対しても置かれた義理ではございません、憎い奴でございますが、強《しい》て縋《すが》り付いて参り、私故にお隣屋敷の源次郎さんが勘当をされたと申しますから、義理でよんどころなく置きましたものゝ、嘸《さぞ》あなたはお厭《いや》でございましょう」
母「私はお國に逢って緩《ゆっ》くり話がしたいから、用もあるだろうが、いつもより少々店を早くひけにして、寝かしておくれ、私は四畳半へ行って國や源さんに話があるのだが、是でお酒やお肴を」
五「およし遊ばせ」
母「いや、そうでない、何も買って来ないから是非上げておくれよ」
五「はい/\」
 と気の毒そうに承知して、五郎三郎は母の云付けなれば酒肴《さけさかな》を誂《あつら》え、四畳半の小間へ入れ、店の奉公人も早く寝かしてしまい、母は四畳半の小座敷に来たりて内にはいれば、
國「おや、お母様《はゝさま》、大層早くお帰り遊ばしました、私《わたくし》は未《ま》だめったにお帰りにはなりますまいと思い、屹度《きっと》一ト月位は大丈夫お帰りにはならないとお噂ばかりして居りました、大層お早く、本当に恟《びっく》り致しました」
源「只今はお土産として御酒肴《ごしゅこう》を沢山に有り難うぞんじます」
母「いえ/\、なんぞ買って来ようと思いましたが、誠に急ぎましたゆえ何も取って居る暇《ひま》もありませんでした、誰も外《ほか》に聞いている人もないようだから、打解けて話をしなければならない事があるが、お國やお前が江戸のお屋敷を出た時の始末を隠さずに云っておくんなさい」
國「誠にお恥かしい事でございますが、若気の過《あやま》り、此の源さまと馴染《なれそ》めた所から、源さまは御勘当になりまして、行《い》き所のないようにしたは皆《みん》な私《わたし》ゆえと思い、悪いこととは知りながらお屋敷を逃出し、源さまと手を取り合い、日頃無沙汰を致した兄の所に頼り、今ではこうやって厄介になって居りまする」
母「不義|淫奔《いたずら》は若い内には随分ありがちの事だが、お國お前は飯島様のお屋敷へ奥様付になって来たが、奥様がおかくれになってから、殿様のお召使になっているうちに、お隣の御二男源次郎さまと、隣りずからの心安さに折々《おり/\》お出《いで》になる所から、お前は此の源さまと不義|密通《いたずら》を働いた末、お前方が申し合せ、殿様を殺し、有金大小|衣類《きるい》を盗み取り、お屋敷を逃げておいでだろうがな」
 と云われて二人は顔色変え、
國「おやまア恟《びっく》りします、お母様《かゝさま》何をおっしゃいます、誰が其の様な事を云いましたか、少しも身に覚えのない事を云いかけられ、本当に恟り致しますわ」
母「いえ/\いくら隠してもいけないよ、私の方にはちゃんと証拠がある事だから、隠さずに云っておしまい」
國「そんな事を誰が申しましたろうねえ源さま」
 と云えば、源次郎|落着《おちつき》ながら、
源「誠に怪《け》しからん事です。お母様もし外《ほか》の事とは違います、手前も宮野邊源次郎、何ゆえお隣の伯父を殺し、有金|衣類《いるい》を盗みしなどゝ何者がさような事を申しました、毛頭覚えはございません」
母「いや/\そうおっしゃいますが、私は江戸へ参り、不思議と久し振りで逢いました者が有って、其の者から承わりました」
源「フウ、シテ何者でございますか」
母「はい、飯島様のお屋敷でお草履取を勤めて居りました、孝助と申す者でなア」
源「ムヽ孝助、彼奴《あいつ》は不届至極な奴で」
國「アラ彼奴はマア憎い奴で、御主人様のお金を百両盗みました位の者ですから、どんな拵《こしら》え事をしたか知れません、あんな者の云う事をあなた取上げてはいけません、何《ど》うして草履取が奥の事を知っている訳はございません」
母「いえ/\お國や、その孝助は私の為には実の忰《せがれ》でございます」
 と云われて両人《ふたり》は驚き顔して、後《あと》へもじ/\とさがり、
母「さア、私が此の家《や》へ縁付いて来たのは、今年で丁度十七年前の事、元私の良人《つれあい》は小出様の御家来で、お馬廻り役を勤め、百五十石頂戴致した黒川孝藏と云う者でありましたが、乱酒《らんしゅ》故に屋敷は追放、本郷丸山の本妙寺《ほんみょうじ》長屋へ浪人していました処、私《わたくし》の兄澤田右衞門が物堅い気質で、左様な酒癖《さけくせ》あしき者に連添うているよりは、離縁を取って国へ帰れと押《おし》て迫られ、兄の云うに是非もなく、其の時四つになる忰を後《あと》に残し、離縁を取って越後の村上へ引込《ひきこ》み、二年程過ぎて此の家に再縁して参りましたが、此の度《たび》江戸で図らずも十九年ぶりにて忰の孝助に逢いましたが、実の親子でありますゆえ、段々様子を聞いて見ると、お前達は飯島様を殺した上、有金大小衣類まで盗み取り、お屋敷を逐電したと聞き、私は恟りしましたよ、それが為飯島様のお家は改易になりましたから、忰の孝助が主人の敵《かたき》のお前方を討たなければ、飯島の家名を興《おこ》す事が出来ないから、敵を捜す身の上と、涙ながらの物語に、私《わたし》も十九年ぶりで実の子に逢いました嬉し紛れに、敵のお国源次郎は私の家に匿《かく》まってあるから、手引をして敵を打たせてやろうと、サうっかり云ったは私の過り、孝助は血を分けた実子なれども、一旦離縁を取ったれば黒川の家の子、此の家に再縁する上からは、今はお前は私の為に猶更《なおさら》義理ある大切《だいじ》の娘なりや、縁の切れた忰の情《なさけ》に引かされて、手引をしてお前達を討たせては、亡くなられたお前の親御樋口屋五兵衞殿の御位牌へ対して、何うも義理が立ちませんから、悪い事を云うた、何うしたら宜《よ》かろうかと道々も考えて来ましたが、孝助は後《あと》になり先になり私に附きて此の地に参り、実は今晩|九時《こゝのつどき》の鐘を合図に庭口から此家《こゝ》に忍んで来る約束、討たせては済まないから、お前達も隠さず実はこれ/\と云いさえすれば、五郎三郎から小遣《こづかい》に貰った三十両の内、少し遣《つか》って未《ま》だ二十六七両は残ってありますから、これをお前達に路銀として餞別に上げようから、少しも早く逃げのびなさい、立退《たちの》く道は宇都宮の明神様の後山《うしろやま》を越え、慈光寺《じこうじ》の門前から付いて曲り、八|幡山《わたやま》を抜けてなだれに下りると日光街道、それより鹿沼道《かぬまみち》へ一里半|行《い》けば、十|郎《ろう》ヶ|峰《みね》という所、それよりまた一里半あまり行《ゆ》けば鹿沼へ出ます、それより先は田沼道《たぬまみち》奈良村《ならむら》へ出る間道《かんどう》、人の目つまにかゝらぬ抜道《ぬけみち》、少しも早く逃げのびて、何処《いずこ》の果なりとも身を隠し、悪い事をしたと気がつきましたら、髪を剃《そ》って二人とも袈裟《けさ》と衣《ころも》に身を窶《やつ》し、殺した御主人飯島様の追善供養致したなら、命の助かる事もあろうが、只|不便《ふびん》なのは忰の孝助、敵の行方の知れぬ時は一生旅寝の艱難困苦《かんなんこんく》、御主《おしゅう》のお家も立ちません、気の毒な事と気がついたら心を入れかえ善人に成っておくれよ、さア/\早く」
 と路銀まで出しまして、義理を立てぬく母の真心《まごゝろ》、流石《さすが》の二人も面目《めんぼく》なく眼と眼を見合せ、
國「はい/\誠にどうも、左様とは存じませんでお隠し申したのは済みません」
源「実に御信実《ごしんじつ》なお言葉、恐れ入りました、拙者も飯島を殺す気ではござらんが、不義が顕《あら》われ平左衞門が手槍にて突いてかゝる故、止むを得ず斯《かく》の如きの仕合《しあわせ》でございます、仰せに従い早々逃げのび、改心致して再びお礼に参りまするでございます、これお國や、お餞別として路銀まで、あだに心得ては済みませんよ」
國「お母様《はゝさま》、どうぞ堪忍してくださいましよ」
母「さア/\早く行《ゆ》かぬか、かれこれ最早《もは》や九ツになります」
 と云われて二人は支度をしていると、後《うしろ》の障子を開けて這入りましたはお國の兄五郎三郎にて、突然《いきなり》お國の側へより、
五「お母様少しお待ちなすってください、これ國これへ出ろ/\、本当にマア呆れはてゝ物が云われねえ奴だ、内へ尋ねて来た時なんと云った、お隣の次男と不義をしたゆえ、源さんは御勘当になり、身の置所がないようにしたも私ゆえ、お気の毒でならねえから一緒に連れて来ましたなどと、生嘘《なまぞら》を遣《つか》って我をだましたな、内に斯《こ》うやって置く奴じゃアねえぞ、お父様《とっさま》が御死去《ごしきょ》に成った時、幾度《いくたび》手紙を出しても一通の返事も遣《よこ》さぬくらいな人でなし、只《たった》一人の妹《いもと》だが死んだと思ってな諦めていたのだ、それにのめ/\と尋ねて来やアがって、置いてくれろというから、よもや人を殺し、泥坊をして来たとは思わねえから置いてやれば、今聞けば実に呆れて物が云われねえ奴だ、お母様《はゝさま》誠に有り難うございまするが、あなたが親父へ義理を立てゝ、此奴等《こいつ》を逃がして下さいましても天命は遁《のが》れられませんから、迚《とて》も助かる気遣《きづか》いはございません、いっそ黙っておいでなすって、孝助様に切られてしまう方が宜しゅうございますのに、やいお國、お母様《かゝさま》は義理堅いお方ゆえ、親父の位牌へ対して路銀まで下すって、そのうえ逃路《にげみち》まで教えて下さると云うはな実に有り難い事ではないか、何《なん》とも申そう様《よう》はございません、コレお國、この罰当《ばちあた》りめえ、お母様《かゝさま》が此の家へ嫁にいらッしゃった時は、手前《てめえ》がな十一の時だが、意地がわるくてお父様とお母様と己との合中《あいなか》をつゝき、何分家が揉めて困るから、己がお父《やじ》さんに勧めて他人の中を見せなければいけませんが、近い所だと駈出して帰って来ますから、いっそ江戸へ奉公に出した方が宜かろうと云って、江戸の屋敷奉公に出した所が、善事《いゝこと》は覚えねえで、密夫《いろおとこ》をこしらえてお屋敷を遁《に》げ出すのみならず、御主人様を殺し、金を盗みしというは呆れ果てゝ物が云われぬ、お母様が並の人ならば、知らぬふりをしておいでなすッたら、今夜孝助様に斬殺《きりころ》されるのも心がら、天罰で手前達《てめえたち》は当然《あたりまえ》だが、坊主が憎けりゃ袈裟までの譬《たとえ》で、此奴《こいつ》も敵《かたき》の片割《かたわれ》と己までも殺される事を仕出来《しでか》すというは、不孝不義の犬畜生め、只《たった》一人の兄妹《きょうだい》なり、殊《こと》にゃア女の事だから、此の兄の死水《しにみず》も手前《てまえ》が取るのが当前《あたりまえ》だのに、何の因果で此様《こんな》悪婦《あくとう》が出来たろう、お父様《やじさま》も正直なお方、私も是までさのみ悪い事をした覚えはないのに、此の様な悪人が出来るとは実になさけない事でございます、此の畜生め/\サッサと早く出て行《ゆ》け」
 と云われて、二人とも這々《ほう/\》の体《てい》にて荷拵《にごしら》えをなし、暇乞《いとまご》いもそこ/\に越後屋方を逃出しましたが、宇都宮明神の後道《うしろみち》にかゝりますと、昼さえ暗き八幡山、況《まし》て真夜中の事でございますから、二人は気味わる/\路《みち》の中ばまで参ると、一|叢《むら》茂る杉林の蔭より出てまいる者を透《すか》して見れば、面部を包みたる二人の男《おのこ》、いきなり源次郎の前へ立塞《たちふさ》がり、
○「やい、神妙《しんびょう》にしろ、身ぐるみ脱いて置いて行《い》け、手前達《てめえたち》は大方宇都宮の女郎を連出した駈落者《かけおちもの》だろう」
×「やい金を出さないか」
 と云われ源次郎は忍び姿の事なれば、大小を落し差《ざし》にして居りましたが、此の様子にハッと驚き、拇指《おやゆび》にて鯉口を切り、慄《ふる》え声を振立《ふりた》って、
源「手前達《てまえたち》は何だ、狼藉者」
 と云いながら、透《すか》して九日の夜《よ》の
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