其隋の法律や唐の法律を文字其儘使つて居りました。そこで日本の事情と云ふことを考へないで土地を[#「土地を」は底本では「士地を」]分割して制限すると云ふことになつて來たのですが、併し是は日本人の自然の勢ひに副はないのですから、段々何時の間にか毎年土地を變へると云ふことが三年に一度になり、五年に一度、十年に一度、甚しきは六十年に一度思出したやうに土地を分割すると云ふことになり、到頭土地分割は止めになつてしまつた。そこで人口は殖えて耕作せられた土地が多くなつて來たので之を持ちたいと云ふ希望が朝廷の貴族、大官あたりに非常に盛になつて來ましたから、土地を持ちたいと云ふことを法律化して來たのです。それはどうするかと云ふと、其頃お寺と神社には今申上げたやうに土地を澤山持つて居つても差支ない、之を分割して百姓に分けてやらないで宜いと云ふことであつた。そこで其神樣と佛樣の持つて居る土地は寺のものであり神社のものであるから、役人は入ることならぬ。其處から租税を取ることはならぬと云ふことにしたのです。そこで神社は人を使ひお寺も奴隷を使ひどん/\耕作して、其米の收入に依つて富を増すと云ふことになつて來た。朝廷
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