そ》う云う御疑念が懸っても仕方がない、仕方がないが、然う云う場合になると、粂之助は頓《とん》と口の利けぬ奴じゃで、私《わし》も一緒に参りましょう」
鳶「そりゃア有難《ありがて》え、なるたけ大勢の方がようがす、じゃア直《すぐ》に行っておくんなせえ」
これから提灯を点《つ》けて寺を出かけ、三人揃って甲州屋の裏口から這入って来ました。
内儀「さア、何卒《どうぞ》此方《こちら》へ、/\」
鳶「え、お内儀様《かみさん》、谷中の長安寺の和尚様も入らっしゃいましたよ」
内儀「おや/\それは何うもまア何うぞ此方へ」
玄「はい、御免を……唯今鳶頭から不慮の事を承りまして、何とも御愁傷の段察し入ります」
鳶「まア、其様《そん》な長ったらしい悔《くやみ》は後《あと》にしておくんなせえ、さ、粂どん此方《こっち》へ這入んなよ」
粂「ヘエ……えゝ、お内儀様《かみさん》お嬢様が飛んだ事にお成りあそばしまして、嘸《さぞ》御愁傷でござりましょう」
是迄は涙一滴|澪《こぼ》さぬでいたが、今しも粂之助の顔を見ると、堪《こら》えかねて袖を顔へ押宛《おしあて》て、わっとばかりにそれへ泣倒れました。
内儀「粂や、何うも飛んだ事になりましたよ、私はね、くれ/″\もそう云っていたのだよ、決して出ちゃアならない、今に私が宜《よ》いようにするから、お前心配おしでないよといって置くのに、親の言葉に背いて家出をしたものだから、忽《たちま》ち親の罰《ばち》があたって、あゝいう訳になったんだから、私はもう皆《みんな》これまでの約束ごとと諦めていたが、お前の顔を見たら何うにも我慢が出来なくなって声を出しましたが、もと/\お前の為に家出をしてこんな死様《しによう》をしたのだからお前|何卒《どうぞ》お線香の一本も上げて回向をしてやっておくれ」
粂「ヘエ、何とも申そう様はございませぬ、誠に何うも重々|私《わたくし》が悪いのでございます」
内儀「いゝえ、お前ばかりが悪い訳じゃアないよ」
鳶「おゝ番頭|様《さん》ちょいと此処《こゝ》へ来ねえ」
番「あい、何じゃ」
鳶「おゝ粂どんはちゃんと此処にいるよ、え、おう、人を殺して金を取ったような訳なら、プイと何処《どこ》かへ逃げちまわア、己が寺へ知らせに行《ゆ》くまであっけらけん[#「あっけらけん」に傍点]と居られるか、さ、何うだ、これでもまだ手前《てめえ》は己を疑《うたぐ》ってやアがるか」
番「まアあんたは、粂之助を贔屓にしておるで、そう思いなはるのじゃ、これ粂之助ちょっと此処《これ》へ来い、汝《おのれ》はまだ年は十九で、虫も殺さぬような顔附をして居るが太い奴《やッ》ちゃ、体《てい》よくお嬢様を誘い出して、不忍弁天の池の縁《ふち》の淋しい処でお嬢様を殺して、金を取って、死骸を池の中へ投《ほう》り込んだに違いあるまい、さ、どうだ、真直《まっすぐ》に云うてしまえ」
斯《こ》う云われるともと人が善《よ》いから、余《あんま》り腹が立って口が利かれない、いきなり立って番頭の胸倉へ武者振りつこうとする途端に、ポンと堕《お》ちたのは九兵衞が置忘れて帰った女夫巾著《みょうとぎんちゃく》、番頭は早くも之《これ》を拾い取って高く差上げ、
番「こ、是じゃ、お内儀《いえ》はん、是はお嬢|様《さん》が不断持って居やはりました巾着でがしょう」
云いながら振ると、中からドサリと落ちた塊《かたまり》は五十両ではなくて八十両。
三
えゝ引続いてお聴きに入れまする、お梅粂之助は互に若い身そらで心得違をいたしたるより、其の身の大難を醸《かも》しました。扨《さて》彼《か》の梅には四徳を具すというが然《そ》うかも知れませぬ、若木を好まんで老木《おいき》の方を好む、又梅の成熟するを貞《てい》たり、とか申して女子《おなご》の節操《みさお》あるを貞女というも同じ意味で、春は花咲き、夏は実を結び、秋は木《こ》の葉が落ちて枯木のようになったかと思うと、又自然に芽が出て来るは、誠に妙なものでございまして、人も天然自然に此の物を見る、あゝ好《よ》い景色だとか、綺麗な色だとか、五色《ごしき》ばかりではなく木《き》の葉の黄ばんだのも面白く、又|染《しみ》だらけになったのも面白い、これは唯其の人の好みによって色々になるのでございます。「心をぞわりなきものと思いぬる見る物からや恋しかるべき」で見る物も恋しく、心と云うものは別に形は無いが、善を見れば善に感じ、悪に出逢えば悪に染まる、されば己《おのれ》の好む所の境界《きょうがい》が悪いと其の身を果《はた》すような事もあるのでございます。
粂之助は奉公中主人の娘お梅に想われたのが、因果の始《はじま》りでござりまして、自分も済まない事と観念を致したから、兄玄道の側へ参り、小さくなって、温順《おとな》しく時節到来を待って居ました、所へ千駄木の植木屋九兵衞というものが参り、
九「昨晩お嬢|様《さん》がお出《いで》になりましたから、私《わたくし》が何処《どこ》へでもお逃し申すようにするゆえ、金子《かね》の才覚をして来い」
と云うので、態《わざ》とお梅の巾着の中に三両ばかり入れた儘置いて帰った。是が九兵衞の企《たく》みのある処でござります。此方《こちら》はまだ年が若いから、何の気も附かず、是は全くお梅から届けたものと心得て、前後《あとさき》の思慮も浅く、其の巾着の内へ、本堂|再建《さいこん》の普請金八十両というものを盗み出して押込み、これを懐へ入れて置いたのが、立上る機勢《はずみ》にドサリと落ちたから番頭はこゝぞと思って右の巾着を主婦《あるじ》の前へ突付けたり、鳶頭《かしら》にも見せたりして居丈高《いたけだか》になり、
番「さ、粂之助、此の巾着が出る上は貴様がお嬢|様《さん》を殺したに相違あるまい」
と責めつけたから、座中の人々互に顔と顔を見合せ、鳶頭も甲州屋の家内も実に驚いて、「よもや粂之助がお梅を殺して五十両という金子《きんす》を取りはすまい」とは思うが、金子《かね》が出た。見ると五十両ではなくして八十両の包み金《がね》、表書《うえ》には「本堂|再建《さいこん》普請金、世話人|萬屋源兵衞《よろずやげんべえ》預《あずか》る」と書いてあったから、誰より驚いたのは玄道和尚で、ぶる/\震えながら、
玄「ま、これ粂之助、ま、此の金子《かね》は何うした」
粂「はい/\申し訳がございませぬ」
玄「これはまア……番頭さん、鳶頭、又御当家の御家内様まで、粂之助がお嬢様を殺して金子《きんす》を取ったろうという御疑念をお掛けなさるは御道理《ごもっとも》の次第でござる、なれども、此の儀に就《つ》いては私《わたくし》より少々粂之助へ申聞《もうしき》けたい事がござれど、少しく他聞を憚《はゞか》りまする故、何所《どこ》か離れたお居間はござりますまいか、余り人様のお出《いで》のない所を拝借いたしたいもので」
内儀「はい/\、あの鳶頭、奥の六畳へ連れて行ったらよかろう、離れてゝ彼所《あすこ》が一番|静《しずか》でもあり人が行かないから」
鳶「宜《い》いかね、大丈夫かえ和尚|様《さん》」
玄「いえ、決して逃しは致しませぬから、御安心なすって……さア来い」
と粂之助の手を執《と》って引立てる。粂之助は和尚の従者《とも》で来たのだから今日は耳こじり[#「耳こじり」に欄外に校注、「みじかいわきざし」]を差して居る、兄玄道に引立てられ、拠《よんどころ》なく奥の離座敷へ来るといきなり肩を突かれたからパッタリ畳の処へ伏しました。玄道和尚は開き直って、
玄「これ粂、手前はまア呆れ返った奴じゃ、これ手前はな、御両親が相果《あいはて》てからと云うものは、私《わし》の手許に置いて丹精をしてやったのじゃないか……女子《おなご》の手もない寺へ引取り、十一の歳《とし》から私が丹精をして、読書《よみかき》から行儀作法に至るまで一通りは仕込んでやったが、何をいうにも借財だらけの寺へ住職をしたのが過《あやま》りで、なか/\然《そ》う何時《いつ》までも手前一人に貢いでやる訳にも往《ゆ》かぬから、不自由を堪《こら》えて御当家へ願い、住みこませると、長の歳月《としつき》御丹精を戴いた御主人様の大恩を忘れ、奉公人の身の上でありながら、御主人様の令嬢と不義いたずらをするとは、何と云う心得違の事じゃ、それで手前は武士の胤《たね》と云われるか、私も手前も、土井大炊頭《どいおおいのかみ》の家来|早川三左衞門《はやかわさんざえもん》の胤じゃないかい、私は子供の時分は清之進《せいのしん》と云うたが、どの人相見に観《み》せても、剣難の相があると云うたに依《よ》って九歳の折《おり》に出家を遂《と》げ、谷中|南泉寺《なんせんじ》の弟子になって玄道、剃髪《ていはつ》をしてから、もう長い間の事じゃ、其の後《ご》嘉永の始《はじめ》に各藩《かくばん》にて種々《さま/″\》の議論が起り、えろうやかましい世の中になった、其の折父早川三左衞門殿には正義を主張して、それはいかぬ、然《そ》ういう道理は無いと云うて殿へ御諫言《ごかんげん》を申上げたる処、重役の為に憎まれて遂には追放仰付けられた、お父様にはそれを口惜《くや》しゅう思召《おぼしめし》てか、邸《やしき》を出てから切腹をして相果《あいはて》られた、続いて母様もお逝去《かくれ》になる時の御遺言に、お前の弟粂之助はまだ頑是《がんぜ》もない小児《しょうに》、外《ほか》に頼る者もないに依って何卒《どうか》お前、丹精をして成人させて呉れとのお頼み、そこで私が寺へ引取って、十一から三ヶ年も貴様の面倒を見てやったが、今もいう通り何分|不如意《ふにょい》じゃに依って御当家へ願うたのも、然ういう柔弱な身体じゃから、商人《あきんど》に仕ようと思うた私の心尽《こゝろづくし》も水の泡となり、それのみならず誠に愧入《はじい》ったのは此の八十両の金子《かね》じゃ、知っての通りの貧乏寺じゃが幸いにも檀家《だんけ》の者にも用いられ、本堂が大破に及んだ、再建《さいこん》をせにゃなるまい、私《わし》が世話人に成ってやる奮発せいと、萬屋も心配をして呉れて、これ見ろ、まア是だけの金子を集めて、是を資本《もとで》に追々《おい/\》と再建に取掛るつもりでわざ/\源兵衞さんが一昨日《おとつい》持って来たに依って、直《すぐ》手前に仕舞って置けと云うて渡した其の金子を手前が盗出《ぬすみだ》して此所《こゝ》へ持って来るとは何ういう了簡じゃ、此金《これ》がなければ片時も己はあの寺に居《お》られぬという事も、手前|能《よ》う知って居《お》るじゃないか、憎い奴じゃ、同じ早川の家に生れても、私は総領の身の上でありながら出家となり、又手前の兄|三次郎《さんじろう》と云う者は、何ういう因縁か、十一二歳の頃からして盗心《とうしん》があって、一寸《ちょっと》重役の家《うち》へ遊びに行っても、銀の煙管じゃとか、紙入じゃとか、風呂敷とか、手拭とか云うものを盗んで袂《たもと》へ入れて来るじゃ、そこでお父様《とうさま》も呆れてしまい、此奴《こやつ》が跡目相続をすべき奴じゃけれども仕方がないと云うて、十九の時に勘当をされた、丁度三人の同胞《きょうだい》でありながら、私は出家になり、弟は泥坊根性があり、手前は又|主家《しゅうか》の娘と不義をして暇《いとま》を出されるのみならず、兄の身に取っては大切の金子《かね》まで取るという奴じゃから、何う人さんから云われても一言の申訳はあるまい、憎い奴じゃ、兄の自滅をするという事を悉《くわ》しく知って居ながら、斯《こ》ういう不都合をするとは云おう様ない人非人《にんぴにん》め」
と腹立紛れに粂之助の領上《えりがみ》を取って引倒して実の弟を思うあまりの強意見《こわいけん》、涙道《るいどう》に泪《なみだ》を浮べ、身を震わせながら粂之助を畳へこすり附ける。粂之助は身の言分《いいわけ》が立ちませぬから、
粂「申訳を致します……もも申訳を……何卒《どうぞ》お放しなすって下さいまし」
玄「さ、何う言分をする」
粂「へい申訳は此の通りでござります」
と自分の差して来た小短い脇差
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