と云うので、本山寺という寺へまいりまして、和尚さまに掛合いますと、方丈も大きに感心して、そんならばと、是れから大施餓鬼《おおせがき》を挙げました。多分に施行も出しました事でございまして、彼《か》の砕けた皿を後世のためにと云うので、皿山の麓方《ねがた》のこんもりとした小高き処へ埋《うず》めて、標《しる》しを建て、これを小皿山《こざらやま》と[#「小皿山と」は底本では「小皿山を」]名づけました。此の皿山は人皇《にんのう》九十六代|後醍醐天皇《ごだいごてんのう》、北條九代の執権《しっけん》相摸守高時《さがみのかみたかとき》の為めに、元弘《げんこう》二年三月|隠岐国《おきのくに》へ謫《てき》せられ給いし時、美作の国久米の皿山にて御製《ぎょせい》がありました「聞き置きし久米の皿山越えゆかん道とはさらにおもひやはせむ」と太平記に出てありますと、講談師の放牛舎桃林《ほうぎゅうしゃとうりん》に聞きましたが、さて此の事が追々世間に知れて来ますと、他人《ひと》が尊《とうと》く思い、尾に尾を付けて云い囃《はや》します。時に明和《めいわ》の元年、勝山の御城主にお成りなさいました粂野美作守さまのお城普請《しろ
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