闇夜の梅
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂編纂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)其の他《た》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)古書|等《とう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あっけらけん[#「あっけらけん」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)から/\
それ/″\(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)
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一
エヽ講談の方の読物は、多く記録、其の他《た》古書|等《とう》、多少|拠《よりどころ》のあるものでござりますが、浄瑠璃や落語人情噺に至っては、作物《さくぶつ》が多いようでござります。段々種を探って見ると詰らぬもので、彼《か》の浄瑠璃で名高いお染久松のごときも、実説では久松が十五、お染が三歳《みッつ》であったというから、何《ど》うしても浮気の出来よう道理がござりませぬ。久松が十五の時、主人の娘お染を桂川の辺《ほとり》で遊ばせて居る中《うち》に、つい過《あやま》ってお染を川の中へ落したから御主人へ申訳がない、何うかして助けにゃならぬと思ったものか、久松も続いて飛込むと、游泳《およぎ》を知らなかったからついそれ切りとなった。これを種にしてお染久松という質店《しちみせ》の浄瑠璃が出来ましたものでござります。又大阪の今宮という処に心中があった時に、或《ある》狂言作者が巧《たくみ》にこれを綴《つゞ》り、標題を何《なん》としたら宜《よ》かろうかと色々に考えたが、何うしても工夫が附きませぬ、そこで三好松洛《みよししょうらく》の許《もと》へ行って、
「なんとこれ迄に拵《こしら》えたが、外題《げだい》を何とつけたらよかろう」
「いやお前のように、そんなに凝《こ》っちゃアいけませぬ、寧《いっ》そ手軽く『心中話たった今宮』と仕たらようござりましょう」
「成程」
と直《すぐ》に右の通《とおり》の外題にして演《や》ると大層に当ったという話がある。その真似をして林家正藏《はやしやしょうぞう》という怪談師が、今戸《いまど》に心中のあった時に『たった今戸心中噺』と標題を置き拵えた怪談《はなし》が大《たい》して評が好《よ》かったという事でござります。この闇夜の梅と題するお話は、戯作物などとは事違い、全く私《わたくし》が聞きました事実談でござります。
えゝ、浅草に三筋町《みすじまち》と申す所がある。是も縁で、三筋町があるから、其の側に三味線堀というのがあるなどは誠におかしい、それゆえ生駒《いこま》というお邸《やしき》があるんだなんぞは、後《あと》から拵えたものらしい。下谷《したや》があるから上野があって、側に仲町《なかちょう》がありまして上中下《じょうちゅうげ》と揃《そろ》って居《お》る。縁というものは何う考えても不思議なもので、腕尽《うでずく》にも金尽《かねずく》にも及ばぬものだというが、これは左様かも知れませぬ、まア呉服屋などで、不図《ふと》地機《じばた》の好《よ》い、お値段も恰好《かっこう》な反物《たんもの》を見附けたから買おうと思って懐中《ふところ》へ手を入れて見ると、金子《かね》が少々足りないから、一旦立ち帰り、金子《きんす》の用意をして再び来ると、誠にお気の毒様でござりますが、貴方《あなた》がお帰りになると、直に入らしったお方が見せて呉れと仰《おっ》しゃいまして、到頭《とうとう》其の方の方へ縁附《えんづき》になりました。いやそれは残念な事をした、もうあゝいうのはありませぬか。へい、あれは二百反の中《うち》二反だけ別機《べつばた》であったのですから、もう外《ほか》にはござりませぬ。それでは仕方がない、縁がなかったのだろう。と諦めてしまうと、時|経《た》ってから不意と田舎などから、自分が買いたいと思った品とそっくりな反物を貰う事などがある。又お馴染《なじみ》の芸者でも、生憎《あいにく》買おうと思った晩外にお約束でもあれば逢う事は出来ませぬ。又|金子《かね》を沢山|懐中《ふところ》に入れて芝居を観ようと思って行っても、爪も立たないほどの大入《おおいり》で、這入《はい》り所《どころ》がなければ観る事は出来ませぬ。だから縁の無い事は金尽にも力尽にもいかぬもので、ましてや夫婦の縁などと来ては尚更《なおさら》重い事で、人間の了簡で自由に出来るものではござりませぬ。
えゝ浅草の三筋町――俗に桟町《さんまち》という所に、御維新《ごいっしん》前まで甲州屋と申す紙店《かみや》がござりました。主人《あるじ》は先年みまかりまして、お杉という後家が家督《あと》を踏まえて居《お》る。お嬢さんは今年十七になって、名をお梅と云って、近所では評判の別嬪《べっぴん》でござります。番頭、手代、小僧、下女、下男等|数多《あまた》召使い、何暗からず立派に暮して居りました。すると子飼《こがい》から居《お》る粂之助《くめのすけ》というもの、今では立派な手代となり、誠に優しい性質《うまれつき》で、其の上|美男《びなん》でござります。嬢さんも最早|妙齢《としごろ》ゆえ、良《い》い聟《むこ》があったらば取りたいものと、お母《っか》さんは大事がって少しも側を離さないようにして置きましたが、どうも仕方がないもので、ある晩のことお母さんが不図目を覚まして見ると娘が居ない。
「はてな、何処《どこ》へ行ったか知らん、手水《ちょうず》に行ったならもう帰りそうなものだが」
と思ったが何時《いつ》まで経っても戻って来ない。
母「はてな嬢ももう年頃、外に何も苦労になる事はないが、店の手代の粂之助は子飼からの馴染ゆえ大層仲が好《い》いようだが、事によったら深い贔屓《ひいき》にでもしていはせぬか知ら」
とお母さんが始めて気が付いたけれども、気の付きようが遅かったから、もう間に合いませぬ。これが馬鹿のお母さんなら直《すぐ》に起き上って紙燭《ししょく》でも点《とも》し、から/\方々を開け散かして、「此の娘《こ》は何うしたんだよ」なんて呶鳴って騒ぐんだが、沈着《おちつ》いた方だから其様《そん》な蓮葉《はすは》な真似はしない、いきなり長羅宇《ながらう》の煙管《きせる》で灰吹《はいふき》をポン/\と叩いた。深夜のことゆえピーンと響いたから、お嬢さんは恟《びっく》りいたし、そっと抜足《ぬきあし》をして便所へ参り、ギーイ、バタンと便所から出たような音ばかりさせて、ポチャ/\/\と水をかけて手を洗い、何喰わぬ顔をして其の晩は寝てしまった。翌朝《よくあさ》になると、お母さんが直に鳶頭《かしら》を呼びにやって、右の話をいたし、一時《いちじ》粂之助の暇《ひま》を取って貰いたいと云う。鳶頭も承知をして立帰った後で、
主婦「粂や、粂」
粂「へい」
主婦「あのお前のう、ちょいと鳥越《とりこえ》の鳶頭の処まで行ってくんな、用は行《ゆ》きさえすれば解る………私がそういったから来ましたといえば解るんだよ」
粂「へい畏《かしこま》りました」
何だか理由《わけ》は解らぬが、粂之助は直に抱《かゝえ》の鳶頭の処へやって来まして、
粂「へい今日《こんち》は」
鳶「いや、お上《あが》んなさい、宜《い》いからまアお上んなさい、ずうっと二階へ、梯子《はしご》が危のうがすよ、おいお民《たみ》、粂どんに上げるんだから好《い》い茶を入れなよ、なに、何か茶うけがあるだろう、羊羹《ようかん》があった筈だ、あれを切んなよ、チョッ不精な奴だな、折《おり》の葢《ふた》の上で切れるもんか、爼板《まないた》を持って来なくっちゃアいかねえ、厚く切んなよ、薄っぺらに切ると旨くねえから、己《おれ》が持って来いてったら直に持って来な、宜《い》いか、話の真最中《まっさいちゅう》はんまな時分に持って来ちゃアいけねえぜ」
トン/\/\と梯子を上《あが》って、
鳶「へ、今日《こんち》は」
粂「何《な》んだかね鳶頭、お内儀《かみ》さんが、鳶頭の処へ行《ゆ》きさえすれば解るから、行って来いと仰しゃいましたから参りました」
鳶「それは何《ど》うもお忙がしい処をお呼び立て申して済みませんね、粂どん実は斯《こ》ういう話だ、今朝ねお内儀さんから私へお人だ、何だろうと思って直《すぐ》に出掛けてってお目にかゝると、奥の六畳へ通して長々と昔噺が始まったんだ、鳶頭お前がまだ年の行《ゆ》かねえ時分から当家《うち》へ出入《でいり》をするねと仰しゃるから、左様でござえます、長《なげ》え間色々お世話になりますんで、なに其様《そん》な事は何うでも宜《い》いが、旦那が死んで今年で四年になるし、私も段々年を取るし、お梅ももう十七になる、来年は歳廻りが良《い》いから何様《どん》な者でも聟を取ったらよかろうと話をすると、いつでも娘が厭《いや》がる、他人様《ひとさま》から、斯ういう良《よ》い聟がありますと申込んでも厭がるもんだから、他人《ひと》が色々な事を云って困る、妙齢《としごろ》の娘が聟を取るのを厭がるには、何か理由《わけ》があるんだろう、なにそれは店の手代に粂之助という好《い》い男があるから事に依《よ》ったらあの好い男と仔細《わけ》でもありはしないか、と云いもしまいが、ひょっとして其様なことを云われた日には、世間の口にゃア戸が閉《た》てられねえ、ねえ鳶頭、と斯うお内儀さんがいうのだ、してみると何かお前さんとお嬢さまとあやしい情交《なか》にでもなっているように私《わし》の耳には聞えるんだ、宜《よ》うがすかい、それから、誠に何うもそれは御心配なことでというと、お内儀さんの仰しゃるには、粂之助も小さい時分から長く勤めて居たから、能《よ》く気心も知れて居るが、何分今|直《すぐ》に何《ど》う斯《こ》うという訳にも往《ゆ》かず、捨《すて》て置いて失策《しくじり》でも出来るといけねえから、一と先《ま》ず谷中《やなか》の兄《あに》さんの方へ連れて行って、時節を待ったら宜かろう、其の中《うち》にはまた出入をさせる事もあるじゃアねえか、と斯う仰しゃるのだ、うむ、それから、なんだ斯ういう事も云った、何分|宅《うち》の奉公人や何かの口がうるせえから、一時《いちじ》そういう事にするんだが、仮令《たとえ》他人《ひと》が何《なん》といおうと、私の為にはたった一人の娘だから、同じ取るなら娘の気に入った聟を取って、初孫《ういまご》の顔を見たいと云うのが親の情合《じょうあい》じゃアねえか、娘が強《た》って彼《あれ》でなければならないといえば、私には気に入らんでも、娘の好いた聟を取って其の若夫婦に私は死水《しにみず》を取って貰う気だが、鳶頭何うだろう、と仰しゃるのだ、お内儀さんの思召《おぼしめし》では、一時お前《めえ》さんに暇を出して、世間でぐず/\いわねえようにしちまって、それから良い里を拵えて、ずうっと表向きお前《まえ》さんを聟にして、死水を取って貰おうてえお心持があるんだから、粂どん早まっちゃアいけねえよ、宜うがすか、お内儀さんには、色々|深《ふけ》え思召があるんだから、私《わっし》も大旦那のお若《わけ》え時分、まだ糸鬢奴《いとびんやっこ》の時分から、甲州屋のお店へ出入りをしてえて、お前《めえ》さんとも古い馴染だが、今度来やアがった番頭ね、彼奴《あいつ》が悪い奴なんだ、いろ/\胡麻を摺《す》りやアがって仕様がねえからお内儀さんも心配をしていらっしゃるんだが、ねえ粂どん」
粂「ヘエ、承知いたしました」
鳶「でね、何《なん》にもいわず、少し兄の方に用事が出来ましたからお暇《いとま》を願います、長々|御厄介《ごやっけえ》になりました、と斯《こ》ういって廉《かど》をいわずにお暇《ひま》を取っちまう方が好《い》い、いろ/\くど/\しく詫《わび》なんぞを仕ちゃア可《い》けねえよ」
粂「ヘエ、畏《かしこま》りました、何うも誠に面目次第もござりませぬ」
とおろ/\泣きながら、粂之助が帰りまして、
粂「ヘエ、只今」
内儀「あい粂か、此方《こっち》へお這入り、好いよ遠慮をしないでも………先刻《さっき》、鳶頭が来たから四方山《よもやま》の話をして置いたが、何うだい
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