を取って抜くより早く喉《のど》へ突立てにかゝった。玄道は胆《きも》を潰して其の手を抑《おさ》え、
玄「こ、これ待てッ」
粂「いゝえ、お留め下さるな、申訳が有りませぬから、私《わたくし》は自害をいたして申訳をいたします」
玄「自害をしたってそれで済むと思うか」
頻《しき》りに争うておる処へ、ガラリと縁側の障子を開けて這入って来た男を見ると、紋羽《もんぱ》の綿頭巾を鼻被《はなっかむり》にして、結城《ゆうき》の藍微塵《あいみじん》に単衣《ひとえもの》を重ねて着まして、盲縞の腹掛という扮装《こしらえ》、小意気な装《なり》でずっと這入って、
男「ま、ま、お待ちなせえ、おう詰らねえ事をするない、手前《てめえ》は死なねえでも宜《い》いや」
粂「ヘエー」
と顔を見ると今日朝の中《うち》に来た、千駄木の植木屋の九兵衞だから恟《びっく》りして、
粂「おや、貴方は千駄木の植木屋さんで……」
九「ウム、植木屋の九兵衞だ、お前《めえ》はまア死なねえでも宜《い》い……え、和尚さん私《わっち》は、千駄木の植木屋の九兵衞と云って、此の粂之助を騙《だまか》しに行った悪党でごぜえます」
玄「何じゃ……悪党とは」
九「ヘエ誠に面目次第もござえませぬ、お前《めえ》さんの為には現在の弟でありながら、十九の時に邸《やしき》を出て了《しま》いやした、それゆえ粂の顔を知らねえもんだから騙《だまか》しに行ったんです、兄《あに》さん大層まア年が寄って、お顔を見忘れちまいましたよ」
玄「なに誰じゃ」
九「誰でもねえ、お前《まえ》さんの弟の三次郎です」
玄「おゝ、弟の三次郎、成程|然《そ》う云えば、何所《どこ》か見覚えのある顔だ、それが何うして此所《こゝ》へ出て来た」
九「まア聞いてくだせえ、私《わっち》が上野の三橋側の夜明《よあか》しの茶飯屋のところで、立派な身形《みなり》の新造《しんぞ》が谷中長安寺への道を聞いてるんで、てっきり駈落ものと睨《にら》んで横合から飛び出し、私もね、お前さんが其の長安寺の和尚さんとも知らず、粂之助が私の弟ということも知らねえもんだから、旨い金蔓《かねづる》に有附いたと実ア其の娘を騙《だまか》して[#「騙して」は底本では「駆して」と誤記]引張出《ひっぱりだ》し、穴の稲荷の脇で娘を殺し、巾着ぐるみ有金を引浚《ひっさら》い、死骸は弁天の池ン中へ投《ほう》り込んだのは私の仕業だ、そればかりでなく、娘を殺す前《めえ》に、段々様子を聞くと、宅《うち》に奉公をして居た粂之助と云う者は、暇《いとま》が出て当時では谷中仲門前の長安寺と云う寺に居るんだと聞いたから、もう一仕事しようと思って粂の処《とこ》へ出かけ、旨く騙《だまか》して金子《かね》を持って逃げておいでなさいと云ったのは、私の入智慧《いれぢえ》、本堂再建の普請金八十両を盗ませたのも皆この三次郎の作略でごぜえます」
玄「ふむー、此奴《こやつ》……えらい奴じゃな」
三「でね、まア然《そ》ういう理由《わけ》なんだから、鳶頭と番頭や何か残らず此所《こゝ》へ呼んでおくんなせえ」
玄「粂、早う呼んで来い」
粂「誰方《どなた》も早く来て下さいましよ」
と呶鳴ったから、何事かと思って鳶頭も番頭も皆揃って来ました、ずらりと大勢ならべて置いて、右の一伍一什《いちぶしじゅう》を三次郎が話した時には、鳶頭も番頭も驚いて暫《しばら》くは口も利けぬくらいでありました。
三「さ、何うぞ私《わっし》に縄を掛けて引く処へ引いてお呉んなせえ、決して粂之助の科《とが》じゃアねえ、私《わっち》が人殺《ひとごろし》をしたんですから……其の代りどうか兄《あに》さん粂を可愛がってやってお呉んなさい、又粂も宜《い》いか、もう四十を越してる兄さんだ、能《よ》く大事にして上げてくれ、よ、お前|幾歳《いくつ》になる、なに十九歳だ、うむ然《そ》うか、いや鳶頭、誠に何とも云いようがごぜえませぬ、お前《めえ》さんは粂を贔屓にしてお呉んなすって、やれこれ云って下すったのは、私《わっち》からも厚くお礼を申します、実ア今日|此処《こゝ》へ忍び込んで間《ま》が好《よ》かったら、此のどさくさ紛れに、もう一仕事する積《つもり》で来た処が、まア斯《こ》ういう訳になりましたから何卒《どうぞ》私へ縄を掛けて突出してお呉んなせえ……やい番頭、さ、己を縛れ」
番「なに此奴《こいつ》……汝《おのれ》が泥坊か、此のお庭へ何所《どこ》から這入った」
三「何所からだって這入《へい》るが、さ縛れ、其の代り己が喰《くら》い込めば、もう娑婆ア見る事ア出来ねえから、此の番頭|手前《てめえ》も一緒に抱いて行《ゆ》くから然《そ》う思え」
番「そりゃアえらい事《こっ》ちゃな」
是《こ》れから捨て置けませぬから、甲州屋の家内は家《うち》から縄付《なわつき》を出すのも厭だと心配をして果《はて》しがない。そこで三次郎が到頭自訴いたして、何うしても斬首《ざんしゅ》の刑に行わるべきであったのが、何ういう事か三宅へ遠島を仰付《おおせつ》けられましたが、大層|改悛《かいしゅん》の効が顕《あら》われ、後《のち》お赦《しゃ》になって、此の三次郎は兄玄道の徒弟となり、修行《しゅうぎょう》の功を積んで長安寺の後住《ごじゅう》を勤めました。此の者は穴釣三次《あなづりさんじ》と云って、其の頃下谷では名高い泥坊でござりました。又粂之助は遂に甲州屋へ貰われまして、甲州屋の跡目を相続いたし、其の後《のち》浅草仲町の富田屋という古着商《ふるぎや》から嫁を貰いましたが、此の嫁も誠に心懸けの良い婦人でござりまして、母に孝行を尽したという末お目出度いお話でござります。
底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂
1925(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
2000年5月10日公開
青空文庫作成ファイル:
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