て残暑が強く皆様御機嫌よろしゅう、此方《こちら》は風がよく入りますからいらっしゃいまし」
 源次郎は小声になり、
「孝助は昨夜《ゆうべ》の事を喋《しゃべ》りはしないかえ」
國「いえサ、孝助が屹度《きっと》告口《つげぐち》をしますだろうと思いましたに、告口をしませんで、殿様に屋根瓦が落ちて頭へ当り怪我をしたと云ってね、其の時|私《わたくし》は弓の折《おれ》で打《ぶ》たれたと云わなければよいと胸が悸動《どき/\》しましたが、あの事は何《なん》とも云いませんが、云わずにいるだけ訝《おか》しいではありませんか」
 と小声で云って、態《わざ》と大声で、
國「お熱い事この節のように熱くっては仕方がありません」
 又小声になり。
國「いえ、それに水道端の相川新五兵衞様の一人娘のお徳様が、宅《うち》の草履取の孝助に恋煩いをしているとサ、まア本当に茶人《ちゃじん》も有ったものですねえ、馬鹿なお嬢様だよ、それからあの相川の爺さんが汗をだく/\流しながら、殿様に願って孝助をくれろと頼むと、殿様も贔屓《ひいき》の孝助だから上げましょうと相談が出来まして、相川は帰りましたのですよ、そうして、今日は相川で結納の取交《とりかわ》せになるのですとさ」
源「それじゃア宜《よろ》しい、孝助が往《い》って仕舞えば仔細《しさい》はない」
國「いえサ、水道端の相川へ養子にやるのに、宅《うち》の殿様がお里に成《た》って遣《や》るのだからいけませんよ、そうすると、彼奴《あいつ》が此の家《うち》の息子の風《ふう》をしましょう、草履取でさえ随分ツンケンした奴だから、そうなれば屹度《きっと》この間の意趣《いしゅ》を返すに違いはありません、何《なん》でも彼奴が一件を立聞《たちぎき》したに違いないから、貴方《あなた》何《ど》うかして孝助|奴《め》を殺して下さい」
源「彼奴は剣術が出来るから己《おれ》には殺せないよ」
國「貴方は何故《なぜ》そう剣術がお下手だろうねえ」
源「いゝや、それには旨い事がある、相川のお嬢には宅《うち》の相助《あいすけ》という若党が大層に惚れて居るから、彼《あれ》を旨く欺《だまか》し、孝助と喧嘩をさせて置き、後《あと》で喧嘩両成敗だから、己《おい》らの方で相助を追い出せば、伯父さんも義理で孝助を出すに違いないが、就《つ》いちゃア明日《あした》伯父|様《さん》と一緒に帰って来ては困るが、孝助が独《ひとり》で先へ帰る訳には出来まいか」
國「それは訳なく出来ますとも、私《わたくし》が殿様に用がありますから先へ帰して下さいましといえば、屹度《きっと》先へ帰して下さるに違いはありませんから、大曲《おおまが》りあたりで待伏《まちぶ》せて彼奴《あいつ》をぽか/\お擲《なぐ》りなさい」
 大声を出して、
國「誠におそう/\様で、左様なら」
 源次郎は屋敷に帰ると直《すぐ》に男部屋へ参ると、相助は少し愚者《おろかもの》で、鼻歌でデロレンなどを唄っている所へ源次郎が来て、
源「相助、大層精が出るのう」
相「オヤ御二男《ごじなん》様、誠に日々お熱い事でございます、当年は別してお熱いことで」
源「熱いのう、其方《そち》は感心な奴だと常々兄上も褒《ほ》めていらっしゃる、主用《しゅよう》がなければ自用《じよう》を足し、少しも身体に隙《すき》のない男だと仰しゃっている、それに手前は国に別段|親族《みより》もない事だから、当家が里になり、大した所ではないが相応な侍の家《うち》へ養子にやる積りだよ」
相「恐れ入ります、何《なん》ともはや誠にどうも恐れ入りますなア、殿様と申し貴方《あなた》と申し、不束《ふつゝか》な私《わたくし》をそれ程までに、これははや口ではお礼が述べきれましねえ、何ともヘイ分らなく有難うございます、それだが武士に成るにゃア私もいろはのいの字も知んねえもんだから誠に困るんで」
源「実は貴様も知っている水道端の相川のう、彼処《あすこ》にお徳という十八ばかりの娘があるだろう、貴様を彼処の養子に世話をしてやろうと兄上が仰しゃった」
相「これははやモウどうも、本当でごぜえますか、はやどうも、あのくれえなお嬢様は世間にはないと思います、頬辺《ほうぺた》などはぽっとして尻などがちま/\として、あのくれえな美《い》いお嬢様はたんとはありましねえ」
源「向うは高《たか》が寡《すけ》ないから、若党でも何《なん》でもよいから、堅い者なればというのだから、手前なれば極《ごく》よかろうとあらまし相談が整った所が、隣の草履取の孝助めが胡麻をすった為に、縁談が破談となってしまった、孝助が相川の男部屋へ行ってあの相助はいけない奴で、大酒飲《おおざけのみ》で、酒を飲むと前後を失ない、主人の見さかいもなく頭をぶち、女郎は買い、博奕《ばくち》は打ち、其の上|盗人《ぬすっと》根性があると云ったもんだから、相川も厭気《いやき》になり、話が縺《もつ》れて、今度は到頭《とうとう》孝助が相川の養子になる事に極《きま》り、今日結納の取交《とりかわ》せだとよ、向うでは草履取でさえ欲しがるところだから、手前なれば真鍮《しんちゅう》でも二本さす身だから、きっと宜《よ》かったに違いはない、孝助は憎い奴だ」
相「なんですと、孝助が養子になると、憎《にッ》こい奴でごじいます、人の恋路《こいじ》の邪魔をすればッて、私《わたくし》が盗人根性があって、お負けに御主人の頭を打《にや》すと、何時《いつ》私が御主人の頭を打しました」
源「己《おれ》に理窟を云っても仕方がない」
相「残念、腹が立ちますよ、憎《にッ》こい孝助だ。只《たゞ》置きましねえ」
源「喧嘩しろ/\」
相「喧嘩しては叶《かな》いましねえ、彼奴《あいつ》は剣術《きんじゅつ》が免許《みんきょ》だから剣術は迚《とて》も及びましねえ」
源「それじゃア田中《たなか》の中間《ちゅうげん》の喧嘩の龜藏《かめぞう》という奴で、身体中|疵《きず》だらけの奴がいるだろう、彼《あれ》と藤田《ふじた》の時藏《ときぞう》と両人《ふたり》に鼻薬をやって頼み、貴様と三人で、明日《あした》孝助が相川の屋敷から一人で出て来る所を、大曲りで打殺《ぶちころ》しても構わないから、ぽか/\擲《なぐ》りにして川へ投《ほう》りこめ」
相「殺すのは可愛相《かわいそう》だが、打《にや》してやりてえなア、だが喧嘩をした事が知れゝば何《ど》うなりますか」
源「そうさ、喧嘩をした事が知れゝば、己《おれ》が兄上にそう云うと、兄上は屹度《きっと》不届《ふとゞき》な奴、相助を暇《いとま》にしてしまうと仰しゃってお暇に成るだろう」
相「お暇に成っては詰《つま》りましねえ、止《よ》しましょう」
源「だがのう、此方《こちら》で貴様に暇を出せば、隣でも義理だから孝助に暇を出すに違いない、彼奴《あいつ》が暇になれば相川でも孝助は里がないから養子に貰う気遣《きづか》いはない、其の内此方では手前を先へ呼返《よびかえ》して相川へ養子にやる積《つもり》だ」
相「誠にお前様《めえさま》、御親切が恐れ入り奉ります」
 というから、源次郎は懐中より金子《きんす》若干《いくらか》を取出し、
源「金子をやるから龜藏たちと一杯呑んでくれ」
相「これははや金子《けんす》まで、これ戴いてはすみましねえ、折角の思召《おぼしめ》しだから頂戴いたして置きます」
 これから相助は龜藏と時藏の所へ往《ゆ》き此の事を話すと、面白半分にやッつけろと、手筈《てはず》の相談を取極《とりき》めました。さて飯島平左衞門はそんな事とは知らず、孝助を供につれ、御番からお帰りに成りました。
國「殿様今日は相川様の所へ孝助の結納でお出《い》でになりますそうですが、少しお居間の御用が有りますからお送り申したら、孝助は殿様よりお先へお帰し下さいまし、用が済み次第|直《すぐ》に又お迎いに遣《つか》わしましょう」
 という飯島は
「よし/\」
 と孝助を連れて相川の宅《うち》へ参りましたが相川は極《ごく》小さい宅で、
孝「お頼み申します/\」
相「ドーレ、これ善藏や玄関に取次が有るようだ、善藏居ないか、何処《どこ》へ行ったんだ」
婆「あなた、善藏はお使いにおやり遊ばしたではありませんか」
相「己《おれ》が忘れた、牛込の飯島様がお出《い》でに成ったのかも知れない、煙草盆へ火を入れてお茶の用意をして置きな、多分孝助殿も一緒に来たかも知れないから、お徳に其の事を云いな、これ/\お前よく支度をして置け、己が出迎いをしよう」
 と玄関まで出て参り、
相「これは殿様|大分《だいぶ》お早くどうぞ直《すぐ》にお上《あが》りを願います、へい誠に此の通り見苦しい所孝助殿も、御挨拶は後《あと》でします」
 相川はいそ/\と一人で喜び、コッツリと柱に頭を打付《ぶッつ》け、アイタヽ、兎に角|此方《こちら》へと座敷へ通し、
「さて残暑お熱い事でございます、又|昨日《さくじつ》は上《あが》りまして御無理を願ったところ、早速にお聞済《きゝず》み下され有がとう存じます」
飯「昨日はお草々《そう/\》を申しました、如何《いか》にもお急ぎなさいましたから御酒《ごしゅ》も上げませんで、大《おお》きにお草々申上げました」
相「あれから帰りまして娘に申し聞けまして、殿様がお承知の上孝助殿を聟《むこ》にとる事に極って、明日《あす》は殿様お立合の上で結納|取交《とりかわ》せになると云いますと、娘は落涙《らくるい》をして悦びました、と云うと浮気の様ですが、そうではない、お父様《とっさま》を大事に思うからとは云いながら、只今まで御苦労を掛けましたと申しますから、早く丈夫にならなければいけない孝助殿が来るからと申して、直《すぐ》に薬を三|服《ぶく》立付《たてつ》けて飲ませました、それからお粥《かゆ》を二膳半食べました、それから今日はナ娘がずっと気分が癒《なお》って、お父様こんなに見苦しい形《なり》でいては、孝助さまに愛想《あいそう》を尽かされるといけませんからというので、化粧をする、婆アもお鉄漿《はぐろ》を附けるやら大変です、私《わたくし》も最早《もはや》五十五歳ゆえ早く養子をして楽がしたいものですから、誠に耻入った次第でございますが、早速《さっそく》のお聞済《きゝず》み、誠に有難う存じます」
飯「あれから孝助に話しましたところ、当人も大層に悦び、私《わたくし》の様な不束者《ふつゝかもの》をそれ程までに思召《おぼしめ》し下さるとは冥加至極《みょうがしごく》と申してナ、大概《あらかた》当人も得心いたした様子でな」
相「いやもう、あの人は忠義だから否《いや》でも殿様の仰しゃる事なら唯《はい》と云って言う事を聞きます、あの位な忠義な人はない、旗下《はたもと》八万騎の多い中にも恐らくはあの位な者は一人もありますまい、娘がそれを見込みましたのだ、善藏はまだ帰らないか、これ婆ア」
婆「なんでございます」
相「殿様に御挨拶をしないか」
婆「御挨拶をしようと思っても、貴方《あなた》がせか/\している者だから御挨拶する間《ま》もありはしません、殿様、御機嫌|様《さま》よう入《いら》っしゃいました」
飯「これは婆《ばあ》やア、お徳様が長い間《あいだ》御病気の所、早速の御全快誠にお目でたい、お前も心配したろう」
婆「お蔭様《かげさま》で、私《わたくし》はお嬢様のお少《ちい》さい時分からお側にいて、お気性も知って居りますのに何《なん》とも仰しゃらず、漸《やっ》と此の間分ったので殿様に御苦労をかけました、誠に有がとうございます」
相「善藏はまだ帰らないか、長いなア、お菓子を持って来い、殿様御案内の通り手狭でございますから、何かちょっと尾頭附《おかしらつき》で一|献《こん》差上げたいが、まアお聞き下さい、此の通り手狭ですからお座敷を別にする事も出来ませんから、孝助殿も此処《こゝ》へ一緒にいたし、今日は無礼講《ぶれいこう》で御家来でなく、どうか御同席で御酒《ごしゅ》を上げたい、孝助は私《わたくし》が出迎えます」
飯「なに私《わたくし》が呼びましょう」
相「ナアニあれは私《わたくし》の大事な聟で、死水《しにみず》を取ってもらう大事な養子だから」
 と立上《たちあが》り、玄関まで出
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