》に塩原《しほばら》の墓《はか》にも梅廼屋《うめのや》の塔婆《たふば》が立つて居《を》りましたから、何《なに》か訳《わけ》のあることゝ思つて、「和尚《をしやう》さん、こゝにある団扇《うちは》は長川谷町《はせがはちやう》の待合《まちあひ》の梅廼屋《うめのや》の団扇《うちは》ですか」「左様《さやう》です」「梅廼屋《うめのや》は此方《こちら》の檀家《だんか》でございますか」「いえ檀家《だんか》といふ訳《わけ》ではありませぬが、長《なが》い間《あひだ》塩原《しほばら》の附届《つけとゞけ》をしてゐる人は梅廼屋《うめのや》ほかありませぬ、それで此《こ》の団扇《うちは》があるのです」「それは何《ど》ういふ訳《わけ》です」と聞くと、梅廼屋《うめのや》は五|代目《だいめ》の塩原多助《しほばらたすけ》の女房《にようばう》で、それが亭主《ていしゆ》が亡《なくな》つてから、長谷川町《はせがはちやう》へ梅廼屋《うめのや》といふ待合《まちあひ》を出したのです」「へえーさうでございますか」それぢやア梅廼屋《うめのや》のお母《ふくろ》に聞けば塩原《しほばら》の事は委《くは》しく分《わか》る。梅廼屋《うめのや》に聞くの
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