であったのう」
孝「左様でございます、只今より十八年以前、本郷三丁目の藤村屋新兵衞と申しまする刀屋の前で斬られました」
平「それは何月|幾日《いくか》の事だの」
孝「へい、四月十一日だと申すことでございます」
平「シテ手前の親父は何《なん》と申す者だ」
孝「元は小出様の御家来にて、お馬廻《うまゝわり》の役を勤め、食禄《しょくろく》百五十石を頂戴致して居りました黒川孝藏と申しました」
 と云われて飯島平左衞門はギックリと胸にこたえ、恟《びっく》りし、指折り数うれば十八年以前|聊《いさゝか》の間違いから手に掛けたは此の孝助の実父で有ったか、己《おれ》を実父の仇《あだ》と知らず奉公に来たかと思えば何《なん》とやら心悪く思いましたが、素知らぬ顔して、
平「それは嘸《さぞ》残念に思うで有ろうな」
孝「へい親父の仇討《かたきうち》が致しとうございますが、何を申しますにも相手は立派なお侍様でございますから、どう致しても剣術を知りませんでは親の仇討は出来ませんゆえ、十一歳の時から今日《きょう》まで剣術を覚えたいと心掛けて居りましたが、漸々《よう/\》のことで御当家様にまいりまして、誠に嬉しゅうございます、是からはお剣術を教えて戴《いたゞ》き、覚えました上は、それこそ死にもの狂いに成って親の敵《かたき》を討ちますから、どうぞ剣術を教えて下さいませ」
平「孝心な者じゃ、教えてやるが手前は親の敵《かたき》を討つというが、敵の面体《めんてい》を知らんで居て、相手は立派な剣術遣《けんじゅつつかい》で、もし今|己《おれ》が手前の敵だと云ってみす/\鼻の先へ敵が出たら其の時は手前どうするか」
孝「困りますな、みす/\鼻の先へ敵《かたき》が出れば仕方がございませんから、立派な侍でも何《なん》でもかまいません、飛《とび》ついて喉笛《のどぶえ》でも喰い取ってやります」
平「気性《きしょう》な奴だ、心配いたすな、若《も》し敵《かたき》の知れた其の時は、此の飯島が助太刀《すけだち》をして敵を屹度《きっと》討たせてやるから、心丈夫に身を厭《いと》い、随分大切に奉公をしろ」
孝「殿様本当にあなた様が助太刀をして下さいますか、有難う存じます、殿様がお助太刀をして下さいますれば、敵《かたき》の十人位は出て参りましても大丈夫です、あゝ有難うございます、有難うございます」
平「己《おれ》が助太刀をしてやるのをそれ程までに嬉しいか可愛《かわい》そうな奴だ」
 と飯島平左衞門は孝心に感じ、機《おり》を見て自《みずか》ら孝助の敵《かたき》と名告《なの》り、討たれてやろうと常に心に掛けて居りました。

        四

 さて萩原新三郎は山本志丈と一緒に臥竜梅へ梅見に連れられ、その帰るさに彼《か》の飯島の別荘に立寄り、不図《ふと》彼の嬢様の姿を思い詰め、互いに只手を手拭《てぬぐい》の上から握り合ったばかりで、実に枕を並べて寝たよりも猶《なお》深く思い合いました。昔のものは皆こういう事に固うございました。ところが当節のお方はちょっと洒落《しゃれ》半分に
「君ちょっと来たまえ、雑魚寝《ざこね》で」
 と、男がいえば、女の方で
「お戯《ふざ》けでないよ」
 又男の方でも
「そう君のように云っては困るねえ、否《いや》なら否だと判然《はっきり》云い給え、否なら又|外《ほか》を聞いて見よう」
 と明店《あきだな》か何かを捜す気に成っている位なものでございますが、萩原新三郎はあのお露どのと更に猥《いや》らしい事は致しませんでしたが、実に枕をも並べて一ツ寝でも致したごとく思い詰めましたが、新三郎は人が良いものですから一人で逢いに行《ゆ》くことが出来ません、逢いに参って若《も》し万一《ひょっと》飯島の家来にでも見付けられてはと思えば行《ゆ》く事もならず、志丈が来れば是非お礼|旁々《かた/″\》行《ゆ》きたいものだと思っておりましたが、志丈は一向に参りません。志丈も中々さるものゆえ、あの時萩原とお嬢との様子が訝《おか》しいから、若《も》し万一《まんいち》の事があって、事の顕《あら》われた日には大変、坊主首《ぼうずッくび》を斬られなければならん、これは危険《けんのん》、君子《くんし》は危《あやう》きに近寄らずというから行《ゆ》かぬ方がよいと、二月三月四月と過ぎても一向に志丈が訪ねて来ませんから、新三郎は独《ひと》りくよ/\お嬢のことばかり思い詰めて、食事もろく/\進みませんで居りますと、或日《あるひ》のこと孫店《まごだな》に夫婦暮しで住む伴藏《ともぞう》と申す者が訪ねて参り。
伴「旦那様、此の頃は貴方様《あなたさま》は何《ど》うなさいました、ろく/\御膳《ごぜん》も上《あが》りませんで、今日はお昼食《ひる》もあがりませんな」
新「あゝ食べないよ」
伴「上《あが》らなくっちゃアいけませんよ、今の若さに一膳半ぐらいの御膳が上《あが》れんとは、私《わたくし》などは親椀《おやわん》で山盛りにして五六杯も喰わなくっちゃアちっとも物を食べたような気持が致しやせん、あなた様はちっとも外出《そとで》をなさいませんな、此の二月でしたっけナ、山本さんと御一緒に梅見にお出掛けに成って、何か洒落《しゃれ》をおっしゃいましたっけナ、ちっと御保養をなさいませんと本当に毒ですよ」
新「伴藏貴様はあの釣《つり》が好きだっけな」
伴「へい釣は好きのなんのッて、本当にお飯《まんま》より好きでございます」
新「左様か、そうならば一緒に釣に出掛けようかのう」
伴「あなたは慥《たし》か釣はお嫌いではありませんか」
新「何《なん》だか急にむか/\と釣が好きになったよ」
伴「へい、むか/\とお好きに成って、そして何方《どちら》へ釣にいらっしゃるお積りで」
新「そうサ、柳島の横川で大層釣れるというから彼処《あすこ》へ往《ゆ》こうか」
伴「横川というのは彼《あ》の中川へ出る処《ところ》ですかえ、そうしてあんな処で何が釣れますえ」
新「大きな鰹《かつお》が釣れるとよ」
伴「馬鹿な事を仰《おっ》しゃい、川で鰹が釣れますものかね、たか/″\鰡《いな》か※[#「魚+節」、27−14]《たなご》ぐらいのものでございましょう、兎も角もいらっしゃるならばお供をいたしましょう」
 と弁当の用意を致し、酒を吸筒《すいづゝ》へ詰込みまして、神田の昌平橋《しょうへいばし》の船宿から漁夫《りょうし》を雇い乗出《のりだ》しましたれど、新三郎は釣はしたくはないが、唯《たゞ》飯島の別荘のお嬢の様子を垣の外からなりとも見ましょうとの心組《こゝろぐみ》でございますから、新三郎は持って来た吸筒の酒にグッスリと酔って、船の中で寝込んでしまいましたが、伴藏は一人で日の暮《くれ》るまで釣を致して居ましたが、新三郎が寝たようだから、
伴「旦那え/\お風をひきますよ、五月頃は兎角冷えますから、旦那え/\、是は余りお酒を勧めすぎたかな」
 新三郎はふと見ると横川のようだから。
新「伴藏こゝは何処《どこ》だ」
伴「へい此処《こゝ》は横川です」
 と云われて傍《かたえ》の岸辺を見ますと、二重の建仁寺《けんにんじ》の垣に潜《くゞ》り門がありましたが、是は確《たしか》に飯島の別荘と思い、
新「伴藏や一寸《ちょっと》此処《こゝ》へ着けて呉れ、一寸行って来る所があるから」
伴「こんな所へ着けて何方《どちら》へ入らっしゃるのですえ、私《わッち》も御一緒に参りましょう」
新「お前は其処《そこ》に待っていなよ」
伴「だってそのための伴藏ではございませんか、お供を致しましょう」
新「野暮《やぼ》だのう、色にはなまじ連れは邪魔よ」
伴「イヨお洒落《しゃれ》でげすね、宜《よ》うがすねえ」
 という途端に岸に船を着けましたから、新三郎は飯島の門の処へまいり、ブル/\慄《ふる》えながらそっと家《うち》の様子を覗《のぞ》き、門が少し明いてるようだから押して見ると明いたから、ずっと中へ這入《はい》り、予《かね》て勝手を知っている事|故《ゆえ》、だん/\と庭伝いに参り、泉水縁《せんすいべり》に赤松の生えてある処から生垣《いけがき》に附いて廻れば、こゝは四畳半にて嬢様のお部屋でございました。お露も同じ思いで、新三郎に別れてから其の事ばかり思い詰め、三月から煩《わずら》って居ります所へ、新三郎は折戸《おりど》の所へ参り、そっとうちの様子を覗《のぞ》き込みますと、うちでは嬢様は新三郎の事ばかり思い続けて、誰《たれ》を見ましても新三郎のように見える処へ、本当の新三郎が来た事ゆえ、ハッと思い
「貴方《あなた》は新三郎さまか」
 と云えば、
新「静かに/\、其の後《ご》は大層に御無沙汰を致しました、鳥渡《ちょっと》お礼に上《あが》るんでございましたが、山本志丈があれぎり参りませんものですから、私《わたくし》一人では何分《なにぶん》間が悪くッて上りませんだった」
露「よくまア入《いら》っしゃいました」
 ともう耻しいことも何も忘れてしまい、無理に新三郎の手を取ってお上《あが》り遊ばせと蚊帳《かや》の中へ引きずり込みました。お露は只もう嬉しいのが込み上げて物が云われず、新三郎の膝に両手を突いたなりで、嬉し涙を新三郎の膝にホロリと零《こぼ》しました。これが本当の嬉し涙です。他人の所へ悔《くや》みに行って零す空涙《そらなみだ》とは違います。新三郎ももう是までだ、知れても構わんと心得、蚊帳の中《うち》で互《たがい》に嬉しき枕をかわしました。
露「新三郎さま、是は私《わたくし》の母《かゝ》さまから譲られました大事な香箱《こうばこ》でございます、どうか私の形見と思召《おぼしめ》しお預り下さい」
 と差出《さしだ》すを手に取って見ますと、秋野に虫の象眼入《ぞうがんいり》の結構な品で、お露は此の蓋《ふた》を新三郎に渡し、自分は其の身の方《ほう》を取って互に語り合う所へ、隔《へだ》ての襖《ふすま》をサラリと引き明けて出て来ましたは、おつゆの親御《おやご》飯島平左衞門様でございます。両人は此の体《てい》を見てハッとばかりに恟《びっく》り致しましたが、逃げることもならず、唯うろ/\して居る所へ、平左衞門は雪洞《ぼんぼり》をズッと差《さし》つけ、声を怒《いか》らし。
平「コレ露これへ出ろ、又貴様は何者だ」
新「へい、手前は萩原新三郎と申す粗忽《そこつ》の浪士でございます、誠に相済みません事を致しました」
平「露、手前はヤレ國がどうのこうの云うの、親父《おやじ》がやかましいの、どうか閑静な所へ行《ゆ》きたいのと、さま/″\の事を云うから、此の別荘に置けば、斯様《かよう》なる男を引きずり込み、親の目を掠《かす》めて不義を働きたい為《た》めに閑地《かんち》へ引込《ひきこ》んだのであろう、これ苟《かりそ》めにも天下|御直参《ごじきさん》の娘が、男を引入れるという事がパッと世間に流布《るふ》致せば、飯島は家事不取締《かじふとりしまり》だと云われ家名《かめい》を汚《けが》し、第一御先祖へ対して相済まん、不孝不義の不届《ふとゞき》ものめが、手打《てうち》にするから左様心得ろ」
新「暫《しばら》くお待ち下さい、其のお腹立《はらだち》は重々《じゅう/″\》御尤《ごもっとも》でございますが、お嬢様が私《わたくし》を引きずり込み不義を遊ばしたのではなく、手前が此の二月始めて罷出《まかりい》でまして、お嬢様を唆《そゝの》かしたので、全く手前の罪でお嬢様には少しもお科《とが》はございません、どうぞ嬢様はお助けなすって私を」
露「いゝえ、お父様《とっさま》私《わたくし》が悪いのでございます、どうぞ私をお斬り遊ばして、新三郎様をばお助け下さいまし」
 と互《たがい》に死を争いながら平左衞門の側へ摺寄《すりよ》りますと、平左衞門は剛刀《ごうとう》をスラリと引抜《ひきぬ》き、
「誰彼《たれかれ》と容赦《ようしゃ》はない、不義は同罪、娘から先へ斬る、観念しろ」
 と云いさま片手なぐりにヤッと下《くだ》した腕の冴《さ》え、島田の首がコロリと前へ落ちました時、萩原新三郎はアッとばかりに驚いて前へのめる処を、頬《ほゝ》より腮《あご》へ掛けてズンと切られ、ウーンと云って倒れると。
伴「旦那え/\
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