かずら》に縫はれ、朽ちたる軒は蜘蛛《くも》の網《す》に張られて、物凄《ものすご》きまでに荒れたるが。折しも秋の末なれば、屋根に生《お》ひたる芽生《めばえ》の楓《かえで》、時を得顔《えがお》に色付きたる、その隙《ひま》より、鬼瓦《おにがわら》の傾きて見ゆるなんぞ、戸隠《とがく》し山《やま》の故事《ふること》も思はれ。尾花|丈《せ》高《たか》く生茂《おいしげ》れる中に、斜めにたてる石仏《いしぼとけ》は、雪山《せつざん》に悩む釈迦仏《しゃかぶつ》かと忍ばる。――只《と》見れば苔《こけ》蒸したる石畳の上に。一羽の雉子《きぎす》身体《みうち》に弾丸《たま》を受けしと覚しく、飛ぶこともならで苦《くるし》みをるに。こは好《よ》き獲物よと、急ぎ走り寄《よっ》て足に押へ、已《すで》に喰はんとなせしほどに。忽ち後《うしろ》に声ありて、「憎き野良犬、其処《そこ》動きそ」ト、大喝《だいかつ》一|声《せい》吠《ほ》えかかるに。黄金丸は打驚き、後《しりえ》を顧《ふりかえ》りて見れば、真白なる猟犬《かりいぬ》の、われを噛まんと身構《みがまえ》たるに、黄金丸も少し焦燥《いら》つて、「無礼なり何奴《なにやつ》なれば、われを野良犬と詈《ののし》るぞ」「無礼なりとは爾《なんじ》が事なり。わが飼主の打取りたまひし、雉子《きぎす》を爾盗まんとするは、言語に断えし無神狗《やまいぬ》かな」「否《いな》、こはわれ此処にて拾ひしなり」「否、爾が盗みしなり。見れば頸筋に輪もあらず、爾|曹《ら》如き奴あればこそ、撲犬師《いぬころし》が世に殖《ふ》えて、わが們《ともがら》まで迷惑するなれ」「許しておけば無礼な雑言《ぞうごん》、重ねていはば手は見せまじ」「そはわれよりこそいふことなれ、爾曹如きと問答|無益《むやく》し。怪我《けが》せぬ中《うち》にその鳥を、われに渡して疾《と》く逃げずや」「返す返すも舌長し、折角拾ひしこの鳥を、阿容々々《おめおめ》爾に得させんや」「這《しゃ》ツ面倒なりかうしてくれん」ト、飛《とん》でかかれば黄金丸も、稜威《ものもの》しやと振り払《はらっ》て、また噬《か》み付くを丁《ちょう》と蹴返《けかえ》し、その咽喉《のどぶえ》を噬《かま》んとすれば、彼方《あなた》も去る者身を沈めて、黄金丸の股《もも》を噬む。黄金丸は饑渇《うえ》に疲れて、勇気日頃に劣れども、また尋常《なみなみ》の犬にあらぬに、彼方《かなた》もなかなかこれに劣らず、互ひに挑闘《いどみたたか》ふさま、彼の花和尚《かおしょう》が赤松林《せきしょうりん》に、九紋竜《くもんりゅう》と争ひけるも、かくやと思ふ斗《ばか》りなり。
 先きのほどより、彼方《かなた》の木陰に身を忍ばせ、二匹の問答を聞《きき》ゐたる、一匹の黒猫ありしが。今二匹が噬合ひはじめて、互ひに負けじと争ひたる、その間隙《すき》を見すまして、静かに忍び寄るよと見えしが、やにはに捨てたる雉子《きぎす》を咬《くわ》へて、脱兎の如く逃げ行くを、ややありて二匹は心付き。南無三《なむさん》してやられしと思ひしかども今更追ふても及びもせずと、雉子を咬へて磚※[#「片+嗇」、75−7]《ついじ》をば、越え行く猫の後姿、打ち見やりつつ茫然《ぼうぜん》と、噬み合ふ嘴《くち》も開《あ》いたままなり。

     第五回

 鷸蚌《いつぼう》互ひに争ふ時は遂《つい》に猟師の獲《えもの》となる。それとこれとは異なれども、われ曹《ら》二匹争はずば、彼の猫如きに侮られて、阿容々々《おめおめ》雉子は取られまじきにト、黄金丸も彼の猟犬《かりいぬ》も、これかれ斉《ひと》しく左右に分れて、ひたすら嘆息なせしかども。今更に悔いても詮《せん》なしト、漸《ようや》くに思ひ定めつ。ややありて猟犬は、黄金丸にうち向ひ、「さるにても御身《おんみ》は、什麼《そも》何処《いずこ》の犬なれば、かかる処にに漂泊《さまよ》ひ給ふぞ。最前より噬《かみ》あひ見るに、世にも鋭き御身が牙尖《きばさき》、某《それがし》如きが及ぶ処ならず。もし彼の鳥猫に取られずして、なほも御身と争ひなば、わが身は遂に噬斃《かみたお》されて、雉子は御身が有《もの》となりてん。……これを思へば彼の猫も、わがためには救死の恩あり。ああ、危ふかりし危ふかりし」ト、数度《あまたたび》嘆賞するに。黄金丸も言葉を改め、「こは過分なる賛詞《ほめこと》かな。さいふ御身が本事《てなみ》こそ。なかなか及《およ》ばぬ処なれト、心|私《ひそ》かに敬服せり。今は何をか裹《つつ》むべき、某が名は黄金丸とて、以前は去る人間に事《つか》へて、守門の役を勤めしが、宿願ありて暇《いとま》を乞《こ》ひ、今かく失主狗《はなれいぬ》となれども、決して怪しき犬ならず。さてまた御身が尊名|怎麼《いか》に。苦しからずば名乗り給へ」ト、いへば猟犬《かりいぬ》は打点頭《うちうなず》き、「さもありなんさもこそと、某も疾《と》く猜《すい》したり。さらば御身が言葉にまかせて、某が名も名乗るべし。見らるる如く某は、この辺《あたり》の猟師《かりうど》に事ふる、猟犬にて候が。ある時|鷲《わし》を捉《とっ》て押へしより、名をば鷲郎《わしろう》と呼ばれぬ。こは鷲を捉《と》りし白犬《しろいぬ》なれば、鷲白《わししろ》といふ心なるよし。元より屑《かず》ならぬ犬なれども、猟《かり》には得たる処あれば、近所の犬ども皆恐れて、某が前に尾を垂《た》れぬ者もなければ、天下にわれより強き犬は、多くあるまじと誇りつれど。今しも御身が本事《てなみ》を見て、わが慢心を太《いた》く恥ぢたり。そはともあれ、今御身が語られし、宿願の仔細《しさい》は怎麼にぞや」ト、問ふに黄金丸は四辺《あたり》を見かへり、「さらば委敷《くわしく》語り侍《はべ》らん……」とて、父が非業の死を遂げし事、わが身は牛に養はれし事、それより虎と狐を仇敵《かたき》とねらひ、主家《しゅうか》を出でて諸国を遍歴せし事など、落ちなく語り聞かすほどに。鷲郎はしばしば感嘆の声を発せしが、ややありていへるやう、「その事なれば及ばずながら、某一肢の力を添へん。われ彼の金眸《きんぼう》に意恨《うらみ》はなけれど、彼奴《きゃつ》猛威を逞《たくまし》うして、余の獣類《けもの》を濫《みだ》りに虐《しいた》げ。あまつさへ饑《うゆ》る時は、市《いち》に走りて人間《ひと》を騒がすなんど、片腹痛き事のみなるに、機会《おり》もあらば挫《とりひし》がんと、常より思ひゐたりしが。名に負ふ金眸は年経し大虎、われ怎麼《いか》に猟《かり》に長《た》けたりとも、互角の勝負なりがたければ、虫を殺して無法なる、他《かれ》が挙動《ふるまい》を見過せしが。今御身が言葉を聞けば、符《わりふ》を合《あわ》す互ひの胸中。これより両犬心を通じ、力を合せて彼奴《きゃつ》を狙《ねら》はば、いづれの時か討たざらん」ト。いふに黄金丸も勇み立ちて、「頼もしし頼もしし、御身|已《すで》にその意《こころ》ならば、某また何をか恐れん。これより両犬義を結び、親こそ異《かわ》れこの後《のち》は、兄となり弟《おとと》となりて、共に力を尽すべし。某この年頃諸所を巡りて、数多《あまた》の犬と噬《か》み合ひたれども、一匹だにわが牙に立つものなく、いと本意《ほい》なく思ひゐしに。今日|不意《ゆくりな》く御身に出逢《であい》て、かく頼もしき伴侶《とも》を得ること、実《まこと》に亡《なき》父の紹介《ひきあわせ》ならん。さきに路を照らせし燐火《おにび》も、今こそ思ひ合はしたれ」ト、独《ひと》り感涙にむせびしが。猟犬は霎時《しばし》ありて、「某今御身と契《ちぎり》を結びて、彼の金眸を討たんとすれど、飼主ありては心に任せず。今よりわれも頸輪《くびわ》を棄《すて》て、御身と共に失主狗《はなれいぬ》とならん」ト、いふを黄金丸は押止《おしとど》め、「こは漫《そぞろ》なり鷲郎ぬし、わがために主を棄《すつ》る、その志は感謝《かたじけな》けれど、これ義に似て義にあらず、かへつて不忠の犬とならん。この儀は思ひ止まり給へ」「いやとよ、その心配《こころづかい》は無用なり。某|猟師《かりうど》の家に事《つか》へ、をさをさ猟の業《わざ》にも長《た》けて、朝夕《あけくれ》山野を走り巡り、数多の禽獣《とりけもの》を捕ふれども。熟《つらつ》ら思へば、これ実《まこと》に大《おおい》なる不義なり。縦令《たと》ひ主命とはいひながら、罪なき禽獣《もの》を徒《いたず》らに傷《いた》めんは、快き事にあらず。彼の金眸に比べては、その悪五十歩百歩なり。此《ここ》をもて某常よりこの生業《なりわい》を棄てんと、思ふこと切《しきり》なりき。今日この機会《おり》を得しこそ幸《さち》なれ、断然|暇《いとま》を取るべし」ト。いひもあへず、頸輪を振切りて、その決心を示すにぞ。黄金丸も今は止むる術《すべ》なく、「かく御身の心定まる上は、某また何をかいはん。幸ひなる哉《かな》この寺は、荒果てて住む人なく、われ曹《ら》がためには好《よ》き棲居《すみか》なり。これより両犬|此処《ここ》に棲みてん」ト、それより連立ちて寺の中《うち》に踏入り、方丈と覚しき所に、畳少し朽ち残りたるを撰《えら》びて、其処《そこ》をば棲居と定めける。

     第六回

 恁《かく》て黄金丸は鷲郎《わしろう》と義を結びて、兄弟の約をなし、この古刹《ふるでら》を棲居となせしが。元より養ふ人なければ、食物も思ふにまかせぬにぞ、心ならずも鷲郎は、慣《なれ》し業《わざ》とて野山に猟《かり》し、小鳥など捉《と》りきては、漸《ようや》くその日の糧《かて》となし、ここに幾日を送りけり。
 或日黄金丸は、用事ありて里に出でし帰途《かえるさ》、独り畠径《はたみち》を辿《たど》り往《ゆ》くに、只《と》見れば彼方《かなた》の山岸の、野菊あまた咲き乱れたる下《もと》に、黄なる獣《けもの》眠《ねぶ》りをれり。大《おおき》さ犬の如くなれど、何処《どこ》やらわが同種《みうち》の者とも見えず。近づくままになほよく見れば、耳立ち口|尖《とが》りて、正《まさ》しくこれ狐なるが、その尾の尖《さき》の毛抜けて醜し。この時黄金丸思ふやう、「さきに文角《ぶんかく》ぬしが物語に、聴水《ちょうすい》といふ狐は、かつてわが父|月丸《つきまる》ぬしのために、尾の尖|咬《かみ》切られてなしと聞きぬ。今彼の狐を見るに、尾の尖|断離《ちぎ》れたり。恐らくは聴水ならん。阿那《あな》、有難や感謝《かたじけな》や。此処にて逢ひしは天の恵みなり。将《いで》一噬《ひとか》みに……」ト思ひしが。有繋《さすが》義を知る獣なれば、眠込《ねご》みを噬まんは快からず。かつは誤りて他の狐ならんには、無益の殺生《せっしょう》なりと思ひ。やや近く忍びよりて、一声高く「聴水」ト呼べば、件《くだん》の狐は打ち驚き、眼《まなこ》も開かずそのままに、一|間《けん》ばかり跌※[#「足へん+易」、第4水準2−89−38]《けしと》んで、慌《あわただ》しく逃《に》げんとするを。逃がしはせじと黄金丸は、※[#「口+畫」、79−4]《おめき》叫んで追駆《おっかく》るに。彼方《かなた》の狐も一生懸命、畠《はた》の作物を蹴散《けち》らして、里の方《かた》へ走りしが、只《と》ある人家の外面《そとべ》に、結ひ繞《めぐ》らしたる生垣《いけがき》を、閃《ひらり》と跳《おど》り越え、家の中《うち》に逃げ入りしにぞ。続いて黄金丸も垣を越え、家の中を走り抜けんとせし時。六才《むつ》ばかりなる稚児《おさなご》の、余念なく遊びゐたるを、過失《あやまち》て蹴倒せば、忽《たちま》ち唖《わっ》と泣き叫ぶ。その声を聞き付《つけ》て、稚児の親なるべし、三十ばかりなる大男、裏口より飛で入《いり》しが。今走り出でんとする、黄金丸を見るよりも、さては此奴《こやつ》が噬《か》みしならんト、思ひ僻《ひが》めつ大《おおい》に怒《いかっ》て、あり合ふ手頃の棒おつとり、黄金丸の真向《まっこう》より、骨も砕けと打ちおろすに、さしもの黄金丸肩を打たれて、「呀《あっ》」ト一声叫びもあへず、後に撲地《はた》と倒るるを、なほ続けさまに打ちたたかれしが。やがて太き麻縄《あさなわ》もて、犇
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