衞門の家来孝助と申す者でございますが、此の度主人の年囘を致したき心得で墓参りを致しましたが、方丈様|御在寺《ございじ》なればお目通りを願いとう存じます」
取「さようですか、暫《しばら》くお控えなさい」
 と是から奥へ取次ぎますると、此方《こちら》へお通し申せという事ゆえ、孝助は案内に連《つれ》られ奥へ通りますると、良石和尚は年五十五歳、道心堅固の智識にて大悟《だいご》徹底致し、寂寞《じゃくまく》と坐蒲団の上に坐っておりまするが、道力《どうりょく》自然に表に現われ、孝助は頭がひとりでに下がるような事で、
孝「これは方丈様には初めてお目にかゝりまする、手前事は相川孝助と申す者でございますが、当年は旧主人飯島平左衞門の一周忌の年囘に当る事ゆえ、一度江戸表へ立帰りましたが、爰《こゝ》に金子五両ございまするが、これにて宜しく御法事御供養を願いとう存じます」
良「はい、初めまして、まアこっちへ来なさい、これはまア感心な事で…コレ茶を進ぜい…お前さんが飯島の御家来孝助殿か、立派なお人でよい心懸け、長旅を致した身の上なれば定めて沢山の施主《せしゅ》もあるまい、一人か二人位の事であろうから、内の坊主どもに云い付けて何か精進物を拵《こしら》えさせ、成るたけ金のいらんように、手は掛るが皆|此方《こちら》でやって置くが、一ヶ|寺《じ》の住職を頼んで置きますが、お前ナア余り早く来ると此方で困るから、昼飯《ひるはん》でも喰ってからそろそろ出掛け、夕飯《ゆうはん》は此方で喰う気で来なさい、そしてお前は是から水道端の方へ行《ゆ》きなさろうが、お前を待っている人がたんとある、又お前は悦び事か何か目出度《めでた》い事があるから早う行って顔を見せてやんなさい」
孝「へい、私《わたくし》は水道端へ参りまするが、貴僧《あなた》は何《ど》うしてそれを御存じ、不思議な事でございます」
 と云いながら、
「左様ならば明日《あした》昼飯を仕舞いまして又出ますから、何分宜しくお願い申しまする、御機嫌よろしゅう」
 と寺を出ましたが、心の内に思うよう、何うも不思議な和尚様だ、何うして私《わたし》が水道端へ行《ゆ》く事を知っているだろうか、本当に占者《うらないしゃ》のような人だと云いながら、水道端なる相川新五兵衞方へ参りましたが、孝助は養子に成って間もなく旅へ出立し、一年ぶりにて立帰りました事ゆえ、少しは遠慮いたし、台所口から、
孝「御免下さいまし、只今帰りましたよ、これ/\善藏どん/\」
善「なんだよ、掃除屋が来たのかえ」
孝「ナニ私だよ」
善「おやこれはどうも、誠に失礼を申上げました、いつも今時分掃除屋が参りまするものですから、粗相を申しましたが、よくマア早くお帰りになりました、旦那様々々孝助様がお帰りになりました」
相「なに孝助殿が帰られたとか、何処《どこ》にお出《い》でになる」
善「へい、お台所にいらっしゃいます」
相「どれ/\、これはマア、何《な》んで台所などから来るのだ、そう云えば水は汲んで廻すものを、善藏コレ善藏何をぐる/\廻って居《お》るのだ、コレ婆《ばゞ》ア孝助どのがお帰りだよ」
婆「若旦那がお帰りでございますか、これはマア嘸《さぞ》お疲れでございますだろう、先《ま》ず御機嫌宜しゅう」
孝「お父様《とっさま》にも御機嫌宜しゅう、私《わたくし》も都度々々《つど/\》書面を差上げたき心得ではございまするが、何分旅先の事ゆえ思うようにはお便《たよ》りも致し難《がた》く、お父様は何うなされたかと日々お案じ申しまするのみでございましたが、先ずはお健《すこや》かなる御顔《おんかお》を拝しまして誠に大悦《たいえつ》に存じまする」
相「誠にお前も目出たく御帰宅なされ、新五兵衞至極満足いたしました、はい実にねえ烏《からす》の鳴かぬ日はあるがと云う譬《たとえ》の通りで、お前のことは少しも忘れたことはない、雪の降る日は今日あたりはどんな山を越すか、風の吹く日はどんな野原を通るかと、雨につけ風につけお前の事ばかり少しも忘れた事はござらん、ところへ思いがけなくお帰りになり、誠に喜ばしく思いまする、娘もお前のことばかり案じ暮らし、お前の立った当座は只《た》だ泣いてばかりおりましたから私がそんなにくよ/\して煩《わずら》いでもしてはいかないから、気を取り直せよといい聞かせて置きましたが、お前もマア健かでお早くお帰りだ」
孝「私《わたくし》は今日江戸へ着き、すぐに谷中の幡随院へ参詣《さんけい》をいたして来ましたが、明日《あした》は丁度主人の一周忌の年囘にあたりまするゆえ、法事供養をいたしたく立帰りました」
相「そうか、如何《いか》にも明日《あした》は飯島様の年囘に当るからと思ったが、お前がお留守だから私でも代参に行《ゆ》こうかと話をしていたのだこれ婆ア、こゝへ来な、孝助様がお帰りになった」
婆「あら若旦那様お帰り遊ばしませ、御機嫌様よろしゅう、貴方《あなた》がお立ちになってからというものは、毎日お噂ばかり致しておりましたが、少しもお窶《やつ》れもなく、お色は少しお黒くおなり遊ばしましたが、相変らずよくまアねえ」
相「婆ア、あれを連れて来なよ」
婆「でも只今よく寝んねしていらッしゃいますから、おめんめ[#「めんめ」に傍点]が覚めてから、お笑い顔を御覧に入れる方が宜しゅうございましょう」
相「ウンそうだ、初めて逢うのに無理にめんめ[#「めんめ」に傍点]を覚《さま》さして泣顔ではいかんから、だが大概にしてこゝへ連れて抱いて来い」
 娘お徳は次の間に乳児《ちのみご》を抱いて居りましたが、孝助の帰るを聞き、飛立つばかり、嬉し涙を拭いながら出て来て、
徳「旦那様御機嫌様よろしゅう、よくマアお早くお帰り遊ばしました、毎日々々貴方のお噂ばかり致しておりましたが、お窶れも有りませんでお嬉しゅう存じまする」
孝「はい、お前も達者で目出たい、私が留守中はお父様の事何かと世話に成りました、旅先の事ゆえ都度々々便りも出来ず、どうなされたかと毎日案じるのみであったが、誠に皆《みんな》の達者な顔を見るというは此の様な嬉しいことはない」
徳「私は昨晩旦那様の御出立になる処を夢に見ましたが、よく人が旅立《たびだち》の夢を見ると其の人にお目にかゝる事が出来ると申しますから、お近いうち旦那様にお目にかゝれるかと楽しんで居りましたが、今日お帰りとは思いませんでした」
相「おれも同じような夢を見たよ、婆アや抱いてお出《い》で、最《も》うおきたろう」
 婆々《ばゞ》は奥より乳児《ちのみご》を抱いて参る。
相「孝助殿これを御覧、いゝ児《こ》だねえ」
孝「どちらのお子様で」
相「ナニサお前の子だアね」
孝「御冗談ばかり云っていらっしゃいます、私《わたくし》は昨年の八月旅へ出ましたもので、子供なぞはございません」
相「只《たった》一ぺんでも子供は出来ますよ、お前は娘と一つ寝をしたろう、だから只一度でも子は出来ます、只一度で子供が出来るというのは余程《よっぽど》縁の深い訳で、娘も初《はじめ》のうちはくよ/\しているから、私が懐姙をしているからそれではいかん、身体に障《さわ》るからくよ/\せんが宜しいと云っているうちに産み落したから、私が名付け親で、お前の孝の字を貰って孝太郎《こうたろう》と付けてやりましたよ、マアよく似ておる事を、御覧よ」
孝「へい誠に不思議な事で、主人平左衞門様が遺言に、其の方養子となりて、若《も》し子供が出来たなら、男女《なんにょ》に拘《かゝわ》らず其の子を以《もっ》て家督と致し家の再興を頼むと御遺言書にありましたが、事によると殿様の生れ変《がわ》りかも知れません」
相「おゝ至極左様かも知れん、娘も子供が出来てからねえ、嬉し紛れにお父様私は旦那様の事はお案じ申しまするが、此の子が出来ましてから誠によく旦那様に似ておりますから、少しは紛れて、旦那様と一つ所におるように思われますというたから、私が又|余《あんま》り酷《ひど》く抱締めて、坊の腕でも折るといけないなんぞと、馬鹿を云っている位な事で、善藏や」
善「へい/\」
相「善藏や」
善「参っています、何《なん》でございます」
相「何だ、お前も板橋まで若旦那を送って行ったッけな」
善「へい参りました、これは若旦那様誠に御機嫌よろしゅう、あの折は実にお別れが惜しくて、泣きながら戻って参りましたが、よくマアお健かでいらっしゃいます」
孝「あの折は大きにお世話様であったのう」
相「それは兎も角も肝腎の仇《あだ》の手掛りが知れましたか」
孝「まだ仇には廻《めぐ》り逢いませんが、主人の法事をしたく一先ず江戸表へ立帰りましたが、法事を致しまして直《すぐ》に又出立致します」
相「フウ成程、明日《あす》法事に行《ゆ》くのだねえ」
孝「左ようでございます、お父様と私《わたくし》と参りまする積りでございます、それに良石和尚の智識なる事は予《かね》て聞き及んではいましたが、応験解道《おうけんげどう》窮《きわま》りなく、百年先の事を見抜くという程だと承わっておりまするが、今日和尚の云う言葉に其の方は水道端へ参るだろう、参る時は必ず待っている者があり、且《かつ》慶《よろこ》び事があると申しましたが、私の考えは、斯《か》く子供の出来た事まで良石和尚は知っておるに違い有りません」
相「はてねえ、そんな所まで見抜きましたかえ、智識なぞという者は趺跏量見智《ふかりょうけんち》で[#「趺跏量見智《ふかりょうけんち》で」は底本では「跌跏量見智《ふかりょうけんち》で」]、あの和尚は谷中の何とか云う智識の弟子と成り、禅学を打破ったと云う事を承わりおるが、えらいものだねえ、善藏や、大急ぎで水道町の花屋へ行って、おめでたいのだから、何かお頭付《かしらつき》の魚を三品ばかりに、それからよいお菓子を少し取ってくるように、道中には余り旨いお菓子はないから、それから鮓《すし》も道中では良いのは食べられないから、鮓も少し取ってくるように、それから孝助殿は酒はあがらんから五合ばかりにして、味淋《みりん》のごく良いのを飲むのだから二合ばかり、それから蕎麦《そば》も道中にはあるが、醤油《したじ》が悪いから良い蕎麦の御膳の蒸籠《せいろう》を取って参れ、それからお汁粉も誂《あつ》らえてまいれ」
 と種々《いろ/\》な物を取寄せ、其の晩はめでたく祝しまして床に就《つ》きましたが、其の夜《よ》は話も尽きやらず、長き夜も忽《たちま》ち明ける事になり、翌日刻限を計り、孝助は新五兵衞と同道にて水道端を[#「水道端を」は底本では「水道橋を」]立出《たちい》で切支丹坂《きりしたんざか》から小石川にかゝり、白山《はくさん》から団子坂《だんござか》を下《お》りて谷中の新幡随院へ参り、玄関へかゝると、お寺には疾《と》うより孝助の来るのを待っていて、
良「施主が遅くって誠に困るなア、坊主は皆《みんな》本堂に詰懸《つめか》けているから、さア/\早く」
 と急《せ》き立てられ、急ぎ本堂へ直りますると、かれこれ坊主の四五十人も押並《おしなら》び、いと懇《ねんごろ》なる法事供養をいたし、施餓鬼《せがき》をいたしまする内に、もはや日は西山《せいざん》に傾く事になりましたゆえ、坊様達《ぼうさんたち》には馳走なぞして帰してしまい、後《あと》で又孝助、新五兵衞、良石和尚の三人へは別に膳がなおり、和尚の居間で一口飲むことになりました。
相「方丈様には初めてお目にかゝります、私《わたくし》は相川新五兵衞と申す粗忽な者でございます、今日《こんにち》又|御懇《ごねんごろ》な法事供養を成しくだされ、仏も嘸《さぞ》かし草葉の蔭から満足な事でございましょう」
良「はいお前は孝助殿の舅御《しゅうとご》かえ、初めまして、孝助殿は器量と云い人柄と云い立派な正しい人じゃ、中々正直な人間で余程|怜悧《りこう》じゃが、お前はそゝっかしそうな人じゃ」
相「方丈様はよく御存じ、気味のわるいようなお方だ」
良「就《つ》いては、孝助殿は旅へ行《ゆ》かれる事を承わったが、未《ま》だ急には立ちはせまいのう、私が少し思う事があるから、明日《あす》昼飯《ひるめし》を喰って、それから八《や》ツ前後に神田の旅籠
前へ 次へ
全31ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング