織「先ず御機嫌宜しゅう、えゝ過日は図らずも飛鳥山で何とも御迷惑をかけ、彼《あ》の折《おり》はあゝいう場所でござって、碌々お礼も申上げることが出来んで、屋敷へ帰っても此娘《これ》が又どうか早うお礼に出たいと申しまして、実に容易ならん御恩で、実に辱《かたじ》けない事で、彼の折は主名を明すことも出来ず、怖い事も恐ろしい事もござらんが、女連《おんなづれ》ゆえ大きに心配いたし居りました、実に其の折は意外の御迷惑をかけまして誠に相済みません事で」
大「いえ/\何う致しまして、再度お礼では却《かえ》って恐入ります、殊《こと》に御親子《ごしんし》お揃いで斯様な処へおいでは何とも痛入《いたみい》りましてござる」
織「えゝ此品《これ》は(と盆へ載せた品を前へ出し)[#「)」は底本では脱落]何《なん》ぞと存じましたが、御案内の通りで、下屋敷《しもやしき》から是までまいる間には何か調《とゝの》えます処もなく、殊に番退《ばんひ》けから間《ま》を見て抜けて参りましたことで、広小路へでも出たら何ぞ有りましょうが、是は誠にほんの到来物で、粗末ではござるが、どうか御受納下さらば……」
大「いや是は恐入ったことで……斯様な御心配を戴く理由《わけ》もなし、お辞《ことば》のお礼で十分、どうか品物の所は御免を蒙《こうむ》りとう、思召《おぼしめし》だけ頂戴致す」
織「いえ、それは貴方の御気象、誠に御無礼な次第ではあるけれども、ほんのお礼のしるしまでゞございますから、どうかお受け下さるように……甚《はなは》だ何《なん》でござるが御意《ぎょい》に適《かな》った色にでもお染めなすって、お召し下されば有難いことで、甚だ御無礼ではござるが……」
大「何《なん》ともどうも恐入りました訳でござる然《しか》らば折角の思召《おぼしめし》ゆえ此の羽二重だけは頂戴致しますが、只今の身の上では斯様な結構な品を購《と》るわけには迚《とて》もまいりません、併《しか》し此のお肴料《さかなりょう》とお記《しる》しの包は戴く訳にはまいりません」
織「左様でもござろうが、貴方が何《なん》でございますなら御奉公人にでもお遣《つか》わしなすって下さるように」
大「それは誠に恐入ります、嬢さま誠に何とも……」
竹「いえ親共と早くお礼に上《あが》りたいと申し暮し、私《わたくし》も種々《いろ/\》心ならず居りましたが、何分にも番がせわしく、それ故大きに遅れました、彼《あ》の節は何ともお礼の申そうようもございません、喜六やお前|一寸《ちょっと》此方《こちら》へ出て、宜くお礼を」
喜「はい旦那さま、彼《あ》の折《おり》は何ともはアお礼の云う様《よう》もござえません、私《わし》なんざアこれもう六十四になりますから、何もこれ彼奴等《あいつら》に打殺《ぶちころ》されても命の惜《おし》いわけはなし、只私の不調法から旦那様の御名義ばかりじゃアねえ、お屋敷のお名前まで出るような事があっちゃア済まねえと覚悟を極めて、私一人|打殺《ぶっころ》されたら事が済もうと思ってる所へ、旦那様が出て何ともはアお礼の申《もうし》ようはありません、見掛けは綺麗な優しげな、力も何もねえようなお前様が、大の野郎を打殺《うちころ》しただから、お侍は異《ちが》ったものだと噂をして居りました」
大「然《そ》う云われては却《かえ》って困る、これは御奉公人で」
喜「はい私《わし》ア何《なん》でござえます、お嬢さまが五才《いつゝ》の時から御奉公をして居り、長《なが》え間これ十五年もお附き申していますからお馴染《なじみ》でがす、彼《あ》の時お酒が一口出たもんだから、お供だで少し加減をすれば宜かったが、急いで飲《や》っつけたで、えら腹が空《へ》ったから、二合出たのを皆《み》な酌飲《くんの》んじまい、酔ぱらいになって、つい身体が横になったところから不調法をして、旦那様に御迷惑をかけましたが、先生さまのお蔭さまで助かりましたは、何ともお礼の申上げようはござえません」
織「えゝ今日《こんにち》は直《すぐ》にお暇《いとま》を」
大「何はなくとも折角の御入来《ごじゅうらい》、素《もと》より斯様な茅屋《ぼうおく》なれば別に差上《さしあげ》るようなお下物《さかな》もありませんが、一寸《ちょっと》詰らん支度を申し付けて置きましたから、一口上ってお帰りを」
織「いや思召《おぼしめし》は辱《かたじ》けないが、今日《こんにち》は少々急ぎますから、併《しか》し貴方様はお品格といい、先達《せんだっ》て三人を相手になすったお腕前は余程武芸の道もお心懸け、御熟練と御無礼ながら存じました、どうか承わりますれば新規お抱えに相成った權六と申す者と前々から知るお間柄ということを一寸屋敷で聞きましたが、御生国《ごしょうこく》は矢張《やはり》美作で」
大「はい、手前は津山の越後守家来で、父は松蔭大之進と申して、聊《いさゝ》か高も取りました者でござるが、父に少し届かん所がありまして、お暇《いとま》になりまして、暫《しばら》くの間|黒戸《くろと》の方へまいって居り又は權六の居りました村方にも居りました、それゆえに彼《あれ》とは知る仲でございます」
織「実にどうも貴方は惜《おし》いことで、大概忠臣二君に事《つか》えずと云う堅い御気象であらっしゃるから、立派な処から抱えられても、再び主《しゅう》は持たんというところの御決心でござるか」
大「いえ/\二君に仕《つか》えんなどと申すは立派な武士の申すことで、どうか斯うやって店借《たながり》を致して、売卜者《ばいぼくしゃ》で生涯|朽果《くちはて》るも心外なことで、仮令《たとえ》何様《どん》な下役小禄でも主取《しゅうと》りをして家名を立てたい心懸《こゝろがけ》もござりますが、これという知己《しるべ》もなく、手蔓等《てづるとう》もないことで、先達《せんだっ》て權六に会いまして、これ/\だと承わり、お前は羨《うらやま》しい事で、遠山の苗字を継いでもと米搗《こめつき》をしていた身の上の者が大禄《たいろく》を取るようになったも、全くお前の心懸《こゝろがけ》が良いので自然に左様な事になったので、拙者などは早く親に別れるくらいな不幸の生れゆえ、とても然《そ》ういう身の上には成れんが、何様《どん》な処でも宜しいから再び武家になりたい、口が有ったら世話をしてくれんかと權六にも頼んで置きましたくらいで、何《ど》の様な小禄の旗下《はたもと》でも宜しいが、お手蔓があるならば、どうか御推挙を願いたい、此の儀は權六にも頼んで置《おき》ましたが、御重役の尊公定めしお交際《つきあい》もお広いことゝ心得ますから」
織「承知致しました、えゝ宜しい、いや実に昔は何か貞女両夫に見《まみ》えずの教訓を守って居りましたが、却《かえ》ってそれでは御先祖へ対しても不孝にも相成ること、拙者主人|美作守《みまさか》は小禄でござるけれども、拙者これから屋敷へ立帰って主人へも話をいたしましょう、貴方の御器量は拙者は宜く承知しておるが、家老共は未《ま》だ知らんことゆえ、始めから貴方が越後様においでの時のように大禄という訳にはまいりません、小禄でも宜しくば心配をして御推挙いたしましょう」
大「どうもそれは辱《かたじ》けない事で」
 と是から互に酒を飲合って、快く其の日は別れましたが、妙な物で、助けられた恩が有るゆえ、織江が種々《いろ/\》周旋いたしたところから、丁度十日目に松蔭大藏の許《もと》へお召状《めしじょう》が到来致しましたことで、大藏|披《ひら》いて見ると。
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御面談|申度《もうしたき》儀|有之候《これありそうろう》間|明《みょう》十一日朝五つ時当屋敷へ御入来《ごじゅらい》有之候|様《よう》美作守《みまさかのかみ》申付候此段|得御意《ぎょいをえ》候以上
[#ここで字下げ終わり]
[#地から8字上げ]美作守内[#地付き、地より8字アキ]
    三月十日[#地から1字上げ]寺島兵庫
        松蔭大藏殿
 という文面で、文箱《ふばこ》に入って参りましたから、当人の悦びは一通りでございません、先ず請書《うけしょ》をいたし、是から急に支度にかゝり、小清潔《こざっぱり》した紋付の着物が無ければなりません、紋が少し異《ちが》っていても宜い、昌平《しょうへい》に描《か》かせても直《じき》に出来るだろうが、今日一日のことだからと有助を駈けさせて買いに遣《つか》わし、大小は素《もと》より用意《たしなみ》がありますから之を佩《さ》して、翌朝《よくあさ》の五つ時に虎の門のお上屋敷《かみやしき》へまいりますと、御門番には予《かね》て其の筋から通知がしてありますから、大藏を中の口へ通し中の口から書院へ通しました。

        十五

 御書院の正面には家老寺嶋兵庫、お留守居渡邊織江其の外お目附列座で新規お抱えのことを言渡し、拾俵五人扶持を下《くだ》し置かるゝ旨のお書付を渡されました。其のお書付には高《たか》拾俵五人扶持と筆太に書いて、宛名は隅の方へ小さく記してござります。織江から来《きた》る十五日御登城の節お通り掛けお目見え仰付《おおせつ》けらるゝ旨、且《かつ》上屋敷に於てお長家《ながや》を下し置かるゝ旨をも併《あわ》せて達しましたので、大藏は有難きよしのお受《うけ》をして拝領の長家へ下《さが》りました。織江が飛鳥山で世話になった恩返しの心で、御不自由だろうから是もお持ちなさい、彼《あれ》もお持ちなさいと種々《いろ/\》な品物を送ってくれたので、大藏は有難く心得て居りました。其の中《うち》十五日がまいると、朝五つ時の御登城で、其の日大藏は麻上下《あさがみしも》でお廊下に控えていると、軈《やが》てごそり/\と申す麻上下と足の音がいたす、平伏をする、というのでお目見えというから読んで字の如く目で見るのかと存じますと、足音を聞くばかり、寧《むし》ろお足音拝聴と申す方が適当であるかと存じます。併《しか》し当時《そのころ》では是すら容易に出来ませんことで、先ず滞《とゞこお》りなくお目見えも済み、是から重役の宅を廻勤《かいきん》いたすことで、是等《これら》は総《すべ》て渡邊織江の指図でございますが、羽振の宜《よ》い渡邊織江の引力でございますから、自《おのず》から人の用いも宜しゅうございますが、新参のことで、谷中のお下屋敷詰《しもやしきづめ》を申付けられました。始《はじま》りはお屋敷|外《そと》を槍持六尺棒持を連れて見廻らんければなりません、槍持は仲間部屋《ちゅうげんべや》から出ます、棒持の方は足軽部屋から出《で》て[#「出《で》て」は底本では「出《で》で」]、甃石《いし》の処をとん/\とん/\敲《たゝ》いて歩《あ》るく、余り宜《い》い役ではありません、芝居で演じましても上等役者は致しません所の役で、それでも拾俵の高持《たかもち》になりました。所が大藏如才ない人で、品格があって弁舌愛敬がありまして、一寸《ちょっと》いう一言《ひとこと》に人を感心させるのが得意でございますから、家中《かちゅう》一般の評判が宜しく、
甲「流石《さすが》は渡邊|氏《うじ》の見立《みたて》だ、あれは拾俵では安い、百石がものはあるよ」
乙「いゝえ何《なん》でげす、家老や用人よりは中々腕前が良いそうだが、全体|彼《あれ》を家老にしたら宜かろう」
 などと種々《いろ/\》なことを云います。大藏は素《もと》より気が利いて居りますから、雨でも降るとか雪でも降ります時には、部屋へ来まして
大「一盃《いっぱい》飲むが宜《よ》い、今日《こんにち》は雪が降って寒いから巡検《おまわり》は私《わし》一人で廻ろう、なに槍持ばかりで宜しい、此の雪では誰も通るまいから咎める者も無かろう、私一人で宜しい、これで一盃飲んでくれ」
 と金《かね》びらを切りまして、誠に手当が届くから、寄ると触ると大藏の評判で、
甲「野上《のがみ》イ」
乙「えゝ」
甲「今度新規お抱えになった松蔭様はえらいお方だね」
乙「彼《あれ》は別だね一寸《ちょっと》来ても寒かろう、一盃飲んだら宜かろうと、仮令《たとえ》二百でも三百でも銭を投出して目鼻の明く処は、どうも苦労した人は違うな、一体御当家様よ
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