町《はたごちょう》へ行《ゆ》きなさい、其処《そこ》に白翁堂勇齋という人相を見る親爺《おやじ》がいるが、今年はもう七十だが達者な老人でなア、人相は余程名人だよ、是《こ》れに頼めばお前の望みの事は分ろうから往《い》って見なさい」
孝「はい、有り難う存じます、神田の旅籠町でございますか、畏《かしこま》りました」
良「お前旅へ行《ゆ》くなれば私が餞別を進ぜよう、お前が折角呉れた布施は此方《こちら》へ貰って置くが、又私が五両餞別に進ぜよう、それから此の線香は外《ほか》から貰ってあるから一箱進ぜよう仏壇へ線香や花の絶えんように上げて置きなさい、是れだけは私が志じゃ」
相「方丈様恐れ入りまする、何《ど》うも御出家様からお線香なぞ戴いては誠にあべこべな事で」
良「そんな事を云わずに取って置きなさい」
孝「誠に有り難う存じます」
良「孝助殿気の毒だが、お前はどうも危い身の上でナア、剣《つるぎ》の上を渡るようなれども、それを恐れて後《あと》へ退《さが》るような事ではまさかの時の役には立たん、何《なん》でも進むより外《ほか》はない、進むに利あり退《しりぞ》くに利あらずと云うところだから、何でも憶《おく》してはならん、ずっと精神を凝《こら》して、仮令《たとえ》向うに鉄門があろうとも、それを突切《つッき》って通り越す心がなければなりませんぞ」
孝「有難うござりまする」
良「お舅御さん、これはねえ精進物だが、一体内で拵《こしら》えると云うたは嘘だが、仕出し屋へ頼んだのじゃ、甘《うも》うもあるまいが此の重箱へ詰めて置いたから、二重とも土産に持って帰り、内の奉公人にでも喰わしてやってください」
相「これは又お土産まで戴き、実に何ともお礼の申そうようはございません」
良「孝助殿、お前帰りがけに屹度《きっと》剣難が見えるが、どうも遁《のが》れ難いから其の積りで行《ゆ》きなさい」
相「誰に剣難がございますと」
良「孝助殿はどうも遁れ難い剣難じゃ、なに軽くて軽傷《うすで》、それで済めば宜しいが、何うも深傷《ふかで》じゃろう、間が悪いと斬り殺されるという訳じゃ、どうもこれは遁れられん因縁じゃ」
相「私《わたくし》は最早五十五歳になりまするから、どう成っても宜しいが、貴僧《あなた》孝助は大事な身の上、殊《こと》に大事を抱えて居りまする故、どうか一つあなたお助け下さいませんか」
良「お助け申すと云っても、これはどうも助けるわけにはいかんなア、因縁じゃから何うしても遁るゝ事はない」
相「左様ならば、どうか孝助だけを御当寺《ごとうじ》へお留《と》め置きくだされ、手前《てまい》だけ帰りましょうか」
良「そんな弱い事では何うもこうもならんわえ、武士の一大事なものは剣術であろう、其の剣術の極意というものには、頭の上へ晃《きら》めくはがねがあっても、電光《いなづま》の如く斬込んで来た時は何うして之《これ》を受けるという事は知っているだろう、仏説《ぶっせつ》にも利剣《りけん》頭面《ずめん》に触《ふ》るゝ時|如何《いかん》という事があって其の時が大切の事じゃ、其の位な心得はあるだろう、仮令《たとえ》火の中でも水の中でも突切《つッき》って行《ゆ》きなさい、其の代りこれを突切れば後《あと》は誠に楽になるから、さっ/\と行きなさい、其のような事で気怯《きおく》れがするような事ではいかん、ズッ/\と突切って行くようでなければいかん、それを恐れるような事ではなりませんぞ、火に入《い》って焼けず水に入って溺《おぼ》れず、精神を極《きよ》めて進んで行きなさい」
相「さようなれば此のお重箱は置いて参りましょう」
良「いや折角だからマア持って行《ゆ》きなさい」
相「何方《どちら》へか遁路《にげみち》はございませんか」
良「そんな事を云わずズン/″\と行《ゆ》きなさい」
相「さようならば提灯《ちょうちん》を拝借して参りとうございます」
良「提灯を持たん方が却《かえっ》て宜しい」
 と云われて相川は意地の悪い和尚だと呟《つぶや》きながら、挨拶もそわ/\孝助と共に幡随院の門を立出《たちい》でました。

        二十

 孝助は新幡随院にて主人の法事を仕舞い、其の帰り道に遁《のが》れ難き剣難あり、浅傷《あさで》か深傷《ふかで》か、運がわるければ斬り殺される程の剣難ありと、新幡随院の良石和尚という名僧智識の教えに相川新五兵衞も大いに驚き、孝助はまだ漸《ようや》く廿二歳、殊《こと》に可愛いゝ娘の養子といい、御主《おしゅう》の敵《かたき》を打つまでは大事な身の上と、種々《いろ/\》心配をしながら打ち連れ立ちて帰る。孝助は仮令《たとえ》如何《いか》なる災《わざわい》があっても、それを恐れて一歩でも退《しりぞ》くようでは大事を仕遂げる事は出来ぬと思い、刀に反《そり》を打ち、目釘《めくぎ》を湿《しめ》し、鯉口《こいぐち》を切り、用心堅固に身を固め、四方に心を配りて参り、相川は重箱を提《さ》げて、孝助殿気を付けて行《ゆ》けと云いながら参りますると、向うより薄《すゝき》だゝみを押分けて、血刀《ちがたな》を提げ飛出して、物をも云わず孝助に斬り掛けました。此の者は栗橋無宿の伴藏にて、栗橋の世帯《しょたい》を代物付《しろものつき》にて売払い、多分の金子《かね》をもって山本志丈と二人にて江戸へ立退《たちの》き、神田佐久間町《かんださくまちょう》の医師|何某《なにがし》は志丈の懇意ですから、二人はこゝに身を寄せて二三日逗留し、八月三日の夜《よ》二人は更《ふ》けるを待ちまして忍び来《きた》り、根津の清水に埋《うず》めて置いた金無垢の海音如来の尊像《そんぞう》を掘出し、伴藏は手早く懐中へ入れましたが、伴藏の思うには、我が悪事を知ったは志丈ばかり、此の儘《まゝ》に生《い》け置かば後《のち》の恐れと、伴藏は差したる刀抜くより早く飛びかゝって、出し抜けに力に任して志丈に斬り付けますれば、アッと倒れる所を乗《の》し掛り、一刀|逆手《さかて》に持直し、肋《あばら》へ突込《つきこ》みこじり廻せば、山本志丈は其の儘にウンと云って身を顫《ふる》わせて、忽《たちま》ち息は絶えましたが、此の志丈も伴藏に与《くみ》し、悪事をした天罰のがれ難く斯《かゝ》る非業を遂げました、死骸を見て伴藏は後《あと》へさがり、逃げ出さんとする所、御用と声掛け、八方より取巻かれたに、伴藏も慌《あわ》てふためき必死となり、捕方《とりかた》へ手向いなし、死物狂いに斬り廻り、漸《ようや》く一方を切抜けて薄《すゝき》だゝみへ飛込んで、往来の広い所へ飛出す出合がしら、伴藏は眼も眩《くら》み、是《こ》れも同じ捕方と思いましたゆえ、ふいに孝助に斬掛けましたが、大概の者なれば真二《まっぷた》つにもなるべき所なれども、流石《さすが》は飯島平左衞門の仕込で真影流に達した腕前、殊《こと》に用意をした事ゆえ、それと見るより孝助は一|歩《あし》退《しりぞ》きしが、抜合《ぬきあわ》す間もなき事ゆえ、刀の鍔元《つばもと》にてパチリと受流し、身を引く途端に伴藏がズルリと前へのめる所を、腕を取って逆に捻倒《ねじたお》し。
孝「やい/\曲者《くせもの》何《なん》と致す」
曲「へい真平御免《まっぴらごめん》下さえまし」
相「そら出たかえ、孝助怪我は無いか」
孝「へい怪我はございません、こりゃ狼藉者《ろうぜきもの》め何等《なんら》の遺恨で我に斬付けたか、次第を申せ」
曲「へい/\全く人違いでごぜえやす」
 と小声にて、
「今この先で友達と間違いをした所が、皆《みんな》が徒党をして、大勢で私《わっち》を打殺《うちころ》すと云って追掛《おっか》けたものだから、一生懸命に此処《こゝ》までは逃げて来たが、目が眩んでいますから、殿様とも心付きませんで、とんだ粗相を致しました、何《ど》うかお見逃しを願います、其奴《そいつ》らに見付けられると殺されますから、早くお逃しなすって下されませ」
孝「全くそれに違いないか」
曲「へい、全く違《ちげ》えごぜえやせん」
相「あゝ驚いた、これ人違いにも事によるぞ、斬ってしまってから人違いで済むか、べらぼうめ、実に驚いた、良石和尚のお告げは不思議だなアおや今の騒ぎで重箱を何処《どこ》かへ落してしまった」
 と四辺《あたり》を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]している所へ、依田豊前守《よだぶぜんのかみ》の組下にて石子伴作《いしこばんさく》、金谷藤太郎《かなやとうたろう》という両人の御用聞《ごようきゝ》が駆けて来て、孝助に向い慇懃《いんぎん》に、
捕「へい申し殿様、誠に有難う存じます、此の者はお尋ね者にて、旧悪のある重罪な奴でござります、私共《わたくしども》は彼処《あすこ》に待受けていまして、つい取逃がそうとした処を、旦那様のお蔭で漸《ようや》くお取押えなされ、有難うございます、どうかお引渡しを願いとう存じます」
相「そうかえ、あれは賊かい」
捕「大盗賊《おおどろぼう》でござります」
孝「お父様《とっさま》呆れた奴でございます、此の不埓者め」
相「なんだ、人違いだなぞと嘘をついて、嘘をつく者は盗賊《どろぼう》の始りナニ疾《と》うに盗賊にもう成っているのだから仕方がない、直《す》ぐに縄を掛けてお引きなさい」
捕「殿様のお蔭で漸く取押え、誠に有り難う存じます、何《ど》うかお名前を承わりとう存じます」
相「不浄人を取押えたとて姓名なぞを申すには及ばん、これ/\/\重箱を落したから捜してくれ、あゝこれだ/\、危なかったのう」
孝「然《しか》しお父様、何分悪人とは申しながら、主人の法事の帰るさに縄を掛けて引渡すは何うも忍びない事でございます」
相「なれども左様《そう》申してはいられない、渡してしまいなさい、早く引きなされ」
 捕方は伴藏を受取り、縄打って引立て行《ゆ》き、其の筋にて吟味の末、相当の刑に行われましたことはあとにて分ります。さて相川は孝助を連れて我《わが》屋敷に帰り、互に無事を悦び、其の夜《よ》は過ぎて翌日の朝、孝助は旅支度の用意の為《た》め、小網町《こあみちょう》辺へ行って種々《いろ/\》買物をしようと家《うち》を立ち出《い》で、神田旅籠町へ差懸る、向うに白き幟《のぼり》に人相|墨色《すみいろ》白翁堂勇齋とあるを見て、孝助は
「はゝアこれが、昨日《きのう》良石和尚が教えたには今日の八ツ頃には必ず逢いたいものに逢う事が出来ると仰せあった占者《うらないしゃ》だな、敵《かたき》の手掛りが分り、源次郎お國に廻《めぐ》り逢う事もやあろうか、何にしろ判断して貰おう」
 と思い、勇齋の門辺《かどべ》に立って見ると、名人のようではござりません。竹の打ち付け窓に煤《すゝ》だらけの障子を建て、脇に欅《けやき》の板に人相墨色白翁堂勇齋と記して有りますが、家の前などは掃除などした事はないと見え、塵《ごみ》だらけゆえ、孝助は足を爪立《つまだ》てながら中《うち》に入《い》り、
孝「おたのみ申します/\」
白「なんだナ、誰だ、明けてお入《はい》り、履物《はきもの》を其処《そこ》へ置くと盗まれるといけないから持ってお上《あが》り」
孝「はい、御免下さいまし」
 と云いながら障子を明けて中《うち》へ通ると、六畳ばかりの狭い所に、真黒《まっくろ》になった今戸焼《いまどやき》の火鉢の上に口のかけた土瓶《どびん》をかけ、茶碗が転がっている。脇の方に小さい机を前に置き、其の上に易書《えきしょ》を五六冊積上げ、傍《かたえ》の筆立《ふでたて》には短かき筮竹《ぜいちく》を立て、其の前に丸い小さな硯《すゞり》を置き、勇齋はぼんやりと机の前に座しました態《さま》は、名人かは知らないが、少しも山も飾りもない。じゞむさくしている故、名人らしい事は更になけれども、孝助は予《か》ねて良石和尚の教えもあればと思って両手を突き、
孝「白翁堂勇齋先生は貴方様《あなたさま》でございますか」
白「はい、始めましてお目にかゝります、勇齋は私だよ、今年はもう七十だ」
孝「それは誠に御壮健な事で」
白「まア/\達者でございます、お前は見て貰いにでも来たのか」
孝「へい手前は谷中新幡随院の良石和尚よりのお指図《さしず》で参りましたものでございます
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