新「何方《どなた》様でございます」
勇「隣の白翁堂です」
新「お早い事、年寄は早起《はやおき》だ」
 なぞと云いながら戸を引明《ひきあ》け
「お早う入らっしゃいました、何か御用ですか」
勇「貴方《あなた》の人相を見ようと思って来ました」
新「朝っぱらから何《なん》でございます、一つ地面|内《うち》におりますから何時《いつ》でも見られましょうに」
勇「そうでない、お日さまのお上《あが》りになろうとする所で見るのが宜《よ》いので、貴方とは親御《おやご》の時分から別懇《べっこん》にした事だから」
 と懐《ふところ》より天眼鏡《てんがんきょう》を取出して、萩原を見て。
新「なんですねえ」
勇「萩原氏、貴方は二十日《はつか》を待たずして必ず死ぬ相《そう》がありますよ」
新「へえ私《わたくし》が死にますか」
勇「必ず死ぬ、なか/\不思議な事もあるもので、どうも仕方がない」
新「へえそれは困った事で、それだが先生、人の死ぬ時はその前に死相の出るという事は予《か》ねて承わって居り、殊《こと》に貴方《あなた》は人相見の名人と聞いておりますし、又昔から陰徳《いんとく》を施《ほどこ》して寿命を全くした話も聞いていますが、先生どうか死なゝい工夫はありますまいか」
勇「其の工夫は別にないが、毎晩貴方の所へ来る女を遠ざけるより外《ほか》に仕方がありません」
新「いゝえ、女なんぞは来やアしません」
勇「そりゃアいけない、昨夜|覗《のぞ》いて見たものがあるのだが、あれは一体何者です」
新「あなた、あれは御心配をなさいまする者ではございません」
勇「是程心配になる者はありません」
新「ナニあれは牛込の飯島という旗下《はたもと》の娘で、訳あってこの節は谷中の三崎村へ、米という女中と二人で暮しているも、皆《みん》な私《わたくし》ゆえに苦労するので、死んだと思っていたのに此の間|図《はか》らず出逢い、其の後《のち》は度々《たび/\》逢引《あいびき》するので、私はあれを行《ゆ》く/\は女房に貰う積りでございます」
勇「飛んでもない事をいう、毎晩来る女は幽霊だがお前知らないのだ、死んだと思ったなら猶更《なおさら》幽霊に違いない、其のマア女が糸のように痩《や》せた骨と皮ばかりの手で、お前さんの首ッたまへかじり付くそうだ、そうしてお前さんは其の三崎村にいる女の家《うち》へ行った事があるか」
 といわれて行った事はない、逢引したのは今晩で七日目ですが。というものゝ、白翁堂の話に萩原も少し気味が悪くなったゆえ顔色《がんしょく》を変え。
新「先生、そんなら是から三崎へ行って調べて来ましょう」
 と家《うち》を立出《たちい》で、三崎へ参りて、女暮しで斯《こ》ういう者はないかと段々尋ねましたが、一向に知れませんから、尋ねあぐんで帰りに、新幡随院《しんばんずいゝん》を通り抜けようとすると、お堂の後《うしろ》に新墓《あらはか》がありまして、それに大きな角塔婆《かくとうば》が有って、その前に牡丹の花の綺麗な灯籠が雨ざらしに成ってありまして、此の灯籠は毎晩お米が点《つ》けて来た灯籠に違いないから、新三郎はいよ/\訝《おか》しくなり、お寺の台所へ廻り、
新「少々|伺《うかゞ》いとう存じます、あすこの御堂《おどう》の後《うしろ》に新らしい牡丹の花の灯籠を手向《たむ》けてあるのは、あれは何方《どちら》のお墓でありますか」
僧「あれは牛込の旗下《はたもと》飯島平左衞門様の娘で、先達《さきだっ》て亡くなりまして、全体|法住寺《ほうじゅうじ》へ葬むる筈《はず》のところ、当院は末寺《まつじ》じゃから此方《こちら》へ葬むったので」
新「あの側に並べてある墓は」
僧「あれはその娘のお附《つき》の女中で是も引続き看病疲れで死去いたしたから、一緒に葬られたので」
新「そうですか、それでは全く幽霊で」
僧「なにを」
新「なんでも宜《よろ》しゅうございます、左様なら」
 と云いながら恟《びっく》りして家《うち》に駈け戻り此の趣《おもむき》を白翁堂に話すと、
勇「それはまア妙な訳で、驚いた事だ、なんたる因果な事か、惚れられるものに事を替えて幽霊に惚れられるとは」
新「何《ど》うもなさけない訳でございます、今晩もまたまいりましょうか」
勇「それは分らねえな、約束でもしたかえ」
新「へえ、あしたの晩|屹度《きっと》来ると、約束をしましたから、今晩|何《ど》うか先生泊って下さい」
勇「真平御免《まっぴらごめん》だ」
新「占いでどうか来ないようになりますまいか」
勇「占いでは幽霊の所置《しょち》は出来ないが、あの新幡随院の和尚は中々に豪《えら》い人で、念仏修業の行者で私も懇意だから手紙をつけるゆえ、和尚の所へ行って頼んで御覧」
 と手紙を書いて萩原に渡す。萩原はその手紙を持ってやってまいり、
「何《ど》うぞ此の書面を良石《りょうせき》和尚様へ上げて下さいまし」
 と、差出すと、良石和尚は白翁堂とは別ならぬ間柄ゆえ、手紙を見て直《すぐ》に萩原を居間へ通せば、和尚は木綿の座蒲団に白衣《はくえ》を着て、其の上に茶色の衣《ころも》を着て、当年五十一歳の名僧、寂寞《じゃくまく》としてちゃんと坐り、中々に道徳いや高く、念仏三昧という有様《ありさま》で、新三郎は自然《ひとりで》に頭が下《さが》る。
良「はい、お前が萩原新三郎さんか」
新「へえ粗忽《そこつ》の浪士萩原新三郎と申します、白翁堂の書面の通り、何《なん》の因果か死霊に悩まされ難渋《なんじゅう》を致しますが、貴僧の御法《ごほう》を以《もっ》て死霊を退散するようにお願い申します」
良「此方《こちら》へ来なさい、お前に死相が出たという書面だが、見てやるから此方へ来なさい、成程死ぬなア近々《きん/\》に死ぬ」
新「何《ど》うかして死なゝいように願います」
良「お前さんの因縁は深しい訳のある因縁じゃが、それをいうても本当にはせまいが、何しろ口惜《くやし》くて祟《たゝ》る幽霊ではなく、只《たゞ》恋しい/\と思う幽霊で、三|世《せ》も四世も前から、ある女がお前を思うて生きかわり死にかわり、容《かたち》は種々《いろ/\》に変えて附纒《つきまと》うて居《い》るゆえ、遁《のが》れ難《がた》い悪因縁があり、どうしても遁れられないが、死霊|除《よけ》のために海音如来《かいおんにょらい》という大切の守りを貸してやる、其の内に折角|施餓鬼《せがき》をしてやろうが、其のお守《まもり》は金無垢《きんむく》じゃに依《よ》って人に見せると盗まれるよ、丈《たけ》は四寸二分で目方も余程あるから、慾の深い奴は潰《つぶ》しにしても余程の値《ねうち》だから盗むかも知れない、厨子《ずし》ごと貸すにより胴巻《どうまき》に入れて置くか、身体に脊負《せお》うておきな、それから又こゝにある雨宝陀羅尼経《うほうだらにぎょう》というお経をやるから読誦《どくじゅ》しなさい、此の経は宝を雨ふらすと云うお経で、是を読誦すれば宝が雨のように降るので、慾張《よくばっ》たようだが決してそうじゃない、是を信心すれば海の音という如来さまが降って来るというのじゃ、この経は妙月長者《みょうげつちょうじゃ》という人が、貧乏人に金を施《ほどこ》して悪い病の流行《はや》る時に救ってやりたいと思ったが、宝がないから仏の力を以《もっ》て金を貸してくれろと云った所が、釋迦《しゃか》がそれは誠に心懸《こゝろがけ》の尊《とうと》い事じゃと云って貸したのが即《すなわ》ちこのお経じゃ、又|御札《おふだ》をやるから方々《ほう/″\》へ貼《は》って置いて、幽霊の入《はい》り所《どころ》のないようにして、そしてこのお経を読みなさい」
 と親切の言葉に萩原は有がたく礼を述べて立帰《たちかえ》り、白翁堂に其の事を話し、それから白翁堂も手伝って其の御札を家《うち》の四方八方へ貼り、萩原は蚊帳《かや》を吊って其の中へ入り、彼《か》の陀羅尼経を読もうとしたが中々読めない。曩謨婆※[#「言+我」、第4水準2−88−62]※[#「口+(糸+溥のつくり)」、第3水準1−15−28]帝※[#「口+(糸+溥のつくり)」、第3水準1−15−28]※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]駄※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]《のうぼばぎゃばていばざらだら》、婆※[#「言+我」、第4水準2−88−62]※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]捏具灑耶《さぎゃらにりぐしゃや》、怛陀※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]多野《たゝぎゃたや》、怛※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]也陀※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]素噌閉《たにやたおんそろべい》、跋捺※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]※[#「口+(糸+溥のつくり)」、第3水準1−15−28]底《ばんだらばち》。※[#「目+(離れたくさかんむり/(罘−不)/冖/目)」、74−2]※[#「言+我」、第4水準2−88−62]※[#「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」、74−2]阿左※[#「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」、74−2]阿左跛※[#「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」74−2]《ぼうぎゃれいあしゃれいあしゃにれい》。何《なん》だか外国人の譫語《うわごと》の様で訳がわからない。其の中《うち》上野の夜《よ》の八ツの鐘《かね》がボーンと忍《しのぶ》ヶ|岡《おか》の池に響き、向《むこう》ヶ|岡《おか》の清水の流れる音がそよ/\と聞え、山に当る秋風の音ばかりで、陰々寂寞《いん/\せきばく》世間がしんとすると、いつもに変らず根津《ねづ》の清水の下《もと》から駒下駄《こまげた》の音高くカランコロン/\とするから、新三郎は心のうちで、ソラ来たと小さくかたまり、額《ひたい》から腮《あご》へかけて膏汗《あぶらあせ》を流し、一生懸命一心不乱に雨宝陀羅尼経《うほうだらにきょう》を読誦して居ると、駒下駄の音が生垣《いけがき》の元でぱったり止《や》みましたから、新三郎は止《よ》せばいゝに念仏を唱えながら蚊帳を出て、そっと戸の節穴から覗《のぞ》いて見ると、いつもの通り牡丹の花の灯籠を下げて米が先へ立ち、後《あと》には髪を文金の高髷《たかまげ》に結い上げ、秋草色染《あきくさいろぞめ》の振袖《ふりそで》に燃えるような緋縮緬《ひぢりめん》の長襦袢《ながじゅばん》、其の綺麗なこと云うばかりもなく、綺麗ほど猶《なお》怖く、これが幽霊かと思えば、萩原は此の世からなる焦熱地獄《しょうねつじごく》に落ちたる苦しみです、萩原の家《うち》は四方八方にお札が貼ってあるので、二人の幽霊が憶《おく》して後《あと》へ下《さが》り、
米「嬢さまとても入れません、萩原さんはお心変りが遊ばしまして、昨晩のお言葉と違い、貴方《あなた》を入れないように戸締りがつきましたから、迚《とて》も入ることは出来ませんからお諦め遊ばしませ、心の変った男は迚も入れる気遣《きづか》いはありません、心の腐った男はお諦めあそばせ」
 と慰むれば、
嬢「あれ程迄にお約束をしたのに、今夜に限り戸締りをするのは、男の心と秋の空、変り果てたる萩原様のお心が情《なさけ》ない、米や、どうぞ萩原様に逢わせておくれ、逢わせてくれなければ私は帰らないよ」
 と振袖を顔に当て、潜々《さめ/″\》と泣く様子は、美しくもあり又|物凄《ものすご》くもなるから、新三郎は何も云わず、只《た》だ南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏。
米「お嬢様、あなたが是程までに慕うのに、萩原様にゃアあんまりなお方ではございませんか、若《も》しや裏口から這入《はい》れないものでもありますまい、入らっしゃい」
 と手を取って裏口へ廻ったが矢張《やっぱり》這入られません。

        九

 飯島の家《うち》では妾のお國が、孝助を追出すか、しくじらするように種々《いろ/\》工夫を凝《こら》し、この事ばかり寝ても覚めても考えている、悪い奴だ。殿様は翌日|御番《ごばん》でお出向《でむき》に成った後《あと》へ、隣家《となり》の源次郎がお早うと云いながらやって来ましたから、お國はしらばっくれて、
國「おや、いらっしゃいまし、引続きまし
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