利の如きは丁度同じ時代に奴隷が段々少くなつて來てマノール・ハウスが出て來た。マノール・ハウスは日本の莊園見たいなものである。封建制度の前身でありますが、マノール・ランドと言ひまして別莊地と言ふのです。何處々々の土地は貴族のものである、豪族のものであると決めてしまつて、其處に住んで居る人民から税を取ると云ふことを本として來ましたから、茲に於てか奴隷が段々減つて土地を澤山取ると云ふ習慣になつて來まして、そこで土地を本として經濟を立てると云ふことになつて來た。日本では莊園と云ふものがあつたことは皆さん大抵御承知でせうが、之の起原は次の樣な譯であります。即ち大化革新に於て天下の土地を分けて百姓に平均一人二反歩づゝ呉れると云ふことになりましたが、是は支那の法律の飜譯なのです。其頃留學生や坊さんが支那へ留學して行きました。所が支那は其頃唐の大宗と云ふ天子の頃で盛んであつた。其唐の制度、唐以前の制度を見た所が、土地を持つことを制限して、豪族が餘り土地を兼併しないやうにすると云ふ時代であつたが、是こそ眞理である、之が國を救ふの道だと思つて歸つて來た留學生は持つて來た法律を飜譯して日本に應用したのです。
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