ね》て、脇差《わきざし》の小柄《こづか》を腹《はら》の上に乗《のつ》けてお置きなさいと云《い》つたんで。長「ムヽウ禁厭《まじなひ》かい。弥「疝気《せんき》の小柄《こづか》ツ腹《ぱら》(千|住《じゆ》の小塚原《こづかつぱら》)と云《い》つたら怒《おこ》りやアがつた、跡《あと》から芳蔵《よしざう》の娘《むすめ》が労症《らうしやう》だてえから、南瓜《たうなす》の胡麻汁《ごまじる》を喰《く》へつてえました。長「何《なん》だい、それは。弥「おや/\労症《らうしやう》南瓜《かぼちや》の胡麻汁《ごまじる》つて。長「馬鹿《ばか》な事を云《い》ふな、手前《てめえ》は江戸《えど》ツ子《こ》ぢやアねえぞ、十一の時《とき》三|州《しう》西尾《にしを》の在《ざい》から親父《おやぢ》が手を引いて家《うち》へ連《つ》れて来《き》て、何卒《どうぞ》置いてくれと頼《たの》まれる時、己《おれ》が鼠《ねづみ》半切《はんぎれ》へ狂歌《きやうか》を書いて遣《や》つたツけ、ムヽウ何《なん》とか云つたよ、えゝ「西尾《にしを》から東《ひがし》を差《さ》して来《き》た[#「来《き》た」に白丸傍点][#「来《き》た」の左に「北」の注記]小僧《こぞう》皆身《みなみ》[#「皆身《みなみ》」に白丸傍点][#「皆身《みなみ》」の左に「南」の注記]の為《ため》に年季奉公《ねんきぼうこう》と、東西南北《とうざいなんぼく》で書いて遣《や》ると、お前《まへ》の親父《おやぢ》がそれを国《くに》へ持つて往《い》つて表装《へうさう》を加へ、掛物《かけもの》にして古《ふる》びが附《つ》き時代が附《つ》きますによつて、忰《せがれ》も成人《せいじん》致《いた》しませう、そればかりが楽しみでございます、何分《なにぶん》どうかお世話を願ひますと、親はそれ程《ほど》に思つてゐるのに、親の心子知らずと云《い》ふはお前のことだ。大きな体躯《なり》をして居《ゐ》ながら、道具《だうぐ》は些《ちつ》とも覚《おぼ》えやアしねえ、親の恩を忘れちやア済《す》まんぞ。弥「アハヽヽ親玉《おやだま》ア。長「何《なん》だ、人が意見を云《い》つてるのに誉《ほめ》る奴《やつ》が有《あ》るか、困るなア、もう十八だぜ貴様《きさま》も。弥「然《さ》う/\来年は十九だ。長「其様《そん》なことは云《い》はなくつても宜《よ》い、就《つい》ては今《いま》萬屋《よろづや》から手紙が来《き》たん
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