出たり出たり引込んだり、恰《まる》で鵜《う》の水呑《みずのみ》/\」
 と噪《さわ》ぎどよめいている処《ところ》へ下女のお米|出《い》で来《きた》り
「嬢様から一|献《こん》申し上げますが何もございません、真《ほん》の田舎料理でございますが御緩《ごゆる》りと召上り相変らず貴方《あなた》の御冗談を伺《うかゞ》いたいと仰《おっ》しゃいます」
 と酒肴《さけさかな》を出《い》だせば、
志「何《ど》うも恐入りましたな、へい是はお吸物誠に有難うございます、先刻《さっき》から冷酒《れいしゅ》は持参致しておりまするが、お燗酒《かんしゅ》は又格別、有難うございます、何卒《どうぞ》嬢様にも入《いら》っしゃるように今日は梅じゃアない実はお嬢様を、いやなに」
米「ホヽヽヽ只今左様申し上げましたが、お連《つれ》のお方は御存じがないものですから間が悪いと仰しゃいますから、それならお止《よ》し遊ばせと申し上げた処《ところ》が、それでも往《い》って見たいと仰しゃいますの」
志「いや、此《これ》は僕の真《しん》の知己《ちかづき》にて、竹馬の友と申しても宜《よろ》しい位なもので、御遠慮には及びませぬ、何卒《どうぞ》ちょっと嬢様にお目にかゝりたくって参りました」
 と云えば、お米はやがて嬢様を伴い来《きた》る。嬢様のお露様は恥かしげにお米の後《うしろ》に坐って、口の中《うち》にて
「志丈さん入《いら》っしゃいまし」
 と云ったぎりで、お米が此方《こちら》へ来れば此方へ来《きた》り、彼方《あちら》へ行《ゆ》けば彼方へ行き、始終女中の後《うしろ》にばかりくッついて居る。
志「存じながら御無沙汰に相成りまして、何時《いつ》も御無事で、此の人は僕の知己《ちかづき》にて萩原新三郎と申します独身者《ひとりもの》でございますが、お近づきの為《た》め一寸《ちょっと》お盃《さかづき》を頂戴いたさせましょう、おや何だかこれでは御婚礼の三々九度《さかづき》のようでございます」
 と少しも間断《たれま》なく取巻きますと、嬢様は恥かしいが又嬉しく、萩原新三郎を横目にじろ/\見ない振《ふり》をしながら見て居ります。と気があれば目も口ほどに物をいうと云う譬《たとえ》の通り、新三郎もお嬢様の艶容《やさすがた》に見惚《みと》れ、魂も天外に飛ぶ計《ばか》りです。そうこうする中《うち》に夕景になり、灯火《あかり》がちら/\点《つ》く時刻となりましたけれども、新三郎は一向に帰ろうと云わないから。
志「大層に長座《ちょうざ》を致しました、さお暇《いとま》を致しましょう」
米「何ですねえ志丈さん、貴方《あなた》はお連様《つれさま》もありますからまア宜《よ》いじゃアありませんか、お泊りなさいな」
新「僕は宜《よろ》しゅうございます、泊って参っても宜しゅうございます」
志「それじゃア僕一人憎まれ者になるのだ、併《しか》し又|斯様《かよう》な時は憎まれるのが却《かえ》って親切になるかも知れない、今日はまず是迄《これまで》としておさらば/\」
新「鳥渡《ちょっと》便所を拝借致しとうございます」
米「さア此方《こちら》へ入《いら》っしゃいませ」
 と先に立って案内を致し、廊下伝いに参り
「此処《こゝ》が嬢様のお室《へや》でございますから、まアお這入り遊ばして一服召上って入っしゃいまし」
 新三郎は
「有難うございます」
 と云いながら用場《ようば》へ這入りました。
米「お嬢様え、彼《あ》のお方が、出て入《いら》っしゃったらばお水《ひや》を掛けてお上げ遊ばせ、お手拭《てぬぐい》は此処《こゝ》にございます」
 と新しい手拭を嬢様に渡し置き、お米は此方《こちら》へ帰りながら、お嬢様があゝいうお方に水を掛けて上げたならば嘸《さぞ》お嬉しかろう、彼《あ》のお方は余程《よっぽど》御意《ぎょい》に適《かな》った様子。と独言《ひとりごと》をいいながら元の座敷へ参りましたが、忠義も度を外《はず》すと却《かえ》って不忠に陥《お》ちて、お米は決して主人に猥《みだ》らな事をさせる積りではないが、何時《いつ》も嬢様は別にお楽《たのし》みもなく、鬱《ふさ》いでばかり入《いら》っしゃるから、斯《こ》ういう冗談でもしたら少しはお気晴《きばら》しになるだろうと思い、主人のためを思ってしたので。さて萩原は便所から出て参りますと、嬢様は恥かしいのが一杯で只|茫然《ぼんやり》としてお水《ひや》を掛けましょうとも何とも云わず、湯桶《ゆおけ》を両手に支えているを、新三郎は見て取り、
新「是は恐れ入ります、憚《はゞか》りさま」
 と両手を差伸《さしの》べれば、お嬢様は恥かしいのが一杯なれば、目も眩《くら》み、見当違いのところへ水を掛けておりますから、新三郎の手も彼方此方《あちらこちら》と追《おい》かけて漸《ようよ》う手を洗い、嬢様が手拭をと差出してもモジ/\している間《うち》、新三郎も此のお嬢は真《しん》に美しいものと思い詰めながら、ずっと手を出し手拭を取ろうとすると、まだもじ/\していて放さないから、新三郎も手拭の上からこわ/″\ながらその手をじっと握りましたが、此の手を握るのは誠に愛情の深いものでございます。お嬢様は手を握られ真赤《まっか》に成って、又その手を握り返している。此方《こちら》は山本志丈が新三郎が便所へ行《ゆ》き、余り手間取るを訝《いぶか》り
志「新三郎君は何処《どこ》へ行《ゆ》かれました、さア帰りましょう」
 と急《せ》き立てればお米は瞞《ごま》かし、
米「貴方《あなた》何《な》んですねえ、おや貴方《あなた》のお頭《つむり》がぴか/\光ってまいりましたよ」
志「なにさそれは灯火《あかり》で見るから光るのですわね、萩原氏々々」
 と呼立てれば、
米「何《な》んですねえ、宜《よ》うございますよう、貴方《あなた》はお嬢様のお気質も御存じではありませんか、お堅いから仔細《しさい》はありませんよ」
 と云って居ります所へ新三郎が漸《よう》よう出て来ましたから、
志「君|何方《どちら》にいました、いざ帰りましょう、左様なればお暇《いとま》申します、今日は種々《いろ/\》御馳走に相成りました、有難うございます」
米「左様なら、今日はまア誠にお草々《そう/\》さま左様なら」
 と志丈新三郎の両人は打連《うちつ》れ立《だ》ちて帰りましたが、帰る時にお嬢様が新三郎に
「貴方《あなた》また来て下さらなければ私《わたくし》は死んでしまいますよ」
 と無量の情を含んで言われた言葉が、新三郎の耳に残り、暫《しば》しも忘れる暇《ひま》はありませなんだ。

        三

 さても飯島様のお邸《やしき》の方《かた》にては、お妾お國が腹一杯の我儘《わがまゝ》を働く間《うち》、今度|抱《かゝ》え入れた草履取《ぞうりとり》の孝助《こうすけ》は、年頃二十一二にて色白の綺麗な男ぶりで、今日しも三月二十二日殿様平左衞門様にはお非番でいらっしゃれば、庭先へ出《い》て[#「出《い》て」はママ]、彼方此方《あちらこちら》を眺めおられる時、此の新参の孝助を見掛け。
平「これ/\手前は孝助と申すか」
孝「へい殿様には御機嫌|宜《よろ》しゅう、私《わたくし》は孝助と申しまする新参者でございます」
平「其の方は新参者でも蔭日向《かげひなた》なくよく働くといって大分《だいぶ》評判がよく、皆の受《うけ》がよいぞ、年頃は二十一二と見えるが、人品《ひとがら》といい男ぶりといい草履取には惜しいものだな」
孝「殿様には此の間中《あいだじゅう》御不快でございましたそうで、お案じ申上げましたが、さしたる事もございませんか」
平「おゝよく尋ねて呉れた、別にさしたる事もないが、して手前は今まで何方《いずかた》へか奉公をした事があったか」
孝「へい只今まで方々奉公も致しました、先《ま》ず一番先に四谷《よツや》の金物商《かなものや》へ参りましたが一年程居りまして駈出《かけだ》しました、それから新橋《しんばし》の鍜冶屋《かじや》へ参り、三|月《つき》程過ぎて駈出し、又|仲通《なかどお》りの絵草紙屋《えぞうしや》へ参りましたが、十|日《か》で駈出しました」
平「其の方のようにそう厭《あ》きては奉公は出来ないぞ」
孝「いえ私《わたくし》が倦《あ》きっぽいのではございませんが、私はどうぞして武家奉公が致したいと思い、其の訳を叔父に頼みましても、叔父は武家奉公は面倒だから町家《ちょうか》へ往《ゆ》けと申しまして彼方此方《あちらこちら》奉公にやりますから、私も面当《つらあて》に駈出してやりました」
平「其の方は窮屈な武家奉公をしたいというのは如何《いかゞ》な訳じゃ」
孝「へい、私《わたくし》は武家奉公を致しお剣術を覚えたいのでへい」
平「はて剣術が好きとな」
孝「へい番町《ばんちょう》の栗橋《くりはし》様が御当家様《こちらさま》は、真影流《しんかげりゅう》の御名人《ごめいじん》と承わりました故、何《ど》うぞして御両家の内へ御奉公に上《あが》りたいと思いましていました処《ところ》、漸々《よう/\》の思いで御当家様《こちらさま》へお召抱《めしかゝ》えに相成り、念が届いて有難うございます、どうぞお殿様のお暇《ひま》の節には、少々ずつにてもお稽古が願われようかと存じまして参りました、御当家様《こちらさま》に若様でも入《いら》っしゃいます事ならば、若様のお守《もり》をしながら皆様がお稽古を遊ばすのをお側で拝見致していましても、型ぐらいは覚えられましょうと存じましたに、若様はいらっしゃらず、お嬢様には柳島の御別荘にいらっしゃいまして、お年はお十七とのこと、これが若様なれば余程《よっぽど》宜《よろ》しゅうございますに、お武家様にお嬢様は糞《くそ》ったれでございますなア」
平「はゝゝ、遠慮のない奴、これは大《おお》きにさようだ、武家では女は実に糞ったれだのう」
孝「うっかりと飛んでもない事を申上げ、お気に障《さわ》りましたら御勘弁をねがいます、どうぞ只今もお願い申上げまする通りお暇の節にはお剣術を願われますまいか」
平「此の程は役が替《かわ》ってから稽古場もなく、誠に多端《たゝん》ではあるが、暇《ひま》の節に随分教えてもやろう、其の方《ほう》の叔父は何商売じゃの」
孝「へい彼《あれ》は本当の叔父ではございません、親父《おやじ》の店受《たなうけ》で、ちょっと間に合わせの叔父でございます」
平「何かえ母親《おふくろ》は幾歳《いくつ》になるか」
孝「母親《おふくろ》は私《わたくし》の四歳《よッつ》の時に私を置去りに致しまして、越後の国へ往ってしまいましたそうです」
平「左様か、大分《だいぶ》不人情の女だの」
孝「いえ、それと申しまするのも親父の不身持《ふみもち》に愛想《あいそう》を尽かしての事でございます」
平「親父はまだ存生《ぞんしょう》か」
 と問われて、孝助は
「へい」
 と云いながら悄々《しお/\》として申しまするには、
「親父も亡くなりました、私《わたくし》には兄弟も親類もございませんゆえ、誰《たれ》あって育てる者もないところから、店受《たなうけ》の安兵衞《やすべえ》さんに引取られ、四歳《よッつ》の時から養育を受けまして、只今では叔父分となり、斯様《かよう》に御当家様へ御奉公に参りました、どうぞ何時《いつ》までもお目掛けられて下さいませ」
 と云いさしてハラ/\と落涙《らくるい》を致しますから、飯島平左衞門様も目をしばたゝき、
平[#「平」は底本では「孝」]「感心な奴だ、手前ぐらいな年頃には親の忌日《きにち》さえ知らずに暮らすものだに、親はと聞かれて涙を流すとは親孝行な奴じゃて、親父は此の頃亡くなったのか」
孝「へい、親父の亡くなりましたは私《わたくし》の四歳《よッつ》の時でございます」
平「それでは両親の顔も知るまいのう」
孝「へい、ちっとも存じませんが、私《わたくし》の十一歳の時に始めて店受《たなうけ》の叔父から母親《おふくろ》の事や親父の事も聞きました」
平「親父はどうして亡くなったか」
孝「へい、斬殺《きりころ》されて」
 と云いさしてわっとばかりに泣き沈む。
平「それは又|如何《いかゞ》の間違いで、とんでもない事
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