わたくし》の方は聞いたばかり、証拠にならず、向うには殿様から、暇《ひま》があったら夜《よる》にでも宅《うち》へ参って釣道具の損じを直して呉れとの頼みの手紙がある事ゆえ、表沙汰にいたしますれば、主人は必ず隣へ対し、義理にも私はお暇《いとま》に成るに違いはありません、さすれば後《あと》にて二人の者が思うがまゝに殿様を殺しますから、どうあっても彼《あ》のお邸《やしき》は出られんと今日まで胸を摩《さす》って居りましたが、明日《あした》は愈々《いよ/\》中川へ釣にお出《いで》になる当日ゆえ、それとなく今日殿様に明日《あした》の漁をお止め申しましたが、お聞入れがありませんから、止むを得ず、今宵《こよい》の内に二人の者を殺し、其の場で私が切腹すれば、殿様のお命に別条はないと思い詰め、槍を提《さ》げて庭先へ忍んで様子を窺《うかゞ》いました」
相「誠に感心感服、アヽ恐れ入ったね、忠義な事だ、誠に何《ど》うも、それだから娘より私《わし》が惚れたのだ、お前の志は天晴《あっぱれ》なものだ、其の様な奴は突放《つきッぱな》しで宜《い》いよ、腹は切らんでも宜いよ、私《わたし》が何《ど》のようにもお頭に届《とゞけ》を出して置くよ、それから何うした」
孝「そういたしますると、廊下を通る寝衣姿《ねまきすがた》は慥《たしか》に源次郎と思い、繰出す槍先あやまたず、脇腹深く突き込みましたところ間違って主人を突いたのでございます」
相「ヤレハヤ、それはなんたることか、併《しか》し疵は浅かろうか」
孝「いえ、深手でございます」
相「イヤハヤどうも、なぜ源次郎と声を掛けて突かないのだ、無闇に突くからだ、困った事をやったなア、だが過《あやま》って主人を突いたので、お前が不忠者でない悪人でない事は御主人は御存じだろうから、間違いだと云う事を御主人へ話したろうね」
孝「主人は疾《と》くより得心にて、わざと源次郎の姿と見違えさせ、私《わたくし》に突かせたのでござります」
相「これはマア何ゆえそんな馬鹿な事をしたんだ」
孝「私《わたくし》には深い事は分りませんが、此のお書置に委《くわ》しい事がございますから」
と差出す包を、
相「拝見いたしましょう、どれこれかえ、大きな包だ、前掛が入っている、ナニ婆《ばあ》やアのだ、なぜこんな所に置くのだ、そっちへ持って行《ゆ》け、コレ本の間《ま》に眼鏡があるから取ってくれ」
と眼鏡を掛け、行灯《あんどん》の明り掻き立て読下《よみくだ》して相川も、ハッとばかりに溜息《ためいき》をついて驚きました。
十四
伴藏は畑へ転がりましたが、両人の姿が見えなくなりましたから、慄《ふる》えながらよう/\起上り、泥だらけの儘《まゝ》家《うち》へ駈け戻り、
伴「おみねや、出なよ」
みね「あいよ、どうしたえ、まア私は熱かったこと、膏汗《あぶらあせ》がビッショリ流れる程出たが、我慢をして居たよ」
伴「手前《てめえ》は熱い汗をかいたろうが、己《おら》ア冷《つめ》てえ汗をかいた、幽霊が裏窓から這入《はい》って行ったから、萩原様は取殺《とりころ》されて仕舞うだろうか」
みね「私の考えじゃア殺すめえと思うよ、あれは悔しくって出る幽霊ではなく、恋しい/\と思っていたのに、お札が有って這入れなかったのだから、是が生きている人間ならば、お前さんは余《あんま》りな人だとか何《なん》とか云って口説《くぜつ》でも云う所だから殺す気遣《きづかい》はあるまいよ、どんな事をしているか、お前見ておいでよ」
伴「馬鹿をいうな」
みね「表から廻ってそっと見ておいでヨウ/\」
といわれるから、伴藏は抜足《ぬきあし》して萩原の裏手へ廻り、暫《しば》らくして立帰《たちかえ》り、
みね「大層長かったね、どうしたえ」
伴「おみね、成程|手前《てめえ》の云う通り、何だかゴチャ/\話し声がするようだから覗《のぞ》いて見ると、蚊帳《かや》が吊って有って何だか分らないから、裏手の方へ廻るうちに、話し声がパッタリとやんだようだから、大方仲直りが有って幽霊と寝たのかも知れねえ」
みね「いやだよ、詰らない事をお云いでない」
という中《うち》に夜《よ》もしら/\と明け離れましたから、
伴「おみね、夜が明けたから萩原様の所へ一緒に往って見よう」
みね「いやだよ私《わたし》ゃ夜が明けても怖くっていやだよ」
というのを、
伴「マア往きねえよ」
と打連《うちつ》れだち。
伴「おみねや、戸を明けねえ」
みね「いやだよ、何だか怖いもの」
伴「そんな事を云ったって、手前《てめえ》が毎朝戸を明けるじゃアねえか、ちょっと明けねえな」
みね「戸の間から手を入れてグッと押すと、栓張棒《しんばりぼう》が落ちるから、お前お明けよ」
伴「手前《てめえ》そんな事を云ったって、毎朝来て御膳を炊いたりするじゃアねえか、それじゃア手前手を入れて栓張だけ外すがいゝ」
みね「私ゃいやだよ」
伴「それじゃアいゝや」
と云いながら栓張を外し、戸を引き開けながら、
伴「御免ねえ、旦那え/\夜が明けやしたよ、明るくなりやしたよ、旦那え、おみねや、音も沙汰もねえぜ」
みね「それだからいやだよ」
伴「手前《てめえ》先へ入《へい》れ、手前はこゝの内の勝手をよく知っているじゃアねえか」
みね「怖い時は勝手も何もないよ」
伴「旦那え/\、御免なせえ、夜が明けたのに何怖いことがあるものか、日の恐れがあるものを、なんで幽霊がいるものか、だがおみね世の中に何が怖いッて此の位怖いものア無《ね》えなア」
みね「あゝ、いやだ」
伴藏は呟《つぶや》きながら中仕切《なかじきり》の障子を明けると、真暗《まっくら》で、
伴「旦那え/\、よく寝ていらッしゃる、まだ生体《しょうてえ》なく能《よ》く寝ていらッしゃるから大丈夫だ」
みね「そうかえ、旦那、夜が明けましたから焚《た》きつけましょう」
伴「御免なせえ、私《わっち》が戸を明けやすよ、旦那え/\」
と云いながら床の内を差覗《さしのぞ》き、伴藏はキャッと声を上げ、
「おみねや、己《おら》アもう此の位《くれえ》な怖いもなア見た事はねえ」
とおみねは聞くよりアッと声をあげる。
伴「おゝ手前《てめえ》の声でなお怖くなった」
みね「何《ど》うなっているのだよ」
伴「何うなったの斯《こ》うなったのと、実に何《なん》とも彼《か》とも云いようのねえ怖《こえ》えことだが、これを手前《てめえ》とおれと見たばかりじゃア掛合《かゝりえい》にでもなっちゃア大変《てえへん》だから、白翁堂の爺さんを連れて来て立合《たちえい》をさせよう」
と白翁堂の宅へ参り、
伴「先生/\伴藏でごぜえやす、ちょっとお明けなすって」
白「そんなに叩かなくってもいゝ、寝ちゃアいねえんだ、疾《と》うに眼が覚めている、そんなに叩くと戸が毀《こわ》れらア、どれ/\待っていろ、あゝ痛《い》たゝゝゝ戸を明けたのに己の頭をなぐる奴があるものか」
伴「急いだものだから、つい、御免なせえ、先生ちょっと萩原様の所へ往って下せえ、何うかしましたよ、大変《てえへん》ですよ」
白「何うしたんだ」
伴「何うにも斯うにも、私《わっち》が今おみねと両人《ふたり》でいって見て驚いたんだから、お前《めえ》さん一寸《ちょっと》立合って下さい」
と聞くより勇齋も驚いて、藜《あかざ》の[#「藜《あかざ》の」は底本では「黎《あかざ》の」]杖を曳《ひ》き、ポク/\と出掛けて参り、
白「伴藏お前《めえ》先へ入んなよ」
伴「私《わっち》は怖いからいやだ」
白「じゃアおみねお前《めえ》先へ入れ」
みね「いやだよ、私だって怖いやねえ」
白「じゃアいゝ」
と云いながら中へ這入ったけれども、真暗で訳が分らない。
白「おみね、ちょっと小窓の障子を明けろ、萩原氏、どうかなすったか、お加減でも悪いかえ」
と云いながら、床の内を差覗《さしのぞ》き、白翁堂はわな/\と慄《ふる》えながら思わず後《あと》へ下《さが》りました。
十五
相川新五兵衞は眼鏡を掛け、飯島の遺書《かきおき》をば取る手おそしと読み下しまするに、孝助とは一旦|主従《しゅうじゅう》の契《ちぎ》りを結びしなれども敵《かたき》同士であったること、孝助の忠実に愛《め》で、孝心の深きに感じ、主殺《しゅうころし》の罪に落さずして彼が本懐を遂げさせんがため、態《わざ》と宮野邊源次郎と見違えさせ討たれしこと、孝助を急ぎ門外《もんそと》に出《いだ》し遣《や》り、自身に源次郎の寝室《ねま》に忍び入り、彼が刀の鬼となる覚悟、さすれば飯島の家《うち》は滅亡致すこと、彼等両人我を打って立退《たちの》く先は必定お國の親元なる越後の村上ならん、就《つ》いては汝孝助時を移さず跡追掛け、我が仇《あだ》なる両人の生首|提《ひっさ》げて立帰り、主《しゅう》の敵《かたき》を討ちたる廉《かど》を以《もっ》て我が飯島の家名再興の儀を頭《かしら》に届けくれ、其の時は相川様にもお心添えの程|偏《ひとえ》に願い度《た》いとのこと、又汝は相川へ養子に参る約束を結びたれば、娘お徳どのと互いに睦《むつ》ましく暮し、両人の間に出来た子供は男女《なんにょ》に拘《かゝ》わらず、孝助の血統《ちすじ》を以て飯島の相続人と定めくれ、後《あと》は斯々云々《こう/\しか/″\》と、実に細かに届く飯島の家来思いの切なる情《なさけ》に、孝助は相川の遺書《かきおき》を読む間《ま》、息をもつかず聞いていながら、膝の上へぽたり/\と大粒な熱い涙を零《こぼ》していましたが、突然《いきなり》剣幕《けんまく》を変えて表の方へ飛出そうとするを、
相「これ孝助殿、血相変えて何処《どこ》へ行《ゆ》きなさる」
と云われて孝助は泣声を震わせ、
孝「只今お遺書《かきおき》の御様子にては、主人は私《わたくし》を急いで出し、後《あと》で客間へ踏込んで源次郎と闘うとの事ですが、如何《いか》に源次郎が剣術を知らないでも、殿様があんな深傷《ふかで》にてお立合なされては、彼が無残の刃の下に果敢《はか》なくお成りなされるは知れた事、みす/\敵《かたき》を目の前に置きながら、恩あり義理ある御主人を彼等に酷《むご》く討たせますは実に残念でござりますから、直《すぐ》に取って返し、お助太刀を致す所存でございます」
相「分らない事を云わっしゃるな、御主人様が是だけの遺書《かきおき》をお遣《つか》わしなさるは何の為《た》めだと思わッしゃる、そんな事をしなさると、飯島の家《いえ》が潰《つぶ》れるから、邸《やしき》へ行《ゆ》く事は明朝までお待ち、此の遺書の事を心得てこれを反故《ほご》にしてはならんぜ」
と亀の甲より年の功、流石《さすが》老巧《ろうこう》の親身の意見に孝助はかえす言葉もありませんで、口惜《くやし》がり、唯《たゞ》身を震わして泣伏しました。話かわって飯島平左衞門は孝助を門外《もんそと》に出し、急ぎ血潮|滴《した》たる槍を杖とし、蟹のように成ってよう/\に縁側に這い上がり、蹌《よろ》めく足を踏みしめ踏みしめ、段々と廊下を伝い、そっと客間の障子を開《ひら》き中へ入《い》り、十二畳一杯に釣ってある蚊帳の釣手《つりて》を切り払い、彼方《あなた》へはねのけ、グウ/\とばかり高鼾《たかいびき》で前後《あとさき》も知らず眠《ね》ている源次郎の頬《ほう》の辺《あた》りを、血に染《し》みた槍の穂先にてペタリ/\と叩きながら、
飯「起《おき》ろ/\」
と云われて源次郎頬が冷《ひ》やりとしたに不図《ふと》目を覚《さま》し、と見れば飯島が元結はじけて散《ちら》し髪で、眼は血走り、顔色は土気色《つちけいろ》になり、血の滴《した》たる手槍をピタリッと付け立っている有様を見るより、源次郎は早くも推《すい》し、アヽヽこりア流石《さすが》飯島は智慧者《ちえしゃ》だけある、己と妾のお國と不義している事を覚《さと》られたか、さなくば例の悪計を孝助|奴《め》が告げ口したに相違なし、何しろ余程の腹立《はらだち》だ、飯島は真影流の奥儀《おうぎ》を極《きわ》めた剣術の名人で、旗下《はたもと》八万騎の其の中に、肩を並ぶるものなき達人の聞えある人に槍を付けられた事だから、源次
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