郎はぎょっとして、枕頭《まくらもと》の一刀を手早く手元に引付けながら、慄《ふる》える声を出して、
源「伯父様、何をなさいます」
 と一生懸命|面色《めんしょく》土気色に変わり、眼色《めいろ》血走りました。飯島も面色土気色で目が血走りているから、あいこでせえでございます。源次郎は一刀の鍔前《つばまえ》に手を掛けてはいるものゝ、気憶《きおく》れがいたし刃向う事は出来ませんで竦《すく》んで仕舞いました。
源「伯父様、私《わたくし》をどうなさるお積りで」
 飯島は深傷《ふかで》を負いたる事なれば、震《ふる》える足を踏み止めながら、
飯「何事とは不埓《ふらち》な奴だ、汝が疾《とく》より我が召使國と不義|姦通《いたずら》しているのみならず、明日《みょうにち》中川にて漁船《りょうせん》より我を突き落し、命を取った暁に、うま/\此の飯島の家を乗取《のっと》らんとの悪だくみ、恩を仇なる汝が不所存、云おう様《よう》なき人非人《にんぴにん》、此の場に於《おい》て槍玉に揚げてくれるから左様心得ろ」
 と云い放たれて、源次郎は、剣術はからっ下手《ぺた》にて、放蕩《ほうとう》を働き、大塚の親類に預けられる程な未熟|不鍛錬《ふたんれん》な者なれども、飯島は此の深傷《ふかで》にては彼の刃に打たれて死するに相違なし、併《しか》し打たれて死ぬまでも此の槍にてしたゝかに足を突くか手を突いて、亀手《てんぼう》か跛足《びっこ》にでもして置かば、後日《ごにち》孝助が敵討《かたきうち》を為《す》る時幾分かの助けになる事もあるだろうから、何処《どっ》かを突かんと狙い詰められ、
源「伯父さま私《わたくし》は何も槍で突かれる様な覚えはございません」
飯「黙れ」
 と怒りの声を振立てながら、一歩《ひとあし》進んで繰出《くりだ》す槍鋒《やりさき》鋭く突きかける。源次郎はアッと驚き身を交《かわ》したが受け損じ、太股へ掛けブッツリと突き貫き、今一本突こうとしましたが、孝助に突かれた深傷《ふかで》に堪《た》え兼ね、蹌々《よろ/\》とする所を、源次郎は一本突かれ死物狂いになり、一刀を抜くより早く飛込みさま飯島目掛けて切り付ける。切付けられてアッと云って蹌《ひょろ》めく処《ところ》へ、又、太刀深く肩先へ切込まれ、アッと叫んで倒れる処へ乗し掛って、恰《まる》で河岸《かし》で鮪《まぐろ》でもこなす様に切って仕舞いました。お國は中《ちゅう》二階に寝ていましたが、此の物音を聞き附け、寝衣《ねまき》の儘《まゝ》に階子《はしご》を降り、そっと来て様子を窺《うかゞ》うと、此の体裁《ていたらく》に驚き、慌《あわ》てゝ二階へ上《あが》ったり下へ下りたりしていると、源次郎が飯島に止《とゞ》めを刺したようだから、お國は側へ駈付《かけつ》けて、
國「源さま、貴方《あなた》にお怪我はございませんか」
 源次郎は肩息をつきフウ/\とばかりで返事も致しません。
國「あなた黙っていては分りませんよ、お怪我はありませんか」
 といわれて源次郎はフウ/\といいながら、
源「怪我はないよ、誰だ、お國さんか」
國「貴方《あなた》のお足から大層血が出ますよ」
源「これは槍で突かれました、手強《てづよ》い奴と思いの外《ほか》なアにわけはなかった、併《しか》し此処《こゝ》に何時迄《いつまで》こうしては居《い》られないから、両人《ふたり》で一緒に何処《いずく》へなりとも落延《おちの》びようから、早く支度をしな」
 と云われてお國は成程そうだと急ぎ奥へ駈戻り、手早く身支度をなし、用意の金子や結構な品々を持来《もちきた》り、
國「源さまこの印籠《いんろう》をお提《さ》げなさいよ、この召物《めしもの》を召せ」
 と勧められ、源次郎は着物を幾枚も着て、印籠を七つ提げて、大小を六本|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し、帯を三本締めるなど大変な騒ぎで、漸々《よう/\》支度が整ったから、お國とともに手を取って忍び出《い》でようとする処《ところ》を、仲働きの女中お竹が、先程より騒々しい物音を聞付け、来て見れば此の有様に驚いて、
「アレ人殺し」
 という奴を、源次郎が驚いて、此の声人に聞かれてはと、一刀抜くより飛込んで、デップリ肥《ふと》って居る身体を、肩口から背びらへ掛けて斬付《きりつ》ける。斬られてお竹はキャッと声をあげて其の儘《まゝ》息は絶えました。他《ほか》の女どもゝ驚いて下流しへ這込むやら、又は薪箱《まきばこ》の中へ潜《もぐ》り込むやら騒いでいる中《うち》に、源次郎お國の両人《りょうにん》は此処《こゝ》を忍び出《い》で、何処《いずく》ともなく落ちて行《い》く。後《あと》で源助は奥の騒ぎを聞きつけて、いきなり自分の部屋を飛びだし、拳《こぶし》を振《ふる》って隣家《となり》の塀《へい》を打ち叩き、破れるような声を出して、
源「狼藉ものが這入りました/\」
 と騒ぎ立てるに、隣家《となり》の宮野邊源之進はこれを聞附《きゝつ》け思う様《よう》、飯島のごとき手者《てしゃ》の処《ところ》へ押入る狼藉ものだから、大勢《たいぜい》徒党《ととう》したに相違ないから、成るたけ遅くなって、夜が明けて往《ゆ》く方がいゝと思い先《ま》ず一同を呼起《よびおこ》し、蔵へまいって著込《きごみ》を持ってまいれの、小手《こて》脛当《すねあて》の用意のと云っているうちに、夜《よ》はほの/″\と明け渡りたれば、もう狼藉者はいる気遣《きづかい》はなかろうと、源之進は家来一二|人《にん》を召連れ来て見れば此の始末。如何《いかゞ》したる事ならんと思うところへ、一人《ひとり》の女中が下流しから這上《はいあが》り、源之進の前に両手をつかえ、
「実は昨晩の狼藉者は、貴方様の御舎弟《おしゃてい》源次郎様とお國さんと、疾《と》うから密通してお出《い》でになって、昨夜殿様を殺し、金子衣類を窃取《ぬすみと》り、何処《いずく》ともなく逃げました」
 と聞いて源之進は大いに驚き、早速に邸《やしき》へ立帰り、急ぎお頭《かしら》へ向け源次郎が出奔《しゅっぽん》の趣《おもむき》の届《とゞけ》を出す。飯島の方へはお目附が御検屍《ごけんし》に到来して、段々死骸を検《あらた》め見るに、脇腹に槍の突傷《つきゝず》がありましたから、源次郎如き鈍き腕前にては兎《と》ても飯島を討つ事は叶《かな》うまじ、されば必ず飯島の寝室《ねま》に忍び入り、熟睡の油断に附入《つけい》りて槍を以《もっ》て欺《だま》し討ちにした其の後《のち》に、刀を以て斬殺《きりころ》したに相違なしということで、源次郎はお尋ね者となりましたけれども、飯島の家《いえ》は改易《かいえき》と決り、飯島の死骸は谷中新幡随院へおくり、こっそりと野辺送りをしてしまいました。こちらは孝助、御主人が私《わたくし》の為《た》めに一命をお捨てなされた事なるかと思えば、いとゞ気もふさぎ、欝々としていますと、相川はお頭から帰って、
相「婆アや、少し孝助殿と相談があるから此方《こちら》へ来てはいかんよ、首などを出すな」
婆「何か御用で」
相「用じゃないのだよ、そっちへ引込《ひっこ》んでいろ、これ/\茶を入れて来い、それから仏様へ線香を上げな、さて孝助殿少し話したい事もあるから、まア/\此方《こっち》へ/\、誰にもいわれんが、先以《まずもっ》て御主人様のお遺書《かきおき》通りに成るから心配するには及ばん、お前は親の敵《かたき》は討ったから、是からは御主人は御主人として、其の敵を復《かえ》し、飯島のお家再興だよ」
孝「仰せに及ばず、もとより敵討の覚悟でございます、此の後《のち》万事に付き宜《よろ》しくお心添《こゝろぞえ》の程を願います」
相「此の相川は年老いたれども、其の事は命に掛けて飯島様の御家《おいえ》の立つように計らいます、そこでお前は何日《いつ》敵討に出立《しゅったつ》なさるえ」
孝「最早一刻も猶予致す時でございませんゆえ、明《みょう》早天《そうてん》出立致す了簡です」
相「明日《あした》直《す》ぐに、左様かえ、余り早《は》や過ぎるじゃないか、宜しい此の事ばかりは留《と》められない、もう一日々々と引き広ぐ事は出来ないが、お前の出立|前《ぜん》に私《わし》が折入《おりい》って頼みたい事があるが、どうか叶《かな》えては下さるまいか」
孝「何《ど》のような事でも宜しゅうございます」
相「お前の出立前に娘お徳と婚礼の盃だけをして下さい、外《ほか》に望みは何もない、どうか聞済《きゝす》んで下さい」
孝「一旦お約束申した事ゆえ、婚礼を致しまして宜しいようなれど、主人よりのお約束申したは来年の二月、殊《こと》に目の前にて主人があの通りになられましたのに、只今婚礼を致しましては主人の位牌へ対して済みません、敵討の本懐を遂《と》げ立帰り、目出度《めでた》く婚礼を致しますれば、どうぞそれ迄お待ち下さるように願います」
相「それはお前の事だから、遠からず本懐を遂げて御帰宅になるだろうが、敵の行方《ゆくえ》が知れない時は、五年で帰るか十年でお帰りになるか、幾年掛るか知れず、それに私はもう取る年、明日《あす》をも知れぬ身の上なれば、此の悦びを見ぬ内帰らぬ旅に赴《おもむ》く事があっては冥途《よみじ》の障《さわ》り、殊に娘も煩う程お前を思っていたのだから、どうか家内だけで、盃事《さかずきごと》を済ませて置いて、安心させてくださいな、それにお前も飯島の家来では真鍮巻の木刀を差して行《ゆ》かなければならん、それより相川の養子となり、其の筋へ養子の届をして、一人前《ひとりまえ》の立派な侍に出立《いでた》って往来すれば、途中で人足などに馬鹿にもされず宜《よ》かろうから、何《ど》うぞ家内だけの祝言を聞済んでください」
孝「至極|御尤《ごもっと》もなる仰せです、家内だけなれば違背《いはい》はございません」
相「御承知くだすったか、千万|忝《かたじ》けない、あゝ有難い、相川は貧乏なれども婚礼の入費の備えとして五六十両は掛ると見込んで、別にして置いたが、これはお前の餞別に上げるから持って行っておくれ」
孝「金子は主人から貰いましたのが百両ございますから、もう入りません」
相「アレサいくら有っても宜《よ》いのは金、殊に長旅のことなれば、邪魔でもあろうがそう云わずに持って行ってください、そこで私が細《こまか》い金を選《よ》って、襦袢《じゅばん》の中へ縫い込んで置く積りだから、肌身離さず身に著《つ》けて置きなさい、道中には胡麻の灰という奴があるから随分気をお付けなさい、それに此の矢立をさしてお出《い》で、又これなる一刀は予《か》ねて約束して置いた藤四郎吉光の太刀《たち》、重くもあろうが差してお呉れ、是と御主人のお形見天正助定を差して行《ゆ》けば、舅と主人がお前の後影《うしろかげ》に付添っているも同様、勇ましき働きをなさいまし」
孝「有りがとうございます」
相「何《ど》うか今夜|不束《ふつゝか》な娘だが婚礼をしてくだされ、これ婆、明日《あした》は孝助殿が目出度《めでた》く御出立だ、そこで目出度い序《つい》でに今夜婚礼をする積りだから、徳に髪でも取り上げさせ、お化粧でもさせて置いてくれ、其の前に仕事がある、此の金を襦袢へ縫込んでくれ、善藏や、手前は直《すぐ》に水道町の花屋へ行って、目出度く何か頭付《かしらつ》きの魚を三枚ばかり取って来い、序でに酒屋へ行って酒を二升、味淋《みりん》を一升ばかり、それから帰りに半紙を十|帖《じょう》ばかりに、煙草を二玉に、草鞋《わらじ》の良いのを取って参れ」
 といい付け、そうこうするうちに支度も整いましたから、酒肴《さけさかな》を座敷に取並べ、媒妁《なこうど》なり親なり兼帯《けんたい》にて、相川が四海浪静かにと謡《うた》い、三々九度の盃事《さかずきごと》、祝言の礼も果て、先《ま》ずお開きと云う事になる。
相「あゝ/\婆ア、誠に目出度かった」
婆「誠にお目出とう存じます、私《わたくし》はお嬢様のお少《ちい》さい時分からお附き申して御婚礼をなさるまで御奉公いたしましたかと存じますと、誠に嬉しゅうございます、あなた嘸《さぞ》御安心でございましょう」

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