくあん》(有名の蕎麦店《そばや》)まで、えへ貴方少々御馳走に差上げるというは甚《はなは》だ御無礼な儀でござりますが、一寸《ちょっと》伺いたい儀がござりますから、お急ぎでなければ無極の二階までおいでを願います」
梅「別に急ぎも致さんが、何か馳走をされては困ります、お前は大分《だいぶ》下役の者へ馳走をして振舞うという噂があるが余り新役中に華美《はで》な事をせんが宜《よ》いと伯父も心配しています」
大「へえ、毎度秋月さま渡邊さまのお引立に因《よ》りまして、不肖の私《わたくし》が身に余る重役を仰付けられ、誠に有難いことで決してお手間は取らせませんから」
梅「いや又にいたそう」
大「どうか甚だ御無礼《ごむれい》でございますが何卒《どうぞ》願います、少々お屋敷の御家風の事に就《つい》て伺いたい儀がございます」
梅「左様か」
と素《もと》より温厚の人でございますから、強《た》ってと云うので、是から無極の二階へ通りました。追々|誂物《あつらえもの》の肴が出てまいりましたから、
大「女中今少しお話し申す事があるから、誰も此処《こゝ》へ参らんようにしてくれ、用があれば手を拍《う》って呼ぶから」
女中「はい、左様なれば此処を閉めましょうか」
大「いや、それは宜しい……えゝお急ぎの処をお引留め申して何とも恐入りました」
梅「あい何だえ、私《わし》に聞きたい事というのは」
大「えゝ、外でもござりませんが、お屋敷の御家風に就て伺いたい儀がござる、それと申すも拙者は何事も御家風を心得ません不慣《ふなれ》の身の上にて、斯様な役向《やくむき》を仰付けられ、身に余りて辱《かたじ》けない事と存じながら、慾には限りのないもので、何《ど》の様にも拙者身体の続くだけは御奉公致します了簡なれども、上役のお引立が無ければ迚《とて》も新参者《しんざんもの》などは出世が出来ません、渡邊殿は別段御贔屓を下さいますが、貴方の伯父御さまの秋月さまは未だ染々《しみ/″\》お言葉を戴きました事もないゆえ、大藏|疾《とう》より心懸けて居りますが、手蔓はなし、拠《よんどころ》なく今日《こんにち》迄打過ぎましたが、春部様からお声がゝりを願い、秋月様へお目通りを願いまして、お上《かみ》へ宜しくお執成《とりなし》を願いますれば拙者も慾ばかりではござらん、先祖へ対して此の上ない孝道かと存じますで、どうぞ伯父上へ貴方様から宜しく御推挙を願いたい」
梅「いや、それはお前無理だ、よく考えて見なさいお前は何か腕前が善《よ》いとか文道《ぶんどう》にも達して居《お》るとか、又品格といい応対といい、立派な侍の胤《たね》だけあって流石《さすが》だと家中の評も宜しいが、何ぞ功がなければ出世は出来ん、其の功と云うは他《ひと》に勝《すぐ》れた事があるとか、或《あるい》は屋敷に狼藉でも忍入《しのびい》った時に取押えたとか何かなければ迚《とて》もいかんが、如何に伯父甥の間柄でも、伯父に頼んで無理にあゝしてくれ、斯うしてくれと云っては依怙《えこ》の沙汰になって、それでは伯父も済まん訳だから、然《そ》ういう事で私《わし》を此処《これ》へ呼び寄せて、お前が馳走をして引立《ひきたて》を願うと云って、酒などを飲ましてくれちゃ誠に困る、斯様な事が伯父に知れると叱られますから御免……」
と云い棄てゝ立上る袖を押えて、
大「暫くお待ちを……此の身の出世ばかりでなく、斯《か》く申す大藏も聊《いさゝ》かお屋敷へ対して功がござる、それゆえ強《し》いて願いますわけで」
梅「功が有れば宜しい、何ういう功だ」
大「愚昧《ぐまい》の者にて何事も分りませんが、お屋敷の御家風は何ういう事でござろうか、罪の軽重《けいじゅう》を心得ませんが、先ず御家中内に罪あるものがござります時に、重き罪を軽く計らう方が宜しいか、罪は罪だから其の悪事だけの罪に罰するが宜しいか、私《わたくし
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