約束でもした男があってそんな事を云うのだろうと、怒《おこ》っても、一人のお嬢様で斬る事も出来ませんから、太い奴だ、そういう訳なら柳島にも置く事が出来ない、放逐《ほうちく》するというので、只今では私とお嬢様と両人お邸《やしき》を出まして、谷中《やなか》の三崎《さんさき》へ参り、だいなしの家《いえ》に這入《はい》って居りまして、私が手内職などをして、どうか斯《こ》うか暮しを付けていますが、お嬢様は毎日々々お念仏|三昧《ざんまい》で入らっしゃいますよ、今日は盆の事ですから、方々《ほう/″\》お参りにまいりまして、晩《おそ》く帰る処《ところ》でございます」
新「なんの事です、そうでございますか、私《わたくし》も嘘でも何《なん》でもありません、此の通りお嬢さまの俗名を書いて毎日念仏しておりますので」
米「それ程に思って下さるは誠に有難うございます、本当にお嬢様は仮令《たとい》御勘当に成っても、斬られてもいゝから貴方のお情《なさけ》を受けたいと仰しゃって入らっしゃるのですよ、そしてお嬢様は今晩|此方《こちら》へお泊め申しても宜しゅうございますかえ」
新「私《わたし》の孫店《まごだな》に住んで居る、白翁堂勇齋《はくおうどうゆうさい》という人相見《にんそうみ》が、万事|私《わたくし》の世話をして喧《やか》ましい奴だから、それに知れないように裏からそっとお這入り遊ばせ」
 と云う言葉に随い、両人共に其の晩泊り、夜《よ》の明けぬ内に帰り、是より雨の夜《よ》も風の夜も毎晩来ては夜の明けぬ内に帰る事十三日より十九日まで七日《なのか》の間重なりましたから、両人が仲は漆《うるし》の如く膠《にかわ》の如くになりまして新三郎も現《うつゝ》を抜かして居りましたが、こゝに萩原の孫店《まごだな》に住む伴藏というものが、聞いていると、毎晩萩原の家《うち》にて夜夜中《よるよなか》女の話声《はなしごえ》がするゆえ、伴藏は変に思いまして、旦那は人がよいものだから悪い女に掛り、騙《だま》されては困ると、密《そっ》と抜け出て、萩原の家《うち》の戸の側へ行って家の様子を見ると、座敷に蚊帳《かや》を吊り、床《とこ》の上に比翼※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、52−11]《ひよくござ》を敷き、新三郎とお露と並んで坐っているさまは真《まこと》の夫婦のようで、今は耻かしいのも何も打忘《うちわす》れてお互いに馴々《なれ/\》しく、
露「アノ新三郎様、私《わたくし》が若《も》し親に勘当されましたらば、米と両人をお宅《うち》へ置いて下さいますかえ」
新「引取《ひきと》りますとも、貴方《あなた》が勘当されゝば私は仕合《しあわ》せですが、一人娘ですから御勘当なさる気遣《きづか》いはありません、却《かえ》って後《あと》で生木《なまき》を割《さ》かれるような事がなければ宜《い》いと思って私は苦労でなりませんよ」
露「私《わたくし》は貴方より外《ほか》に夫《おっと》はないと存じておりますから、仮令《たとい》此の事がお父《とっ》さまに知れて手打《てうち》に成りましても、貴方の事は思い切れません、お見捨てなさるときゝませんよ」
 と膝に凭《もた》れ掛りて[#「凭《もた》れ掛りて」は底本では「恁《もた》れ掛りて」]睦《むつ》ましく話をするは、余《よっ》ぽど惚《ほ》れている様子だから。
伴「これは妙な女だ、あそばせ言葉で、どんな女かよく見てやろう」
 と差し覗《のぞ》いてハッとばかりに驚き、
「化物《ばけもの》だ/\」
 と云いながら真青《まっさお》になって夢中で逃出《にげだ》し、白翁堂勇齋の処《ところ》へ往《ゆ》こうと思って駈出《かけだ》しました。

        七

 飯島家にては忠義の孝助が、お國と源次郎の奸策《わるだくみ》の一伍一什《いちぶしゞゅう》を立聞《たちぎゝ》致しまして、孝助は自分の部屋へ帰り、もう是までと思い詰め、姦夫《かんぷ》姦婦《かんぷ》を殺すより外《ほか》に手段《てだて》はないと忠心一|途《ず》に思い込み、それに就《つい》ては仮令《たとい》己《おれ》は死んでも此のお邸《やしき》を出まい、殿様に御別条《ごべつじょう》のないように仕ようと、是から加減が悪いとて引籠《ひきこも》っており、翌朝《よくちょう》になりますと殿様はお帰りになり、残暑の強い時分でありますから、お國は殿様の側で出来たてのお供《そなえ》見たように、団扇《うちわ》であおぎながら、
國「殿様御機嫌|宜《よろ》しゅう、私《わたくし》はもう殿様にお暑さのお中《あた》りでもなければよいと毎日心配ばかりしています」
飯「留守へ誰《たれ》も参りは致さなかったか」
國「あの相川《あいかわ》さまが一寸《ちょっと》お目通りが致したいと仰しゃって、お待ち申して居ります」
飯「ほウ相川|新五兵衞《しんごべえ》が、又医者でも頼みに参ったのかも知れん、いつもながら粗忽《そゝっ》かしい爺さんだよ、まア此方《こちら》へ通せ」
 と云っていると相川は
「ハイ御免下さい」
 と遠慮もなく案内も乞わず、ズカ/\奥へ通り、
相「殿様お帰りあそばせ、御機嫌さま、誠に存外の御無沙汰を致しました、何時《いつ》も相変らず御番疲《ごばんづか》れもなく、日々《にち/\》御苦労さまにぞんじます、厳しい残暑でございます」
飯「誠に熱い事で、おとくさまの御病気は如何《いかゞ》でござるな」
相「娘の病気もいろ/\と心配も致しましたが、何分にも捗々《はか/″\》しく参りませんで、それに就《つい》て誠にどうも……アヽ熱い、お國さま先達《せんだっ》ては誠に御馳走様に相成《あいな》りまして有難う、まだお礼もろく/\申上げませんで、へえ、アヽ熱い、誠に熱い、どうも熱い」
飯「まア少し落着《おちつ》けば風が這入《はい》って随分凉しくなります」
相「折入《おりい》って殿様にお願いの事がございまして、罷出《まかりいで》ました、何《ど》うかお聞済《きゝずみ》を願います」
飯「はてナ、どういう事で」
相「お國様やなにかには少々お話が出来兼《できかね》ますから、どうか御近習《ごきんじゅ》の方々を皆遠ざけて戴きとう存じます」
飯「左様か宜《よろ》しい、皆あちらへ参り、此方《こちら》へ参らん様にするが宜しい、シテ何《ど》ういうことで」
相「さて殿様、今日|態々《わざ/\》出ましたは折入って殿様にお願い申したいは娘の病気の事に就《つい》て出ましたが、御存じの通り彼《か》れの病気も永い事で、私《わたくし》も種々《いろ/\》と心配いたしましたけれども、病の様子が判然《はっきり》と解りませんでしたが、よう/\ナ昨晩当人が私《わたくし》の病は実は是々《これ/\》の訳だと申しましたから、なぜ早く云わん、けしからん奴だ、不孝ものであると小言は申しましたが、彼《あ》れは七歳の時母に別れ今年十八まで男の手に丹誠して育てましたにより、あの通りの初心《うぶ》な奴で何もかも知らん奴だから、そこが親馬鹿の譬《たとえ》の通りですが、殿様訳をお話し申してもお笑い下さるな、お蔑《さげす》み下さるな」
飯「どういう御病気で」
相「手前一人の娘でございますから、早くナ婿《むこ》でも貰い、楽隠居がしたいと思い、日頃信心|気《け》のない私《わたくし》なれども、娘の病気を治そうと思い、夏とは云いながら此の老人が水をあびて神仏《かみほとけ》へ祈るくらいな訳で、ところが昨夜娘のいうには、私《わたくし》の病気は実は是々《これ/\》といいましたが、其の事は乳母《おんば》にも云われないくらいな訳ですが、其処《そこ》が親馬鹿の譬《たとえ》の通り、お蔑《さげす》み下さるな」
飯「どういう御病気ですな」
相「私《わたくし》もだん/\と心配をいたして、どうか治してやりたいと心得、いろ/\医者にも掛けましたが、知れない訳で、是ばかりは神にも仏にも仕ようがないので、なぜ早く云わんと申しました」
飯「どういう訳で」
相「誠に申しにくい訳で、お笑い成さるな」
飯「何《なん》だかさっぱりと訳が解りませんね」
相「実は殿様が日頃お誉《ほ》めなさる此方《こちら》の孝助殿、あれは忠義な者で、以前は然《しか》るべき侍の胤《たね》でござろう、今は零落《おちぶれ》て草履取をしていても、志《こゝろざし》は親孝行のものだ、可愛《かわい》いものだと殿様がお誉めなされ、あれには兄弟も親族《みより》もない者だから、行々《ゆく/\》は己《おれ》が里方《さとかた》に成って他《ほか》へ養子にやり、相応な侍にしてやろうと仰しゃいますから、私《わたくし》も折々《おり/\》は宅《うち》の家来|善藏《ぜんぞう》などに、飯島様の孝助殿を見習えと叱り付けますものだから、台所のおさんまでが孝助さんは男振《おとこぶり》もよし人柄もよし、優しいと誉め、乳母《おんば》までが彼是《かれこれ》と誉めはやすものだから、娘も、殿様お笑い下さるな、私は汗の出るほど耻入《はじい》ります、実は疾《と》くより娘があの孝助殿を見染《みそ》め、恋煩《こいわずら》いをして居ります、誠に面目《めんぼく》ない、それをサ婆《ばゞ》アにもいわないで、漸《ようや》く昨夜になって申しましたから、なぜ早く云わん、一|合《ごう》取っても武士の娘という事が浄瑠璃本《じょうるりぼん》にもあるではないか、侍の娘が男を見染めて恋煩いをするなどとは不孝ものめ、仮令《たとい》一人の娘でも手打にする処《ところ》だが、併《しか》し紺看板《こんかんばん》に真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差した見る影もない者に惚れたというのは、孝助殿の男振の好《い》いのに惚れたか、又は姿の好いのに惚れ込んだかと難じてやりました、そうすると娘がお父《とっ》さま実は孝助殿の男振にも姿にも惚れたのではございません、外《ほか》に唯《たゞ》一つの見所《みどころ》がありますからと斯《こ》ういいますから、何処《どこ》に見所があると聞きますと、あのお忠義が見所でございます、主《しゅう》へ忠義のお方は、親にも孝行でございましょうねえ、といいましたから、それは親に孝なるものは主へ忠義、主へ忠なるものは親へは必ず孝なるものだといいますと、娘が私《わたくし》の家《うち》はお高《たか》は僅《わず》か百俵二|人扶持《にんふち》ですから、他家《ほか》から御養子をしてお父さまが御隠居をなさいましても、もし其の御養子が心の良くない人でも来た其の時は、此方《こちら》の高が少ないから、私の肩身が狭く、遂《つい》にはそれがために私までが、倶《とも》にお父さまを不孝にするように成っては済みません、私も只今まで御恩を受けましたにより何《ど》うか不孝をしたくない、就《つ》きましては仮令《たとい》草履取でも家来でも志の正しい人を養子にして、夫婦諸共親に孝行を尽《つく》したいと思いまして、孝助殿を見染め、寝ても覚めても諦められず、遂に病となりまして誠に相済みません、と涙を流して申しますから、私も至極《しごく》尤《もっと》もの様にも聞えますから、兎に角お願いに出て、殿様から孝助殿を申受けて来ようと云って参りましたが、どうかあの孝助殿を手前の養子に下さるように願います」
飯「それはまア有難いこと、差上げたいね」
相「ナニ下さる、あゝ有難かった」
飯「だが一応当人へ申聞《もうしき》けましょう、嘸《さぞ》悦ぶ事で、孝助が得心の上で確《しか》と御返事を申上げましょう」
相「孝助殿は宜《よろ》しい、貴方《あなた》さえ諾《うん》と仰しゃって下さればそれで宜しい」
飯「私が養子に参るのではありませんから、そうはいかない」
相「孝助殿はいやと云う気遣《きづか》いは決してありません、唯《たゞ》殿様から孝助行ってやれとお声掛りを願います、あれは忠義ものだから、殿様のお言葉は背《そむ》きません、私《わたくし》も当年五十五歳で、娘は十八になりましたから早く養子をして身体を固めてやりたい、殿様どうか願います」
飯「宜しい、差上げましょう、御胡乱《ごうろん》に思召《おぼしめ》すならば金打《きんちょう》でも致そうかね」
相「そのお言葉ばかりで沢山、有難うございます、早速娘に申し聞けましたら、嘸《さぞ》悦ぶ事でしょう、これがね殿様が孝助に一応申し聞け
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