三郎さん、どうか何分願います」
 と出掛けては見たが、今母上が最後の際《きわ》だから行《ゆ》き切れないで、又帰って来ますと、気丈な母ですから血だらけで這出しながら、虫の息で、
母「早く行《ゆ》かんか/\」
 と云うから、孝助は
「へい往《ゆ》きます」
 と後《あと》に心は残りますが、敵を逃がしては一大事と思い、跡を追って行《ゆ》きました。先刻からこれを立聞きして居た龜藏は、ソリャこそと思い、孝助より先《さ》きへ駆けぬけて、トッ/\と駆けて行《ゆ》きまして、
龜「源さま、私《わっち》が今立聞をしていたら、孝助の母親《おふくろ》が咽喉《のど》を突いて、お前《なれ》[#「お前《なれ》」はママ]さん方の逃げた道を孝助に教《おせ》えたから、こゝへ追掛《おっか》けて来るに違《ちげ》えねえから、お前《めえ》さんは此の石橋の下へ抜身《ぬきみ》の姿《なり》で隠れていて、孝助が石橋を一つ渡った所で、私共が孝助に鉄砲を向けますから、そうすると後《あと》へ下《さが》る所を後から突然《だしぬけ》に斬っておしまいなさい」
源「ウム宜しい、ぬかっちゃアいけないよ」
 と源次郎は石橋の下へ忍び、抜身を持って待ち構え、他《ほか》の者は十郎ヶ峰の向《むこう》の雑木山《ぞうきやま》へ登って、鉄砲を持って待っている所へ、かくとは知らず孝助は、息をもつかず追掛《おっか》けて来て、石橋まで来て渡りかけると、
龜「待て孝助」
 と云うから、孝助が見ると鉄砲を持っている様《よう》だから、
孝「火縄を持って何者だ」
 と向うを見ますと喧嘩の龜藏が、
龜「やい孝助己を忘れたか、牛込にいた龜藏だ、よく己を酷《ひど》い目にあわせたな、手前《てめえ》が源様の跡を追っかけて来たら殺そうと思って待っているのだ」
相「いえー孝助|手前《てめえ》のお蔭で屋敷を追出されて盗賊《どろぼう》をするように成った、今|此処《こゝ》で鉄砲で打ち殺すんだからそう思え」
 と云えばお國も鉄砲を向けて、
國「孝助、サア迚《とて》も逃げられねえから打たれて死んでしまやアがれ」
 孝助は後《あと》へ下《さが》って刀を引き抜きながら声張り上げて。
孝「卑怯《ひきょう》だ、源次郎、下人《げにん》や女をこゝへ出して雑木山に隠れているか、手前《てめえ》も立派な侍じゃアないか、卑怯だ」
 という声が真夜中だからビーンと響きます。源次郎は孝助の後《うしろ》から逃げたら討とうと思っていますから、孝助は進めば鉄砲で討たれる、退《しりぞ》けば源次郎がいて進退|此《こゝ》に谷《きわま》りて、一生懸命に成ったから、額と総身《そうしん》から油汗が出ます。此の時孝助が図らず胸に浮んだのは、予《かね》て良石和尚も云われたが、退《ひ》くに利あらず進むに利あり、仮令《たとえ》火の中水の中でも突切《つッきっ》て往《ゆ》かなければ本望《ほんもう》を遂げる事は出来ない、憶《おく》して後《あと》へ下《さが》る時は討たれると云うのは此の時なり、仮令一発二発の鉄砲|丸《だま》に当っても何程の事あるべき、踏込んで敵《かたき》を討たずに置くべきやと、ふいに切込み、卑怯だと云いながら喧嘩龜藏の腕を切り落しました。龜藏は孝助が鉄砲に恐れて後《あと》へ下《さが》るように、わざと鼻の先へ出していた所へ、ふいに切込まれたのだから、アッと云って後《あと》へ下《さが》ったが間に合わない、手を切って落すと鉄砲もドッサリと切落して仕舞いました。昔から随分腕の利《き》いた者は瓶《かめ》を切り、妙珍鍛《みょうちんきたえ》の兜《かぶと》を割《き》った例《ためし》もありますが、孝助はそれほど腕が利いておりませんが、鉄砲を切り落せる訳で、あの辺は芋畑が沢山あるから、其の芋茎《ずいき》へ火縄を巻き付けて、それを持って追剥《おいはぎ》がよく旅人《りょじん》を威《おど》して金を取るという事を、予《かね》て龜藏が聞いて知ってるから、そいつを持って孝助を威かした。芋茎だから誰にでも切れます。是《こ》れなら圓朝にでも切れます。龜藏が
「アッ」
 と云って倒れたから、相助は驚いて逃出す所を、後ろから切掛《きりかけ》るのを見て、お國は
「アレ人殺し」
 と云いながら鉄砲を放り出して雑木山へ逃げ込んだが、木の中だから帯が木の枝に纒《から》まってよろける所を一刀《ひとたち》あびせると、
「アッ」
 と云って倒れる。源次郎は此の有様を見て、おのれお國を斬った憎い奴と孝助を斬ろうとしたが、雑木山で木が邪魔に成って斬れない所を、孝助は後《うしろ》から来る奴があると思って、いきなり振返りながら源次郎の肋《あばら》へ掛けて斬りましたが、殺しませんでお國と源次郎の髻《もとどり》を取って栗の根株に突き付けまして、
孝「やい悪人わりゃア恩義を忘却して、昨年七月廿一日に主人飯島平左衞門の留守を窺《うかゞ》い、奥庭へ忍び込んでお國と密通している所へ、此の孝助が参って手前と争った所が、手前は主人の手紙を出し、それを証拠だと云って、よくも孝助を弓の折《おれ》で打《ぶ》ったな、それのみならず主人を殺し、両人《ふたり》乗込んで飯島の家を自儘《じまゝ》にしようと云う人非人《にんぴにん》、今こそ思い知ったか」
 と云いながら栗の根株へ両人《ふたり》の顔を擦付《すりつ》けますから、両人とも泣きながら、
「免《ゆる》せえ、堪忍しておくんなさいよう」
 というのを耳にも掛けず、
孝「これお國、手前はお母様《っかさま》が義理をもって逃がして下すったのは、樋口屋の位牌へ対して済まんと道まで教えて下すったなれども、自害をなすったも手前故だ、唯《たった》一人の母親をよくも殺しおったな、主人の敵親の敵、なぶり殺しにするから左様心得ろ」
 と、これから差添《さしぞえ》を抜きまして、
孝「手前のような悪人に旦那様が欺《だま》されておいでなすったかと思うと」
 といいながら顔を縦横《たてよこ》ズタ/\に切りまして、又源次郎に向い、
孝「やい源次郎、此の口で悪口《あっこう》を云ったか」
 とこれも同じくズタ/\に切りまして、又母の懐剣で止《とゞ》めをさして、両人《ふたり》の首を切り髻《たぶさ》を持ったが、首という物は重いもので、孝助は敵を討って、もうこれでよいと思うと心に緩《ゆる》みが出て尻もちをついて、
孝「あゝ有難い、日頃信心する八|幡築土明神《まんつくどみょうじん》のお蔭をもちまして、首尾よく敵を討ちおおせました」
 と拝みをして、どれ行《ゆ》こうと立上ると、
「人殺《ひとごろし》々々」
 という声がするからふり向くと、龜藏と相助の二人が眼が眩《くら》んでるから、知らずに孝助の方へ逃げて来るから、此奴《こいつ》も敵の片われと二人とも切殺して二つの首を下げて、ひょろ/\と宇都宮へ帰って来ますと、往来《ゆきゝ》の者は驚きました。生首を二つ持《もっ》て通るのだから驚きます。中には殿様へ訴える者もありました。孝助はすぐに五郎三郎の所へ行って敵を討った次第をのべ、殊《こと》に
「母がまだ目が見えますか」
 と云われ、五郎三郎は妹《いもと》の首を見て胸|塞《ふさ》がり、物も云えない。母上様《おっかさま》は先程息がきれましたというから、この儘《まゝ》では置けないというので、御領主様へ届けると、敵討《かたきうち》の事だからというので、孝助は人を付けて江戸表へ送り届ける。孝助は相川の所へ帰り、首尾よく敵を討った始末を述べ、それよりお頭《かしら》小林へ届ける。小林から其の筋へ申立て、孝助が主人の敵を討った廉《かど》を以《もっ》て飯島平左衞門の遺言に任せ、孝助の一|子《し》孝太郎を以て飯島の家を立てまして、孝助は後見となり、芽出度く本領安堵《ほんりょうあんど》いたしますと、其の翌日伴藏がお仕置になり、其の捨札《すてふだ》をよんで見ますと、不思議な事で、飯島のお嬢さまと萩原新三郎と私通《くッつ》いた所から、伴藏の悪事を働いたということが解りましたから、孝助は主人の為《た》め娘の為め、萩原新三郎の為めに、濡《ぬ》れ仏《ぼとけ》を建立《こんりつ》いたしたという。これ新幡随院濡れ仏の縁起《えんぎ》で、此の物語も少しは勧善懲悪《かんぜんちょうあく》の道を助くる事もやと、かく長々とお聴《きゝ》にいれました。
[#地から1字上げ](拠若林※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]藏筆記)



底本:「圓朝全集 巻の二」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年7月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の二」春陽堂
   1927(昭和2)年12月25日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼《あ》の」と「彼《あの》」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2010年2月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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