前さんを探しに表へ出ましたが、貴方《あなた》はお暇《ひま》になりましたてえから、何ういう理由《わけ》だろうと聞いても解らないんですが、本当に何うもお気の毒さまで」
粂「お前と私とは別段仲が好《よ》かったから、お前に別れるのは誠に辛いけれども、拠《よんどころ》ない事があってお暇になったのだが、私が居なくなると番頭さんに無理な小言をいわれても、誰も詫びてくれるものがないから、お前も能く気を附けて叱られないように御奉公を大事にするんだよ」
定「ヘエ有難う、お前さんが下《さが》るくらいなら私も下った方がようございます、幾ら私がいる気でも、外《ほか》の者は、みんな意地が悪くって居られませぬもの、其《そ》ん中でも、新次郎《しんじろう》どんなどは、しんねりむっつりの嫌な人で、私が寝てえると焼芋の皮なんぞを態《わざ》と置いて、そうしてお内儀さんが朝|暖簾《のれん》の処《とこ》から顔を出して、さ、皆《みんな》起きなよと仰しゃる時に新どんの意地悪が、あの昨晩定吉が寝ながら焼芋を食べましたなんて嘘ばかり吐《つ》いて人を叱らせるんですもの、そうすると番頭さんが私の尻を捲《まく》って、定規板でピシャ/\撲《なぐ》るんですもの、痛くて堪《たま》りゃアしませんや、此間《こないだ》も宿下《やどお》りの時お母《っか》さんにそういったんです、お内儀さんもお嬢さんも粂どんも皆《みんな》善《い》い方だけれども、ほかの者は残らず意地が悪くって辛抱が出来ないてえと、そんな事をいうものじゃアない、それが身の修行《しゅうぎょう》だから、我慢をしなくっちゃアいけないと云われますから、粂どんがおいでなさる間は辛抱が出来る、粂どんは大層私を可愛がっておくんなすって、何かおいしい物があると、お蔵の棚へ内証《ないしょう》で取っといておくんなすって、ちょいと出し物があるから蔵まで一緒に行っておくれって連れてって、さ、お食べってカステラ巻だの何《なん》だのを食べさせて下すったり、お小遣をおくんなすったりして、本当に優しくして下さるよと然《そ》ういったら、母親《おふくろ》が涙ぐんで、あゝ有難いことだ、そういうお方が在《い》らっしゃるのはお前が奉公の出来る瑞相《ずいそう》だから、何でもその方をしくじらないように為《し》なくっちゃア可《い》けない、その方の御機嫌を損ねるとお店にはいられないから、どんな無理なことを仰しゃってもいう事を聴くんだよといいました」
粂「早く彼方《あっち》へお出で、何時までも此処《こゝ》にいると又叱られるから」
定「ヘエ、今行きます」
粂「清助《せいすけ》どんは何うしたえ」
定「今物置に薪《まき》を積直して居ましたっけ」
粂「ちょいと清助どんにも暇乞《いとまごい》をして行こう」
定「じゃア私も一緒に行きましょう」
粂「清助どん、何うも長々お世話になりました」
清「おゝ粂どんか、今ね己《おれ》が聞いたんだ、おさきどんがの話に、今日急に粂どんがお暇《いとま》になったてえから、己ハアほんとうに魂消《たまげ》ただ、何でもこれは番頭野郎の策略に違《ちげ》えねえ、彼奴《あいつ》は厭に意地が悪くって、何かお前様《めえさま》を追出させるように巧《たく》んだに違え無《ね》えだ、本当にあのくれえ憎らしい野郎も無えもんだ、ちょいと何一つくれるんでもお前《めえ》さんと番頭とではこう違うだ、こんな物は己《おら》ア嫌《きれ》えだ、お前《めえ》も嫌えかも知れねえが喰うなら喰ってくんろ、勿体ねえからってお前《めえ》さんは旨《うめ》え物をくれるだが、番頭野郎は自分がそれ程に好かねえもんでも惜しがってくれやアがるだ、此間《こねえだ》も他処《よそ》から法事の饅頭が来た時、お店へも出ると彼奴は酒呑だから甘《あめ》え物は嫌えだろう、それだのにさ、清助|汝《われ》がに饅頭をくれてやる、田舎者だから此様《こん》な結構な物は食ったことは有るめえ、汝がのような奴に惜しいもんだけんど、汝がに食わすと、斯《こ》う吐《ぬか》しやがるだ、己も余《あんま》り腹が立ったから、何うかして意趣返《いしゅげえ》しをしてやろうと思って、此間《こねえだ》鹿角菜《ひじき》と油揚《あぶらげ》のお菜《さい》の時に、お椀の中へそっと草鞋虫《わらじむし》を入れて食わせてやっただ、そんな事は何うでも好《い》いが、お前《めえ》さんがお暇《いとま》になるなら何《な》んにも楽《たのし》みが無《ね》えから己《おら》も下《さが》ろうか知ら、下らば直《すぐ》に故郷《くに》へ帰《けえ》るだよ、己《おれ》は信州|飯山《いいやま》の在《ぜえ》でごぜえますから、めったに来る事もあるめえが、善光寺へ参詣にでも来ることが有ったら是非寄って下せえまし、田舎の事《こッ》たから、何も外に御馳走の仕ようが無《ね》えから、鹿でも打《ぶ》って御馳走しべいから、何だか馴
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