》の障《さわ》りでございましたが、御疑念が晴れましたならお手打は厭いません、サヽお手打になされまし」
飯「己が悪かった、これが家来だからいゝが、若《も》し朋友《ほうゆう》か何かであった日にゃア腹を切っても済まない所、家来だからといって、無闇に疑《うたぐ》りを掛けては済まない、飯島が板の間へ手を突いてこと/″\く詫びる、堪忍して呉れ」
孝「あゝ勿体ない、誠に嬉しゅうございました、源助どん」
源「誠にどうも」
飯「源助、手前は孝助を疑《うたぐ》って孝助を突いたから謝《あや》まれ」
源「へい/\孝助どん、誠に済みません」
飯「たけや何かも何か少し孝助を疑ったろう」
竹「ナニ疑りは致しませんが、孝助どんは平常《ふだん》の気性にも似合ないことだと存じまして、些《ちっ》とばかり」
飯「矢張り疑ったのだから謝まれ、きみも謝まれ」
竹「孝助どん、誠にお目出度《めでとう》存じます、先程は誠に済みません」
飯「これ國、貴様は一番孝助を疑り、膝を突いたり何かしたから余計に謝まれ、己でさえ手をついて謝ったではないか、貴様は猶更《なおさら》丁寧に詫をしろ」
と云われてお國は、此度《こんど》こそ孝助がお手打になる事と思い、心の中《うち》で仕済ましたりと思っている処《ところ》へ、金子が出て、孝助に謝まれと云うから残念で堪《たま》らないけれども、仕方がないから、
國「孝助どん誠に重々すまない事を致しました、何《ど》うか勘弁しておくんなさいましよ」
孝「なに宜《よろ》しゅうございます、お金が出たから宜《い》いが、若《も》しお手打にでもなるなら、殿様の前でお為になる事を並べ立《たて》て死のうと思って……」
と急込《せきこ》んで云いかけるを、飯島は、
飯「孝助何も云って呉れるな己にめんじて何事もいうな」
孝「恐れ入ります、金子は出ましたが、彼《あ》の胴巻は何《ど》うして私《わたくし》の文庫から出ましたろう」
飯「あれはホラいつか貴様が胴巻の古いのを一つ欲しいと云った事があったっけノウ、其の時おれが古いのを一つやったじゃないか」
孝「ナニさような事は」
飯「貴様がそれ欲しいと云ったじゃないか」
孝「草履取の身の上で縮緬《ちりめん》のお胴巻を戴いたとて仕方がございません」
飯「此奴《こいつ》物覚えの悪いやつだ」
孝「私《わたくし》より殿様は百両のお金を仕舞い忘れる位ですから貴方《あなた》の方が物覚えがわるい」
飯「成程これはおれがわるかった、何しろ目出度《めでた》いから皆《みんな》に蕎麦《そば》でも喰わせてやれ」
と飯島は孝助の忠義の志《こゝろざ》しは予《かね》て見抜いてあるから、孝助が盗み取るようなことはないと知っている故、金子は全く紛失《ふんじつ》したなれども、別に百両を封金《ふうきん》に拵《こし》らえ、此の騒動を我が粗忽《そこつ》にしてぴったりと納まりがつきました。飯島は斯程《かほど》までに孝助を愛する事ゆえ、孝助も主人の為《た》めには死んでもよいと思い込んで居りました。斯《か》くて其の月も過ぎて八月の三日となり、いよ/\明日《あす》はお休みゆえ、殿様と隣邸《となり》の次男源次郎と中川へ釣《つり》に行《ゆ》く約束の当日なれば、孝助は心配をいたし、今夜隣の源次郎が来て当家に泊るに相違ないから、殿様に明日《みょうにち》の釣をお止《や》めなさるように御意見を申し上げ、もし何《ど》うしてもお聞入《きゝいれ》のない其の時は、今夜客間に寝ている源次郎めが中《ちゅう》二階に寝ているお國の所へ廊下伝いに忍び行《ゆ》くに相違ないから、廊下で源次郎を槍玉《やりだま》にあげ、中二階へ踏込《ふみこ》んでお國を突殺《つきころ》し、自分は其の場を去らず切腹すれば、何事もなく事済《ことずみ》になるに違いない、これが殿様へ生涯の恩返し、併《しか》し何うかして明日《みょうにち》主人を漁《りょう》にやりたくないから、一応は御意見をして見ようと、
孝「殿様|明日《みょうにち》は中川へ漁に入《いら》っしゃいますか」
飯「あゝ行《ゆ》くよ」
孝「度々《たび/\》申上げるようですが、お嬢様がお亡くなりになり、未《ま》だ間《ま》もない事でございまするから、お見合《みあわ》せなすっては如何《いかゞ》」
飯「己《おれ》は外《ほか》に楽《たのし》みはなく釣が極《ごく》好きで、番がこむから、偶《たま》には好きな釣ぐらいはしなければならない、それを止《と》めてくれては困るな」
孝「貴方《あなた》は泳ぎを御存じがないから水辺《すいへん》のお遊びは宜《よろ》しくございません、それともたって入っしゃいますならば孝助お供いたしましょう、何うか手前お供にお連れください」
飯「手前は釣は嫌いじゃないか、供はならんよ、能《よ》く人の楽みを止める奴だ、止めるな」
孝「じゃア今晩やって仕舞います、長々御厄介になりました」
飯「何を」
孝「え、なんでも宜しゅうございます、此方《こちら》の事です、殿様|私《わたくし》は三月二十一日に御当家へ御奉公に参りまして、新参者の私を、人が羨《うらや》ましがる程お目を掛けてくださり、御恩義の程は死んでも忘れはいたしません、死ねば幽霊になって殿様のお身体に附きまとい、凶事のない様に守りまするが、全体貴方は御酒を召上れば前後も知らずお寝《やす》みになる、又召上がらねば少しもお寝みになる事が出来ません、御酒も随分気を散じますから少々は召上がっても宜しゅうございますが、多分に召上ってお酔いなすっては、仮令《たとい》どんなに御剣術が御名人でも、悪者がどんなことを致しますかも知れません、私はそれが案じられてなりません」
飯「さような事は云わんでも宜しい、あちらへ参れ」
孝「へえ」
と立上がり、廊下を二足《ふたあし》三足《みあし》行《ゆ》きにかゝりましたが、是《こ》れがもう主人の顔の見納めかと思えば、足も先に進まず、又振返って主人の顔を見てポロリと涙を流し、悄々《しお/\》として行《ゆ》きますから、振返るを見て飯島もハテナと思い、暫《しば》し腕|拱《こまぬ》き、小首かたげて考えて居りました。孝助は玄関に参り、欄間《らんま》に懸《かゝ》ってある槍をはずし、手に取って鞘《さや》を外《はず》して検《あらた》めるに、真赤《まっか》に錆《さ》びて居りましたゆえ、庭へ下《お》り、砥石《といし》を持来《もちきた》り、槍の身をゴシ/\研《と》ぎはじめていると、
飯「孝助々々」
孝「へい/\」
飯「何《なん》だ、何をする、どう致すのだ」
孝「これは槍でございます」
飯「槍を研いで何《ど》う致すのだえ」
孝「余《あんま》り真赤《まっか》に錆《さび》ておりますから、なんぼ泰平の御代《みよ》とは申しながら、狼藉《ろうぜき》ものでも入《い》りますと、其の時のお役に立たないと思い、身体が閑でございますから研ぎ始めたのでございます」
飯「錆槍《さびやり》で人が突けぬような事では役にたゝんぞ、仮令《たとえ》向うに一|寸幅《すんはゞ》の鉄板《てついた》があろうとも、此方《こちら》の腕さえ確《たしか》ならプツリッと突き抜ける訳のものだ、錆ていようが丸刃《まるは》であろうが、さような事に頓着《とんじゃく》はいらぬから研ぐには及ばん、又憎い奴を突殺《つきころ》す時は錆槍で突いた方が、先の奴が痛いから此方が却《かえ》っていゝ心持《こゝろもち》だ」
孝「成程こりゃアそうですな」
と其の儘《まゝ》槍を元の処《ところ》へ掛けて置く。飯島は奥へ這入り、其の晩源次郎がまいり酒宴《さかもり》が始まり、お國が長唄の地《じ》で春雨《はるさめ》かなにか三味線《さみせん》を掻きならし、当時の九時過まで興を添えて居りましたが、もうお引《ひけ》にしましょうと客間へ蚊帳を一抔に吊って源次郎を寝かし、お國は中《ちゅう》二階へ寝てしまいました。お國は誰が泊っても中二階へ寝なければ源次郎の来た時不都合だから、何時《いつ》でもお客さえあればこゝへ寝ます。夜《よ》も段々と更け渡ると、孝助は手拭《てぬぐい》を眉深《まぶか》に頬冠《ほおかむ》りをし、紺看板《こんかんばん》に梵天帯《ぼんてんおび》を締め、槍を小脇に掻込《かいこ》んで庭口へ忍び込み、雨戸を少々ずつ二所《ふたところ》明けて置いて、花壇の中《うち》へ身を潜《ひそ》め隠し縁の下へ槍を突込《つきこ》んで様子を窺《うかゞ》っている。その中《うち》に八《や》ツの鐘がボーンと鳴り響く。此の鐘は目白の鐘だから少々早めです。するとさらり/\と障子を明け、抜足《ぬきあし》をして廊下を忍び来る者は、寝衣姿《ねまきすがた》なれば、慥《たしか》に源次郎に相違ないと、孝助は首を差延《さしの》べ様子を窺うに、行灯《あんどう》の明りがぼんやりと障子に映るのみにて薄暗く、はっきりそれとは見分けられねど、段々中二階の方へ行《ゆ》くから、孝助はいよ/\源次郎に違いなしとやり過《すご》し、戸の隙間《すきま》から脇腹を狙って、物をも云わず、力に任せて繰出《くりだ》す槍先は過《あやま》たず、プツリッと脾腹《ひはら》へ掛けて突き徹《とお》す。突かれて男はよろめきながら左手《ゆんで》を延《のば》して槍先を引抜《ひきぬ》きさまグッと突返《つきかえ》す。突かれて孝助たじ/\と石へ躓《つまず》き尻もちをつく。男は槍の穂先を掴《つか》み、縁側より下へヒョロ/\と降り、沓脱石《くつぬぎいし》に腰を掛け、
「孝助外庭へ出ろ/\」
と云われて孝助、オヤ、と言って見ると、恟《びっく》りしたは源次郎と思いの外《ほか》、大恩受けたる主人の肋骨《あばら》へ槍を突掛《つきか》けた事なれば、アッとばかりに呆《あき》れはて、唯《たゞ》キョトキョト/\として逆上《のぼせ》あがってしまい、呆気《あっけ》に取られて涙も出ずにいる。
飯「孝助こちらへ来い」
と気丈な殿様なれば袂《たもと》にて疵口《きずぐち》を確《しっ》かと押えてはいるものゝ、血《のり》は溢《あふ》れてぼたり/\と流れ出す。飯島は血に染《し》みたる槍を杖として、飛石伝《とびいしづた》いにヒョロ/\と建仁寺垣の外なる花壇の脇の所へ孝助を連れて来る。孝助は腰が抜けてしまって、歩けないで這って来た。
孝「へい/\間違《まちがい》でござります」
飯「孝助|己《おれ》の上締《うわじめ》を取って疵口を縛れ、早く縛れ」
と云われても、孝助は手がブル/\とふるえて思うまゝに締らないから、飯島自ら疵口をグッと堅く締め上げ、猶《なお》手をもって其の上を押え、根府川《ねぶかわ》の飛石の上へペタ/\と坐る。
孝「殿様、とんでもない事をいたしました」
とばかりに泣出《なきいだ》す。
飯「静かにしろ、他《ほか》へ洩れては宜《よろ》しくないぞ、宮野邊源次郎めを突こうとして、過《あや》まって平左衞門を突いたか」
孝「大変な事をいたしました、実は召仕《めしつかい》のお國と宮野邊の次男源次郎と疾《とく》より不義をしていて、先月《あとげつ》廿一日お泊番《とまりばん》の時、源次郎がお國の許《もと》へ忍び込み、お國と密々《ひそ/\》話して居る所へうっかり私《わたくし》がお庭へ出て参り、様子を聞くと、殿様がいらっしゃっては邪魔になるゆえ、来月の四日中川にて殿様を釣舟から突落《つきおと》して殺してしまい、体能《ていよ》くお頭《かしら》に届けをしてしまい、源次郎を養子に直し、お國と末長く楽しもうとの悪工《わるだく》み、聞くに堪え兼ね、怒りに任せ、思わず呻《うな》る声を聞きつけ、お國が出て参り、彼此《かれこれ》と言い合《あい》はしたものゝ、源次郎の方には殿様から釣道具の直しを頼みたいとの手紙を以《もっ》て証拠といたし、一|時《じ》は私《わたくし》云い籠められ、弓の折《おれ》にてしたゝか打たれ、いまだに残る額の疵《きず》、口惜《くやし》くてたまり兼ね、表向《おもてむき》にしようとは思ったなれど、此方《こちら》は証拠のない聞いた事、殊《こと》に向うは次男の勢い、無理でも圧《おさ》え付けられて私はお暇《いとま》になるに相違ないと思い諦め、彼《あ》の事は胸にたゝんでしまって置き、いよ/\明日《みょうにち》は釣にお出《いで》になるお約束日ゆえお止め申しましたが、お聞入れがな
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