「婆ア宜《いゝ》かえ、頼むよ、おいらは明日《あした》の朝早く起るから、お前飯を炊かして、孝助殿に尾頭付きでぽッぽッと湯気の立つ飯を食べさして立たせてやりたいから、いゝかえ、緩《ゆる》りとお休み、先ずお開《ひらき》と致しましょう、孝助殿どうか幾久しく願います、娘はまだ年もいかず、世間知らずの不束者だから何分宜しくお頼み申す、氷人《なこうど》は宵の中《うち》だから、婆アいゝかえ、頼んだぜ」
婆「貴方《あなた》は頼む/\と仰しゃって何でございます」
相「分らない婆アだな、嬢の事をサ、あすこへちょっと屏風を立廻《たてまわ》して、恥かしくないように、宜しいか、それがサ誠に彼女《あいつ》が恥かしがって、もじ/\としているだろうから旨くソレ」
婆「旦那様なんのお手付きでございますよ」
相「此奴《こいつ》わからぬ奴だナ、手前だって亭主を持ったから子供が出来たのだろう、子供が出来たのち乳が出て、乳母に出たのだろう、ホレ娘は年がいかないからいゝ塩梅《あんばい》にホレ、いゝか」
婆「貴方は本当に何時《いつ》までもお嬢様をお少《ちい》さいように思召《おぼしめし》ていらっしゃいますよ、大丈夫でございますよ」
相「成程目出たい、宜《い》いかえ頼むよ」
婆「旦那様、お嬢様お休み遊ばせ」
 と云っても、孝助はお國源次郎の跡を追い掛け、兎《と》や斯《こ》うと種々《いろ/\》心配などして腕こまねき、床の上に坐り込んでいるから、お徳も寝るわけにもいかず坐っているから、
婆「左様なれば旦那様御機嫌様宜しく、お嬢様先程申しました事は宜しゅうございますか」
徳「貴方少しお静まり遊ばせな」
孝「私は少し考え事がありますから、あなたお構いなくお先へお休みなすって下さいまし」
徳「婆《ばあ》やア一寸《ちょっと》来ておくれ」
婆「ハイ、何《なん》でございます」
徳「旦那様がお休みなさらなくって」
 と云いさして口ごもる。
婆「貴方お静まりあそばせ、それではお嬢様がお休みなさる事が出来ませんよ」
孝「只今寝ます、どうかお構いなく」
婆「誠にどうもお堅過《かたすぎ》でお気が詰りましょう、御機嫌様よろしゅう」
徳「あなた少しお横におなり遊ばしまし」
孝「どうかお先へお休みなさい」
徳「婆やア」
婆「困りますねえ、あなた少しお休みあそばせ」
徳「婆やア」
 とのべつに呼んでいるから孝助も気の毒に思い、横になって枕をつけ、玉椿《たまつばき》八千代《やちよ》までと思い思った夫婦|中《なか》、初めての語らい、誠にお目出たいお話でございます。翌日《あした》になると、暗いうちから孝助は支度をいたし、
相「これ/\婆アや、支度は出来たかえ、御膳を上げたか、湯気は立ったかえ、善藏に板橋まで送らせて遣《や》る積りだから、荷物は玄関の敷台《しきだい》まで出して置きな、孝助殿御膳を上《あが》れ」
孝「お父様《とっさま》御機嫌よろしゅう、長い旅ですからつど/\書面を上《あげ》る訳にも参りません、唯《たゞ》心配になるのはお父様のお身体、どうか私《わたくし》が本懐を遂げ帰宅致すまで御丈夫にお出《い》であそばせよ、敵《かたき》の首を提《さ》げてお目に掛け、お悦びのお顔が見とうございます」
相「お前も随分身体を大事にして下さい、どうか立派に出立して下さい、種々《いろ/\》と云いたい事もあるが、キョト/\して云えないから何も云いません、娘|何《な》んで袖を引張《ひっぱ》るのだ」
徳「お父様、旦那様は今日お立ちになりましたら、いつ頃お帰宅になるのでございますのでしょう」
相「まだ分らぬ事をいう、いつまでも少《ちい》さい子供のような気でいちゃアいけないぜ、旦那さまは御主人の敵討に御出立なさるので、伊勢参宮や物見遊山に往《ゆ》くのではない、敵を討ち遂げねばお帰りにはならない、何だ泣《なき》ッ面《つら》をして」
徳「でも大概いつ頃お帰りになりましょうか」
相「おれにも五年かゝるか十年かゝるか分らない」
徳「そんなら五年も十年もお帰りあそばさないの」
 と云いながら潜々《さめ/″\》と泣き萎《しお》れる。
相「これ、何が悲しい、主《しゅう》の敵を討つなどゝ云う事は、侍の中《うち》にも立派な事だ、かゝる立派な亭主を持ったのは有難いと思え、目出度い出立だ、何故《なぜ》笑い顔をして立たせない、手前が未練を残せば少禄の娘だから未練だ、意気地《いくじ》がないと孝助殿に愛想《あいそ》を尽かされたら何《ど》うする、孝助殿歳がいかない子供のような娘だから、気にかけて下さるな、婆ア何を泣く」
婆「私《わたくし》だってお名残《なご》りが惜しいから泣きます、貴方も泣いて入らっしゃるではございませんか」
相「己は年寄だから宜しい」
 と言訳をしながら泣いていると、孝助は、
「さようならば御機嫌よろしゅう」
 と玄関の敷台を下《お》り草鞋を穿《は》こうとする、其の側へお徳はすり寄り袂《たもと》を控え、涙に目もとをうるましながら、
「御機嫌様よろしく」
 と縋《すが》り付くを孝助は慰《なだ》め、善藏に送られ出立しました。

        十六

 白翁堂勇齋は萩原新三郎の寝所《ねどこ》を捲《ま》くり、実にぞっと足の方から総毛立つほど怖く思ったのも道理、萩原新三郎は虚空を掴《つか》み、歯を喰いしばり、面色土気色に変り、余程な苦しみをして死んだものゝ如く、其の脇へ髑髏《どくろ》があって、手とも覚しき骨が萩原の首玉《くびったま》にかじり付いており、あとは足の骨などがばら/\になって、床の中《うち》に取散《とりち》らしてあるから、勇齋は見て恟《びっく》りし、
白「伴藏これは何《なん》だ、おれは今年六十九に成るが、斯《こ》んな怖ろしいものは初めて見た、支那の小説なぞにはよく狐を女房にしたの、幽霊に出逢ったなぞと云うことも随分あるが、斯様《かよう》な事にならないように、新幡随院の良石和尚に頼んで、有難い魔除《まよけ》の御守《おまもり》を借り受けて萩原の首を掛けさせて置いたのに、何《ど》うも因縁は免《のが》れられないもので仕方がないが、伴藏首に掛けて居る守を取って呉れ」
伴「怖いから私《わっち》ゃアいやだ」
白「おみね、こゝへ来な」
みね「私《わたくし》もいやですよ」
白「何しろ雨戸を明けろ」
 と戸を明けさせ、白翁堂が自ら立って萩原の首に掛けたる白木綿の胴巻を取外《とりはず》し、グッとしごいてこき出せば、黒塗|光沢消《つやけし》の御厨子にて、中を開けばこは如何《いか》に、金無垢の海音如来と思いの外《ほか》、いつしか誰か盗んですり替えたるものと見え、中は瓦に赤銅箔《しゃくどうはく》を置いた土の不動と化《け》してあったから、白翁堂はアッと呆れて茫然と致し、
白「伴藏これは誰が盗んだろう」
伴「なんだか私《わっち》にゃアさっぱり訳が分りません」
白「これは世にも尊《とうと》き海音如来の立像にて、魔界も恐れて立去るという程な尊い品なれど、新幡随院の良石和尚が厚い情《なさけ》の心より、萩原新三郎を不便《ふびん》に思い、貸して下され、新三郎は肌身放さず首にかけていたものを、何《ど》うして斯様《かよう》にすり替えられたか、誠に不思議な事だなア」
伴「成程なア、私《わっち》どもにゃア何《なん》だか訳が分らねえが、観音様ですか」
白「伴藏手前を疑る訳じゃアねえが、萩原の地面|内《うち》に居る者は己と手前ばかりだ、よもや手前は盗みはしめえが、人の物を奪う時は必ず其の相《そう》に顕《あら》われるものだ、伴藏|一寸《ちょっと》手前の人相を見てやるから顔を出せ」
 と懐中より天眼鏡を取出され、伴藏は大きに驚き、見られては大変と思い。
伴「旦那え、冗談いっちゃアいけねえ、私《わっち》のような斯《こ》んな面《つら》は、どうせ出世の出来ねえ面だから見ねえでもいゝ」
 と断る様子を白翁堂は早くも推《すい》し、ハヽアこいつ伴藏がおかしいなと思いましたが、なまなかの事を云出して取逃がしてはいかぬと思い直し、
白「おみねや、事柄の済むまでは二人でよく気を付けて居て、成《なる》たけ人に云わないようにしてくれ、己は是から幡随院へ行って話をして来る」
 と藜《あかざ》の杖を曳きながら幡随院へやって来ると、良石和尚は浅葱木綿《あさぎもめん》の衣を着《ちゃく》し、寂寞《じゃくまく》として坐布団の上に坐っている所へ勇齋|入《い》り来《き》たり、
白「これは良石和尚いつも御機嫌よろしく、とかく今年は残暑の強い事でございます」
良「やア出て来たねえ、此方《こっち》へ来なさい、誠に萩原も飛んだことになって、到頭《とうとう》死んだのう」
白「えゝあなたはよく御存じで」
良「側に悪い奴が附いて居て、又萩原も免《のが》れられない悪因縁で仕方がない、定まるこッちゃ、いゝわ心配せんでもよいわ」
白「道徳高き名僧智識は百年先の事を看破《みやぶ》るとの事だが、貴僧《あなた》の御見識誠に恐れ入りました、就《つ》きまして私《わたくし》が済まない事が出来ました」
良「海音如来などを盗まれたと云うのだろうが、ありゃア土の中に隠してあるが、あれは来年の八月には屹度《きっと》出るから心配するな、よいわ」
白「私《わたくし》は陰陽《おんよう》を以《も》って世を渡り、未来の禍福を占って人の志を定むる事は、私承知して居りますけれども、こればかりは気が付きませなんだ」
良「どうでもよいわ、萩原の死骸は外《ほか》に菩提所も有るだろうが、飯島の娘お露とは深い因縁がある事|故《ゆえ》、あれの墓に並べて埋めて石塔を建てゝやれ、お前も萩原に世話になった事もあろうから施主に立ってやれ」
 と云われ白翁堂は委細承知と請《うけ》をして寺をたち出《い》で、路々《みち/\》も何《ど》うして和尚があの事を早くも覚《さと》ったろうと不思議に思いながら帰って来て、
白「伴藏、貴様も萩原様には恩になっているから、野辺の送りのお供をしろ」
 と跡の始末を取り片付け、萩原の死骸は谷中の新幡随院へ葬ってしまいました。伴藏は如何《いか》にもして自分の悪事を匿《かく》そうため、今の住家《すまい》を立退《たちの》かんとは思いましたけれども、慌《あわ》てた事をしたら人の疑いがかゝろう、あゝもしようか、こうもしようかとやっとの事で一策を案じ出《いだ》し、自分から近所の人に、萩原様の所へ幽霊の来るのを己が慥《たし》かに見たが、幽霊が二人でボン/\をして通り、一人は島田髷《しまだまげ》の新造《しんぞ》で、一人は年増で牡丹の花の付いた灯籠を提《さ》げていた、あれを見る者は三日を待たず死ぬから、己は怖くて彼処《あすこ》にいられないなぞと云触《いいふら》すと、聞く人々は尾に尾を付けて、萩原様の所へは幽霊が百人来るとか、根津の清水では女の泣声がするなど、さま/″\の評判が立ってちり/″\人が他《ほか》へ引起《ひっこ》してしまうから、白翁堂も薄気味悪くや思いけん、此処《こゝ》を引払《ひきはら》って、神田旅籠町《かんだはたごちょう》辺へ引越《ひっこ》しました。伴藏おみねはこれを機《しお》に、何分怖くて居《い》られぬとて、栗橋《くりはし》在は伴藏の生れ故郷の事なれば、中仙道栗橋へ引越しました。

        十七

 伴藏は悪事の露顕を恐れ、女房おみねと栗橋へ引越《ひっこ》し、幽霊から貰った百両あれば先《ま》ずしめたと、懇意の馬方|久藏《きゅうぞう》を頼み、此の頃は諸式が安いから二十両で立派な家《うち》を買取り、五十両を資本《もとで》に下《おろ》し荒物見世《あらものみせ》を開きまして、関口屋《せきぐちや》伴藏と呼び、初めの程は夫婦とも一生懸命働いて、安く仕込んで安く売りましたから、忽《たちま》ち世間の評判を取り、関口屋の代物《しろもの》は値が安くて品がいゝと、方々《ほう/″\》から押掛けて買いに来るほどゆえ、大いに繁昌を極《きわ》めました。凡夫盛んに神祟りなし、人盛んなる時は天に勝つ、人定まって天人に勝つとは古人の金言|宜《うべ》なるかな、素《もと》より水泡銭《あぶくぜに》の事なれば身につく道理のあるべき訳はなく、翌年の四月頃から伴藏は以前の事も打忘れ少し贅沢《ぜいたく》がしたくなり、絽《ろ》
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