押損《おしそこ》なったら仕方がない、九段坂を昇ろうとする荷車見たように後《あと》へも前《さき》へも往《ゆ》けません。とうとう藤本の寄席へ材木を押込むような事が出来ます。こゝで大藏がお秋の方の実父山路宗庵は町医でこそあれ、古方家《こほうか》の上手でありますから、手に手を尽して山路をお抱えになすったら如何《いかゞ》と申す評議になりますと、秋月は忠義な人でございますから、それは怪《け》しからん事、他から医を入れる事は容易ならん事にて、お薬を一々毒味をして差上げる故に、医は従来のお医者か然《さ》も無くば匙《さじ》でも願うが宜いと申して承知致しませんから、如何《いかゞ》致したら宜かろうと思っていました。すると九月十日に、駒込白山前に小金屋源兵衞《こがねやげんべえ》という飴屋があります、若様のお少《ちい》さい時分お咳が出ますと水飴を上げ、又はお風邪でこん/\お咳が出ると水飴を上ります。こゝで神原五郎治《かんばらごろうじ》と神原四郎治《かんばらしろうじ》兄弟の者と大藏と三人打寄り、額《ひたえ》を集め鼎足《みつがなわ》で談《はなし》を致しました時に、人を遠ざけ、立聞きを致さんように襖障子を開広《あけひ
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