夜中女ばかりの処へ男が這入り込むのは何《ど》うも訝《おか》しいと思っても宜《よ》かろうと思います」
國「お前はまアとんでもない事を云って、お隣の源さまにすまないよ、余《あんま》りじゃアないか、お前だって私の心を知っているじゃアないか」
と、両人の争って居るのを聞いていた源次郎は、人の妾でも奪《と》ろうという位な奴だからなか/\抜目《ぬけめ》はありません。そして其の頃は若殿と草履取とはお羽振が雲泥《うんでい》の違いであります、源次郎はずっと出て来て、
源「これ/\孝助何を申す、是へ出ろ」
孝「へい何か御用で」
源「手前今承れば、何かお國殿と己《おれ》と何か事情《わけ》でもありそうにいうが、己も養子に行《ゆ》く出世前の大切な身体だ、尤《もっと》も一旦|放蕩《ほうとう》をして勘当《かんどう》をされ、大塚の親類共へ預けられたから、左様思うも無理もないようだが、左様な事を云い掛けられては捨置《すておき》にならんぞ」
孝「御大切《ごたいせつ》の身の上を御存じなれば何故《なぜ》夜夜中女一人の処《ところ》へおいでなされました、あなた様が御自分に疵《きず》をお付けなさる様なものでございます、貴方《あなた》だッて男女《なんにょ》七歳にして席を同《おなじ》ゅうせず、瓜田《かでん》に履《くつ》を容《い》れず、李下《りか》に冠《かんむり》を正さず位の事は弁《わきま》えておりましょう」
源「黙れ左様な無礼な事を申して、若《も》し用があったらどう致す、イヤサ御主人がお留守でも用の足りる仔細《しさい》があったら何《ど》うする積りだ」
孝「殿様がお留守で御用の足りる筈《はず》はありません、へい若しありましたら御存分になさいまし」
源「然《しか》らば是を見い」
と投げ出す片紙《はがみ》の書面《しょめん》。孝助は手に取上《とりあ》げて読み下《くだ》すに、
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一|筆《ぴつ》申入候《もうしいれそろ》過日御約束|致置候《いたしおきそろ》中川漁船|行《こう》の儀は来月四日と致度《いたしたく》就《つい》ては釣道具|大半《なかば》破損致し居候間《おりそろあいだ》夜分にても御閑《おひま》の節|御入来之上《ごじゅらいのうえ》右釣道具|御繕《おんつくろ》い直し被下候様奉願上候《くだされたくねがいたてまつりそろ》。
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[#地から4字上げ]飯島平左衞門
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源次郎殿
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と孝助がよく/\見れば全く主人の手蹟《しゅせき》だから、これはと思うと。
源「どうだ手前は無筆ではあるまい、夜分にてもよいから来て釣道具を直して呉れろとの頼みの状だ、今夜は熱くて寝られないから、釣道具を直しに参った、然《しか》るを手前から疑念を掛けられ、悪名《あくみょう》を附けられ、甚《はなは》だ迷惑致す、貴様は如何《いかゞ》致す積りか」
孝「左様な御無理を仰しゃっては誠に困ります、此の書付《かきつけ》さえなければ喧嘩《けんか》は私《わたくし》が勝《かち》だけれども、書付が出たから私の方が負《まけ》に成ったのですが、何方《どっち》が悪いかとくと貴方《あなた》の胸に聞いて御覧遊ばせ、私は御当家様の家来でございます、無闇に斬っては済みますまい」
源「汝《うぬ》の様な汚《けが》れた奴《やっこ》を斬るかえ、打殺《ぶちころ》してしまうわ、何か棒はありませんか」
國「此処《こゝ》にあります」
とお國が重籐《しげとう》の弓の折《おれ》を取出《とりだ》し、源次郎に渡す。
孝「貴方様《あなたさま》、左様《そん》な御無理な事をして、私《わたくし》のような虚弱《ひよわ》い身体に疵《きず》でも出来ましては御奉公が勤まりません」
源「えい手前疑ぐるならば表向きに云えよ、何を証拠に左様《さよう》なことを申す、其のくらいならなぜお國殿と枕を並べている処《ところ》へ踏み込まん、拙者《せっしゃ》は御主人から頼まれたから参ったのだ、憎い奴め」
と云いながらはたと打《ぶ》つ。
孝「痛《いと》うございます、貴方《あなた》左様な事を仰しゃっても、篤《とく》と胸に聞いて御覧遊ばせ、虚弱《ひよわ》い草履取をお打《ぶ》ちなすッて」
源「黙れ」
といいざまヒュウ/\と続け打《う》ちに十二三も打《う》ちのめせば、孝助はヒイ/\と叫びながら、ころ/\と転《ころ》げ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、さも恨《うら》めしげに源次郎の顔を睨《にら》む所を、トーンと孝助の月代際《さかやきゞわ》を打割《うちわ》ったゆえ黒血《くろち》がタラ/\と流れる。
源「ぶち殺してもいゝ奴だが、命だけは助けてくれる、向後《こうご》左様の事を言うと助けては置かぬぞ、お國どの私《わたくし》はもう御当家へは参りません」
國「アレ入らっしゃらないと猶《なお》疑ぐられますよ」
と云うを聞入《きゝい》れず、源次郎は是を機会《しお》に跣足《はだし》にて根府川石《ねぶかわいし》の飛石《とびいし》を伝いて帰りました。
國「お前が悪いから打《ぶ》たれたのだよ、お隣の御二男様に飛んでもない事を云って済まないよ、お前こゝにいられちゃア迷惑だから出て行ってお呉れ」
と云いながら、痛みに苦しむ孝助の腰をトンと突いて、庭へ突き落《おと》すはずみに、根府川石に又痛く膝を打《う》ち、アッと云って倒れると、お國は雨戸をピッシャリ締めて奥へ入《い》る。後《あと》に孝助くやしき声を震わせ、
「畜生奴《ちくしょうめ》/\、犬畜生奴、自分達の悪い事を余所《よそ》にして私を酷《ひど》い目に逢わせる、殿様がお帰りになれば申上げて仕舞おうか、いや/\若《も》し此の事を表向きに殿様に申上げれば、屹度《きっと》あの両人と突合《つきあわ》せに成ると、向うには証拠の手紙があり、此方《こっち》は聞いたばかりの事だからどう云うても証拠になるまい、殊《こと》には向うは二男の勢い、此方《こちら》は悲しいかな草履取の軽い身分だから、お隣《となり》づからの義理でも私はお暇《いとま》になるに相違ない、私がいなければ殿様は殺されるに違いない、これはいっその事源次郎お國の両人を槍《やり》で突き殺して、自分は腹を切ってしまおう」
と、忠義無二の孝助が覚悟を定めましたが、さて此のあとは何《ど》うなりますか。
六
萩原新三郎は、独りクヨ/\として飯島のお嬢の事ばかり思い詰めています処《ところ》へ、折《おり》しも六月二十三日の事にて、山本志丈が訪ねて参りました。
志「其の後《ご》は存外の御無沙汰を致しました、ちょっと伺《うかゞ》うべきでございましたが、如何《いか》にも麻布辺からの事|故《ゆえ》、おッくうでもあり且《かつ》追々《おい/\》お熱く成って来たゆえ、藪医《やぶい》でも相応に病家《びょうか》もあり、何や彼《か》やで意外の御無沙汰、貴方《あなた》は何《ど》うもお顔の色が宜《よ》くない、なにお加減がわるいと、それは/\」
新「何分にも加減がわるく、四月の中旬頃《なかばごろ》からどっと寝て居ります、飯もろく/\たべられない位で困ります、お前さんもあれぎり来ないのは余《あんま》り酷《ひど》いじゃアありませんか、私《わたくし》も飯島さんの処《ところ》へ、ちょっと菓子折《かしおり》の一つも持ってお礼に行《ゆ》きたいと思っているのに、君が来ないから私は行《ゆ》きそこなっているのです」
志「さて、あの飯島のお嬢も、可愛《かわい》そうに亡くなりましたよ」
新「えゝお嬢が亡くなりましたとえ」
志「あの時僕が君を連れて行ったのが過《あやま》りで、向うのお嬢がぞっこん君に惚れ込んだ様子だ、あの時何か小座敷で訳があったに違いないが、深い事でもなかろうが、もし其の事が向うの親父《おやじ》さまにでも知れた日には、志丈が手引《てびき》した憎い奴め、斬って仕舞う、坊主首《ぼうずッくび》を打《ぶ》ち落す、といわれては僕も困るから、実はあれぎり参りもせんでいたところ、不図《ふと》此の間飯島のお邸《やしき》へまいり、平左衞門様にお目にかゝると、娘は歿《みま》かり、女中のお米も引続《ひきつゞ》き亡くなったと申されましたから、段々様子を聞きますと、全く君に焦《こが》れ死《じに》をしたという事です、本当に君は罪造りですよ、男も余《あんま》り美《よ》く生れると罪だねえ、死んだものは仕方がありませんからお念仏でも唱えてお上げなさい、左様なら」
新「あれさ志丈さん、あゝ往《い》って仕舞った、お嬢が死んだなら寺ぐらいは教えてくれゝばいゝに、聞こうと思っているうちに行って仕舞った、いけないねえ、併《しか》しお嬢は全く己《おれ》に惚れ込んで己を思って死んだのか」
と思うとカッと逆上《のぼ》せて来て、根が人がよいから猶々《なお/\》気が欝々《うつ/\》して病気が重くなり、それからはお嬢の俗名《ぞくみょう》を書いて仏壇に備え、毎日々々念仏三|昧《まい》で暮しましたが、今日しも盆の十三日なれば精霊棚《しょうりょうだな》の支度《したく》などを致してしまい、縁側へちょっと敷物を敷き、蚊遣《かやり》を薫《くゆ》らして、新三郎は白地の浴衣《ゆかた》を着、深草形《ふかくさがた》の団扇《うちわ》を片手に蚊を払いながら、冴《さ》え渡る十三日の月を眺めていますと、カラコン/\と珍らしく下駄の音をさせて生垣《いけがき》の外を通るものがあるから、不図見れば、先《さ》きへ立ったのは年頃三十位の大丸髷《おおまるまげ》の人柄のよい年増《としま》にて、其の頃|流行《はや》った縮緬細工《ちりめんざいく》の牡丹《ぼたん》芍薬《しゃくやく》などの花の附いた灯籠を提《さ》げ、其の後《あと》から十七八とも思われる娘が、髪は文金《ぶんきん》の高髷《たかまげ》に結い、着物は秋草色染《あきくさいろぞめ》の振袖《ふりそで》に、緋縮緬《ひぢりめん》の長襦袢《ながじゅばん》に繻子《しゅす》の帯をしどけなく締め、上方風《かみがたふう》の塗柄《ぬりえ》の団扇《うちわ》を持って、ぱたり/\と通る姿を、月影に透《すか》し見るに、何《ど》うも飯島の娘お露のようだから、新三郎は伸び上《あが》り、首を差し延べて向うを見ると、向うの女も立止まり、
女「まア不思議じゃアございませんか、萩原さま」
と云われて新三郎もそれと気が付き、
新「おや、お米さん、まアどうして」
米「誠に思いがけない、貴方様《あなたさま》はお亡くなり遊ばしたという事でしたに」
新「へえ、ナニあなたの方でお亡くなり遊ばしたと承わりましたが」
米「厭《いや》ですよ、縁起の悪い事ばかり仰しゃって、誰が左様な事を申しましたえ」
新「まアおはいりなさい、其処《そこ》の折戸《おりど》のところを明けて」
と云うから両人内へ這入《はい》れば、
新「誠に御無沙汰を致しました、先日山本志丈が来まして、あなた方御両人ともお亡くなりなすったと申しました」
米「おやまア彼奴《あいつ》が、私《わたくし》の方へ来ても貴方がお亡くなり遊ばしたといいましたが、私の考えでは、貴方様はお人がよいものだから旨く瞞《だま》したのです、お嬢様はお邸《やしき》に入らっしゃっても貴方の事|計《ばか》り思って入らっしゃるものだから、つい口に出て迂濶《うっか》りと、貴方の事を仰しゃるのが、ちら/\と御親父様《ごしんぷさま》のお耳にもはいり、又内にはお國という悪い妾がいるものですから邪魔を入れて、志丈に死んだと云わせ、互《たがい》に諦めさせようと、國の畜生がした事に違いはありませんよ、貴方がお亡くなり遊ばしたという事をお聞き遊ばして、お嬢様はおいとしいこと、剃髪《ていはつ》して尼に成ってしまうと仰しゃいますゆえ、そんな事を成すっては大変ですから、心でさえ尼に成った気で入らっしゃれば宜《よろ》しいと申上げて置きましたが、それでは志丈にそんな事をいわせ、互に諦めさせて置いて、お嬢さまに婿《むこ》を取れと御親父さまから仰しゃるのを、お嬢様は、婿は取りませんからどうかお宅《うち》には夫婦養子をしてくださいまし、そして他《ほか》へ縁付くのも否《いや》だと強情をお張り遊ばしたものですから、お宅が大層に揉めて、親御《おやご》さまがそんなら
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