ゑかう》をしながら、只見《とみ》ると、墓石《はかいし》を取巻《とりま》いて戒名《かいみやう》が彫《ほ》つてある。第《だい》一に塩原多助《しほばらたすけ》と深く彫《ほ》つてある。石塔《せきたふ》の裏《うら》には新らしい塔婆《たふば》が立つてゐて、それに梅廼屋《うめのや》と書いてある。どういふ訳《わけ》で梅廼屋《うめのや》が塔婆《たふば》を上《あ》げたか、不審《ふしん》に思ひながら、矢立《やたて》と紙入《かみいれ》の鼻紙《はながみ》を取出《とりだ》して、戒名《かいみやう》や俗名《ぞくみやう》を皆《みな》写《うつ》しましたが、年号月日《ねんがうぐわつぴ》が判然《はつきり》分《わか》りませぬから、寺《てら》の玄関《げんくわん》へ掛《かゝ》つて、「お頼《たの》み申《まう》します」といふと、小坊主《こばうず》が出て取次《とりつ》ぎますから、「私《わたし》は本所相生町《ほんじよあひおひちやう》二|丁目《ちやうめ》の塩原多助《しほばらたすけ》の縁類《えんるゐ》のものでございますが、まだ塩原《しほばら》の墓《はか》も知らず、唯《たゞ》塩原《しほばら》のお寺《てら》は此方《こちら》だといふことを聞伝《きゝ
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