。それから直《すぐ》に本所《ほんじよ》を出て吾妻橋《あづまばし》を渡つて、森下《もりした》へ行《い》つて捜《さが》すと、今《いま》の八|軒寺町《けんでらまち》に曹洞宗《さうどうしう》の東陽寺《とうやうじ》といふ寺《てら》があつた。門の所で車から下《お》りてズツと這入《はい》ると、玄関《げんくわん》の襖紙《からかみ》に円《まる》に十の字《じ》の標《しるし》が付《つ》いてゐる。はてな、これは薩摩様《さつまさま》のお寺《てら》ではないかと思ひました。門番《もんばん》の処《ところ》で花を買つて十|銭《せん》散財《さんざい》して、お墓《はか》を掃除《さうぢ》して下さい、塩原多助《しほばらたすけ》の墓《はか》は此方《こちら》でございませうか、私《わたし》は塩原《しほばら》の縁類《えんるゐ》の者でございますが、始めてまゐつたので墓《はか》は知りませぬから、案内して下さいと云《い》ふと、「へい畏《かしこま》りました」と云《い》つて墓《はか》へ案内して掃除《さうぢ》してくれましたから、墓《はか》の前に向《むか》つて私《わたし》は縁類《えんるゐ》でも何《なん》でもないが、先祖代々《せんぞだい/\》と囘向《
前へ
次へ
全26ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング