迎え、
相「孝助殿誠に宜《よ》く、いつもお健《すこやか》に御奉公、今日はナ無礼講で、殿様の側で御酒、イヤなに酒は呑めないから御膳を一寸《ちょっと》上げたい」
孝「是は相川様御機嫌よろしゅう、承ればお嬢様は御不快の御様子、少しはお宜《よろ》しゅうございますか」
相「何を云うのだお前の女房をお嬢様だのお宜しいもないものだ」
飯「そんな事を云うと孝助が間《ま》を悪《わ》るがります、孝助折角の思召《おぼしめ》し、御免を蒙《こうむ》って此方《こちら》へ来い」
相「成程立派な男で、中々フウ、へえ、さて昨日は殿様に御無理を願い早速お聞済《きゝず》み下さいましたが、高《たか》は寡《すく》なし娘は不束《ふつゝか》なり、舅《しゅうと》は知っての通りの粗忽者《そこつもの》、実に何《なん》と云って取る所はないだろうが、娘がお前でなければならないと煩《わずら》う迄に思い詰めたというと、浮気なようだが然《そ》うではない、あれが七歳《なゝつ》の時母が死んで、それから十八まで私《わし》が育《そだ》った者だから、あれも一人の親だと大事に思い、お前の心がけのよい、優しく忠義な所を見て思い詰め病となった程だ、どうかあんな奴でも見捨てずに可愛《かわい》がってやっておくれ、私《わたし》は直《すぐ》にチョコ/\と隠居して、隅《すみ》の方《ほう》へ引込《ひっこ》んでしまうから、時々少々ずつ小遣《こづかい》をくれゝばいゝ、それから外《ほか》に何もお前に譲る物はないが、藤四郎吉光《とうしろうよしみつ》の脇差《わきざし》が有る、拵《こしら》えは野暮《やぼ》だが、それだけは私の家《うち》に付いた物だからお前に譲る積りだ、出世はお前の器量にある」
飯「そういうと孝助が困るよ、孝助も誠に有難い事だが、少し仔細があって、今年一ぱい私の側で奉公したいと云うのが当人の望《のぞみ》だから、どうか当年一ぱいは私の手元に置いて、来年の二月に婚礼をする事に致したい、尤《もっと》も結納だけは今日致して置きます」
相「へい来年の二月では今月が七月だから、七八九十十一十二|正《しょう》二と今から八ヶ月|間《あいだ》があるが、八ヶ月では質物《しつもつ》でも流れて仕舞うから、余り長いなア」
飯「それは深い訳が有っての事で」
相「成程、あゝ感服だ」
飯「お分りに成りましたか」
相「それだから孝助に娘の惚れるのも尤《もっと》もだ、娘より私が先へ惚れた、それは斯《こ》うでしょう、今年一ぱい貴方《あなた》のお側で剣術を習い、免許でも取るような腕に成る積りだろう、是《こ》れは然《そ》うなくてはならない、孝助殿の思うにはなんぼ自分が怜悧《りこう》でも器量があるにした処《ところ》が、少《すけ》なくも禄《ろく》のある所へ養子にくるのだから土産《みやげ》がなくてはおかしいと云うので、免許か目録の書付《かきつけ》を握って来る気だろう、それに違いない、あゝ感服、自分を卑下《ひげ》した所が偉いねえ」
孝「殿様、私《わたくし》は一寸《ちょっと》お屋敷へ帰って参ります」
相「行《ゆ》くのは御主用《ごしゅよう》だから仕方がないが、何もないが一寸《ちょっと》御膳を上げます少し待ってお呉れ、善藏まだか、長いのう、だが孝助殿、又|直《すぐ》に帰って来るだろうが主用だから来られないかも知れないから、一寸奥の六畳へ行って徳に逢ってやっておくれ、徳が今日はお白粉《しろい》を粧《つ》けて待っていたのだから、お前に逢わないと粧けたお白粉が徒《むだ》になってしまう」
飯「そう仰しゃると孝助が間《ま》をわるがります」
相「兎に角アレサどうか一寸逢わせて」
飯「孝助あゝ仰しゃるものだから一寸お嬢様にお目通りして参れ、まだ此方《こちら》へ来ない間《うち》は、手前は飯島の家来孝助だ、相川のお嬢様の所へ御病気見舞に行《ゆ》くのだ、何をうじ/\している、お嬢様の御病気を伺《うかゞ》って参れ」
 といわれ孝助は間を悪がってへい/\云っていると、
婆「此方《こちら》へどうぞ、御案内を致します」
 とお徳の部屋へ連れて来る。
孝「これはお嬢様長らく御不快の処《ところ》、御様子は如何様《いかゞさま》でございますか、お見舞を申し上げます」
婆「孝助様どうかお目を掛けられて下さいまし、お嬢様孝助様が入らっしゃいましたよ、アレマア真赤《まっか》に成って、今まで貴方《あなた》が御苦労をなすったお方じゃアありませんか、孝助様がお出《い》でに成ったらお怨《うらみ》を云うと仰しゃったに、唯《たゞ》真赤に成ってお尻で御挨拶なすってはいけません」
孝「お暇《いとま》を申します」
 と挨拶をして主人の所へ参り、
孝「一旦《いったん》御用を達《た》して、早く済みましたら又|上《あが》ります」
相「困ったねえ、暗くなったが何が有るかえ」
孝「何がとは」
相「何サ提灯《ちょうちん》があるかえ」
孝「提灯は持って居ります」
相「何が無いと困るがあるかえ、何サ蝋燭《ろうそく》があるかえ、何有るとえ、そんなら宜《よろ》しい」
 孝助は暇乞《いとまごい》をして相川の邸《やしき》を立出《たちい》で、大曲りの方を通れば、前に申した三人が待伏《まちぶせ》をして居るのだが、孝助の運が強かったと見え、隆慶橋《りゅうけいばし》を渡り、軽子坂《かるこざか》から邸《やしき》へ帰って来た。
孝「只今帰りました」
 というからお國は驚いた。なんでも今頃は孝助が大曲り辺で、三人の中間《ちゅうげん》に真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀で打《ぶ》たれて殺されたろうと思っている所へ、平常《ふだん》の通りで帰って来たから、
國「おや/\どうして帰ったえ」
孝「貴方様《あなたさま》がお居間の御用があるから帰れと仰しゃったから帰って参りました」
國「何処《どこ》から何《ど》うお帰りだ」
孝「水道端を出て隆慶橋を渡り、軽子坂を上《あが》って帰って来ました」
國「そうかえ、私《わたし》ゃ又今日は相川様でお前を引留《ひきと》めて帰る事が出来まいと思ったから、御用は済ませて仕舞ったから、お前は直《すぐ》に殿様のお迎いに行《ゆ》っておくれ、そして若《も》しお前がお迎いに行《ゆ》かない間《うち》にお帰りになるかも知れないよ、お前|外《ほか》の道を行《い》って、途中でお目に懸らないといけない、殿様は何時《いつ》でも大曲りの方をお通りになるから、あっちの方から行《ゆ》けば途中で殿様にお目に懸るかも知れない、直に行《い》っておくれ」
孝「へい、そんなら帰らなければよかった」
 と再び屋敷を立出《たちい》で、大曲りへかゝると、中間《ちゅうげん》三人は手に/\真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を捻《ひね》くり待ちあぐんでいたのも道理、来《こ》ようと思う方《ほう》から来ないで、後《あと》の方から花菱《はなびし》の提灯《ちょうちん》を提《さ》げて来るのを見付け、慥《たしか》に孝助と思い、相助はズッと進んで、
相「やい待て」
孝「誰だ、相助じゃねえか」
相「おゝ相助だ、貴様と喧嘩しょうと思って待っていたのだ」
孝「何をいうのだ、唐突《だしぬけ》に、貴様と喧嘩する事は何もねえ」
相「汝《おの》れ相川様へ胡麻《ごま》アすりやアがって、己《おれ》の養子になる邪魔をした、そればかりでなくおれの事を盗人《ぬすっと》根性があると云やアがったろう、どう云う訳で胡麻を摺《す》って、手前《てめえ》があのお嬢様の処《ところ》へ養子に行《ゆ》こうとする、憎《にッこ》い奴、外《ほか》の事とは違う、盗人根性があると云ったから喧嘩するから覚悟しろ」
 と争って居る横合《よこあい》から、龜藏が真鍮巻の木刀を持って、いきなり孝助の持っている提灯を叩き落す、提灯は地に落ちて燃え上る。
龜「手前《てまえ》は新参者の癖に、殿様のお気に入りを鼻に懸け、大手を振って歩きやアがる、一体《いってえ》貴様は気に入らねえ奴だ、この畜生め」
 と云いながら孝助の胸《むな》ぐらを取る。孝助は此奴等《こいつら》は徒党《ととう》したのではないかと、透《すか》して向うを見ると、溝《どぶ》の縁《ふち》に今一人|踞《しゃが》んで居るから、孝助は予《か》ねて殿様が教えて下さるには、敵手《あいて》の大勢の時は慌《あわ》てると怪我をする、寝て働くがいゝと思い、胸ぐらを取られながら、龜藏の油断を見て前袋《まえぶくろ》に手がかゝるが早いか、孝助は自分の体《からだ》を仰向《あおむ》けにして寝ながら、右の足を上げて龜藏の睾丸《きんたま》のあたりを蹴返《けかえ》せば、龜藏は逆筋斗《さかとんぼう》を打って溝《どぶ》の縁へ投げ付けられるを、左の方《ほう》から時藏相助が打ってかゝるを、孝助はヒラリと体《からだ》を引外《ひきはず》し、腰に差《さし》たる真鍮巻の木刀で相助の尻の辺《あたり》をドンと打《ぶ》つ。相助|打《ぶ》たれて気が逆上《のぼ》せ上《あが》るほど痛く、眼も眩《くら》み足もすわらず、ヒョロ/\と遁出《にげだ》し溝《どぶ》へ駆け込む。時藏も打《ぶ》たれて同じく溝へ落ちたのを見て、
孝「やい、何をしやアがるのだ、サア何奴《どいつ》でも此奴《こいつ》でも来い飯島の家来には死んだ者は一|疋《ぴき》も居ねえぞ、お印物《しるしもの》の提灯を燃やしてしまって、殿様に申訳《もうしわけ》がないぞ」
飯「まア/\もう宜《よろ》しい、心配するな」
孝「ヘイ、これは殿様どうしてこゝへ、私《わたくし》がこんなに喧嘩をしたのを御覧遊ばして、又私が失錯《しくじ》るのですかなア」
飯「相川の方《ほう》も用事が済んだから立帰《たちかえ》って来たところ、此の騒ぎ、憎い奴と思い、見ていて手前が負けそうなら己《おれ》が出て加勢をしようと思っていたが、貴様の力で追い散らして先《ま》ず宜《よ》かった、焼落《やけお》ちた提灯を持って供をして参れ」
 と主従|連立《つれだ》って屋敷へお帰りに成ると、お國は二度|恟《びっく》りしたが、素知らぬ顔で此の晩は済んでしまい、翌朝《よくあさ》になると隣の源次郎が済《すま》してやってまいり、
源「伯父様お早うございます」
飯「いや、大分《だいぶ》お早いのう」
源「伯父様、昨晩大曲りで御当家の孝助と私共《わたくしども》の相助と喧嘩を致し、相助はさん/″\に打《う》たれ、ほう/\の体《てい》で逃げ帰りましたが、兄上が大層に怒り、怪《け》しからん奴だ、年甲斐もないと申して直《すぐ》に暇《いとま》を出しました、就《つ》いては喧嘩両成敗の譬《たとえ》の通り、御当家の孝助も定めてお暇になりましょう、家来の身分として私《わたくし》の遺恨《いこん》を以《もっ》て喧嘩などをするとは以ての外《ほか》の事ですから、兄の名代《みょうだい》で一寸《ちょっと》念の為《た》めにお届《とゞけ》にまいりました」
飯「それは宜《よろ》しい、昨晩《ゆうべ》のは孝助は悪くはないのだ、孝助が私の供をして提灯を持って大曲りへ掛ると、田中の龜藏、藤田の時藏お宅《うち》の相助の三人が突然《いきなり》に孝助に打ってかゝり、供前《ともまえ》を妨《さまた》ぐるのみならず、提灯を打落《うちお》とし、印物《しるしもの》を燃《もや》しましたから、憎い奴、手打にしようと思ったが、隣《となり》づからの中間《ちゅうげん》を切るでもないと我慢をしているうちに、孝助が怒《おこ》って木刀で打散《うちゝ》らしたのだから、昨夕《ゆうべ》のは孝助は少しも悪くはない、若《も》し孝助に遺恨があるならばなぜ飯島に届けん、供先《ともさき》を妨げ怪《け》しからん事だ、相助の暇に成るは当然《あたりまえ》だ、彼《あれ》は暇を出すのが宜《よろ》しい、彼奴《あいつ》を置いては宜しくありませんとお兄《あにい》さまに申し上げな、是から田中、藤田の両家へも廻文《かいぶん》を出して、時藏、龜藏も暇を出させる積りだ」
 と云い放し、孝助ばかり残る事になりましたから、源次郎も当てが外《はず》れ、挨拶も出来ない位な始末で、何《なん》ともいう事が出来ず邸《やしき》へ帰りました。

        十

 さて彼《か》の伴藏は今年三十八歳、女房おみねは三十五歳、互《たがい》に貧乏|世帯《じょたい》を張るも萩原新三郎のお蔭《かげ》にて、或時《あるとき》は畑
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