大層|魘《うな》されていますね、恐《おそろ》しい声をして恟《びっく》りしました、風邪を引くといけませんよ」
 と云われて新三郎はやっと目を覚《さま》し、ハアと溜息《ためいき》をついて居るから。
伴「何《ど》うなさいましたか」
新「伴藏や己《おれ》の首が落ちては居ないか」
 と問われて、
伴「そうですねえ、船舷《ふなべり》で煙管《きせる》を叩くと能《よ》く雁首《がんくび》が川の中へ落っこちて困るもんですねえ」
新「そうじゃアない、己の首が落ちはしないかという事よ、何処《どこ》にも疵《きず》が付いてはいないか」
伴「何を御冗談を仰《おっ》しゃる、疵も何も有りは致しません」
 と云う。新三郎はお露に何《ど》うにもして逢いたいと思い続けているものだから、其の事を夢に見てビッショリ汗をかき、辻占《つじうら》が悪いから早く帰ろうと思い
「伴藏早く帰ろう」
 と船を急がして帰りまして、船が着いたから上《あが》ろうとすると。
伴「旦那こゝにこんな物が落ちて居ります」
 と差出《さしいだ》すを新三郎が手に取上《とりあ》げて見ますれば、飯島の娘と夢のうちにて取交《とりかわ》した、秋野に虫の模様の付いた香箱の蓋ばかりだから、ハッとばかりに奇異《きたい》の想《おもい》を致し、何《ど》うして此の蓋が我手《わがて》にある事かと恟《びっく》り致しました。

        五

 話|替《かわ》って、飯島平左衞門は凛々《りゝ》しい智者《ちえしゃ》にて諸芸に達し、とりわけ剣術は真影流の極意《ごくい》を極《きわ》めました名人にて、お齢《とし》四十ぐらい、人並《ひとなみ》に勝《すぐ》れたお方なれども、妾の國というが心得違いの奴にて、内々《ない/\》隣家《となり》の次男|源次郎《げんじろう》を引込《ひきこ》み楽しんで居りました。お國は人目を憚《はゞか》り庭口の開《ひら》き戸を明け置き、此処《こゝ》より源次郎を忍ばせる趣向《しゅこう》で、殿様のお泊番《とまりばん》の時には此処から忍んで来るのだが、奥向きの切盛《きりもり》は万事妾の國がする事ゆえ、誰《たれ》も此の様子を知る者は絶えてありません。今日しも七月二十一日殿様はお泊番の事ゆえ、源次郎を忍ばせようとの下心《したごゝろ》で、庭下駄を彼《か》の開き戸の側に並べ置き、
國「今日は熱くって堪《たま》らないから、風を入れないでは寝られない、雨戸を少しすかして置いてお呉れよ」
 と云附《いいつ》け置きました。さて源次郎は皆寝静まッたる様子を窺《うかゞ》い、そっと跣足《はだし》で庭石を伝わり、雨戸の明いた所から這《は》い上《あが》り、お國の寝間に忍び寄れば、
國「源次郎さま大層に遅いじゃアありませんか、私《わたくし》は何《ど》うなすッたかと思いましたよ、余《あん》まりですねえ」
源「私《わたくし》も早く来たいのだけれども、兄上もお姉様《あねえさま》もお母様《はゝさま》もお休みにならず、奉公人までが皆熱い/\と渋団扇《しぶうちわ》を持って、あおぎ立てゝ凉んでいて仕方がないから、今まで我慢して、よう/\の思いで忍んで来たのだが、人に知れやアしないかねえ」
國「大丈夫知れッこはありませんよ、殿様があなたを御贔屓《ごひいき》に遊ばすから知れやアしませんよ、あなたの御勘当《ごかんどう》が許《ゆ》りてから此の家《うち》へ度々《たび/\》お出《いで》になれるように致しましたのも、皆|私《わたくし》が側で殿様へ旨く取《とり》なし、あなたをよく思わせたのですよ、殿様はなか/\凛々《りゝ》しいお方ですから、貴方《あなた》と私との間《なか》が少しでも変な様子があれば気取《けど》られますのだが、些《ちっと》も知れませんよ」
源「実に伯父さまは一通りならざる智者《ちしゃ》だから、私《わたくし》は本当に怖いよ、私も放蕩《ほうとう》を働き、大塚《おおつか》の親類へ預けられていたのを、当家《こちら》の伯父さんのお蔭《かげ》で家《うち》へ帰れるように成った、其の恩人の寵愛《ちょうあい》なさるお前と斯《こ》うやっているのが知れては実に済まないよ」
國「あゝいう事を仰《おっ》しゃる、あなたは本当に情《じょう》がありませんよ、私《わたくし》は貴方《あなた》のためなら死んでも決して厭《いと》いませんよ、何《なん》ですねえ、そんな事ばかり仰しゃって、私の傍《そば》へ来ない算段ばかり遊ばすのですものを、アノ源さま、こちらの家《うち》でも此の間お嬢様がお逝《かく》れになって、今は外《ほか》に御家督《ごかとく》がありませんから、是非とも御夫婦養子をせねばなりません、それに就《つい》てはお隣の源次郎様をと内々《ない/\》殿様にお勧め申しましたら、殿様が源次郎はまだ若くッて了簡《りょうけん》が定まらんからいかんと仰しゃいましたよ」
源「そうだろう、恩人の愛妾《あいしょう》の所へ忍び来るような訳だから、どうせ了簡が定まりゃアしないや」
國「私《わたくし》は殿様の側に何時《いつ》までも附いていて、殿様が長生《ながいき》をなすって、貴方《あなた》は外《ほか》へ御養子にでも入らっしゃれば、お目にかゝる事は出来ません、其の上綺麗な奥様でもお持ちなさろうものなら、國のくの字も仰しゃる気遣《きづか》いはありませんよ、それですから貴方が本当に信実《しんじつ》がおあり遊ばすならば、私の願《ねがい》を叶《かな》えて、内《うち》の殿様を殺して下さいましな」
源「情があるから出来ないよ、私《わたくし》の為《た》めには恩人の伯父さんだもの、何《ど》うしてそんな事が出来るものかね」
國「こうなる上からは、もう恩も義理もありはしませんやね」
源「それでも伯父さんは牛込|名代《なだい》の真影流の達人だから、手前如きものが二十人ぐらい掛っても敵《かな》う訳のものではないよ、其の上|私《わたくし》は剣術が極《ごく》下手《へた》だもの」
國「そりゃア貴方《あなた》はお剣術はお下手《へーた》さね」
源「そんなにオヘータと力を入れて云うには及ばない、それだから何《ど》うもいけないよ」
國「貴方は剣術はお下手《へた》だが、よく殿様と一緒に釣《つり》にいらっしゃいましょう、アノ来月四日はたしか中川へ釣にいらっしゃるお約束がありましょう、其の時殿様を船から川の中へ突落《つきおと》して殺しておしまいなさいよ」
源「成程伯父さんは水練《すいれん》を御存じないが、矢張り船頭がいるからいけないよ」
國「船頭を斬ってお仕舞い遊ばせな、なんぼ貴方が剣術がお下手でも、船頭ぐらいは斬れましょう」
源「それは斬れますとも」
國「殿様が落ちたというので、貴方は立腹して、早く探させてはいけませんよ、いろ/\理窟《りくつ》をなが/\と二時《ふたとき》ばかりも言っていてそれから船頭に探させ、死骸を船に揚《あ》げてから不届《ふとゞき》な奴だといって船頭を斬ってお仕舞いなさい、それから帰り路《みち》に船宿《ふなやど》に寄って、船頭が麁相《そそう》で殿様を川へ落し、殿様は死去されたれば、手前は言訳《いいわけ》がないから船頭は其の場で手打《てうち》に致したが、船頭ばかりでは相済まんぞ、亭主其の方も斬って仕舞うのだが、内分《ないぶん》で済ませて遣《つか》わすにより、此の事は決して口外致すなと仰しゃれば、船宿の亭主も自分の命にかゝわる事ですから口外する気遣《きづか》いはありません、それから貴方はお邸《やしき》へお帰りになって、知らん顔でいて、お兄様《あにいさま》に隣家《となり》では家督《かとく》がないから早く養子に遣《や》ってくれ/\と仰しゃれば、此方《こなた》は別に御親類もないからお頭《かしら》に話を致し、貴方を御養子のお届けを致しますまでは、殿様は御病気の届けを致して置いて、貴方の家督相続が済みましてから、殿様の死去のお届を致せば、貴方は此家《こちら》の御養子様、そうすると私《わたくし》は何時《いつ》までも貴方の側に粘《へば》り附いていて動きません、此方《こちら》の家《うち》は貴方のお家より、余程《よっぽど》大尽《だいじん》ですから、召物《めしもの》でもお腰のものでも結構なのが沢山ありますよ」
源「これは旨い趣向だ、考えたね」
國「私《わたくし》は三日三晩寝ずに考えましたよ」
源「是は至極《しごく》宜《よろ》しい、どうも宜しい」
 と源次郎は慾張《よくばり》と助平《すけべい》とが合併して乗気《のりき》に成り、両人がひそ/\語り合っているを、忠義無類の孝助という草履取が、御門《ごもん》の男部屋に紙帳《しちょう》を吊って寝て見たが、何分にも熱くって寝付かれないものだから、渋団扇《しぶうちわ》を持って、
「どうも今年の様に熱い事はありゃアしない」
 と云いながら、お庭をぶら/″\歩いていると、板塀《いたべい》の三|尺《じゃく》の開《ひら》きがバタリ/\と風にあおられているのを見て、
孝「締りをして置いたのに何《ど》うして開《あ》いたのだろう、おや庭下駄が並べてあるぞ、誰《だれ》が来たな、隣家《となり》の次男めがお國さんと様子が訝《おか》しいから、ことによったら密通《くッつ》いているのかも知れん」
 と抜足《ぬきあし》してそっと此方《こなた》へまいり、沓脱石《くつぬぎいし》へ手を支えて座敷の様子を窺《うかゞ》うと、自分が命を捨てゝも奉公をいたそうと思っている殿様を殺すという相談に、孝助は大《おお》いに怒《いか》り、歳《とし》はまだ二十一でございますが、負けない気性だから、怒りの余り思わず知らずガッと鼻を鳴らす。
源「お國さん誰《たれ》か来たようだよ」
國「貴方《あなた》は本当に臆病《おくびょう》で入らっしゃるよ、誰《たれ》も参りは致しません」
 と耳を立てゝ聞けば人の居る様子ですから、
國「誰《だれ》だえ、其処《そこ》に居るのは」
孝「へい孝助でございます」
國「本当にまア呆《あき》れますよ、夜夜中《よるよなか》奥向《おくむき》の庭口へ這入《はい》り込んで済みますかえ」
孝「熱くッて/\仕様がございませんから凉みに参りました」
國「今晩は殿様はお泊番《とまりばん》だよ」
孝「毎月《まいげつ》二十一日のお泊番は知っています」
國「殿様のお泊番を知りながらなぜ門番をしない、御門番《ごもんばん》は御門をさえ堅く守って居《い》れば宜《い》いのに、熱いからといって女|計《ばか》りいる庭先へ来てすみますか」
孝「へい御門番だからといって御門計りを守っては居《お》りませんへい、庭も奥も守ります、へい方々《ほう/″\》を守るのが役でございます、御門番だからと申して奥へ盗賊《どろぼう》が這入り、殿様とチャン/\切合《きりあ》っているに門ばかり見てはいられません」
國「新参者のくせに、殿様のお気に入りだものだから、此の節では増長して大層お羽振《はぶり》が宜《い》いよ、奥向を守るのは私《わたし》の役だ、部屋へ帰って寝てお仕舞い」
孝「そうですか、貴方が奥向のお守りをして、斯様《かよう》に三尺戸《さんじゃくど》を開けて置いて宜《よろ》しゅうございますか、庭口の戸が開いていると犬が這入って来ます、何《なん》でも犬畜生の恩も義理も知らん奴が、殿様の大切にして入らっしゃるものをむしゃ/\喰っていますから、私《わたくし》は夜通し此処《こゝ》に張番《はりばん》をしています、此所《こゝ》に下駄が脱いでありますから、何でも人間が這入ったに違いはありません」
國「そうサ、先刻《さっき》お隣の源さまが入らっしゃったのサ」
孝「へえ、源さまが何《なに》御用で入らっしゃいました」
國「何《なん》の御用でも宜《よ》いじゃアないか、草履取の身の上でお前は御門さえ守っていればよいのだよ」
孝「毎月《まいげつ》二十一日は殿様お泊番の事は、お隣の御次男様もよく御存じでいらっしゃいますに、殿様のお留守の処へお出《いで》に成って、御用が足りるとはこりゃア変でございますな」
國「何が変だえ、殿様に御用があるのではない」
孝「殿様に御用ではなく、あなたに内証《ないしょう》の御用でしょう」
國「おや/\お前はそんな事を言って私を疑ぐるね」
孝「何も疑ぐりはしませんのに、疑ぐると思うのが余程《よっぽど》おかしい、夜
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