て貴様の手にかゝり、猶《なお》委細の事は此の書置に認《したゝ》め置いたれば、跡の始末は養父相川新五兵衞と共に相談せよ、貴様はこれにて怨《うらみ》を晴してくれ、然《しか》る上は仇《あだ》は仇恩は恩、三|世《せ》も変らぬ主従《しゅうじゅう》と心得、飯島の家《いえ》を再興してくれろ、急いで行《ゆ》けと急《せ》き立てられ、養家先なる水道端の相川新五兵衞の宅へ参り、舅と共に書置を開いて見れば、主人は私を出した後《あと》にて直《す》ぐに客間《きゃくのま》へ忍び入り源次郎と槍試合をして、源次郎の手に掛り、最後をすると認めてありました書置の通りに、遂《つい》に主人は其の晩|果敢《はか》なくおなりなされました、又源次郎お國は必ず越後の村上へ立越すべしとの遺書にありますから、主《しゅう》の仇を報わん為《た》め、養父相川とも申し合せ、跡を追いかけて出立致し、越後へ参り、諸方を尋ねましたが一向に見当らず、又あなたの事もお尋ね申しましたが、これも分りません故、余儀なく此の度《たび》主人の年囘をせん為めに当地へ帰りました所、不図《ふと》今日御面会を致しますとは不思議な事でございます」
 と聞いて驚き小声に成り、
りゑ「おやマア不思議な事じゃアないか、あの源次郎とお國は私の宅《うち》にかくまってありますよ、どうもまア何《なん》たる悪縁だろう、不思議だねえ、私が廿六の時黒川の家《うち》を離縁になって国へ帰り、村上に居ると、兄が頻《しき》りに再縁しろとすゝめ、不思議な縁でお出入の町人で荒物の御用を達《た》す樋口屋《ひのくちや》五|兵衞《へえ》と云うものゝ所へ縁付くと、そこに十三になる五郎三郎《ごろさぶろう》という男の子と、八ツになるお國という女の子がありまして、其のお國は年は行《い》かぬが意地の悪いとも性《しょう》の悪い奴で、夫婦の合中《あいなか》を突《つッ》ついて仕様がないから、十一の歳《とし》江戸の屋敷奉公にやった先は、水道端の三宅という旗下でな、其の後《ご》奥様|附《づき》で牛込の方へ行ったとばかりで後《あと》は手紙一本も寄越さぬくらい、実に酷《ひど》い奴で、夫五兵衞が亡くなった時も訃音《しらせ》を出したに帰りもせず、返事もよこさぬ不孝もの、兄の五郎三郎も大層に腹を立っていましたが、其の後《ご》私共は仔細有って越後を引払い、宇都宮の杉原町《すぎはらまち》に来て、五郎三郎の名前で荒物屋の店を開いて、最早七年居ますが、つい先達《せんだっ》てお國が源次郎と云う人を連れて来ていうのには、私が牛込の或るお屋敷へ奥様附で行った所が、若気の至りに源次郎様と不義|私通《いたずら》ゆえに此のお方は御勘当となり、私《わたくし》故に今は路頭に迷う身の上だから、誠に済まない事だが匿《かく》まってくれろと云って、そんな人を殺した事なんぞは何とも云わないから、源次郎への義理に今は宇都宮の私の内にいるよ、私は此の間五郎三郎から小遣《こづかい》を貰い、江戸見物に出掛けて来て、未だこちらへ着いて間も無くお前に巡り逢って、此の事が知れるとは何たら事だねえ」
孝「ではお國源次郎は宇都宮に居りますか、つい鼻の先に居ることも知らないで、越後の方から能登へかけ尋ねあぐんで帰ったとは、誠に残念な事でございますから、どうぞお母様がお手引をして下すって、仇を討ち、主人の家の立行《たちゆ》くように致したいものでございます」
りゑ「それは手引をして上げようともサ、そんなら私は直《すぐ》にこれから宇都宮へ帰るから、お前は一緒にお出《い》で、だがこゝに一つ困った事があると云うものは、あの供がいるから、是《こ》れを聞き付け喋られると、お國源次郎を取逃がすような事になろうも知れぬから、こうと……」
 思案して、
「私は明日《あす》の朝供を連れて出立するから、今日のようにお前が見え隠れに跡を追って来て、休む所も泊る所も一つ所にして、互に口をきかず、知らない者の様にして置いて、宇都宮の杉原町へ往ったら供を先へ遣《や》って置いて、そうして両人で相図《あいず》を諜《しめ》し合《あわ》したら宜《よ》かろうね」
孝「お母様有り難う存じます、それでは何うかそういう手筈《てはず》に願いとう存じます、私《わたくし》はこれより直《すぐ》に宅《たく》へ帰って、舅へ此の事を聞かせたなら何《ど》のように悦びましょう、左様なら明朝早く参って、此の家《うち》の門口に立って居りましょう、それからお母様先刻つい申上げ残しましたが、私は相川新五兵衞と申す者の方《かた》へ主人の媒妁《なかだち》で養子にまいり、男の子が出来ました、貴方様には初孫の事故お見せ申したいが、此の度《たび》はお取急ぎでございますから、何《いず》れ本懐を遂げた後《あと》の事にいたしましょう」
りゑ「おやそうかえ、それは何《な》にしても目出度い事です、私も早く初孫の顔が見たいよ、それに就《つ》いても、何《ど》うか首尾よくお國と源次郎をお前に討たせたいものだのう、これから宇都宮へ行《ゆ》けば私がよき手引をして、屹度《きっと》両人を討たせるから」
 と互に言葉を誓い孝助は暇《いとま》を告げて急いで水道端へ立帰りました。
相「おや孝助殿、大層早くお帰りだ、いろ/\お買物が有ったろうね」
孝「いえ何も買いません」
相「なんの事だ、何も買わずに来た、そんなら何か用でも出来たかえ」
孝「お父様《とっさま》どうも不思議な事がありました」
相「ハヽ随分世間には不思議な事も有るものでねえ、何か両国の川の上に黒気《こくき》でも立ったのか」
孝「左ようではございませんが、昨日良石和尚が教えて下さいました人相見の所へ参りました」
相「成程行ったかえ、そうかえ、名人だとなア、お前の身の上の判断は旨く当ったかえ/\」
孝「へい、良石和尚が申した通り、私《わたくし》の身の上は剣《つるぎ》の上を渡る様なもので、進むに利あり退くに利《さ》あらずと申しまして、良石和尚の言葉と聊《いさゝ》か違いはござりません」
相「違いませんか、成程智識と同じ事だ、それから、へえそれから何《なん》の事を見て貰ったか」
孝「それから私《わたくし》が本意を遂げられましょうかと聞くと、本意を遂げるは遠からぬうちだが、遁《のが》れ難《がた》い剣難が有ると申しました」
相「へえ剣難が有ると云いましたか、それは極《ごく》心配になる、又昨日のような事があると大変だからねえ、其の剣難は何《ど》うかして遁れるような御祈祷でもしてやると云ったか」
孝「いえ左ような事は申しませんが、貴方《あなた》も御存じの通り私《わたくし》が四歳の時別れました母に逢えましょうか、逢えますまいかと聞くと、白翁堂は逢っていると申しますから、幼年の時に別れたる故、途中で逢っても知れない位だと申しても、何《なん》でも逢っていると申し遂《つい》に争いになりました」
相「ハアそこの所は少し下手糞だ、併《しか》し当るも八卦《はッけ》当らぬも八卦、そう身の上も何もかも当りはしまいが、強情を張ってごまかそうと思ったのだろうが、其所《そこ》の所は下手糞だ、なんとか云ってやりましたか、下手糞とか何とか」
孝「すると後《あと》から一人四十三四の女が参りまして、これも尋ねる者に逢えるか逢えないかと尋ねると、白翁堂は同じく逢っているというものだから、其の女はなに逢いませんといえば、急度《きっと》逢っていると又争いになりました」
相「あゝ、こりゃからッぺた誠に下手だが、そう当る訳のものではない、それには白翁堂も恥をかいたろう、お前と其の女と二人で取って押えてやったか、それから何うした」
孝「さア余り不思議な事で、私《わたし》も心にそれと思い当る事もありますから、其の女にはおりゑ様と仰しゃいませんかと尋ねました所が、それが全く私《わたくし》の母でございまして、先でも驚きました」
相「ハヽア其の占《うらない》は名人だね、驚いたねえ、成程、フム」
 是より孝助はお國源次郎両人の手懸りが知れた事から、母と諜《しめ》し合わせた一伍一什《いちぶしじゅう》を物語りますると、相川も驚きもいたし、又悦び、誠に天から授かった事なれば、速《すみやか》に明日《あす》の朝遅れぬように出立して、目出度く本懐を遂げて参れという事になりました。翌朝《よくちょう》早天に仇討《あだうち》に出立を致し、是より仇討は次に申上げます。

        二十一

 孝助は図らずも十九年ぶりにて実母おりゑに廻《めぐ》り逢いまして、馬喰町の下野屋と申す宿屋へ参り、互に過《すぎ》し身の上の物語を致して見ると、思いがけなき事にて、母方にお國源次郎がかくまわれてある事を知り、誠に不思議の思いをなしました処、母が手引をして仇《あだ》を討たせてやろうとの言葉に、孝助は飛立つばかり急ぎ立帰り、右の次第を養父相川新五兵衞に話しまして、六日の早天水道端を出立し、馬喰町なる下野屋方へ参り様子を見ておりますると、母も予《か》ねて約したる事なれば、身支度を整え、下男を供に連れ立《た》ち出《い》でましたれば、孝助は見え隠《がく》れに跡を尾《つ》けて参りましたが、女の足の捗《はか》どらず、幸手、栗橋、古河、真間田《まゝだ》、雀《すゞめ》の宮《みや》を後《あと》になし、宇都宮へ着きましたは、丁度九日の日の暮々《くれ/″\》に相成りましたが、宇都宮の杉原町の手前まで参りますと、母おりゑは先《ま》ず下男を先へ帰し、五郎三郎に我が帰りし事を知らせてくれろと云い付けやり、孝助を近く招ぎ寄せまして小声になり、
母「孝助や、私の家《うち》は向うに見える紺《こん》の暖簾《のれん》に越後屋《えちごや》と書き、山形に五の字を印《しる》したのが私の家だよ、あの先に板塀があり、付いて曲ると細い新道のような横町《よこちょう》があるから、それへ曲り三四軒|行《ゆ》くと左側の板塀に三尺の開《ひら》きが付いてあるが、それから這入《はい》れば庭伝い、右の方《ほう》の四畳半の小座敷にお國源次郎が隠れいる事ゆえ、今晩私が開きの栓《せん》をあけて置くから、九ツの鐘を合図に忍び込めば、袋の中《うち》の鼠同様、覚《さと》られぬよう致すがよい」
孝「はい誠に有り難うぞんじまする、図《はか》らずも母様《はゝさま》のお蔭にて本懐を遂げ、江戸へ立帰り、主家《しゅうか》再興の上|私《わたくし》は相川の家《いえ》を相続致しますれば、お母様をお引取申して、必ず孝行を尽す心得、さすれば忠孝の道も全うする事が出来、誠に嬉しゅう存じます、さようなれば私は何方《どちら》へ参って待受けて居ましょう」
母「そうさ、池上町《いけがみまち》の角屋《すみや》は堅いという評判だから、あれへ参り宿を取っておいで、九ツの鐘を忘れまいぞ」
孝「決して忘れません、さようならば」
 と孝助は母に別れて角屋へまいり、九ツの鐘の鳴るのを待受けて居ました。母は孝助に別れ、越後屋五郎三郎方へ帰りますと、五郎三郎は大きに驚き、
五「大層お早くお帰りになりました、まだめったにはお帰りにならないと思っていましたのに、存じの外《ほか》にお早うござりました、それでは迚《とて》も御見物は出来ませんでございましたろう」
母「はい、私は少し思う事があって、急に国へ帰る事になりましたから、奉公人共への土産物も取っている暇もない位で」
五「アレサなに左様御心配がいるものでございましょう、お母《っか》さまは芝居でも御見物なすってお帰りになる事だろうから、中々一ト月や二タ月は故郷《こきょう》忘《ぼう》じ難《がた》しで、あっちこっちをお廻りなさるから、急にはお帰りになるまいと存じましたに」
母「さアお前に貰った旅用の残りだから、むやみに遣《つか》っては済まないが、どうか皆《みんな》に遣《や》っておくれよ」
 と奉公人|銘々《めい/\》に包んで遣わしまして、其の外《ほか》着古しの小袖|半纒《はんてん》などを取分け。
五「そんなに遣らなくっても宜《よろ》しゅうございます」
 と申すに、
母「ハテこれは私の少々心あっての事で、詰らん物だが着古しの半纒は、女中にも色々世話に成りますからやっておくれ、シテお國や源次郎さんは矢張奥の四畳半に居りますか」
五「誠にあれはお母様《かゝさま》に
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