、然ういう柔弱な身体じゃから、商人《あきんど》に仕ようと思うた私の心尽《こゝろづくし》も水の泡となり、それのみならず誠に愧入《はじい》ったのは此の八十両の金子《かね》じゃ、知っての通りの貧乏寺じゃが幸いにも檀家《だんけ》の者にも用いられ、本堂が大破に及んだ、再建《さいこん》をせにゃなるまい、私《わし》が世話人に成ってやる奮発せいと、萬屋も心配をして呉れて、これ見ろ、まア是だけの金子を集めて、是を資本《もとで》に追々《おい/\》と再建に取掛るつもりでわざ/\源兵衞さんが一昨日《おとつい》持って来たに依って、直《すぐ》手前に仕舞って置けと云うて渡した其の金子を手前が盗出《ぬすみだ》して此所《こゝ》へ持って来るとは何ういう了簡じゃ、此金《これ》がなければ片時も己はあの寺に居《お》られぬという事も、手前|能《よ》う知って居《お》るじゃないか、憎い奴じゃ、同じ早川の家に生れても、私は総領の身の上でありながら出家となり、又手前の兄|三次郎《さんじろう》と云う者は、何ういう因縁か、十一二歳の頃からして盗心《とうしん》があって、一寸《ちょっと》重役の家《うち》へ遊びに行っても、銀の煙管じゃとか、紙入じゃとか、風呂敷とか、手拭とか云うものを盗んで袂《たもと》へ入れて来るじゃ、そこでお父様《とうさま》も呆れてしまい、此奴《こやつ》が跡目相続をすべき奴じゃけれども仕方がないと云うて、十九の時に勘当をされた、丁度三人の同胞《きょうだい》でありながら、私は出家になり、弟は泥坊根性があり、手前は又|主家《しゅうか》の娘と不義をして暇《いとま》を出されるのみならず、兄の身に取っては大切の金子《かね》まで取るという奴じゃから、何う人さんから云われても一言の申訳はあるまい、憎い奴じゃ、兄の自滅をするという事を悉《くわ》しく知って居ながら、斯《こ》ういう不都合をするとは云おう様ない人非人《にんぴにん》め」
と腹立紛れに粂之助の領上《えりがみ》を取って引倒して実の弟を思うあまりの強意見《こわいけん》、涙道《るいどう》に泪《なみだ》を浮べ、身を震わせながら粂之助を畳へこすり附ける。粂之助は身の言分《いいわけ》が立ちませぬから、
粂「申訳を致します……もも申訳を……何卒《どうぞ》お放しなすって下さいまし」
玄「さ、何う言分をする」
粂「へい申訳は此の通りでござります」
と自分の差して来た小短い脇差を取って抜くより早く喉《のど》へ突立てにかゝった。玄道は胆《きも》を潰して其の手を抑《おさ》え、
玄「こ、これ待てッ」
粂「いゝえ、お留め下さるな、申訳が有りませぬから、私《わたくし》は自害をいたして申訳をいたします」
玄「自害をしたってそれで済むと思うか」
頻《しき》りに争うておる処へ、ガラリと縁側の障子を開けて這入って来た男を見ると、紋羽《もんぱ》の綿頭巾を鼻被《はなっかむり》にして、結城《ゆうき》の藍微塵《あいみじん》に単衣《ひとえもの》を重ねて着まして、盲縞の腹掛という扮装《こしらえ》、小意気な装《なり》でずっと這入って、
男「ま、ま、お待ちなせえ、おう詰らねえ事をするない、手前《てめえ》は死なねえでも宜《い》いや」
粂「ヘエー」
と顔を見ると今日朝の中《うち》に来た、千駄木の植木屋の九兵衞だから恟《びっく》りして、
粂「おや、貴方は千駄木の植木屋さんで……」
九「ウム、植木屋の九兵衞だ、お前《めえ》はまア死なねえでも宜《い》い……え、和尚さん私《わっち》は、千駄木の植木屋の九兵衞と云って、此の粂之助を騙《だまか》しに行った悪党でごぜえます」
玄「何じゃ……悪党とは」
九「ヘエ誠に面目次第もござえませぬ、お前《めえ》さんの為には現在の弟でありながら、十九の時に邸《やしき》を出て了《しま》いやした、それゆえ粂の顔を知らねえもんだから騙《だまか》しに行ったんです、兄《あに》さん大層まア年が寄って、お顔を見忘れちまいましたよ」
玄「なに誰じゃ」
九「誰でもねえ、お前《まえ》さんの弟の三次郎です」
玄「おゝ、弟の三次郎、成程|然《そ》う云えば、何所《どこ》か見覚えのある顔だ、それが何うして此所《こゝ》へ出て来た」
九「まア聞いてくだせえ、私《わっち》が上野の三橋側の夜明《よあか》しの茶飯屋のところで、立派な身形《みなり》の新造《しんぞ》が谷中長安寺への道を聞いてるんで、てっきり駈落ものと睨《にら》んで横合から飛び出し、私もね、お前さんが其の長安寺の和尚さんとも知らず、粂之助が私の弟ということも知らねえもんだから、旨い金蔓《かねづる》に有附いたと実ア其の娘を騙《だまか》して[#「騙して」は底本では「駆して」と誤記]引張出《ひっぱりだ》し、穴の稲荷の脇で娘を殺し、巾着ぐるみ有金を引浚《ひっさら》い、死骸は弁天の池ン中へ投《ほう》り込んだのは
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