が、先生に身の上の判断をしていたゞきとうございます」
白「はゝア、お前は良石和尚と心安いか、あれは名僧だよ、智識だよ、実に生仏《いきぼとけ》だ、茶は其処《そこ》にあるから一人で勝手に汲んでお上り、ハヽアお前は侍さんだね、何歳《いくつ》だえ」
孝「へい、二十二歳でございます」
白「ハア顔をお出し」
 と天眼鏡を取出し、暫《しばら》くのあいだ相を見ておりましたが、大道の易者のように高慢は云わず
白「ハヽアお前さんはマア/\家柄の人だ、して是まで目上に縁なくして誠にどうも一々苦労ばかり重なって来るような訳に成ったの」
孝「はい、仰せの通り、どうも目上に縁がございません」
白「其処《そこ》でどうも是迄の身の上では、薄氷《はくひょう》を蹈《ふ》むが如く、剣《つるぎ》の上を渡るような境界《きょうがい》で、大いに千|辛万苦《しんばんく》をした事が顕《あら》われているが、そうだろうの」
孝「誠に不思議、実によく当りました、私《わたくし》の身の上には危《あやう》い事ばかりでございました」
白「それでお前には望みがあるであろう」
孝「へい、ございますが、其の望みは本意が遂げられましょうか如何《いかゞ》でございましょう」
白「望事《のぞみごと》は近く遂げられるが、其処《そこ》の所がちと危ない事で、これと云う場合に向いたなら、水の中でも火の中でも向うへ突切《つッき》る勢いがなければ、必ず大望《たいもう》は遂げられぬが、まず退《しりぞ》くに利あらず進むに利あり、斯《こ》ういう所で、悪くすると斬殺《きりころ》されるよ、どうも剣難が見えるが、旨く火の中水の中を突切って仕舞えば、広々とした所へ出て、何事もお前の思う様になるが、それは難かしいから気を注《つ》けなけりゃいけない、もう是切り見る事はないからお帰り/\」
孝「へい、それに就《つ》きまして、私《わたくし》疾《と》うより尋ねる者がございますが、是は何《ど》うしても逢えない事とは存じて居りますが、其の者の生死《しょうし》は如何《いかゞ》でございましょう、御覧下さいませ」
白「ハヽア見せなさい」
 と又|相《そう》して、
白「むゝ、是は目上だね」
孝「はい、左様《さよう》でございます」
白「これは逢っているぜ」
孝「いゝえ、逢いません」
白「いや逢っています」
孝「尤《もっと》も今年《こんねん》より十九年以前に別れましたるゆえ、途中で逢っても顔も分らぬ位でありまするから、一緒に居りましても互いに知らずに居りましたかな」
白「いや/\何でも逢って居ます」
孝「少《ちい》さい時分に別れましたから、事に寄ったら往来で摩《す》れ違った事もございましょうが、逢った事はございません」
白「いや/\そうじゃない、慥《たし》かに逢っている」
孝「それは少さい時分の事|故《ゆえ》」
白「あゝ煩《うる》さい、いや逢っていると云うのに、外《ほか》には何も云う事はない、人相に出ているから仕方がない、屹度《きっと》逢っている」
孝「それは間違いでございましょう」
白「間違いではない、極《き》めた所を云ったのだ、それより外に見る所はない、昼寝をするんだから帰っておくれ」
 とそっけなく云われ、孝助は後《あと》を細かく聞きたいからもじ/\していると、また門口より入《い》り来るは女連れの二人にて、
女「はい御免下さいませ」
白「あゝ又来たか、昼寝が出来ねえ、おゝ二人か何一人は供だと、そんなら其処《そこ》に待たして此方《こっち》へお上り」
女「はい御免くだされませ、先生のお名を承わりまして参りました、どうか当用《とうよう》の身の上を御覧を願います」
白「はい此方《こっち》へお出《い》で」
 と又此の女の相をよく/\見て、
「これは悪い相だなア、お前はいくつだえ」
女「はい四十四歳でございます」
白「これはいかん、もう見るがものはない、ひどい相だ、一体お前は目の下に極《ごく》縁のない相だ、それに近々《きん/\》の内|屹度《きっと》死ぬよ、死ぬのだから外に何《なん》にも見る事はない」
 と云われて驚き暫《しばら》く思案を致しまして、
女「命数は限りのあるもので、長い短かいは致し方がございませんが、私《わたくし》は一人尋ねるものがございますが、其の者に逢われないで死にます事でございましょうか」
白「フウム是は逢っている訳だ」
女「いえ逢いません、尤《もっと》も幼年の折に別れましたから、先でも私《わたくし》の顔を知らず、私も忘れたくらいな事で、すれ違ったくらいでは知れません」
白「何《なん》でも逢っています、もうそれで外に見る所も何《なに》もない」
女「其の者は男の子で、四つの時に別れた者でございますが」
 という側から、孝助は若《も》しやそれかと彼《か》の女の側に膝をすりよせ、
孝「もし、お内室様《かみさん》へ少々伺いますが、何《いず》れの方かは存じませんが、只今四つの時に別れたと仰しゃいます、その人は本郷丸山|辺《あた》りで別れたのではございませんか、そしてあなたは越後村上の内藤紀伊守様の御家来澤田右衞門様のお妹御ではございませんか」
女「おやまアよく知ってお出《い》でゞす、誠に、はい/\」
孝「そして貴方《あなた》のお名前はおりゑ様とおっしゃって、小出信濃守様の御家来黒川孝藏様へお縁附《かたづき》になり、其の後《ご》御離縁になったお方ではございませんか」
女「おやまア貴方は私《わたくし》の名前までお当てなすって、大そうお上手様、これは先生のお弟子でございますか」
 と云うに、孝助は思わず側により、
孝「オヽお母様《かゝさま》お見忘れでございましょうが、十九年以前、手前四歳の折お別れ申した忰《せがれ》の孝助めでございます」
りゑ「おやまアどうもマア、お前がアノ忰の孝助かえ」
白「それだから先刻《さっき》から逢っている/\と云うのだ」
 おりゑは嬉涙《うれしなみだ》を拭い、
りゑ「何《ど》うもマア思い掛《かけ》ない、誠に夢の様な事でございます、そうして大層立派にお成りだ、斯《こ》う云う姿になっているのだものを、表で逢ったって知れる事じゃアありません」
孝「誠に神の引合せでございます、お母様お懐かしゅうございました、私《わたくし》は昨年越後の村上へ参り、段々御様子を伺《うかゞ》いますれば、澤田右衞門様の代も替り、お母様のいらっしゃいます所も知れませんから、何うがなしてお目に懸りたいと存じていましたに、図《はか》らずこゝでお目に懸り、先《ま》ずお壮健《すこやか》でいらッしゃいまして、斯《こ》んな嬉しい事はございません」
りゑ「よくマア、嘸《さぞ》お前は私を怨んでおいでだろう」
白「そんな話をこゝでしては困るわな、併《しか》し十九年ぶりで親子の対面、嘸話があろうが、いらざる事だが、供に知れても宜《よ》くない事もあろうから、何処《どこ》か待合《まちあい》か何かへ行ってするがいゝ」
孝「はい/\、先生お蔭様で誠に有難うございました、良石様のお言葉といい、貴方様の人相のお名人と申し、実に驚き入りました」
白「人相が名人というわけでもあるまいが、皆こうなっている因縁だから見料《けんりょう》はいらねえから帰りな、ナニ些《ちっ》とばかり置いて行くか、それも宜かろう」
りゑ「種々《いろ/\》お世話様、有り難う存じました、孝助や種々話もしたい事があるから斯うしよう、私は今|馬喰町《ばくろちょう》三丁目|下野屋《しもつけや》という宿屋に泊っているから、お前よ一ト足先へ帰り、供を買物に出すから、其の後《あと》へ供に知れないように上《あが》っておいで」
白「嘸《さぞ》嬉しかろうのう」
孝「さようならば、これから直《すぐ》見え隠《がく》れにお母様のお跡に付いて参りましょう、それはそうと」
 と云いつゝも懐中より何程か紙に包んで見料を置き、厚く礼を述べ白翁堂の家を立出《たちい》で、見え隠れに跡をつけ、馬喰町へまいり、下野屋の門辺《かどべ》に佇《たゝず》み待って居《お》るうちに、供の者が買ものに出て行《ゆ》きましたから、孝助は宿屋に入《はい》り、下女《おんな》に案内を頼んで奥へ通る。
りゑ「サア/\/\此処《こゝ》へ来な、本当にマアどうもねえ」
 と云いながら孝助をつく/″\見て、
「見忘れはしませぬ幼顔《おさながお》、お前の親御孝藏殿によく似ておいでだよ、そうして大層立派におなりだねえ、お前がお父様《とっさま》の跡を継いで、今でもお父様はお存生《ぞんしょう》でいらッしゃるかえ」
孝「はい、お母様此の両隣の座敷には誰も居りは致しませんか」
りゑ「いゝえ、私も来て間もないことだが、昼の中《うち》は皆《みんな》買物や見物に出かけてしまうから誰もいないよ、日暮方は大勢帰って来るが、今は留守居が昼寝でもしている位だろうよ」
孝「フウ、左様なら申上げますが、お母様は私《わたくし》の四つの時の二月にお離縁になりましたのも、お父様があの通りの酒乱からで、それからお父様は其の年の四月十一日、本郷三丁目の藤村屋新兵衞と申す刀屋の前で斬殺《きりころ》され、無慙《むざん》な死をお遂げなされました」
りゑ「おやまア矢張《やっぱり》御酒《ごしゅ》ゆえで、それだから私アもうお前のお父《とっ》さんでは本当に苦労を仕抜いたよ、あの時もお前と云う可愛い子があることだから、別れたいのではないが、兄が物堅い気性だから、あんな者へ付けては置かれん、酒ゆえに主家《しゅか》をお暇《いとま》に成るような者には添わせて置かんと、無理無体に離縁を取ったが、お行方の事は此の年月《としつき》忘れた事はありませぬ、そうしてお父様が亡くなっては、跡で誰もお前の世話をする者がなかったろう」
孝「さアお父様の店受《たなうけ》彌兵衞と申しまする者が育てゝ呉れ、私《わたくし》が十一の時に、お前のお父さんはこれ/\で死んだと話して呉れました故、私も仮令《たとえ》今は町人に成ってはいますものゝ、元は武家の子ですから、成人の後《のち》は必ずお父様の仇《あだ》を報いたいと思い詰め、屋敷奉公をして剣術を覚えたいと思っていましたに、縁有って昨年の三月五日、牛込軽子坂に住む飯島平左衞門とおっしゃる、お広敷番《ひろしきばん》の頭をお勤めになる旗下屋敷に奉公|住《ずみ》を致した所、其の主人が私をば我子《わがこ》のように可愛がってくれましたゆえ、私も身の上を明《あか》し、親の敵《かたき》が討ちたいから、何《ど》うか剣術を教えて下さいと頼みましたれば、殿様は御番疲れのお厭《いと》いもなく、夜《よ》までかけて御剣術を仕込んで下されました故、思いがけなく免許を取るまでになりました」
りゑ「おやそう、フウンー」
孝「すると其の家《うち》にお國と申す召使がありました、これは水道端の三宅のお嬢様が殿様へ御縁組になる時に、奥様に附いて来た女でございますが、其の後《ご》奥様がお逝《かく》れになりましたものですから、此のお國にお手がつき、お妾となりました所、隣家《となり》の旗下《はたもと》の次男宮野邊源次郎と不義を働き、内々《ない/\》主人を殺そうと謀《たく》みましたが、主人は素《もと》より手者《てしゃ》の事|故《ゆえ》、容易に殺すことは出来ないから、中川へ網船《あみぶね》に誘い出し、船の上から突落《つきおと》して殺そうという事を私《わたくし》が立聞しましたゆえ、源次郎お國をひそかに殺し、自分は割腹しても何うか恩ある御主人を助けたいと思い、昨年の八月三日の晩に私が槍を持って庭先へ忍び込み、源次郎と心得|突懸《つッか》けたは間違いで、主人平左衞門の肋《あばら》を深く突きました」
りゑ「おやまアとんだ事をおしだねえ」
孝「サア私《わたくし》も驚いて気が狂うばかりに成りますと、主人は庭へ下りて来て、ひそ/\と私への懴悔話《ざんげばなし》に、今より十八年前の事、貴様の親父《おやじ》を手に掛けたは此の平左衞門が未《ま》だ部屋住にて、平太郎と申した昔の事、どうか其の方の親の敵と名告《なの》り、貴様の手に掛りて討たれたいとは思えども、主殺《しゅうころ》しの罪に落すを不便《ふびん》に思い、今日までは打過ぎたが、今日こそ好《よ》い折からなれば、斯《か》くわざと源次郎の態《なり》をし
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