月影に見れば、一人は田中の中間喧嘩の龜藏、見紛《みまご》う方《かた》なき面部の古疵《ふるきず》、一人は元召使いの相助なれば、源次郎は二度|恟《びっく》り、
源「これ、相助ではないか」
相「これは御次男様、誠に暫《しばら》く」
源「まア安心した、本当に恟りした」
國「私も恟りして腰が抜けた様だったが、相助どんかえ」
相「誠にヘイ面目ありません」
源「手前は未《ま》だ斯様《かよう》な悪い事をしているか」
相「実はお屋敷をお暇《いとま》に成って、藤田の時藏と田中の龜藏と私と三人|揃《そろ》って出やしたが、何処《どこ》へも行《い》く所はなし、何《ど》うしたら宜かろうかと考えながら、ぶら/\と宇都宮へ参りやして、雲助になり、何うやら斯《こ》うやらやっているうち、時藏は傷寒《しょうかん》を煩《わずら》って死んでしまい、金はなくなって来た処から、ついふら/\と出来心で泥坊をやったが病付《やみつき》となり、此の間道《かんどう》はよく宇都宮の女郎を連れて、鹿沼の方へ駈落するものが時々あるので、こゝに待伏せして、サア出せと一言《ひとこと》いえば、私は剣術を知らねえでも、怖がって直《じ》きに置いて行くような弱い奴ばっかりですから、今日もうっかり源様と知らず掛かりましたが、貴方に抜かれりゃアおッ切られてしまう処、誠になんともはや」
源「これ龜藏、手前も泥坊をするのか」
龜「へい雲助をしていやしたが、ろくな酒も飲めねえから太く短くやッつけろと、今では斯《こん》な事をしておりやす」
 と云われ、源次郎は暫《しば》し小首を傾《かた》げて居りましたが、
「好《い》い所で手前達に逢うた、手前達も飯島の孝助には遺恨があろうな」
龜「えゝ、ある所じゃアありやせん、川の中へ放り込まれ、石で頭を打裂《ぶっさ》き、相助と二人ながら大曲りでは酷《ひど》い目に逢い、這々《ほう/\》の体《てい》で逃げ返った処が、此方《こっち》はお暇《いとま》、孝助はぬくぬくと奉公しているというのだ、今でも口惜しくって堪《たま》りませんが、彼奴《あいつ》はどうしました」
源「誰《たれ》も外《ほか》に聞いている者はなかろうな」
相「へい誰《たれ》がいるものですか」
源「此の國の兄の宅《たく》は杉原町の越後屋五郎三郎だから、暫《しばら》く彼処《あすこ》に匿《かく》まわれていたところ、母というのは義理ある後妻だが、不思議な事でそれが孝助の実母であるとよ、此の間母が江戸見物に行った時孝助に廻《めぐ》り逢い、悉《くわ》しい様子を孝助から残らず母が聞取り、手引をして我を打たせんと宇都宮へ連れては来たが、義理堅い女だから、亡父五兵衞の位牌へ対してお國を討たしては済まないという所で、路銀まで貰い、斯《こ》うやって立たせてはくれたものゝ、其処《そこ》は血肉を分けた親子の間、事によると後《あと》から追掛けさせ、やって来《き》まいものでもないが、何《ど》うしてか手前《てめえ》らが加勢して孝助を殺してくれゝば、多分の礼は出来ないが、二十金やろうじゃないか」
龜「宜しゅうございやす、随分やッつけましょう」
相「龜藏|安受合《やすうけあい》するなよ、彼奴《あいつ》と大曲で喧嘩した時、大溝《おおどぶ》の中へ放り込まれ、水を喰《くら》ってよう/\逃帰ったくらい、彼奴ア途方もなく剣術が旨いから、迂濶《うっか》り打《たゝ》き合うと叶《かな》やアしない」
龜「それは又工夫がある、鉄砲じゃア仕様があるめえ、十郎ヶ峰あたりへ待受け、源さまは清水流れの石橋の下へ隠れて居て、己達《おらたち》ゃア林の間に身を隠している所へ、孝助がやって来《く》りゃア、橋を渡り切った所で、己が鉄砲を鼻ッ先へ突付けるのだ、孝助が驚いて後《あと》へさがれば、源さまが飛出して斬付けりゃア挟《はさ》み打ち[#「挟《はさ》み打ち」は底本では「狭《はさ》み打ち」]、わきアねえ、遁《に》げるも引くも出来アしねえ」
源「じゃアどうか工夫してくれろ、何分頼む」
 と是から龜藏は何処《どこ》からか三|挺《ちょう》の鉄砲を持ってまいり、皆々連立ち十郎ヶ峰に孝助の来るを待受けました。

        二十一の下

 さて相川孝助は宇都宮池上町の角屋へ泊り、其の晩九ツの鐘の鳴るのを待ち掛けました処、もう今にも九ツだろうと思うから、刀の下緒《さげお》を取りまして襷《たすき》といたし、裏と表の目釘《めくぎ》を湿《しめ》し、養父相川新五兵衞から譲り受けた藤四郎吉光の刀をさし、主人飯島平左衞門より形見に譲られた天正助定を差添《さしぞえ》といたしまして、橋を渡りて板塀の横へ忍んで這入りますと、三尺の開き戸が明いていますから、ハヽアこれは母が明けて置いてくれたのだなと忍んで行《ゆ》きますと、母の云う通り四畳半の小座敷がありますから、雨戸の側《わき》へ立寄り、耳を寄せて内の様子を窺《うかゞ》いますと、家内は一体に寝静まったと見え、奉公人の鼾《いびき》の声のみしんといたしまして、池上町と杉原町の境に橋がありまして、其の下を流れます水の音のみいたしております。孝助はもう家内が寝たかと耳を寄せて聞きますと、内では小声で念仏を唱えている声がいたしますから、ハテ誰《だれ》か念仏を唱えているものがあるそうだなと思いながら、雨戸へ手を掛けて細目に明けると、母のおりゑが念珠《ねんじゅ》を爪繰りまして念仏を唱えているから、孝助は不審に思い小声になり。
孝「お母《っか》さま、これはお母様のお寝間でございますか、ひょっと場所を取違えましたか」
母「はい、源次郎お國は私が手引をいたしまして疾《とく》に逃がしましたよ」
 と云われて孝助は恟《びっく》りし、
孝「えゝ、お逃し遊ばしましたと」
母「はい十九年ぶりでお前に逢い、懐かしさのあまり、源次郎お國は私の家《うち》へ匿《かく》まってあるから手引きをして、私が討たせると云ったのは女の浅慮《あさはか》、お前と道々来ながらも、お前に手引きをして両人を討たしては、私が再縁した樋口屋五兵衞どのに済まないと考えながら来ました、今こゝの家の主人五郎三郎は、十三の時お國が十一の時から世話になりましたから実の子も同じ事、お前は離縁をして黒川の家《いえ》へ置いて来た縁のない孝助だから、両人《ふたり》を手引をして逃がしました、それは全く私がしたに違いないから、お前は敵《かたき》の縁に繋《つな》がる私を殺し、お國源次郎の後《あと》を追掛けて勝手に敵をお討ちなさい」
 と云われ孝助は呆れて、
孝「えゝお母様、それは何ゆえ縁が切れたと仰しゃいます、成程親は乱酒でございますから、あなたも愛想《あいそ》が尽きて、私の四ツの時に置いてお出《で》になった位ですから、よく/\の事で、お怨み申しませんが、私《わたくし》は縁は切れても血統《ちすじ》は切れない実のお母さま、私は物心が付きましてお母様はお達者か、御無事でおいでかと案じてばかりおりました所、此度《こんど》図《はか》らずお目にかゝりましたのは日頃|神信心《かみしんじん》をしたお蔭だ、殊《こと》にあなたがお手引をなすって、お國源次郎を討たせて下さると仰しゃッたから、此の上もない有難いことと喜んでおりました、それを今晩になってお前には縁がない、越後屋に縁がある、あかの他人に手引をする縁がないと仰しゃるはお情ない、左様なお心なら、江戸表にいる内に何故《なぜ》これ/\と明かしては下さいません、私も敵の行方を知らなければ知らないなりに、又|外々《ほか/\》を捜し、仮令《たとえ》草を分けてもお國源次郎を討たずには置きません、それをお逃がし遊ばしては、仮令今から跡を追かけて行《い》きましても、両人《ふたり》は姿を変えて逃げますから、私には討てませんから、主人の家を立てる事は出来ません、縁は切れても血統《ちすじ》は切れません、縁が切れても血統が切れても宜しゅうございますが、余りの事でございます」
 と怨みつ泣きつ口説き立て、思わず母の膝の上に手をついて揺《ゆす》ぶりました。母は中々|落着《おちつき》ものですから、
母「成程お前は屋敷奉公をしただけに理窟をいう、縁が切れても血統《ちすじ》は切れない、それを私が手引きをして敵を討たなければ、お前は主人飯島様の家を立てる事が出来ないから、其の言訳《いいわけ》は斯《こ》うしてする」
 と膝の下にある懐剣を抜くより早く、咽喉《のど》へガバリッと突き立てましたから、孝助は恟《びっく》りし、慌《あわ》てゝ縋《すが》り付き、
孝「お母様《っかさま》何故《なにゆえ》御自害なさいました、お母様ア/\/\」
 と力に任せて叫びます。気丈な母ですから、懐剣を抜いて溢《あふ》れ落《おち》る血を拭《ぬぐ》って、ホッ/\とつく息も絶え/″\になり、面色《めんしょく》土気色に変じ、息を絶つばかり、
母「孝助々々、縁は切れても、ホッ/\血統《ちすじ》は切れんという道理に迫り、素《もと》より私は両人《ふたり》を逃がせば死ぬ覚悟、ホッ/\江戸で白翁堂に相《み》て貰った時、お前は死相が出たから死ぬと云われたが、実に人相の名人という先生の云われた事が今思い当りました、ホッ/\再縁した家の娘がお前の主人を殺すと云うは実に何《なん》たる悪縁か、さア死んで行《ゆ》く身、今息を留めれば此の世にない身体、ホッ/\幽霊が云うと思えば五郎三郎に義理はありますまい、お國源次郎の逃げて行った道だけを教えてやるからよく聞けよ」
 と云いながら孝助の手を取って膝に引寄せる。孝助は思わずも大声を出して
「情ない」
 と云う声が聞えたから、五郎三郎は何事かと来て障子を明けて見れば此の始末、五郎三郎は素《もと》より正直者だから母の側に縋り付き、
五「お母様《っかさま》/\、それだから私が申さない事ではありません、孝助様|後《あと》で御挨拶を致します、私はお國の兄で、十三の時から御恩になり、暖簾《のれん》を分けて戴いたもお母様のお蔭、悪人のお國に義理を立て、何故《なぜ》御自害をなさいました」
 と云う声が耳に通じたか、母は五郎三郎の顔をじっと見詰め、苦しい息をつきながら、
母「五郎三郎、お前はちいさい時から正当《しょうとう》な人で、お前には似合わない彼《あ》のお國なれども、義理に対しお位牌に対し、私が逃がしました、又孝助へ義理の立たんというは、血統《ちすじ》のものが恩義を受けた主人の家が立たないという義理を思い、自害をいたしたので、何《ど》うかお國源次郎の逃げ道を教えてやりたいが、ハッ/\必ずお前怨んでお呉れでないよ」
五「いゝえ、怨む所ではありません、あなたおせつないから私が申しましょう、孝助様お聞き下さい、宇都の宮の宿外《しゅくはず》れに慈光寺という寺がありますから、其の寺を抜けて右へ往《ゆ》くと八幡山、それから十郎ヶ峯から鹿沼へ出ますから、貴方《あなた》お早くおいでなさい、ナアニ女の足ですから沢山は行《ゆ》きますまいから、早くお國と源次郎の首を二つ取って、お母様《っかさま》のお目の見える内に御覧にお入れなさい、早く/\」
 と云うから孝助は泣きながら、
孝「はい/\お母様、五郎三郎さんがお國と源次郎の逃げた道を教えて呉れましたから、遠く逃げんうちに跡追っかけ、両人《ふたり》の首を討ってお目にかけます」
 という声|漸《ようや》く耳に通じ、
母「ホッ/\勇ましい其の言葉|何《ど》うか早く敵を討って御主人様のお家《いえ》をたてゝ、立派な人に成って呉れホッ/\、五郎三郎殿此の孝助は外《ほか》に兄弟もない身の上、また五郎三郎殿も一粒種だから、これで敵は敵として、これからは何うか実の兄弟と思い、互に力になり合って私の菩提を頼みますヨウ/\」
 と云いながら、孝助と五郎三郎の手を取って引き寄せますから、両人《ふたり》は泣く/\介抱するうちに次第々々に声も細り、苦しき声で、
母「ホッ/\早く行《ゆ》かんか/\」
 と云って血のある懐剣を引き抜いて、
「さア源次郎お國は此の懐剣で止《とゞ》めを刺せ」
 と云いたいがもう云えない。孝助は懐剣を受取り、血を拭い、敵を討って立帰り、お母様に御覧に入れたいが、此の分では之《こ》れがお顔の見納めだろうと、心の中《うち》で念仏を唱え、
孝「五郎
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