を、若侍は得たりと踏込みざま、えイと一声《ひとこえ》肩先を深くプッツリと切込む、斬られて孝藏はアッと叫び片膝を突く処をのしかゝり、エイと左の肩より胸元へ切付《きりつ》けましたから、斜《はす》に三つに切られて何だか亀井戸《かめいど》の葛餅《くずもち》のように成ってしまいました。若侍は直《すぐ》と立派に止《とゞ》めを刺して、血刀《ちがたな》を振《ふる》いながら藤新の店頭《みせさき》へ立帰《たちかえ》りましたが、本《もと》より斬殺《きりころ》す料簡でございましたから、些《ちっ》とも動ずる気色もなく、我が下郎に向い、
侍「これ藤助、その天水桶《てんすいおけ》の水を此の刀にかけろ」
 と言いつければ、最前《さいぜん》より慄《ふる》えて居りました藤助は、
藤「へいとんでもない事になりました、若《も》し此の事から大殿様のお名前でも出ますようの事がございましては相済みません、元は皆《みん》な私《わたくし》から始まった事、どう致して宜《よろ》しゅうございましょう」
 と半分は死人の顔。
侍「いや左様《さよう》に心配するには及ばぬ、市中を騒がす乱暴人、切捨《きりす》てゝも苦しくない奴だ、心配するな」
 と下郎を慰めながら泰然として、呆気《あっけ》に取られたる藤新の亭主を呼び、
侍「こりゃ御亭主や、此の刀はこれ程切れようとも思いませんだったが、なか/\斬れますな、余程|能《よ》く斬れる」
 といえば亭主は慄《ふる》えながら、
亭「いや貴方様《あなたさま》のお手が冴《さ》えているからでございます」
侍「いや/\全く刃物がよい、どうじゃな、七両二分に負けても宜《よ》かろうな」
 と云えば藤新は係合《かゝりあい》を恐れ、
「宜しゅうございます」
侍「いやお前の店には決して迷惑は掛けません、兎に角此の事を直《す》ぐに自身番に届けなければならん、名刺《なふだ》を書くから一寸《ちょっと》硯箱《すゞりばこ》を貸して呉れろ」
 と云われても、亭主は己《おの》れの傍《そば》に硯箱のあるのも眼に入《い》らず、慄《ふる》え声《ごえ》にて、
「小僧や硯箱を持って来い」
 と呼べど、家内《かない》の者は先《さ》きの騒ぎに何《いず》れへか逃げてしまい、一人も居りませんから、寂然《ひっそり》として返事がなければ、
侍「御亭主、お前は流石《さすが》に御渡世柄《ごとせいがら》だけあって此の店を一寸《ちょっと》も動かず、自若《じじゃく》としてござるは感心な者だな」
亭「いえナニお誉《ほ》めで恐入ります、先程から早腰《はやごし》が抜けて立てないので」
侍「硯箱はお前の側《わき》にあるじゃアないか」
 と云われてよう/\心付き、硯箱を彼《か》の侍の前に差出すと、侍は硯箱の蓋《ふた》を推開《おしひら》きて筆を取り、すら/\と名前を飯島平太郎《いいじまへいたろう》と書きおわり、自身番に届け置き、牛込のお邸《やしき》へお帰りに成りまして、此の始末を、御親父《ごしんぷ》飯島|平左衞門《へいざえもん》様にお話を申上《もうしあ》げましたれば、平左衞門様は宜《よ》く斬ったと仰《おお》せありて、それから直《すぐ》にお頭《かしら》たる小林權太夫《こばやしごんだゆう》殿へお届けに及びましたが、させるお咎《とが》めもなく切り徳《どく》切られ損《ぞん》となりました。

        二

 さて飯島平太郎様は、お年二十二の時に悪者《わるもの》を斬殺《きりころ》して毫《ちっと》も動ぜぬ剛気の胆力《たんりょく》でございましたれば、お年を取るに随《したが》い、益々《ます/\》智慧《ちえ》が進みましたが、その後《のち》御親父《ごしんぷ》様には亡くなられ、平太郎様には御家督《ごかとく》を御相続あそばし、御親父様の御名跡《ごみょうせき》をお嗣《つ》ぎ遊ばし、平左衞門と改名され、水道端《すいどうばた》の三宅《みやけ》様と申上げまするお旗下《はたもと》から奥様をお迎えになりまして、程なく御出生《ごしゅっしょう》のお女子《にょし》をお露《つゆ》様と申し上げ、頗《すこぶ》る御器量美《ごきりょうよし》なれば、御両親は掌中《たなぞこ》の璧《たま》と愛《め》で慈《いつく》しみ、後《あと》にお子供が出来ませず、一粒種の事なれば猶《なお》さらに撫育《ひそう》される中《うち》、隙《ひま》ゆく月日《つきひ》に関守《せきもり》なく、今年は早《は》や嬢様は十六の春を迎えられ、お家《いえ》もいよ/\御繁昌《ごはんじょう》でございましたが、盈《み》つれば虧《か》くる世のならい、奥様には不図《ふと》した事が元となり、遂《つい》に帰らぬ旅路に赴《おもむ》かれましたところ、此の奥様のお附《つき》の人に、お國《くに》と申す女中がございまして、器量人並に勝《すぐ》れ、殊《こと》に起居周旋《たちいとりまわし》に如才《じょさい》なければ、殿様にも独寝《ひとりね》の閨《ねや》淋しいところから早晩《いつか》此のお國にお手がつき、お國は到頭《とうとう》お妾《めかけ》となり済しましたが、奥様のない家《うち》のお妾なればお羽振《はぶり》もずんと宜《よろ》しい。然《しか》るにお嬢様は此のお國を憎く思い、互《たがい》にすれ/\になり、國々と呼び附けますると、お國は又お嬢様に呼捨《よびすて》にされるを厭《いや》に思い、お嬢様の事を悪《あし》ざまに殿様に彼是《かれこれ》と告口《つげくち》をするので、嬢様と國との間|何《な》んとなく落着《おちつ》かず、されば飯島様もこれを面倒な事に思いまして、柳島辺《やなぎしまへん》に或《ある》寮を買い、嬢様にお米《よね》と申す女中を附けて、此の寮に別居させて置きましたが、そも飯島様のあやまりにて、是よりお家《いえ》のわるくなる初めでございました。さて其の年も暮れ、明《あく》れば嬢様は十七歳にお成りあそばしました。こゝに予《かね》て飯島様へお出入《でいり》のお医者に山本志丈《やまもとしじょう》と申す者がございます。此の人一体は古方家《こほうか》ではありますけれど、実はお幇間医者《たいこいしゃ》のお喋《しゃべ》りで、諸人助けのために匙《さじ》を手に取らないという人物でございますれば、大概のお医者なれば、一寸《ちょっと》紙入《かみいれ》の中にもお丸薬《がんやく》か散薬《こぐすり》でも這入《はい》っていますが、此の志丈の紙入の中には手品の種や百眼《ひゃくまなこ》などが入れてある位なものでございます。さて此の医者の知己《ちかづき》で、根津《ねづ》の清水谷《しみずだに》に田畑《でんぱた》や貸長屋を持ち、その上《あが》りで生計《くらし》を立てゝいる浪人の、萩原新三郎《はぎわらしんざぶろう》と申します者が有りまして、生《うま》れつき美男《びなん》で、年は二十一歳なれどもまだ妻をも娶《めと》らず、独身で暮す鰥《やもお》に似ず、極《ごく》内気でございますから、外出《そとで》も致さず閉籠《とじこも》り、鬱々《うつ/\》と書見《しょけん》のみして居ります処《ところ》へ、或日《あるひ》志丈が尋ねて参り、
志「今日は天気も宜《よろ》しければ亀井戸の臥竜梅《がりょうばい》へ出掛け、その帰るさに僕の知己《ちかづき》飯島平左衞門の別荘へ立寄りましょう、いえサ君は一体内気で入らっしゃるから婦女子にお心掛けなさいませんが、男子に取っては婦女子位|楽《たのし》みなものはないので、今申した飯島の別荘には婦人ばかりで、それは/\余程|別嬪《べっぴん》な嬢様に親切な忠義の女中と只《たゞ》二人ぎりですから、冗談でも申して来ましょう、本当に嬢様の別嬪を見るだけでも結構なくらいで、梅もよろしいが動きもしない口もきゝません、されども婦人は口もきくしサ動きもします、僕などは助平《すけべい》の性《たち》だから余程女の方が宜しい、マア兎も角も来たまえ」
 と誘い出しまして、二人|打連《うちつ》れ臥竜梅へまいり、その帰り路《みち》に飯島の別荘へ立寄り、
志「御免下さい、誠にしばらく」
 という声聞き附け、
米「何方《どなた》さま、おや、よく入《いら》っしゃいました」
志「是はお米《よね》さん、其の後《のち》は遂《つい》にない存外の御無沙汰《ごぶさた》をいたしました、嬢様にはお変りもなく、それは/\頂上々々、牛込から此処《こゝ》へお引移《ひきうつ》りになりましてからは、何分にも遠方ゆえ、存じながら御無沙汰に成りまして誠に相済みません」
米「まア貴方《あなた》が久しくお見えなさいませんから何《ど》うなすったかと思って、毎度お噂を申して居りました、今日は何方《どちら》へ」
志「今日は臥竜梅へ梅見に出かけましたが、梅見れば方図《ほうず》がないという譬《たとえ》の通り、未《ま》だ慊《あき》たらず、御庭中《ごていちゅう》の梅花《ばいか》を拝見いたしたく参りました」
米「それは宜《よ》く入らっしゃいました、まア何卒《どうぞ》此方《こちら》へお入《はい》りあそばせ」
 と庭の切戸《きりど》を開《ひら》きくれゝば、
「然《しか》らば御免」
 と庭口へ通ると、お米は如才《じょさい》なく、
米「まア一服召上りませ、今日は能《よ》く入らっしゃって下さいました、平常《ふだん》は私《わたくし》と嬢様ばかりですから、淋《さむ》しくって困って居《い》るところ、誠に有難うございます」
志「結構なお住いでげすな……さて萩原氏、今日君のお名吟《めいぎん》は恐れ入りましたな、何《なん》とか申したな、えゝと「煙草には燧火《すりび》のむまし梅の中《なか》」とは感服々々、僕などのような横着者《おうちゃくもの》は出る句も矢張り横着で「梅ほめて紛《まぎ》らかしけり門違《かどちが》い」かね、君のような書見《しょけん》ばかりして鬱々《うつ/\》としてはいけませんよ、先刻《さっき》の残酒《ざんしゅ》が此処《こゝ》にあるから一杯あがれよ…何《な》んですね、厭《いや》です…それでは独《ひと》りで頂戴いたします」
 と瓢箪《ひょうたん》を取り出す所へお米|出《い》で来《きた》り、
米「どうも誠にしばらく」
志「今日は嬢様に拝顔《はいがん》を得たく参りました、此処《こゝ》に居《い》るは僕が極《ごく》の親友です、今日はお土産《みやげ》も何《なん》にも持参致しません、エヘヽ有難うございます、是は恐れ入ります、お菓子を、羊羹《ようかん》結構、萩原君召し上れよ」
 とお米が茶へ湯をさしに行ったあとを見送り、
「こゝの家《うち》は女二人ぎりで、菓子などは方々から貰っても、喰い切れずに積上げて置くものだから、皆|黴《かび》を生《はや》かして捨てるくらいのものですから、喰ってやるのが却《かえ》って親切ですから召上れよ、実に此の家《うち》のお嬢様は天下に無い美人です、今に出て入《いら》っしゃるから御覧なさい」
 とお喋《しゃべ》りをしている処《ところ》へ向うの四畳半の小座敷から、飯島のお嬢さまお露が人珍らしいから、障子の隙間《すきま》より此方《こちら》を覗《のぞ》いて見ると、志丈の傍《そば》に坐っているのは例の美男《びなん》萩原新三郎にて、男ぶりといい人品《ひとがら》といい、花の顔《かんばせ》月の眉、女子《おなご》にして見まほしき優男《やさおとこ》だから、ゾッと身に染《し》み何《ど》うした風の吹廻《ふきまわ》しであんな綺麗な殿御《とのご》が此処《こゝ》へ来たのかと思うと、カッと逆上《のぼ》せて耳朶《みゝたぼ》が火の如くカッと真紅《まっか》になり、何《なん》となく間が悪くなりましたから、はたと障子をしめきり、裡《うち》へ入ったが、障子の内では男の顔が見られないから、又そっと障子を明けて庭の梅の花を眺める態《ふり》をしながら、ちょい/\と萩原の顔を見て又恥かしくなり、障子の内へ這入《はい》るかと思えば又出て来る、出たり引込《ひっこ》んだり引込んだり出たり、もじ/\しているのを志丈は見つけ、
志「萩原君、君を嬢様が先刻《さっき》から熟々《しけ/″\》と見ておりますよ、梅の花を見る態《ふり》をしていても、眼の球《たま》は全《まる》で此方《こちら》を見ているよ、今日は頓《とん》と君に蹴られたね」
 と言いながらお嬢様の方を見て
「アレ又|引込《ひっこ》んだ、アラ又出た、引込んだり
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