を耘《うな》い、庭や表のはき掃除などをし、女房おみねは萩原の宅《たく》へ参り煮焚《にたき》洒《すゝ》ぎ洗濯やお菜《かず》ごしらえお給仕などをしておりますゆえ、萩原も伴藏夫婦には孫店《まごだな》を貸しては置けど、店賃《たなちん》なしで住まわせて、折々《おり/\》は小遣《こづかい》や浴衣《ゆかた》などの古い物を遣《や》り、家来同様使っていました。伴藏は懶惰《なまけ》ものにて内職もせず、おみねは独りで内職をいたし、毎晩八ツ九ツまで夜延《よなべ》をいたしていましたが、或晩《あるばん》の事|絞《しぼ》りだらけの蚊帳《かや》を吊《つ》り、この絞りの蚊帳というは蚊帳に穴が明いているものですから、処々《ところ/″\》観世縒《かんじんより》で括《しば》ってあるので、其の蚊帳を吊り、伴藏は寝※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、92−4]《ねござ》を敷き、独りで寝ていて、足をばた/\やっており、蚊帳の外では女房が頻《しき》りに夜延をしていますと、八ツの鐘がボンと聞え、世間はしんと致し、折々清水の水音が高く聞え、何《なん》となく物凄《ものすご》く、秋の夜風の草葉にあたり、陰々寂寞《いん/\せきばく》と世間が一体にしんと致しましたから、此の時は小声で話をいたしても宜《よ》く聞えるもので、蚊帳の中《うち》で伴藏が、頻りに誰《たれ》かとこそ/\話をしているに、女房は気がつき、行灯《あんどう》の下影《したかげ》から、そっと蚊帳の中《うち》を差覗《さしのぞ》くと、伴藏が起上《おきあが》り、ちゃんと坐り、両手を膝についていて、蚊帳の外には誰《だれ》か来て話をしている様子は、何《なん》だかはっきり分りませんが、何《ど》うも女の声のようだから訝《おか》しい事だと、嫉妬《やきもち》の虫がグッと胸へ込み上げたが、年若とは違い、もう三十五にもなる事ゆえ、表向《おもてむき》に悋気《りんき》もしかねるゆえ、余《あんま》りな人だと思っているうちに、女は帰った様子ゆえ何《なん》とも云わず黙っていたが、翌晩も又来てこそ/\話を致し、斯《こ》ういう事が丁度三晩の間続きましたので、女房ももう我慢が出来ません、ちと鼻が尖《とん》がらかッて来て、鼻息が荒くなりました。
伴「おみね、もう寝ねえな」
みね「あゝ馬鹿々々しいやね、八ツ九ツまで夜延をしてさ」
伴「ぐず/\いわないで早く寝ねえな」
みね「えい、人が寝ないで稼いでいるのに、馬鹿々々しいからサ」
伴「蚊帳の中へへいんねえな」
 おみねは腹立《はらたち》まぎれにズッと蚊帳をまくって中へ入れば。
伴「そんな這入《へい》りようがあるものか、なんてえ這入《へい》りようだ、突立《つッた》って這入《へえ》ッちゃア蚊が這入《へえ》って仕ようがねえ」
みね「伴藏さん、毎晩お前の所へ来る女はあれはなんだえ」
伴「何《なん》でもいゝよ」
みね「何《なん》だかお云いなねえ」
伴「何でもいゝよ」
みね「お前はよかろうが私《わたし》ゃ詰らないよ、本当にお前の為に寝ないで齷齪《あくせく》と稼いでいる女房の前も構わず、女なんぞを引きずり込まれては、私のような者でも余《あんま》りだ、あれは斯《こ》ういう訳だと明かして云ってお呉れてもいゝじゃないか」
伴「そんな訳じゃねえよ、己《おれ》も云おう/\と思っているんだが、云うとお前《めえ》が怖がるから云わねえんだ」
みね「なんだえ怖がると、大方先の阿魔女《あまっちょ》が何《なん》かお前《まえ》に怖《こわ》もてゞ云やアがったんだろう、お前が嚊《かゝあ》があるから女房に持つ事が出来ないと云ったら、そんなら打捨《うっちゃ》って置かないとか何とかいうのだろう、理不尽《りふじん》に阿魔女《あまっちょ》が女房のいる所へどか/\入《へい》って来て話なんぞをしやアがって、もし刃物三昧《はものざんまい》でもする了簡《りょうけん》なら私はたゞは置かないよ」
伴「そんな者じゃアないよ、話をしても手前《てめえ》怖がるな、毎晩来る女は萩原様に極《ごく》惚れて通《かよ》って来るお嬢様とお附《つき》の女中だ」
みね「萩原様は萩原様の働きがあってなさる事だが、お前《まえ》はこんな貧乏世帯《びんぼうじょたい》を張っていながら、そんな浮気をして済むかえ、それじゃアお前が其のお附の女中とくッついたんだろう」
伴「そんな訳じゃないよ、実は一昨日《おとゝい》の晩おれがうと/\していると、清水の方から牡丹の花の灯籠を提《さ》げた年増《としま》が先へ立ち、お嬢様の手を引いてずっと己《おれ》の宅《うち》へ入《へえ》って来た所が、なか/\人柄のいゝお人だから、己のような者の宅へこんな人が来る筈《はず》はないがと思っていると、其の女が己の前《めえ》へ手をついて、伴藏さんとはお前《まえ》さまでございますかというから、私《わっち》が伴藏でごぜえやすと云ったら、あなたは萩原様の御家来かと聞くから、まア/\家来同様な訳でごぜえますというと、萩原様はあんまりなお方でございます、お嬢様が萩原様に恋焦《こいこが》れて、今夜いらっしゃいと慥《たしか》にお約束を遊ばしたのに、今はお嬢様をお嫌いなすって、入《い》れないようになさいますとは余《あんま》りなお方でございます、裏の小さい窓に御札が貼《は》ってあるので、どうしても這入《はい》ることが出来ませんから、お情《なさけ》に其の御札を剥《はが》してくださいましというから、明日《あした》屹度《きっと》剥して置きましょう、明晩《みょうばん》屹度お願い申しますと云ってずっと帰《けえ》った、それから昨日《きのう》は終日《いちにち》畠耘《はたけうな》いをしていたが、つい忘れていると、其の翌晩又来て、何故《なぜ》剥して下さいませんというから、違《ちげ》えねえ、ツイ忘れやした、屹度|明日《あした》の晩剥がして置きやしょうと云ってそれから今朝畠へ出た序《ついで》に萩原様の裏手へ廻って見ると、裏の小窓に小さいお経の書いてある札が貼ってあるが、何《なに》してもこんな小さい所から這入ることは人間には出来る物ではねえが、予《かね》て聞いていたお嬢様が死んで、萩原様の所へ幽霊になって逢いに来るのがこれに相違ねえ、それじゃア二晩《ふたばん》来たのは幽霊だッたかと思うと、ぞっと身の毛がよだつ程怖くなった」
みね「あゝ、いやだよ、おふざけでないよ」
伴「今夜はよもや来《き》やアしめえと思っている所へ又来たア、今夜はおれが幽霊だと知っているから怖くッて口もきけず、膏汗《あぶらあせ》を流して固まっていて、おさえつけられるように苦しかった、そうすると未《ま》だ剥してお呉《く》んなさいませんねえ、何《ど》うしても剥しておくんなさいませんと、あなたまでお怨《うら》み申しますと、恐《おっ》かねえ顔をしたから、明日《あした》は屹度剥しますと云って帰《けえ》したんだ、それだのに手前《てめえ》に兎《と》や角《こ》う嫉妬《やきもち》をやかれちゃア詰らねえよ、己《おれ》は幽霊に怨みを受ける覚えはねえが、札を剥せば萩原様が喰殺《くいころ》されるか取殺《とりころ》されるに違《ちげ》えねえから、己はこゝを越してしまおうと思うよ」
みね「嘘をおつきよ、何《なん》ぼ何《なん》でも人を馬鹿にする、そんな事があるものかね」
伴「疑《うたぐ》るなら明日《あした》の晩|手前《てめえ》が出て挨拶をしろ、己《おれ》は真平《まっぴら》だ、戸棚に入《へい》って隠れていらア」
みね「そんなら本当かえ」
伴「本当も嘘もあるものか、だから手前《てめえ》が出なよ」
みね「だッて帰る時には駒下駄の音がしたじゃアないか」
伴「そうだが、大層綺麗な女で、綺麗程|尚《なお》怖いもんだ、明日《あした》の晩|己《おれ》と一緒に出な」
みね「ほんとうなら大変だ、私《わたし》ゃいやだよう」
伴「そのお嬢様が振袖《ふりそで》を着て髪を島田に結上《ゆいあ》げ、極《ごく》人柄のいゝ女中が丁寧《ていねい》に、己《おれ》のような者に両手をついて、痩《やせ》ッこけた何《なん》だか淋しい顔で、伴藏さんあなた……」
みね「あゝ怖い」
伴「あゝ恟《びっく》りした、おれは手前《てめえ》の声で驚いた」
みね「伴藏さん、ちょいといやだよう、それじゃア斯《こ》うしておやりな、私達が萩原様のお蔭《かげ》で何《ど》うやらこうやら口を糊《すご》して居るのだから、明日《あした》の晩幽霊が来たらば、おまえが一生懸命になって斯うおいいな、まことに御尤《ごもっと》もではございますが、あなたは萩原様にお恨《うらみ》がございましょうとも、私共《わたくしども》夫婦は萩原様のお蔭で斯うやっているので、萩原様に万一《もしも》の事がありましては私共夫婦の暮し方が立ちませんから、どうか暮し方の付くようにお金を百両持って来て下さいまし、そうすれば屹度《きっと》剥《はが》しましょうとお云いよ、怖いだろうがお前は酒を飲めば気丈夫になるというから、私《わたし》が夜延《よなべ》をしてお酒を五合ばかり買っておくから、酔った紛《まぎ》れにそう云ったら何《ど》うだろう」
伴「馬鹿云え、幽霊に金があるものか」
みね「だからいゝやね、金をよこさなければお札を剥さないやね、それで金もよこさないでお札を剥さなけりゃア取殺《とりころ》すというような訳の分らない幽霊は無いよ、それにお前には恨《うらみ》のある訳でもなしさ、斯《こ》ういえば義理があるから心配はない、もしお金を持って来れば剥してやってもいゝじゃアないか」
伴「成程、あの位訳のわかる幽霊だから、そう云ったら得心して帰《けえ》るかも知れねえ、殊《こと》によると百両持って来るものだよ」
みね「持って来たらお札を剥しておやりな、お前考えて御覧、百両あればお前と私は一生困りゃアしないよ」
伴「成程、こいつは旨《うめ》え、屹度《きっと》持って来るよ、こいつは一番やッつけよう」
 と慾というものは怖《おそろ》しいもので、明《あく》る日は日の暮れるのを待っていました。そうこうする内に日も暮れましたれば、女房は私《わたし》ゃ見ないよと云いながら戸棚へ入るという騒ぎで、彼是しているうち夜《よ》も段々と更《ふ》けわたり、もう八ツになると思うから、伴藏は茶碗酒でぐい/\引っかけ、酔った紛《まぎ》れで掛合う積りでいると、其の内八ツの鐘がボーンと不忍《しのばず》の池《いけ》に響いて聞えるに、女房は熱いのに戸棚へ入り、襤褸《ぼろ》を被《かぶ》って小さく成っている。伴藏は蚊帳の中《うち》にしゃに構えて待っているうち、清水のもとからカランコロン/\と駒下駄の音高く、常に変らず牡丹の花の灯籠を提《さ》げて、朦朧《もうろう》として生垣《いけがき》の外まで来たなと思うと、伴藏はぞっと肩から水をかけられる程|怖気立《こわけだ》ち、三合呑んだ酒もむだになってしまい、ぶる/\慄《ふる》えながらいると、蚊帳の側へ来て、伴藏さん/\というから、
伴「へい/\お出《い》でなさいまし」
女「毎晩参りまして、御迷惑の事をお願い申して誠に恐れ入りますが、未《ま》だ今夜も御札が剥がれて居りませんので這入《はい》る事が出来ず、お嬢様がお憤《むず》かり遊ばし、私《わたくし》が誠に困りますから、どうぞ二人のものを不便《ふびん》と思召《おぼしめ》してあのお札を剥して下さいまし」
 伴藏はガタ/\慄《ふる》えながら、
伴「御尤《ごもっとも》さまでございますけれども、私共《わたくしども》夫婦の者は、萩原様のお蔭様で漸《ようや》く其の日を送っている者でございますから、萩原様のお体《からだ》にもしもの事がございましては、私共夫婦のものが後《あと》で暮し方に困りますから、どうぞ後で暮しに困らないように百両の金を持って来て下さいましたらば直《すぐ》に剥しましょう」
 と云うたびに冷たい汗を流し、やっとの思いで云いきりますと、両人は顔を見合せて、暫《しばら》く首を垂れて考えて居ましたが。
米「お嬢様、それ御覧《ごろう》じませ、此のお方にお恨《うらみ》はないのに御迷惑をかけて済まないではありませんか、萩原様はお心変りが遊ばしたのだから、貴方《あなた》がお慕《した》いなさるのはお冗《むだ》でございます、何《ど》うぞふッつりお諦《あ
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