て返事をするなどと仰しゃると、又娘が心配して、仮令《たとい》殿様が下さる気でも孝助殿が何《ど》うだかなどゝ申しましょうが、そうはっきり事が定《きま》れば、娘は嬉しがって飯の五六杯位も食べられ、一|足飛《そくとび》に病気も全快致しましょう、善は急げの譬《たとえ》で、明日《みょうにち》御番帰《ごばんがえ》りに結納《ゆいのう》の取りかわせを致しとう存じますから、どうか孝助殿をお供に連れてお出で下さい、娘にも一寸《ちょっと》逢わせたい」
飯「まア一献《いっこん》差上げるから」
と云っても相川は大喜びで、汗をダク/\流し、早く娘に此の事を聞かせとうございますから、今日はお暇《いとま》を申しましょうと云いながら、帰ろうとして、
「アイタ、柱に頭をぶっつけた」
飯「そゝっかしいから誰《たれ》か見て上げな」
飯島平左衞門も心嬉しく、鼻|高々《たか/″\》と、
飯「孝助を呼べ」
國「孝助は不快で引いて居ります」
飯「不快でも宜しい、一寸《ちょっと》呼んでまいれ」
國「お竹どん/\、孝助を一寸呼んでおくれ、殿様が御用がありますと」
竹「孝助どん/\、殿様が召しますよ」
孝「へい/\只今|上《あが》ります」
と云ったが、額の疵《きず》があるから出られません。けれども忠義の人ゆえ、殿様の御用と聞いて額の疵も打忘《うちわす》れて出て参りました。
飯「孝助|此処《こゝ》へ来い/\、皆あちらへ参れ、誰《たれ》もまいる事はならんぞ」
孝「大分《だいぶ》お熱うございます、殿さまは毎日の御番疲れもありは致すまいかと心配をいたして居ります」
飯「其方《そち》は加減がわるいと云って引籠《ひきこも》っているそうだが、どうじゃナ、手前に少し話したいことがあって呼んだのだ、外《ほか》の事でもないが、水道端《すいどうばた》の相川におとくという今年十八になる娘があるナ、器量も人並に勝《すぐ》れ殊《こと》に孝行もので、あれが手前の忠義の志に感服したと見えて、手前を思い詰め、煩《わずら》っているくらいな訳で、是非手前を養子にしたいとの頼みだから行ってやれ」
と孝助の顔を見ると、額に傷があるから、
飯「孝助どう致した、額の疵《きず》は」
孝「へい/\」
飯「喧嘩《けんか》でもしたか、不埓《ふらち》な奴だ、出世前の大事の身体、殊に面体《めんてい》に疵を受けているではないか、私《わたくし》の遺恨《いこん》で身体に疵を付けるなどとは不忠者め、是が一人前《ひとりまえ》の侍なれば再び門を跨《また》いで邸《やしき》へ帰る事は出来ぬぞ」
孝「喧嘩を致したのではありません、お使い先で宮邊《みやべ》様の長家下《ながやした》を通りますと、屋根から瓦《かわら》が落ちて額に中《あた》り、斯様《かよう》に怪我《けが》を致しました、悪い瓦でございます、お目障《めざわ》りに成って誠に恐入《おそれい》ります」
飯「屋根瓦の傷ではない様だ、まアどうでもいゝが、併《しか》し必ず喧嘩などをして疵を受けてはならんぞ、手前は真直《まっすぐ》な気性だが、向うが曲って来れば真直に行《ゆ》く事は出来まい、それだから其処《そこ》を避《よ》けて通るようにすると広い所へ出られるものだ、何《なん》でも堪忍《かんにん》をしなければいけんぞ、堪忍の忍《にん》の字は刃《やいば》の下に心を書く、一ツ動けばむねを斬るごとく何でも我慢《がまん》が肝心《かんじん》だぞよ、奉公するからは主君へ上げ置いた身体、主人へ上げると心得て忠義を尽《つく》すのだ、決して軽挙《かるはずみ》の事をするな、曲った奴には逆《さから》うなよ」
という意見が一々胸に堪《こた》えて、孝助は唯《たゞ》へい/\有難うございますと泣々《なく/\》、
孝「殿様来月四日に中川へ釣《つり》に入《いら》っしゃると承わりましたが、此の間《あいだ》お嬢様がお亡くなり遊ばして間《ま》もない事でございますから、何《ど》うか釣をお止《や》め下さいますように、若《も》しもお怪我があってはいけませんから」
飯「釣が悪ければやめようよ、決して心配するな、今云った通り相川へ行ってやれよ」
孝「何方《どちら》へかお使《つかい》に参りますのですか」
飯「使《つかい》じゃアない、相川の娘が手前を見染めたから養子に行って遣《や》れ」
孝「へえ成程、相川様へどなたが御養子になりますのです」
飯「なアに手前が往《ゆ》くのだ」
孝「私《わたくし》はいやでございます」
飯「べらぼうな奴だ手前の身の出世になる事だ、是ほど結構な事はあるまい」
孝「私《わたくし》は何時《いつ》までも殿様の側に生涯へばり附いております、ふつゝかながら片時《へんじ》も殿さまのお側を放さずお置き下さい」
飯「そんな事を云っては困るよ、己《おれ》がもう請《う》けをした、金打《きんちょう》をしたから仕方がない」
孝「金打をなすッてもいけません」
飯「それじゃア己が相川に済まんから腹を切らんければならん」
孝「腹を切っても構いません」
飯「主人の言葉を背《そむ》くならば永《なが》の暇《いとま》を出すぞ」
孝「お暇に成っては何《なん》にもならん、そういう訳でございますならば、ちょっと一言《ひとこと》ぐらい斯《こ》う云う訳だと私《わたくし》にお話し下さっても宜《よろ》しいのに」
飯「それは己が悪かった、此の通り板の間へ手を突いて謝《あやま》るから行ってやれ」
孝「そう仰しゃるなら仕方がありませんから取極《とりき》めだけして置いて、身体は十年が間《あいだ》参りますまい」
飯「そんな事が出来るものか、翌日《あす》結納を取交《とりか》わす積りだ、向うでも来月初旬に婚礼を致す積りだ」
との事を聞いて孝助の考えまするに、己が養子にゆけば、お國と源次郎と両人で殿様を殺すに違いないから、今夜にも両人を槍《やり》で突殺《つきころ》し、其の場で己も腹|掻切《かきゝ》って死のうか、そうすれば是が御主人様の顔の見納め、と思えば顔色《がんしょく》も青くなり、主人の顔を見て涙を流せば、
飯「解らん奴だな、相川へ参るのはそんなに厭《いや》か、相川はつい鼻の先の水道端だから毎日でも往来《ゆきき》の出来る所、何も気遣《きづか》う事はない、手前は気強いようでもよく泣くなア、男子《おとこ》たるべきものがそんな意気地《いくじ》がない魂ではいかんぞ」
孝「殿様|私《わたくし》は御当家様へ三月五日に御奉公に参りましたが、外《ほか》に兄弟も親もない奴だと仰しゃって目を掛けて下さる、其の御恩の程は私は死んでも忘れは致しませんが、殿様はお酒を召上ると正体なく御寝《げし》なさる、又召上らなければ御寝なられません故、少し上《あが》って下さい、余りよく御寝なると、どんな英雄でも、随分悪者の為に如何《いか》なる目に逢うかも知れません、殿様決して御油断はなりません、私はそれが心配でなりません、それから藤田様から参りましたお薬は、どうか隔日《いちにちおき》に召上って下さい」
飯「なんだナ、遠国《えんごく》へでも行《ゆ》くような事を云って、そんな事は云わんでもいゝわ」
八
萩原の家《うち》で女の声がするから、伴藏が覗《のぞ》いて恟《びっく》りし、ぞっと足元から総毛立《そうけだ》ちまして、物をも云わず勇齋の所へ駆込《かけこ》もうとしましたが、怖いから先《ま》ず自分の家《うち》へ帰り、小さくなって寝てしまい、夜《よ》の明けるのを待兼《まちかね》て白翁堂の宅《うち》へやって参り、
伴「先生々々」
勇「誰だのウ」
伴「伴藏でごぜえやす」
勇「なんだのウ」
伴「先生|一寸《ちょっと》こゝを明けて下さい」
勇「大層早く起きたのウ、お前《めえ》には珍らしい早起《はやおき》だ、待て/\今明けてやる」
と掛鐶《かきがね》を外《はず》し明けてやる。
伴「大層|真暗《まっくら》ですねえ」
勇「まだ夜《よ》が明けきらねえからだ、それに己《おれ》は行灯《あんどう》を消して寝るからな」
伴「先生静かにおしなせえ」
勇「手前《てめえ》が慌《あわ》てゝいるのだ、なんだ何しに来た」
伴「先生萩原さまは大変ですよ」
勇「何《ど》うかしたか」
伴「何うかしたかの何《なん》のという騒ぎじゃございやせん、私《わっち》も先生も斯《こ》うやって萩原様の地面|内《うち》に孫店《まごだな》を借りて、お互いに住《すま》っており、其の内でも私は尚《な》お萩原様の家来同様に畑をうなったり庭を掃いたり、使い早間《はやま》もして、嚊《かゝあ》は洒《すゝ》ぎ洗濯をしておるから、店賃《たなちん》もとらずに偶《たま》には小遣《こづかい》を貰ったり、衣物《きもの》の古いのを貰ったりする恩のある其の大切な萩原様が大変な訳だ、毎晩女が泊りに来ます」
勇「若くって独身者《ひとりもの》でいるから、随分女も泊りに来るだろう、併《しか》し其の女は人の悪いようなものではないか」
伴「なに、そんな訳ではありません、私《わっち》が今日用が有って他《ほか》へ行って、夜中《やちゅう》に帰《けえ》ってくると、萩原様の家《うち》で女の声がするから一寸《ちょっと》覗《のぞ》きました」
勇「わるい事をするな」
伴「するとね、蚊帳《かや》がこう吊《つ》ってあって、其の中に萩原様と綺麗な女がいて、其の女が見捨てゝくださるなというと、生涯見捨てはしない、仮令《たとい》親に勘当されても引取《ひきと》って女房にするから決して心配するなと萩原様がいうと、女が私《わたくし》は親に殺されてもお前《まえ》さんの側は放れませんと、互いに話しをしていると」
勇「いつまでもそんな所を見ているなよ」
伴「ところがねえ、其の女が唯《たゞ》の女じゃアないのだ」
勇「悪党か」
伴「なに、そんな訳じゃアない、骨と皮ばかりの痩《や》せた女で、髪は島田に結って鬢《びん》の毛が顔に下《さが》り、真青《まっさお》な顔で、裾《すそ》がなくって腰から上ばかりで、骨と皮ばかりの手で萩原様の首ったまへかじりつくと、萩原様は嬉しそうな顔をしていると其の側に丸髷《まるまげ》の女がいて、此奴《こいつ》も痩《やせ》て骨と皮ばかりで、ズッと立上《たちあが》って此方《こちら》へくると、矢張《やっぱり》裾が見えないで、腰から上ばかり、恰《まる》で絵に描《か》いた幽霊の通り、それを私《わっち》が見たから怖くて歯の根も合わず、家《うち》へ逃げ帰《けえ》って今まで黙っていたんだが、何《ど》ういう訳で萩原様があんな幽霊に見込まれたんだか、さっぱり訳が分りやせん」
勇「伴藏本当か」
伴「ほんとうか嘘かと云って馬鹿/\しい、なんで嘘を云いますものか、嘘だと思うならお前さん今夜行って御覧なせえ」
勇「己《おら》アいやだ、ハテナ昔から幽霊と逢引《あいびき》するなぞという事はない事だが、尤《もっと》も支那の小説にそういう事があるけれども、そんな事はあるべきものではない、伴藏嘘ではないか」
伴「だから嘘なら行って御覧なせえ」
勇「もう夜《よ》も明けたから幽霊なら居る気遣《きづか》いはない」
伴「そんなら先生、幽霊と一緒に寝れば萩原様は死にましょう」
勇「それは必ず死ぬ、人は生きている内は陽気盛んにして正しく清く、死ねば陰気盛んにして邪《よこしま》に穢《けが》れるものだ、それゆえ幽霊と共に偕老同穴《かいろうどうけつ》の契《ちぎり》を結べば、仮令《たとえ》百歳の長寿を保つ命も其のために精血《せいけつ》を減らし、必ず死ぬるものだ」
伴「先生、人の死ぬ前には死相《しそう》が出ると聞いていますが、お前さん一寸《ちょっと》行って萩原様を見たら知れましょう」
勇「手前も萩原は恩人だろう、己《おれ》も新三郎の親萩原|新左衞門《しんざえもん》殿の代から懇意にして、親御《おやご》の死ぬ時に新三郎殿の事をも頼まれたから心配しなければならない、此の事は決して世間の人に云うなよ」
伴「えゝ/\嚊《かゝあ》にも云わない位な訳ですから、何《なん》で世間へ云いましょう」
勇「屹度《きっと》云うなよ、黙っておれ」
其の内に夜《よ》もすっかり明け放《はな》れましたから、親切な白翁堂は藜《あかざ》の杖をついて、伴藏と一緒にポク/\出懸けて、萩原の内へまいり、
「萩原|氏《うじ》々々」
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