の小紋の羽織が着たいとか、帯は献上博多を締めたいとか、雪駄《せった》が穿《は》いて見たいとか云い出して、一日《あるひ》同宿の笹屋《さゝや》という料理屋へ上《あが》り込み、一|盃《ぱい》やっている側に酌取女《しゃくとりおんな》に出た別嬪《べっぴん》は、年は二十七位だが、何《ど》うしても廿三四位としか見えないという頗《すこぶ》る代物《しろもの》を見るよりも、伴藏は心を動かし、二階を下りて此の家《や》の亭主に其の女の身上《みのうえ》を聞けば、さる頃夫婦の旅人《りょじん》が此の家へ泊りしが、亭主は元は侍で、如何《いか》なる事か足の疵《きず》の痛み烈《はげ》しく立つ事ならず、一日々々との長逗留《ながどうりゅう》、遂《つい》に旅用《りょよう》をも遣《つか》いはたし、そういつ迄も宿屋の飯を食ってもいられぬ事なりとて、夫婦には土手下へ世帯《しょたい》を持たせ、女房は此方《こちら》へ手伝い働き女として置いて、僅《わず》かな給金で亭主を見継《みつ》いでいるとかの話を聞いて、伴藏は金さえ有れば何うにもなると、其の日は幾許《いくら》か金を与え、綺麗に家に帰りしが、これよりせっ/\と足近く笹屋に通い、金びら切って口説《くど》きつけ、遂に彼《か》の女と怪しい中になりました。一体此の女は飯島平左衞門の妾お國にて、宮野邊源次郎と不義を働き、剰《あまつ》さえ飯島を手に掛け、金銀衣類を奪い取り、江戸を立退《たちの》き、越後の村上へ逃出しましたが、親元|絶家《ぜっけ》して寄るべなきまゝ、段々と奥州路を経囘《へめぐ》りて下街道《しもかいどう》へ出て参り此の栗橋にて煩《わずら》い付き、宿屋の亭主の情《なさけ》を受けて今の始末、素《もと》より悪性《あくしょう》のお國ゆえ忽《たちま》ち思う様《よう》、此の人は一代身上《いちだいじんしょう》俄分限《にわかぶげん》に相違なし、此の人の云う事を聞いたなら悪い事もあるまいと得心したる故、伴藏は四十を越して此のような若い綺麗な別嬪にもたつかれた事なれば、有頂天界《うちょうてんがい》に飛上り、これより毎日こゝにばかり通い来て寝泊りを致しておりますと、伴藏の女房おみねは込上《こみあが》る悋気《りんき》の角も奉公人の手前にめんじ我慢はしていましたが、或日《あるひ》のこと馬を牽《ひ》いて店先を通る馬子を見付け、
みね「おや久藏さん、素通りかえ、余《あんま》りひどいね」
久「ヤアお内儀《かみ》さま、大きに無沙汰を致しやした、ちょっくり来るのだアけど今ア荷い積んで幸手《さって》まで急いでゆくだから、寄っている訳にはいきましねえが、此間《こないだ》は小遣《こづかい》を下さって有難うごぜえます」
みね「まアいゝじゃアないか、お前は宅《うち》の親類じゃないか、一寸《ちょっと》お寄りよ、一ぱい上げたいから」
久「そうですかえ、それじゃア御免なせい」
 と馬を店の片端に結《ゆわ》い付け、裏口から奥へ通り、
久「己《おら》ア此家《こっち》の旦那の身寄りだというので、皆《みんな》に大きに可愛《かわい》がられらア、この家《うち》の身上《しんしょう》は去年から金持になったから、おらも鼻が高い」
 と話の中《うち》におみねは幾許《いくら》か紙に包み、
みね「なんぞ上げたいが、余《あん》まり少しばかりだが小遣《こづかい》にでもして置いておくれよ」
久「これアどうも、毎度《めいど》戴いてばかりいて済まねえよ、いつでも厄介《やっけえ》になりつゞけだが、折角の思し召しだから頂戴いたして置きますべい、おや触《さわ》って見た所じゃアえらく金があるようだから単物《ひとえもの》でも買うべいか、大きに有難うござります」
みね「何《なん》だよそんなにお礼を云われては却《かえ》って迷惑するよ、ちょいとお前に聞きたいのだが、宅《うち》の旦那は、四月頃から笹屋へよくお泊りなすって、お前も一緒に行って遊ぶそうだが、お前は何故私に話をおしでない」
久「おれ知んねえよ」
みね「おとぼけで無いよ、ちゃんと種が上《あが》っているよ」
久「種が上るか下《さが》るか己《お》らア知んねえものを」
みね「アレサ笹屋の女のことサ、ゆうべ宅《うち》の旦那が残らず白状してしまったよ、私はお婆さんになって嫉妬《やきもち》をやく訳ではないが旦那の為を思うから云うので、あの通りな粋《いき》な人だから、悉皆《すっかり》と打明けて、私に話して、ゆうべは笑ってしまったのだが、お前が余《あんま》りしらばっくれて、素通りをするから呼んだのさ、云ったッて宜《い》いじゃアないかえ」
久「旦那どんが云ったけえ、アレマアわれさえ云わなければ知れる気遣《きづけ》えはねえ、われが心配《しんぺい》だというもんだから、お前さまの前へ隠していたんだ、夫婦の情合《じょうあい》だから、云ったらお前《めえ》も余《あんま》り心持も好《よ》くあんめえと思ったゞが、そうけえ旦那どんが云ったけえ、おれ困ったなア」
みね「旦那は私に云って仕舞ったよ、お前と時々一緒に行くんだろう」
久「あの阿魔女《あまっちょ》は屋敷者だとよ、亭主は源次郎さんとか云って、足へ疵《きず》が出来て立つ事が出来ねえで、土手下へ世帯《しょたい》を持っていて、女房は笹屋へ働き女をしていて、亭主を過《すご》しているのを、旦那が聞いて気の毒に思い、可愛相にと思って、一番始め金え三分くれて、二度目の時二両|後《あと》から三両それから五両、一ぺんに二十両やった事もあった、ありゃお國さんとか云って廿七だとか云うが、お前《めえ》さんなんぞより余程《よっぽど》綺《き》…ナニお前《まえ》さまとは違《ちげ》え、屋敷もんだから不意気《ぶいき》だが、なか/\美《い》い女だよ」
みね「何かえ、あれは旦那が遊びはじめたのは何時《いつ》だッけねえ、ゆうべ聞いたがちょいと忘れて仕舞った、お前知っているかえ」
久「四月の二日からかねえ」
みね「呆れるよ本当にマア四月から今まで私に打明けて話しもしないで、呆れかえった人だ、どんなに私が鎌を掛けて宅《うち》の人に聞いても何《なん》だの彼《か》だのとしらばっくれていて、ありがたいわ、それですっかり分った」
久「それじゃア旦那は云わねえのかえ」
みね「当前《あたりまえ》サ、旦那が私に改まってそんな馬鹿な事をいう奴があるものかね」
久「アレヘエそれじゃアおらが困るべいじゃアねえか、旦那どんが己《お》れにわれえ喋《しゃべ》るなよと云うたに、困ったなア」
みね「ナニお前の名前は出さないから心配おしでないよ」
久「それじゃア私《わし》の名前《なめえ》を出しちゃアいかねえよ、大きに有難うござりました」
 と久藏は立帰る。おみねは込上《こみあが》る悋気《りんき》を押え、夜延《よなべ》をして伴藏の帰りを待っていますと、
伴「文助《ぶんすけ》や明けてくれ」
文「お帰り遊ばせ」
伴「店の者も早く寝てしまいな、奥ももう寝たかえ」
 といいながら奥へ通る。
伴「おみね、まだ寝ずか、もう夜なべはよしねえ、身体の毒だ、大概にして置きな、今夜は一杯飲んで、そうして寝よう、何か肴《さかな》は有合《ありあい》でいゝや」
みね「何もないわ」
伴「かくや[#「かくや」に傍点]でもこしらえて来てくんな」
みね「およしよ、お酒を宅《うち》で飲んだって旨くもない、肴はなし、酌をする者は私のようなお婆さんだから、どうせ気に入る気遣《きづか》いはない、それよりは笹屋へ行ってお上《あが》りよ」
伴「そりゃア笹屋は料理屋だから何《な》んでもあるが、寝酒《ねざけ》を飲むんだから一寸《ちょいと》海苔《のり》でも焼いて持って来ねえな」
みね「肴はそれでも宜《い》いとした所が、お酌が気に入らないだろうから、笹屋へ行ってお國さんにお酌をしてお貰いよ」
伴「気障《きざ》なことを云うな、お國が何《ど》うしたんだ」
みね「おまえは何故そう隠すんだえ、隠さなくってもいゝじゃアないかえ、私が十九《つゞ》や廿《はたち》の事ならばお前の隠すも無理ではないが、こうやってお互いにとる年だから、隠しだてをされては私が誠に心持が悪いからお云いな」
伴「何をよう」
みね「お國さんの事をサ、美《い》い女だとね、年は廿七だそうだが、ちょっと見ると廿二三にしか見えない位な美い娘《こ》で、私も惚々《ほれ/″\》するくらいだから、ありゃア惚れてもいゝよ」
伴「何《なん》だかさっぱり分らねえ、今日昼間馬方の久藏が来《き》やアしなかったか」
みね「いゝえ来やアしないよ」
伴「おれも此の節は拠《よんどこ》ろない用で時々|宅《うち》を明けるものだから、お前《めえ》がそう疑ぐるのも尤《もっと》もだが、そんな事を云わないでもいゝじゃアねえか」
みね「そりゃア男の働きだから何をしたっていゝが、お前のためだから云うのだよ、彼《あ》の女の亭主は双刀《りゃんこ》さんで、其の亭主の為にあゝやっているんだそうだから、亭主に知れると大変だから、私も案じられらアね、お前は四月の二日から彼の女に係《かゝ》り[#「係《かゝ》り」は底本では「係《かゝり》り」]合っていながら、これッぱかりも私に云わないのは酷《ひど》いよ、そいっておしまいなねえ」
伴「そう知っていちゃア本当に困るなア、あれは己が悪かった、面目ねえ、堪忍してくれ、おれだってお前《めえ》に何か序《つい》でがあったら云おうと思っていたが、改まってさてこういう色が出来たとも云いにくいものだから、つい黙っていた、おれも随分道楽をした人間だから、そう欺《だま》されて金を奪《と》られるような心配はねえ大丈夫だ」
みね「そうサ初めての時三分やって、其の次に二両、それから三両と五両二度にやって、二十両一ぺんにやった事があったねえ」
伴「いろんな事を知っていやアがる、昼間久藏が来たんだろう」
みね「来やしないよ、それじゃアお前こうおしな、向《むこう》の女も亭主があるのにお前に姦通《くッつ》くくらいだから、惚れているに違いないが、亭主が有っちゃア危険《けんのん》だから、貰い切って妾にしてお前の側へお置きよ、そうして私は別になって、私は関口屋の出店《でみせ》でございますと云って、別に家業をやって見たいから、お前はお國さんと二人で一緒に成ってお稼ぎよ」
伴「気障《きざ》な事を云わねえがいゝ、別れるも何もねえじゃアねえか、あの女だって双刀《りゃんこ》の妾、主《ぬし》があるものだから、そう何時《いつ》までも係り合っている気はねえのだが、ありゃア酔った紛《まぎ》れにツイ摘食《つまみぐ》いをしたので、己がわるかったから堪忍してくれろ、もう二度と彼処《あすこ》へ往《ゆ》きさえしなければ宜《い》いだろう」
みね「行っておやりよ、あの女は亭主があってそんな事をする位だから、お前に惚れているんだからお出《い》でよ」
伴「そんな気障な事ばかり云って仕様がねえな………」
みね「いゝから私《わたし》ゃア別になりましょうよ」
 と、くど/\云われて伴藏はグッと癪《しゃく》にさわり、
伴「なッてえ/\、これ四|間《けん》間口の表店《おもてだな》を張っている荒物屋の旦那だア、一人二人の色が有ったってなんでえ、男の働きで当前《あたりめえ》だ、若《わけ》えもんじゃあるめえし、嫉妬《やきもち》を焼くなえ」
みね「それは誠に済みません、悪い事を申しました、四間間口の表店を張った旦那様だから、妾狂いをするのは当前《あたりまえ》だと、大層もない事をお云いでないよ、今では旦那だと云って威張っているが、去年まではお前は何《なん》だい、萩原様の奉公人同様に追い使われ小さな孫店《まごだな》を借《かり》ていて、萩原様から時々|小遣《こづかい》を戴いたり、単物《ひとえもの》の古いのを戴いたりして何《ど》うやら斯《こ》うやらやっていたんじゃアないか、今斯うなったからと云ってそれを忘れて済むかえ」
伴「そんな大きな声で云わなくってもいゝじゃアねえか、店の者に聞えるといけねえやナ」
みね「云ったっていゝよ、四間間口の表店を張っている荒物屋の旦那だから、妾狂いが当前だなんぞと云って、先《せん》のことを忘れたかい」
伴「喧《やかま》しいやい、出て行きやアがれ」
みね「はい、出て行きますとも、出て行きますからお金
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